「やはりSLの最後の日は撮りに行かれたんでしょう?」よく聞かれる.しかし残念ながら1975(昭和50)年12月14日のC57135による室蘭本線旅客列車、10日後の夕張線貨物列車、いずれも出かけなかった.
もちろん翌年の追分の96入換最後の日も立ち会っていない.すでに社会人だったが無理すれば行くことは不可能では無かったと思う. 実は慣れ親しんだ場所のお別れ行事は不得手なのだ.
自分自身がそれを認めたくないという思い入れの感情もあるが、実際に現場で働いて居られる方々の最後を迎える姿と翌日の虚無感が耐えられない.
鉄道ではないが、都内某所の30年近く足繁く通った小さな飲み屋が数年前に店を閉めた時にも、最後の日には足を運べず、薄情者と言われた.
私にとっての現役ラストカットの撮影は廃止2ヶ月前の10月某日(失念)、たまたま札幌に仕事で一週間ほど滞在していた時の日曜日の午後ということになる.
栗山-栗丘の例のところで何本か貨物を撮影後、栗山駅でD5160牽引の旅客列車を見送る.本来はC57の運用のはずだったのだが、好きなナメクジD51なのでOK.先頭客車がスハフ44、とくれば往年の急行列車を見るようだ.
これが私の現役最後の蒸機旅客列車のカットになった. |
由仁から夕張線にクルマを向けると、ちょうど川端駅をD51320牽引のセキ回送列車が出発して行ったので追いかける.すぐに先行して龍仙峡の鉄橋で撮影.複線時代の橋脚がなんとも. |
夕張線は何回も乗車や撮影をしているが、この鉄橋での撮影は初めて. |
紅葉山駅の出発シーン、障害物が多い.カメラマンも良い添景だ.後方には石勝線となる新線トンネルが建設中. |
途中何ヶ所かで撮影するが、南清水沢付近で力走シーンに出会う. |
引きつけて最後のカットを.この後は大夕張に向かい、後はそのまま札幌に戻ったので、これが本当の現役ラストカットとなった.Thanks forever! |
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