返信フォーム

酒とバラの日々からひまわりへ 投稿者:村樫四郎 投稿日:2010/08/18(Wed) 10:43 No.2203
良いですね、ひまわり。酒とバラ(今年は不作のようで)の日々からひまわりへ寺田さんも宗旨替えですか。表情を殺したマストロヤンニと対照的なソフィアローレンが脳裏によみがえりました。
何も貼らないのもなんですから、ひまわり制作の10年弱前のシーンです。一寸した縁がつながって、私のこの道の先輩が新得町(詳しくは旧新内駅跡)にある狩勝旧線資料館に写真パネルを多数寄贈したので私も、と昔のスナップ写真を探っているとき出てきたネガをスキャンしました。右奥の二つの山は雌阿寒・雄阿寒ではないかと色めき発ちましたが残念ながら隣の鹿追町にある山でそうです。本物はその右奥に現れる筈だが余程空気が澄んだときしか見られない由でした。

添付:2203.jpg (73KB)
Re: 酒とバラの日々からひまわりへ - 田駄雄作 2010/08/20(Fri) 23:07 No.2204 投稿者のサイトor参照URL
都電のバラはもうマンネリですね.今年はチャンスにも天気にも写欲にも恵まれず不作となりました.スカイツリーが完成すればまた別の撮り方もできるはずです.

館山のヒマワリは2-3年前に知っていれば良かったのですが,遅すぎました.もう113系は通常では日中走っていません.嫌いな電車ばかりです.去年はお盆明けに行ったんですが,ヒマワリは店仕舞いで全部真下を向いていました.
今年は8月1日までは臨時の「白い砂」が113系で走ったんですが,リサーチしたところ,7月末時点でヒマワリはまだ全く咲いていないとのことでした.

調べたところ映画「ひまわり」は1970年の公開でした.ちょうど学生の頃でバンバン撮影していた時代ですが,高校生の頃から時間があれば(というか学校や予備校をサボって)新宿や池袋で映画を見ていました.映画雑誌などで予習やおさらいなどはしなかったので,題名やストーリーは全部ごっちゃになっています.

雌阿寒・雄阿寒はこんな写真も撮っています.1972.7 6X7エクタですが,だいぶ退色していて奇麗にスキャンできませんね.手前が雄阿寒,左雌阿寒です.冬にも撮った覚えがありますが,さてどこに在るのか?


日本三大車窓,姨捨 - 村樫四郎 2010/09/08(Wed) 11:19 No.2207
上に一寸触れた旧狩勝線新内駅跡にある資料館に、当時この区間狩勝峠で楽しませて貰った者として手持ち写真を寄贈したのですが、今日9月8日から26日まで公開されることになりました。私は雪の展望台にファンとして多分初めて無謀登頂したのですがその後就職により尋ねることも有りませんでしたが、先輩はその後何回も訪れ故臼井重信さんにもアドバイスしこの峠はファンの間で有名になりかけたのですが1966年に新線切り替えで廃線となってしまいました。
この先輩三品氏の雪の狩勝峠に挑んだ蒸機の写真が纏めて展示されますので、近くに出かける機会あれば是非ご覧頂きたく思います。
私は、・・・便乗で友人の林氏とともに別の写真を提供し「日本三大車窓」と銘打った絵はがきに協力しています。ご笑覧下さい。

前置き(弁明?)が長くなりました。
一番北の狩勝峠は上に掲出していますから、南下した二番目は篠ノ井線姨捨です。日本は都市と都市の間に越えるべき山や高地が有るかとが多い土地で有ることが実感します。そして現在なら長大トンネルであっさり結ぶところを山肌にとりつき、とりつくだけでは勾配が急になるところはオメガカーブで距離を稼ぎ、とにかく頂上に掘るトンネルを以下に短く済ませるか悪戦苦闘していたことが判ります。狩勝もここ姨捨も次の矢岳もそれでも最後に長大トンネルを越えなければならない難所であるがしかし見晴らしが良いことで、三大車窓と銘打って難工事を讃えたのでしょうか。
1967年2月稲荷山/姨捨間、林氏撮影


日本三大車窓,矢岳 - 村樫四郎 2010/09/10(Fri) 13:11 No.2208
先人が、鹿児島まで鉄道を敷かんとしたとき熊本から人吉までと鹿児島から吉松までは造れそうだなと感じたのは判ります。が、人吉・吉松間は・・・想像を絶します。そのおかげで大畑矢岳間のオメガカーブでは私も何回も楽しませて貰いました。真幸から矢岳トンネルに入るまでの間、線路は山肌を小トンネルと築堤で登って行く途中にこの場所があります。現在観光列車が減速してこのバックの霧島連山を眺めさせてくれる築堤はこの先にありますが列車を前景に入れて撮れる足場が無くここには何回か出かけました。朝の上り一番列車(列車は深夜も走っていたので写真の撮れる一番列車)の時間帯は季節により平野に雲海が拡がりますが日が出るとともに素早く雲散霧消し、そうかといって日が出なければ困ると言った微妙な場所でした。
1971/5 真幸/矢岳間 


日本三大車窓,矢岳 - 田駄雄作 2010/09/10(Fri) 13:36 No.2211 投稿者のサイトor参照URL
一つご投稿が飛んでしまったようで失礼いたしました.順序がおかしくならないよう修正しました.

私は三大車窓,いずれも蒸機時代には手が届きませんでした.大畑は3度ほど企みましたが,一度は台風により山陽線の不通で閉じ込められてしまい,日程的に厳しくて断念し,その翌年,さらに翌々年も土砂崩れでの肥薩線自体の長期不通などで,ついに叶いませんでした.今思うに大変残念でした.

熱心さもあったでしょうが村樫さんとの10年の年齢の違いは,大河の両岸ほどの大きな隔たりがあるように思えます.



おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File
暗証キー (英数字で8文字以内)
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
文字色