1980年代の中国DL[1]中国製液体式ディーゼル機関車 北京型 BJ -3/3
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珍しく貨物列車を牽引してました.天津北駅.1988.5

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上海行直達(ノンストップ)特快牽引の2000番台重連.北京の文字と機番が黒塗装で迫力があります.北京駅.1988.5

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2000番台連結面.幌は客車と同じバッファー機能を持つ鉄製.ライト類も備え1両単独でも運転できます.1988.5

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杏の花咲く京包線八達嶺の33‰をNY7型と重連で登ります.1984.5

液体式旅客用の北京型 BJ(=BEIJING)は1969年にまず3000番台2両(3001・3002)、6000番台1両(6001)が試作されました. 中国国産の液体式ならば本来東方紅型になるはずですが、当時はまだシリーズ化が始まる前で、北京二七工場で製造されて当初は北京周辺での運用が中心のため北京型と命名されたようです. 機関車正面には「北京」のロゴと天安門のレリーフが誇らしげに輝いています.
試作6001号機は3000番台を2両併せたようなダブルエンジンのB-B+B-B、全長22m、1車体ダブルボギーの大型機でしたが、やはり大き過ぎたのか試作だけに終わっています.
1975年から3000番台の量産が始まり、1991年までに3000番台346両、口岸型(不明)12両、ロシアゲージ (1524mm.ロシアとの国境区間で使用)4両、片運転台2000番台8両が製造されました.

軸配置B-B、液体式、エンジン 12 240Z型(2700ps/1100r.p.m.)、全長16.3m、重量92t.最高速度120km/h.
当初のネイビーグリーン+黄帯塗装は1984年頃から順次青色塗装に変更されていますが、この青も水色とでも言うような鮮やかなのと少し濃い目のものが存在します.(塗り立てだけ鮮やかなのかも知れませんが)
私の実見した1980年代は京局京段(北京機関区)などを基地に、各地へ向かう優等列車や近郊のローカル旅客を牽引していて、北京周辺で見かける旅客列車はほとんどが北京型牽引でした. 旅客専門かとも思っていたのですが、天津北駅で貨物列車を目撃した時には驚きました.

重連型2000番台車は1988年5月、 「京滬直達特快」を牽引している姿を行き違う車中から見つけ、翌日北京駅へ取材に行きました.事前情報は全く無かったので新発見に喜んだものです. コンパクトな車体も重連型となると迫力充分で、前面「北京」の文字と機番が黒に塗られていて、上海行直達特快、20両編成の当時の最上級列車を牽引するに相応しい姿でした.

北京型は現在も北京を基地に旅客列車に活躍していますが、電化や新型機の台頭で地方や専用線への転属、貨物列車や入換用途などにもコンバートされているようです.


余談ですが
上の写真、北京型2000重連の牽く列車です
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1988年当時は北京、上海間を結ぶ京滬直達特快列車が2往復走っていました.
言葉の説明をしますと、「京滬」というのは京=北京、滬=上海(の旧名).「直達」はノンストップ.「特快」は2つ以上の鉄道管理局管内を跨いで走る特急列車のことです.ノンストップとはいっても客扱いはしない、という意味で途中、何ヶ所かで運転停車をして機関車交換をします. この列車は当時の標準客車であるYZ22系客車のリニューアル車20両編成を使用していて、赤・クリーム編成と青・白編成が存在していました.
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完全冷房編成、というのは当時ではあまり見られず、中国国内ではグレードの高い人気列車でした. この客車はYW22型硬臥車、日本でいえばB寝台車にあたります.
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こちらはYZ22型硬座車、普通座席指定車です.
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その他にも軟臥車(A寝台車)、餐車(食堂車)、行李車(荷物車)なども連結されています. ところで屋根上に載っている冷房機ですが、車端型と中央型があります.あらためて見ると、あれれーっ!何処かで見たことがありますね〜.AUなんとか・・・.
そんな某国製冷房機器を搭載した客車を連ねた京滬直達特快列車が長途、約1600km彼方の上海目指し北京駅を出発して行きます. p


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