村樫四郎さん myC51[9]
[49] 61-8 小竹/鯰田
番号不詳 この牛を見るたび後藤寺の駅前旅館で夕食に出された旨いすき焼きを思い出します.(当時牛肉は高価で滅多に口に出来ませんでした).
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[50] 61-8 小竹/鯰田
番号不詳 このころの筑豊はC51と96、D50と大正時代の機関車が大手を振って活躍していました.C55が入ってくるのは大分電化後です.
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[51] 61-8 小竹/鯰田
C51196 写真を撮った場所の足下には小竹から来て遠賀川を渡らず、右へ曲がって堤防沿いに延びる線路がありました.この後夕立に襲われ線路に降りたら小さな駅舎があって、それが幸袋線の目尾(しゃかのお)駅、終点は当時社会人野球界でならした日鉄二瀬の本拠地二瀬坑でした.
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[52] 61-8 鯰田/小竹
C51196
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[53] 61-8 都城
C51107 パイプ煙突にボックス動輪、美しくないと云っては可哀想ですね.発症の度に加療しては生き延びている者としては.左で頭だけ出しているのは243です.
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[54] 61-8 都城
C51272 107と共に3年後まで吉松で生き残るとは当然判っていません.キャブは山陰にいた259と同じくオリジナルではありません.
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長谷川進吾さんmyC51
  上野巌さんmyC51
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