変則編成の事など 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2011/08/07(Sun) 01:58 No.2175 田駄様 お世話になります。 martillo様今晩は 赤電時代の固定編成分割使用の件ですが、4両固定編成であっても吊り掛車は2両単位で分割が可能でした。 電連はS36年の551系から採用されましたが、在来車の電連化に当たっては、過渡期にはジャンパ栓と併用し どちらでも使える仕様となっておりました。従ってクハ(クモハ)+サハ等の連結も可能でした。 当時所工検査入・出場車は2両単位で実施されたので、この様な変則編成も時々現れました。 写真上は所沢増結の朝の急行で8両運転開始の頃は、専ら電連付きの551系が使用されました。S38年 保谷付近 写真下は変則編成の451系+551系ひばりが丘行きです。編成は455-1456+1562-562 S38年 保谷付近 添付:2175.jpg (386KB) Re: 変則編成の事など - 団塊鉄ちゃん 2011/08/07(Sun) 02:00 No.2176
変則編成例をもう一例掲げますと、559Fですが560ー1560が入場中の為、451系と仮編成を組んだ状態です。 編成は、1456-455+1559-559 S38年 東久留米〜ひばりが丘 写真は上下共同じ編成です。 Re: 変則編成の事など - 清68 2011/08/07(Sun) 12:06 No.2178 田駄様、団塊てっちゃん様、皆様、こんにちは。 貴重な画像に毎度興奮しております。 ひばりヶ丘行きについても初めて拝見しました。701系の幕に存在し、また、「ひばりヶ丘行きが東久留米の上り線に入ってきて、そのまま池袋方面に戻っていった」という話を友人から聞いたことがありながら、当時(1975年頃)はそのような列車はなく、自分では謎となっていましたので、実際の画像を拝見させていただき感激です。 これは定期列車だったのでしょうか? Re: 変則編成の事など - 団塊鉄ちゃん 2011/08/07(Sun) 17:48 No.2179 お世話になります。何時もお邪魔して申し訳有りません。 清68様今日は。ひばりヶ丘行きは当時朝方定期で運行されていました。夕方の運行は無かったと思います。運行期間は定かに覚えておりませんが、 昭和40年代初めの頃は、ひばりヶ丘駅構内に渡り線の存在を確認しております。 写真は、ひばりヶ丘行き559F S37年 Re: 変則編成の事など - 団塊鉄ちゃん 2011/08/07(Sun) 17:49 No.2180 写真は、ひばりヶ丘構内の渡り線。電車は当時最新車の781F S42年1月 Re: 変則編成の事など - 清68 2011/08/08(Mon) 23:26 No.2187 団塊てっちゃん様 早々にご説明と新たな写真をありがとうございます。ひばりヶ丘行きは定期だったのですね。 初めて701系の幕に存在を確認したのが1975年。それから36年を経て実態を教えていただく機会を得て、感激しています。 559の軽やかそうな後姿、車輪の響きが聞こえて来る気がします。ひばりヶ丘行きの551系、乗ってみたいです…。 ひばりヶ丘の渡り線、これがあるから上下線のホームがずれているのかと納得させられる写真ですね。踏切があったというのも初めて知りました。あらゆる謎を解明していただき、感謝してもし切れません。 Re: 変則編成の事など - 池袋の小学生 2011/08/09(Tue) 12:41 No.2189 団塊てっちゃん様 ご高配を頂有難うございました。 さて、451系の変則編成の画像にて、乗務員席側のジャンパ栓の下の長方形の箱はどの様な装備なのでしょうか? 311・351・501などで確認していますが、電連の取り付けによって撤去された様に思いますが、機能等ご存知でしたらご教授下さい。 当時は、構内踏切が多くあり、レジンの焼けた臭いを嗅ぎながら床下の機器も楽しめました。また、レール・架線柱等の設備も脆弱で、時の流れを感じています。 Re: 変則編成の事など - 団塊鉄ちゃん 2011/08/09(Tue) 22:27 No.2192 西武はレジンシューの採用は早かったですね。昭和37年の551系ラスト編成で試用し、暫くして荷電を除く全車に採用されました。 独特のレジン臭と静かになった制動音が特徴でした。 Re: 変則編成の事など - 田駄雄作 2011/08/10(Wed) 00:49 No.2194 投稿者のサイトor参照URL レジンシュー車はメーターパネルに注意書きがありました. 京急は後年まで鋳鉄制輪子で,道床や枕木がまっ茶色に汚れていました. 鋳鉄制輪子は細かい破片が飛ぶことがあって,窓から顔を出していると目をやられることがしばしばあったようです. Re: 変則編成の事など - 1411 2011/08/10(Wed) 01:07 No.2195 田駄様 団塊鉄ちゃん様 皆様 いつも楽しく拝見させていただいております。 「ひばりが丘」行、現役?時代の写真を拝見でき感激しております。 わたしも清68様同様、1977年頃701系の方向幕で発見し、当時そのような運用もなく、過去に存在した程度の知識でした。 朝のみの運行ということは、ラッシュ時上り運行本数を増やす目的であったのでしょうか? 701系には「江古田」行なるものもありました。 時は過ぎ、現在は野球開催時上りで不定期にて「ひばりが丘」行がありますね。(今年もあるのかな?) 80年代ごろは行先幕がなく、種別板に掲示されていた時期もありました。 元、地元であった「ひばりが丘」の話題につき、思わず筆を執った次第です。遅レス失礼いたしました。 Re: 変則編成の事など - ホビぽっぽ 2011/08/10(Wed) 09:56 No.2196 みなさんありがとうございます 子供の頃の謎が次々と解明されていき、楽しいです。 鋳鉄制輪子、大人になってから京急のを見て驚きました「まだ残っていたのか」と。 夕方になると火花が車輪にまとわりついて“火の輪”が見えました。 >池袋の小学生様 この箱はおそらく「二股接続箱」と思われます。 車端の床下や腰掛の“袖”部分の壁の中には、隣の車両との電気的接続のために「ツナギ箱」というのが収められています。 電連と従来のジャンパ栓を併用するために、ツナギ箱から出た配線で同一の回路が二股に分岐している必要があったためでしょう。 当然、すべての車両に電連の装備が完了したらジャンパ栓と同時に撤去されたと考えられます。 以上 推測ですがおそらく間違いないと思います。 Re: 変則編成の事など - ホビぽっぽ 2011/08/11(Thu) 09:14 No.2197 続投で失礼します 電気連結器+ジャンパ栓の件、団塊鉄ちゃん様の他の画像も良く見たら、どうやら単なる「格納箱」(雨や泥から保護するだけ)のようですね。 No.2190の記事でおっしゃっていらっしゃるように、電連に行っている線の先端にジャンパ栓に接続できるような加工をして装備した、と考えるのが一番安価にあがる方法です。 ジャンパ栓撤去の際にそのコネクター部分を取り外して直接ツナギ箱に引き込めばOKです。 知ったようなことを投稿してしまい、お恥ずかしい限りで失礼いたしました。 Re: 変則編成の事など - 池袋の小学生 2011/08/13(Sat) 09:41 No.2198 団塊鉄ちゃん様 ホビぽっぽ様 皆様 ジャンパ栓の下の箱に付きまして、お話を頂き有難うございました。『なるほど』永年の謎が解けました。今後の赤電の模型製作の時代考証に役立てたいと思います。 画像の、559編成は6連化時に台車交換(DT11)・出力強化(MT30)、電装準備車のモハ579を従えて2M4Tで活躍した異端の編成だったと伺っています。 Re: 変則編成の事など - martillo 2011/09/04(Sun) 16:10 No.2221 団塊鉄ちゃん 様 暫く書き込みができなくて、遅いレスになってしまいました。 すみません。 おかげさまで、電連、ジャンパー栓の謎が少しづつ氷解してきました。 ありがとうございます。 そういえば、もうひとつ気になることが… サハの貫通路は、どのように塞いでいたのでしょうか。 昔、国鉄101系でも中間車+先頭車という連結はときどき見られましたが、貫通ドアがあったので、ドアのノブと手摺を針金で縛って開けられないようにしてありました。 Re: 変則編成の事など - 団塊鉄ちゃん 2011/09/05(Mon) 20:18 No.2222 martillo様 広幅貫通路の仮締め切りは、確かな記憶では有りませんが、鋼板仮蓋だったと思います。後年になって広幅貫通路の中間車にも (奇数車第二エンド側かと)吹き抜け防止用として両開きのの重たい貫通路扉が設置されましたね。S40年代後半だと思います。 Re: 変則編成の事など - 西 武雄 2011/09/19(Mon) 16:19 No.2225 確か551系登場時は 頑張りすぎて編成の連結器全てに、電気連結器を装備してましたね。分割運用を目論んでいたと思います。 あと連結渡り板に3枚式を装備(西武所沢の特許)だったと思います。 DT-21の見返りにST式開閉器機構等, 国鉄401系にも装備されてました. Re: 変則編成の事など - 田駄雄作 2011/09/19(Mon) 17:21 No.2226 投稿者のサイトor参照URL 国鉄401系や113系などのドアエンジンは扉上のカバー内にしこまれていたもので,ST式ではなかったのでは?103系用だったと思います. 3枚渡り板は以前話題になっていましたよね. 単なる3枚渡り板なら国鉄153系,111系などでも使われていました. Re: 変則編成の事など - ホビぽっぽ 2011/09/19(Mon) 17:38 No.2227 連結部の貫通路に扉が設置されたのは昭和44年以降、それは正丸トンネルに飛び込んだ時、ものすごい勢いで風が車内を吹き抜けて吊り広告が引きちぎれたため、と聞いています。 確か101系(ごく初期の非冷房車)も登場時と、赤電を含めた全車にこの対策を取った後では貫通扉の位置が変更されていたように記憶しています。 あの両開き扉、「常時閉」にするために扉本体の重量に加えてスプリングかダンパーの力が加わっていて、たいへん重いものでしたね。 両開きで軽くても京急旧1000みたいに左右が連動せず戸閉機構がないのも扱いづらかったです だらしない客が締めずに立ち去ってしまうと、トンネル風が吹き抜けてしまいます。 |