601系の生き残り クハ1651 投稿者:MiO 投稿日:2012/08/02(Thu) 21:18 No.2798 投稿者のサイトor参照URL Re: 601系の生き残り クハ1651 - MiO 2012/08/02(Thu) 21:23 No.2799 投稿者のサイトor参照URL
最初の写真は1984年の夏頃の小川駅だと思います。後ろはクモハ451だと思うのですが・・・。 そしてこれは1995年の撮影。同じクハ1651ですが、これはクモハ551とペアを組んでいる頃です。多摩川線のどこかの駅・・・どこでしょう??? 分かる方ご教授下さい。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - MiO 2012/08/02(Thu) 21:30 No.2800 投稿者のサイトor参照URL すみません10年間違えました。1985年です。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 通りすがり 2012/08/03(Fri) 22:23 No.2801 多磨墓地前(現:多磨)の上りホームでは? 相対式ホームなので武蔵境・白糸台・是政ではなく、新小金井はもっとホームがカーブしていますし、競艇場前なら上下ホームをまたぐ跨線橋の近くに停車するでしょうし、消去法で多磨。多磨は改札口が上り方に寄っていますが、改札口から遠いところに2両停止位置があるわけないので上りホーム。というか画像の右隅、反対側のホームの駅名標に「たまぼ」の文字が・・・・・ Re: 601系の生き残り クハ1651 - MiO 2012/08/05(Sun) 23:18 No.2803 投稿者のサイトor参照URL 通りすがりさん、有難うございました。 そうですね、よく見ると駅名標がなんとなく読めますね(^^;;)。多磨墓地前駅ですか。有難うございました。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 清68 2012/08/06(Mon) 23:07 No.2804 1651の貴重なシーン、ありがとうございます。 穏やかな表情に安心感を覚えます。 灯具、塗り分け、窓配置、いずれもさりげないようですが、 これ以外にない絶妙なデザインです。 この設計をした方の考えたことを聞かせていただきたい ところです。 ところで、2枚の写真は同じ車両のようですね。 ヘッドライトの傾き、手すり類の傾き、塗り分け線の乱れ方、 連結器部分切り欠きの左右のRの乱れ具合等、 比較すると同じに見えます。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - MiO 2012/08/08(Wed) 20:55 No.2805 投稿者のサイトor参照URL >ところで、2枚の写真は同じ車両のようですね。 ええっ! 気が付きませんでした。 言われてみれば・・・ Re: 601系の生き残り クハ1651 - 田駄雄作 2012/08/08(Wed) 22:34 No.2806 図面を見れば判るのでしょうが、クモハ451とクハ1601またはクモハ551は客室部分の窓寸法と配置は同じです。切妻の451より湘南型の1601の方が運転室部分は長いと思うのですが、その分はどこに吸収されているのでしょうか? 1701だと運転室後ろの窓が狭くなっていて納得するのですが、どうなんでしょうか? ご教示お願いいたします。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 団塊鉄ちゃん 2012/08/08(Wed) 23:29 No.2807 投稿者のサイトor参照URL 田駄さま 今晩は 僭越ながら、上記の件ですが運転室直後の窓幅が、451系は800mmだったのに対して 551・601系では確か600mmで、この差が運転台長さの吸収分だったと思います。 ちょっと解り難いですが写真上が451系(クハ1488)、下が601系(クハ1614)です。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 団塊鉄ちゃん 2012/08/08(Wed) 23:34 No.2808 投稿者のサイトor参照URL 551系も同様です。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - MiO 2012/08/09(Thu) 08:23 No.2809 投稿者のサイトor参照URL 田駄雄作さん。お邪魔しています。 団塊鉄ちゃんの写真を比べた感じでは、運転台後ろの窓はサイズは違うのかもしれませんが、殆ど変わらなくみえますね。でも、1651の乗務員扉が451系の縦樋位置位まで後ろに下がっているのは分かります。その分で吸収できているのでしょうか。 とすると、室内側は、運転台が601,551系では窓の前ふちギリギリまであって、451系は窓から運転台仕切りまで少し隙間があったことになります。うーん。そうだったかなぁ・・・。 そう言えば、411系は明らかに窓小さいですね。 601系流線型部分の寸法吸収 - 田駄雄作 2012/08/09(Thu) 10:19 No.2810 601の真横に近い写真は見つからなかったのですが、551と451を比較しました。 クモハ451の運転室後ろの窓は、同じ車両のドア間のユニット窓1枚分よりも広い(800mm)のですね。 クモハ551の方はユニット窓1枚分と同寸法(600mm)のようです。 長年気にしたことがありませんでしたが、納得したような気がします。その分シートが20cm長かったからといって4人掛けは無理でしょうから記憶に残っていなかったのだと思います。 601系の運転室後ろの窓 - 田駄雄作 2012/08/09(Thu) 10:30 No.2811 夏の暑い朝、冷房が無かった時代は、この窓が車両全体の涼しさを担ってましたね。全開のこの窓から吹き込む風は1日の仕事や学習意欲の糧になっていた、と言っても過言ではありません。 311や351系だった日は目も当てられない蒸し暑さでした。大体下段の窓は座っている人が嫌がって開けたがりません。上段の窓は座っている人の意思に関係なく、立っている人や、乗車する前の人や駅員さんが外側から強引に開けてしまいます。 その下段も10cmくらい控えめに開けてあると、ホーム側から両手を突っ込んで上段もろとも最上段まで引き上げることができました。 伊豆箱根鉄道1100系では下段窓は取っ手が外されて、開けられないようになってました。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 清68 2012/08/09(Thu) 21:48 No.2812 田駄様、団塊鉄ちゃん様。MiO様 こんばんは。 551,601の運転席の後ろの窓、興味深いですね。 私も調べてみました。 手元の図面を見たところ、700mmとなっています。 また、私が一畑で実測した寸法がありましたので見返して見ると、外板開口部770mm、構体開口部740mmでした。窓のガイドレールが20mmで左右にあるとすると、740-40=700となり、図面通りです。 451の場合は他の窓の幅と同じ800mmですので、その差はわずか100mm。ごく近くで並べてみないとわからないレベルですね。改めて認識させていただきました。ありがとうございます。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 田駄雄作 2012/08/09(Thu) 22:11 No.2813 寸法を示されると納得せざるを得ませんね。 見た目は開口部が窓の大きさに見えますから、他の窓より大きく見えてもおかしくないと思います。451系のは870mmあることになりますね。 ありがとうございます。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 団塊鉄ちゃん 2012/08/09(Thu) 23:58 No.2814 投稿者のサイトor参照URL 清68様 ご教示有難うございます。田駄様が仰っておられますように、当時運転室 次位の窓はとても重要な存在でしたね。2段完全上昇窓2代目501系からですが 夏場は全開にすると快適でした。確か国電72系920代が最初だったでしょうか。 写真再掲ですが、窓全開の451系。ロールカーテンがはためいていました。 483F 昭和36年8月 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 清68 2012/08/10(Fri) 23:59 No.2815 田駄様、団塊てっちゃん様 こんばんは。 たまたま手元に図面があったのを思い出し、僭越ながら確認させていただきました。 全開の2段窓、懐かしいです。 451のカーテン、はためいていましたね。 運転席次位の全開した窓からカーテンを思い切りふくらませて はみ出させて突進してくる姿は猛々しさ満点でした。 伊豆箱根のは田駄様のおっしゃるとおり、下段が開けられず、悲しかったです。 JRの2段窓車も末期はそうでしたね。 ちょっと関連が薄いですが、常磐快速線に転用された103系1000番台は、2段窓が全開になるよう改造されたと思います(ストッパーを外しただけ)が、このうち一編成が後に東西線に転属となり、再び地下を走ることになって窓のストッパーが 復活しました。 ところが、これは通常の場合に比べて開口部寸法が大きくなる ような設定でした。 しばらくそのままで、「だいじょうぶだろうか・・??」と 思っているうちに、標準に修正されました。 今なら下段は固定にして終了、でしょう…。 過渡期のイレギュラーな出来事でした。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 田駄雄作 2012/08/11(Sat) 01:41 No.2816 千葉の113系は全開できたような記憶ですが、上越や中央線の115系はどうでしょう? 上段は全開か全閉しかないのですから、下窓を固定してしまうのは無理がありますよね。 以前はポケットに消しゴムを用意していて、下窓に挟んで隙間風を入れていました。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - ホビぽっぽ 2012/08/11(Sat) 21:07 No.2817 すっかり話題に乗り遅れていました。 たしかに451の運転室は歴代西武赤電の中でも思いっきり前後が狭いようです。 客席座布団の寸法も701以降になってやっと規格化された感じです。 さて窓を開けた電車、最近はすっかり見なくなりましたが「電車の窓は開かないもの、開けてはいけないもの」という概念が定着しているようです。 長野の115系は全開可能ですが、冷涼期の高原でもクーラーを回し下段でさえ開けているのを見かけません。 そのため渋くなって開けられないことさえあるぐらいです。 夜に蛾が入って困ったことも、開いた窓から吸い出されていったことも思い出です。 Re:元103系1000番台の窓 - 団塊鉄ちゃん 2012/08/12(Sun) 20:02 No.2819 投稿者のサイトor参照URL 田駄様 皆様今晩は ちょっと西武から話題は逸れますが、清68様が仰っておられました元103系1000番台(広島105系)の窓を 見てまいりました。写真の様にストッパーなどは撤去され上下段とも上昇するようでした。 乗客が居ましたので開けてはおりませんが、全開出来ると思います。失礼しました。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - 清68 2012/08/13(Mon) 11:55 No.2820 団塊鉄ちゃん様 105系の窓をわざわざありがとうございます。 正に正統派2段完全上昇窓ですね。懐かしいです。未だに健在とは感激です。 よく見ると下段のレールの途中にストッパーの跡らしき痕跡がありますね。 1000番台を含む、103系の非ユニット窓の構造はそのままそっくり西武の451から旧101にかけての二段窓そのものです。 外板の切り抜き方、構体部との取り合い、窓枠ガイドレールの構造、などなどまるでおんなじです。 開口部天地寸法も870mmと同じ。違うのは窓幅が900mmであることと、上段を車内から開けるためのつまみが、 103系は枠状になっているのに対し。西武は板材を折り曲げたものであること位です。 Re: 601系の生き残り クハ1651 - こっしー 2012/08/23(Thu) 00:29 No.2827 今年の3月31日に豊田の115系に乗った時に撮影しました。 未だに全開できる窓構造に感激して、雨が降っていたにも拘らず、特急待避中のガラガラの車内で窓全開を楽しみました。 冷房使用中だったこともあり、さすがに走行中は閉めましたが… |