Yubari Tetsudo R.R. 1969-1972
夕張鉄道1969-1972
[12]号機は夕鉄廃止前年の1974年まで活躍、夕鉄約50年の歴史をほぼ走りきった.その後は個人の手で保管されている(非公開).

1975年3月31日、エネルギー政策変換、相次ぐ事故発生などによる石炭産業の衰退で、沿線の炭鉱も閉山が続き夕張鉄道も約50年の歴史を閉じた.当日はDD1002による最終列車がヘッドマーク装着で運転された. それに先立つ3月21日には[21][26]の2両の96により「さよならSL石炭列車」が鹿ノ谷-新二岐で重連および後補機付きで運転されて夕張鉄道蒸気機関車史の最後を飾った.
※鹿ノ谷-若菜(2.0km)は専用線に転換の上1978年の廃止までDD1001により運転された.
※各データは趣味誌バックナンバーおよび赤城英昭氏のまとめられた資料集(三菱大夕張鉄道保存会ご提供)を参考にさせて頂いた.
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END (2004.1.25)
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