轍楽之路 西武鉄道画像保管箱
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2枚窓進化の系譜−3 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2010/04/24(Sat) 14:49 No.1398   
昭和43年度からいよいよ初の高性能車101系が登場です。山にも街にも使えるオールラウンドカー
なので、会社としてはASカーと自称してましたが定着しませんでした。南海のズームカーや小田急HE車
を意識したのでしょうか?。
 写真は、竣工検査の日の101系第一編成101F  小手指検車区 S44年1月8日


Re: 2枚窓進化の系譜−3 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/24(Sat) 14:50 No.1399
 101Fは、ベージュ塗装が少し広かったですね。  小手指検車区  S44年1月8日


Re: 2枚窓進化の系譜−3 - 1411 2010/04/24(Sat) 17:17 No.1407
団塊鉄ちゃん様
いつもお世話になっています。
日々拝見させていただく画像に驚きと感動の連続です。

101系の写真、ベージュが広いことがよくわかります。
前面ステンレス飾りをベースに見ると、701系赤色のラインと101系のベージュ色下部がほぼ並びそうなので、赤電の赤部分と同じ幅でイエローに塗っていたように見えます。
これもすぐ塗り替えられてしまったのでしょうか。


Re: 2枚窓進化の系譜−3 - マクレー 2010/04/24(Sat) 21:10 No.1412
団塊鉄ちゃん様、いつも素晴らしいお写真ありがとうございます。
101の新製時の塗り分けがよくわかりました。手元の「鉄道ファン」93号のカラー写真を見た時はあまり違和感がなかったので見落としていました。
ところで検査表記の上にある○印は何なのでしょうか?


切妻型進化の系譜−2 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2010/04/24(Sat) 14:57 No.1403   
411系は701や801系と併行して作られた増結用の2連です。製造年度により車体側面が701タイプと801タイプの2通り
が有りました。台車は当初はDT10ですが、後にFS40に変更されましたね。
 写真は、完成当日所沢中線から上石神井に向けて発つ前の415F  所沢駅  S40年8月


Re: 切妻型進化の系譜−2 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/24(Sat) 14:58 No.1404
今回はこれにて失礼致します。多くの掲出申し訳有りませんでした。

2枚窓進化の系譜−2 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2010/04/24(Sat) 14:44 No.1395   
昭和37年製の601系は、551の車体に足回りを刷新して初のカルダン駆動車となりました。
在来車との連結が前提であった為、上記561Fで試用したレジンシューによる空制のみでした。
一時、501系の2M4Tサハ1563〜を601系に挟みTc.T.M.M.T.Tc化する検討をした事が有ったそうです。
勿論実現しませんでしたが。
 写真は、612F 清瀬ー東久留米間  S38年12月


Re: 2枚窓進化の系譜−2 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/24(Sat) 14:45 No.1396
昭和38年製の701系は、601系の足回りを用いて、車体の見直しを計りました。
窓割均等化、方向幕、化粧板などで近代的な装いです。製造年度によって細部の変化がありました。
 写真は、全盛期の頃の赤電701系  番号不詳  東村山ー久米川 S43年11月 



Re: 2枚窓進化の系譜−2 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/24(Sat) 14:47 No.1397
昭和42年度には、801系が5編成作られました。車体屋根部の張上げ化、TC台車のFS067エアサス化、
交流MGの採用等です。この車体は次の101系にそのまま引き継がれることになります。
 写真は、807F 東久留米ーひばりが丘 S43年5月



2枚窓進化の系譜−1 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2010/04/24(Sat) 14:38 No.1392   
西武の電車は、昭和29年の旧501系に始まり、昭和44年の101系まで車体と装備機器が
オーバーラップしながら進化しましたね。2枚窓の湘南型が主流なのですが、傍流として
400番代の切妻もありました。

昭和29年製初代501系 モハ17m、サハ20mの4両固定で520まで10編成製造。
後に新501系や新411系に押されて411系→351系に改番され2連になったのも有りました。
 写真は、更新後の353F 小手指検車区 S43年12月


Re: 2枚窓進化の系譜−1 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/24(Sat) 14:40 No.1393
昭和32年製の521以降は、モハも車長が20mとなり、530迄5編成がサハも同型のきれいな編成でした。
それ以後は旧501系を411系と改番し、新501〜520までモハだけ新造、サハは旧501系の物を挟み
ました。
 写真は、525F西武秩父行  S44年12月  東吾野ー武蔵横手



Re: 2枚窓進化の系譜−1 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/24(Sat) 14:41 No.1394
昭和36年製の551系は451の側面と501の正面を持った折衷タイプで、車体はやや近代化されました。
正面連続2枚窓、アルミハニカムドア、グロベン、ファンデリア4ヶ、電連採用、切り抜き車番などですが、
足回りはDT10で501系より退化してしまいました。
 写真は、561Fの完成試運転、保谷ー秋津が一般的な試運転区間でした。秋津駅 S37年4月



Re:甲種輸送 投稿者:モハ1005−モハ1006−クハ2003 投稿日:2010/04/20(Tue) 23:46 No.1375   
田駄様、ご無沙汰しています。
他皆様、ほとんどの方は「はじめまして」でしょうか?
新宿線新井薬師前附近で生まれ育ち(501系〜801系世代)、現在は武蔵丘車輌検修場附近に在住で、伊豆箱根鉄道の赤電が好きだった『モハ1005−モハ1006−クハ2003』と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
画像は小手指車輌管理所に留置されていた、総武流山電鉄向け、クモハ1201−サハ61−クモハ1202 です。
1978年10月7日撮影
甲種向け車両は、戸袋部分に棒でドアがロックされ、乗務員室横の縦ドイが外されているのがいつも不思議でした。

西武の「モハ」→「クモハ」記号の変更は、私の手持ち資料(クモハ529,530車両竣工図表)でも、昭和39年1月31日付となっています。


Re: 311型の想い出 - モハ1005−モハ1006−クハ2003 2010/04/21(Wed) 00:06 No.1376
ここのところ、皆様のとても懐かしい画像や、驚きの画像(Vカット塗装の701系など)とても楽しみです。
701系の「高田馬場」幕なども是非見てみたいのですが……
伊豆箱根鉄道には昭和50年代まで、国鉄30・50系の車両が多数活躍していましたね。手入れが行き届いてとても綺麗だった記憶があります。
画像は 1976年7月15日 大場工場にて
左:モハ59他、右:モハ63他



Re:甲種輸送 - モハ1005−モハ1006−クハ2003 2010/04/21(Wed) 00:44 No.1378
上信電鉄も元401・801・701系による151系や、新101系改造の501系によりすっかり変わってしまいましたが、一時は451形・1651形が多く見られました。今は分かりませんが、何年か前までは倉庫代わりにクハ103-クモハ103が高崎に留置されていました。連結器も密着になっていました。台車は電動車はTR−25空気バネでした。
画像は2000年4月5日



Re:甲種輸送 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/21(Wed) 01:42 No.1379
モハ1005−モハ1006−クハ2003さま
始めまして。伊豆箱根1000系を始めて所沢中線で見たときは、社紋を見るまではてっきり西武の新車かと思ってしまいました。クハ2003は自分がs44年正月に大場を訪問した時に整備中でした。写真はその時の2003です。モハの姿は無く、未到着の様でした。それから伊豆箱根の車は、吊り掛け時代から計器が沢山ありましたね。きっと乗り入れ国鉄153系に合わせたのだと思いますが。同時期の西武吊り掛け車
は圧力計1ケだけでしたね!。



Re:甲種輸送 - 団塊鉄ちゃん 2010/04/21(Wed) 01:47 No.1380
メーター沢山の1000系と簡素な西武457
右は2003の荷票です。



Re:甲種輸送 - モハ1005−モハ1006−クハ2003 2010/04/21(Wed) 18:44 No.1381
団塊鉄ちゃん様、貴重な画像ありがとうございます。
伊豆箱根鉄道1000系第3編成、初めて本で見た時には西武801系とそっくりで驚きました。実際に出会った時に、運転台の機器、コンプレッサー(営団5000系と同じロータリーコンプレッサー)の音、これに釣り掛けモーターの音にはもっと驚きました。
伊豆箱根鉄道では、元501系の運転台にも圧力計や制御電圧計が追加されていました。17m国電型の運転台に新しいマスコンがついているのにも… とにかく驚くことばかりでした。
1000系第3編成は、2005年に解体されるまで、乗務員室横に縦ドイが追加された以外はほとんど原型のままで、ドアのステップも最後まで塗装されること無く、西武801系の過去を思い出すものでした。
鉄道ピクトリアル 1969−3の写真でクハ2003、1両が先に到着したようで、てっきり陸送されたと思っていました。(車体のみ所沢工場製となっていますので)
1000系第1、2編成は当初塗装が601系と似た感じだったんですね。
本当にこの1000系の解体は残念でした。(モハ1005とクハ2003は記念館として保存される予定もあったので)


Re:甲種輸送 - ホビぽっぽ 2010/04/21(Wed) 20:17 No.1382
ご挨拶が遅れましたが、皆様はじめまして。
運転台の画像はお見事です。
ATSがない頃は、タコメーターのない自動車と一緒で「運転手の耳」がスピードメーターに代わっていたということでしょうか。
もっともフルノッチで70km/hがせいぜいの性能では、必要ないと判断されていたのか、または機械式のあてにならない表示なら、ない方がマシという考えなのか・・・
いずれにしてもストイックな社風が表れているように感じます。
片や大正時代の流用機器、片や新性能国電並みの機器。これではどちらが大手の車両なのかわかりませんね。


スピードメーター - 田駄雄作 2010/04/21(Wed) 20:27 No.1383 投稿者のサイトor参照URL
351系、501系には機械式のカチカチ云うスピードメーターが付いてましたが、451系からまた無くなってしまいましたね.601系では小型の横型電圧計を流用したものが付けられましたが、701系では再び無くなってしまいました.
懐中時計を使っていなかったのに、律儀に時計置きがあったのも不思議です.


Re:スピードメーター - 1411 2010/04/21(Wed) 22:12 No.1384
団塊鉄ちゃん様
すばらしい画像をありがとうございます。
西武線のスピードメーターが無い画像を初めて拝見させていただきました(!!)
それから手動式のワイパーも気になります。雨の日は苦労されたでしょうね。

駅を出発すると住宅はすぐに途切れ、雑木林や畑の広がる武蔵野台地の景色を、吊り掛け音をBGMに451系の広々した運転台にかぶりついて見てみたかったですねぇ・・・


スピードメーター - マクレー 2010/04/21(Wed) 22:33 No.1385
私はスピードメーター標準装備しか知らない世代ですが、逆にスピードメーターに蓋をして乗務員の訓練をしていたことを思い出します。
私がよく乗る花小金井−小平のSカーブの50キロ制限区間で減速後、蓋を外して50キロを差しているか教官?が確認していました。
601系の試運転では、スピードメーターがなかったので計測して最高速度を計ったという話が、昔の「RAILFAN」に出ていました。


Re:スピードメーター - ホビぽっぽ 2010/04/22(Thu) 15:13 No.1386
私も「標準装備世代」です。
スピードはジョイント音やモーターのうなりなどで推測することができると思いますが、さすがにエアサスのクハでは分かりにくいでしょうね。

以前、知人の西武運転手に聞いた話です。(昭和60年代の実話)
運転台の日よけの色が薄いため、遮光性能が良くないことを上司に話したら「昔は日よけもついてなかったんだから、あるだけマシと思え」と言われたそうです。

車内放送がカールコード付きのマイクになったのも、相当遅れていたように覚えています。
吊り掛け新車が続いた背景には、こうした「方針」があったのでしょう。いずれも昔話としては面白い思い出です。


運転台 - モハ1005−モハ1006−クハ2003 2010/04/22(Thu) 21:59 No.1387
今の液晶モニター表示やデジタル機器がたくさん並んだ電車と比べ、昭和30〜40年代の運転台は本当に簡素なものでしたね。当然ATSもありませんし、列車無線も、列車選別装置も…
パンタの上げ下げもカノピスイッチでしたね。
スイッチ箱の「高声電話」や、6点表示器の「カムモーター」も懐かしいです。


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