村樫四郎さん myC51[6]
[31]61-7 来待/玉造温泉
C51267 7煉瓦積みトンネルポータルを見つけ待つことしばし、C51が顔を出してくれました.
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[32] 61-7 米子/伯耆大山
C51156 日野川を渡り一直線に下り勾配を駆け下りてきました.
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[33] 61-7 田儀/波根
C51259 撮影地を求め道路を歩いているうちに貨物(時刻表に載っていない!)が来てしまいました.
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[34] 61-8 米子
番号不詳 米子機関区はホームの前にあって仕業待ちの機関車がよく見えました.風向きが悪く煙が邪魔してしまいましたが煙突の形状から86か80のどちらかです. 
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[35] 中休み
未だ延々とまずい写真が続きますので、息抜きにこの道の先輩のお許しを得て、昔同好会誌に載った真夏のC51添乗記抜粋を紹介致します.1958年8月3日の記録です.
・・・前略・・・ 22時30分着の青函連絡船「摩周丸」より降りた某(それがし)は先ず、青森駅3番ホームに入選している514レの最後部オハフ33412内に席を確保後、隣ホームより出る「北上」号を見に行った.機関車はC61であったが、発車数分前某の乗る514レに青森のC5139がつけられる.「北上」の発車を見送って後、再び3番に戻り、ボックス動輪をはいたC51を見ている内、機関士◯◯氏、□□氏と話す機会を得、お二人の御好意により、はからずも大館まで添乗させて頂くことになってしまった.この列車の編成次の通り. C5139+マニ601(新ナホ)+マニ60213(大ミハ)+マニ60223( )+オユ362( )+オロ3154(盛アホ)+オハ35754( )+オハ35120( )+オハ35843( )+オハフ33412( ). 9両編成のうち4両が荷物関係であるから「天草」の様な感じの編成である.発車待つことしばし、その間重連の汽笛吹鳴、その他につき教えて頂く.発車数分前ホーム助役が通票を持ってくる頃からキャブ内は活気を増し、ブロアーの音もすさまじく、□□氏も給炭に余念がない. やがて「発車1分前」の喚呼応答、いよいよ発車を目前にひかえ、某もいささか緊張すると共になにか生き甲斐を感じ、急に世の中が明るくなった様な心持ちになる. 発車のベルが鳴り終わってからしばらくホームがしんとする.今しも階段をかけおりたオッサンがとび乗ると共に「発車」の合図.時まさに23時50分.レギュレーターをにぎるは○○氏、給炭は□□氏、お二人の力強い喚呼応答の後、特徴あるC51のホイッスルを深夜の青森駅にこだまさせ、514レはゆっくりと3番線を滑り出した.ホーム端のポイントを右に入るなら既にこのレールは奥羽線のものである.□□氏の「後部オーライ」の確認後、にわかにスピードを上げ、勇ましくドレーンをきりながら青森構内を後にする.直ぐに東北本線と別れ、大きく右旋、これより一路大阪に向けて走る.しばらく坦々とした平野を快走、約10分の後津軽新城駅を通過. 前方かすかにヘッドライトの光芒が見えるのみ、時々遠方信号機の青を確認.C51は煙突後方に給水暖メ器が突き出ている為そのパイピングで信号がかくれて見えなくなる. 快走することしばし、やがて前方に鶴ヶ坂駅の場内信号を確認.50km/hに減速の後ポイントを渡り長いホームをはしまで走り、ブレーキをきしませて停止.構内にD51のような姿のロコがいたがと思っている間に、それが後部補機につく.後より重連用コック開くの合図、続いて本務機による制動試験、同試験終了の短急汽笛一声、やや間をおいた後「発車、出発進行」の喚呼応答、精力的C51とD51(?)の長々とした汽笛を後に鶴ヶ坂駅を発車. 当然勾配が期待されるがここより次の駅大釈迦まで6.2kmの間に山脈を越すらしく、すぐ(25/1000と記憶するが)連続勾配にかかる.これより力行運転にうつる短急汽笛一声の合図、後部確認、補機の煙がよく見える. C51の力強いドラフトの音を楽しんでいると、やおら前方にポッカリ、トンネルが口を開いてロコは吸い込まれる様にやみの中に突入.力行運転でくぐるトンネルだから煙は容赦なくはいってくる.とにかく初めての経験であるが、身体のシンからムッと熱気を感じ、まわりから蒸されている心持.スゴイなと想っているうちに外に出るがひどくむし暑い.トンネル又トンネル.力行又力行、走ること約10分、数個のトンネルをくぐりぬけると大釈迦駅に到着、ここで補機開放. 1分停車の後発車.ポイントを渡り、もとの単線に入る.「後部オーライ」これより弘前まで約20kmノンストップである. 又坦々とした平野らしい所へ出る.快走又快走、数分後、遠方かすかに浪岡駅の場内信号確認、「場内進行」喚呼応答、約60km/hに減速、ものすごい勢でポイントを左に渡る.横ゆれと騒音甚し.駅長のふるランプがみるみる前方に迫り、すぐそばまで来たと思うや、バタンと音がして通票の授受終了.アッという間に通過.又すごい勢いでポイントを渡り、驀進する.大地をけって、突進する野獣といった感じのC51が何故段々と廃車になるのかと不思議に思う程、この日のC51は活気に満ち、某を喜ばせて呉れた.又時々長々と鳴らす汽笛のたのもしさよ.やはり老いたりとは言え、C51である. 殆ど減速することなく北常盤,川部、撫牛子を軽くパス.定刻0時43分、弘前に到着.駅本屋に2・3人の人が見られ、広く明るい屋内がひっそりとしている.停車時間5分の間に点検終了.通票を受け取り、しばらくしてから発車.又くらやみの中を快走.こんな深夜でも時々踏切横断者が居る. 発車後約10分、1時一寸前に石川駅を通過.ポイント通過は模型もこの位好調に動けば良いのにと思う程のえらい速度で通過する.前夜北海道内札幌函館間418レで夜行だったが、ロコに乗っている間は全然眠くならぬ.前夜良く寝たせいもあるが、あまり添乗したことがないからであろう.以前尾久の人が慣れなければ眠くはならないと言っておられたが、そんなものだろう. 閑話休題)514レはやがて大鰐駅に到着.後部に汽笛が聞こえ、又ここより補機が付く.乗務する方には気の毒だが、又トンネルをくぐれると思うと一寸嬉しくなる.1時07分、二つの汽笛を残して発車.ドレーンを切りながら元の単線に入る.しばらくして勾配にかかるが、どんな所か昼間通ってみたく感じた.やがてトンネル.汽笛を鳴らしてから突入、何も見えず、例の暑苦しさがおそう.長いトンネルでは呼吸も少々苦しくなる.東海道電化前の東山トンネルはさぞ苦しかっただろう.トンネル又トンネルで、時速は45km/h位か.さっき迄と違って少々ゆっくりであるが、力強く一歩一歩進んでいる感じである.この辺は曲線、切り通しも多々あるようで、徒歩撮影をしたくなる様な所である.どうも某は難所と云うと直ぐ徒歩撮影に結びつける傾向にある. とにかく平坦地は駅通過の時だけ位で、勾配とトンネルの続く仲仲興味のある区間だ.大鰐より長峰、碇ヶ関、津軽湯の沢の3駅通過、18km余りの難所を約20分で走破、着いた所は陣場である. しばらく停車の後、汽笛一声陣場を後に、いよいよ今日最後の乗務区間に向けて発車する.次駅白浜は例により軽くパス、陣場を出て後13分、やがて大館駅の構内がはっきりと見えてくる.あちこちに立つ投光器のなげる光の中をぬって514レは青森発車後1時間55分、定刻1時45分、大館駅に到着.長いホームより一寸出た所に停止.ここで乗務員交替「車輌状況異常なし」と乗務引継ぎを終える.厚くお礼を述べて某も最後部オハフ33迄戻る. 6分停車の後発車.さっき降りた地点をもう一度確かめるべくデッキに出ているとやがて数人の人影が見えてきた.あちらでも某の姿に気が付かれたらしく、□□氏が「オーイ」と手を振られる.その隣で○○氏も手を上げて居られる.某も感激に胸震わせつつ夢中で手を振って心中よりお礼申し上げた.しばしデッキで今日の出来事を回想して夢でも見た後の様な心持ちで明るい室内に入った.今以って本州の北端で猛暑と闘いながら老雄C51に乗務して居られた○○氏、□□氏お二人の力強い喚呼応答と手を振ってお別れした深夜の大館駅が懐かしく思い出される.

[36] 61-8 早岐
C5121 原型の煙突に更にパイプを継ぎ足しその分だけドームやキャブの上縁から飛び出しているのがこの写真からよく判ります.
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