9600型770両(国鉄分のみ、私鉄向けと台湾・樺太向けに+52両)中、最初に製造された大正2・3年製の9600-9617の18両だけが運転室下側のラインが動輪に沿うようにSの字を描いてい て、通称S字キャブ、とファンの間では言われて珍重されていました.しかし、9600-9605、9609の7両は日華事変のおりに軍供出されて中国大陸へ渡り、北九州配置の数両は1950年頃に廃車. 北海道に残っていた4両が1両づつ異なる炭砿鉄道に譲渡されて、その後の異動はありましたが1970年代までその活躍が見られました. 9613→1955(昭和30)年6月1日滝川機関区廃車→1955年(昭和30)年11月24日三菱芦別鉱業所専用鉄道9613→1963(昭和38)年1月三菱大夕張鉄道NO.7 9614→1955(昭和30)年6月1日岩見沢機関区廃車→1956年(昭和31)年1月5日夕張鉄道[23] 9615→1955年頃(廃車区日時不明)日曹炭砿天塩砿業所専用鉄道9615 9616→1957(昭和32)年4月4日室蘭機関区廃車→1958年(昭和33)年7月1日三菱美唄鉄道[7]→1971年6月三菱大夕張鉄道NO.8 もう1両、大阪竜華機関区の9608号が1960年まで生き残り、現在は青梅鉄道公園で保存展示されています. 各機関車は当サイト9600DEPOTで、ご提供頂いた貴重な写真を私のものと併せて公開していますので、ぜひご覧下さい. 旅客用の8620型も大正3年製の24両(一説には52両)が同じようにS字キャブで存在しました.こちらは改造やキャブの振り替えが行われたらしく、 青梅鉄道公園の8620以外では、初期型ではない平機関区の58660が1970年頃まで見られた唯一の存在でした. S字キャブの58660.1967年8月22日、平機関区 青梅鉄道公園に保存されているS字キャブの9608と8620 11月6日付けブログに大夕張鉄道NO.7の壁紙をアップしています.
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