村樫四郎さん myC51[1] 番号不詳 私が始めてC51を見たのは先の敗戦から間もなく昭和天皇千葉県巡幸のため新小岩機関区に来た239号機で、電車の窓からちらっと見でも動輪の大きくピカピカで日頃見ていた煤けた機関車とは違うなという印象でしたが、小学校低学年の身でカメラなど持って居らず写しておりません. 1958年6月(以後年号は西暦末尾2桁で表します.)北海道は白老付近をバスで走っているとき平行する室蘭本線上を追い越して行く上り準急千歳にシャッターを切りました.これが、C51と意識してではなく只反射的にシャッターを押しただけですが初めての写真です.トンネルが無い未電化区間なので助手が可成りゆれているはずのテンダー上で石炭をかき寄せていますが、動労が当時は未だ強くなかったのでしょうね. [2] 58-6 青森 C51223 上り急行みちのく、未だはつかりは運転されておらず北海道連絡の看板急行列車でした.この重連で盛岡まで突っ走るのです. [3] 60-10 奥中山/御堂 番号不詳 この頃には青森のC51は全滅に近く上りはつかりはC60補機みちのくはD51補機です.この場所は有名な撮影場所で、このとき背後にはD51重連のドラフト音が迫っていてこのカットを写すとすぐそちらの撮影にかかってしまいました.あとでこのショットを拡大してみたら本務機は生き残りのC51しかも飾り煙突であることを知り、それが判っていたらD51などは放り出してこっちを追ったのに、と悔やみましたが後の祭りでした. [4] 61-4 諫早/岩松 C51282 当時長崎発のローカルは諫早まで本線と大村線へゆく編成を併結、機関車も重連で来て諫早から分割し単機となって各々の目的地に向かって運転しているものがありました.次のカットが諫早まで一緒に来た片割れです. [5] 61-4 諫早/肥前長田 番号不詳 [6] 61-4 諫早/岩松 C51251 ここから緩い勾配でサミットを超えますが現車が少ないので快調にとばします.後年C57の列車にも乗りましたがC51の方がドラフトの歯切れが良く爽快だった記憶です. [1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][23][24] 長谷川進吾さんmyC51 上野巌さんmyC51 |