所沢駅中線 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2011/08/27(Sat) 23:10 No.2209 お世話になります。度々お邪魔して恐縮です。 貨物列車が運行されていた頃は、新宿線上下ホーム間に中線が在り、貨物列車や所工入出場車の待機に利用されておりました。 所沢駅に行くと先ず中線を覗くのが常で、出場する新車や全検車の美しい姿や、時折見られる地方私鉄の珍しい車両達などを楽しみにしておりました。 貨物の運行終了に伴い、2番ホームが拡幅され、中線は無くなりました。 写真上は、601系8連ですが所工出場車です。ATS取付工事でしょうか。 昭和43年6月 写真下は、所工検査出場の日立電鉄モハ13と並んだ701系です。背後の西友が完成間近かのようです。 昭和43年11月 添付:2209.jpg (376KB) Re: 所沢駅中線 - 団塊鉄ちゃん 2011/08/27(Sat) 23:11 No.2210
写真上は、中線で貨車の入替えを行うE52。 昭和43年5月 写真下は、新車415F 415+1456が完成し、中線から上石神井に向けて出発するところです。 昭和40年8月 Re: 所沢駅中線 - tpapa 2011/08/29(Mon) 23:31 No.2211 田駄さま、団塊鉄ちゃんさま、皆様御無沙汰しています。 所沢の中線、懐かしく拝見しました。 ちょっと引きぎみの写真があったので、ノートリミングでアップします。 いつ撮ったものか判然としないのですが、1番ホームの新所沢寄りは立ち入れないようになっていますね。 所沢の駅も来年にかけて随分様変わりしそうです。 Re: 所沢駅中線 - 清68 2011/08/30(Tue) 00:31 No.2212 団塊鉄ちゃん様、tpapa様、皆様、こんばんは。 懐かしい画像に時を忘れて眺め入ってしまいます。 さて、皆様の写真の車両の側面にある西武の社紋、白ではないものがあるようです。 幼年時代に金色になっているのを見た記憶があり、それと一致するのですが、実際はどうだったのでしょうか。 ご存知の方がおられたら是非ご教示願いたく。 真鍮磨き出しだとするとイメージ通りですが、社紋は樹脂製のはずなので、それもなさそうですし。 長年の謎なのです。 Re: 所沢駅中線 - 清68 2011/08/30(Tue) 00:50 No.2213 tpapa様 遅ればせながらtpapa様の画像にコメントさせてください。 方向板から方向幕に切り替えられたのが昭和49年3月1日。 列車無線アンテナの基台を取付開始したのが昭和50年後半。 したがってこの間の約一年半のいつかとなります。 Re: 所沢駅中線 - 団塊鉄ちゃん 2011/08/30(Tue) 05:44 No.2214 田駄様 皆様お世話になります。 清68様今日は 社紋の件ですが、初代501型以降601系までが鋳鉄にクロームメッキ製、701・801系が白樹脂製、101系以降の黄色い車体は黒樹脂製だったと思います。 又、車番の表記ですが451系までがペンキ書き、551・601・5000・4000系が鋼板打ち抜きメッキ仕上げ、701系以降が樹脂製切抜き文字だったと思います。 最近はシールやプレートに印刷のようで味気ないですね。 写真は再掲ですが、車番表記が最初に打ち抜き文字となった551系です。高級感はあるのですが、写真を撮ると車番が判別し難いのが難点でした。 モハ551 昭和36年 上石神井区 Re: 所沢駅中線 - ホビぽっぽ 2011/08/30(Tue) 16:59 No.2215 皆様 私もこの中線には「なにか止まってないか」といつも気にしていました。 車体標記は床下機器も含め、昭和50年代までに「オーカル」(プラモデルのようなデカール)にほとんど移行していました。 101系の車端にあった標記もこの頃プレートからオーカルになっています かつては団塊鉄ちゃん様の最後の画像のように“達筆”ぶりがわかる手書きだったようで、これも職人芸のひとつでした。 2000Nを南入曽に「納車」した時のこと、床下のエアータンク2、3個に標記がないことに気づき、オーカルの手配が間に合わずに私が白ペンキで書きこんだことがありました。 Re: 所沢駅中線 - 清68 2011/08/30(Tue) 23:48 No.2216 団塊鉄ちゃん様、皆様 早々に詳説を賜りありがとうございます。 クロームメッキ製だったのですか。 すると、経過としては、 1)社紋・車番ともメッキ仕上げ 2)社紋メッキ仕上げ・車番白塗装 3)社紋・車番とも白塗装 ということになりそうですね。 1)は実見できず。2)は社紋が金色と勘違いしていた状態、3)は晩年(最末期は501系、551系、601系とも白だったと思います)の状態となりますでしょうか…。 ホビぽっぽ様 エアータンクに書き込まれましたか。 自筆の表記を掲げて走る電車…。職人冥利に尽きますね。 表記は昭和50年代には手書きではなくなったのですね。 その昔はあらゆる表記は手描きでしたね。それも大抵のものは一発で書かれているようで、本当に素晴らしかったです。 独特な書体もありましたが、手描きしやすいようにとの配慮だったのでしょうか。 昭和55年頃以降と思いますが、西武電車は諸元の表記位置が見直されました。その際、旧表記をはがした跡が、塗料の色あせ方の差によってうっすらと判別できるのに気づき、インレタのようなものなのかと思ったことを思い出しました。オーカルと言うのですか。勉強になります。 |