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茶電から赤電へ過渡期のころ 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2010/06/10(Thu) 01:46 No.1542
田駄様、皆様今晩は。また昔の写真で恐縮ですが、数枚掲げさせてください。(一部既発表お許しください)
赤電への塗替えは昭和35年に確か505F〜が最初で、続いて481F〜そして新車551系は最初から赤電で登場でした。
311系等の旧車は、やや遅れて赤塗りが始まりました。
 写真は、まだ旧塗装時代の529F準急池袋行き 保谷の大カーブにて  昭和36年6月

添付:1542.jpg (137KB)
Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 団塊鉄ちゃん 2010/06/10(Thu) 01:48 No.1543
 この頃、日中は本川越行き、飯能行き準急もほとんど4両編成でした。
 写真は、クハ1469+モハ470+451系4連の本川越行き準急  東村山ー所沢 昭和37年4月


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 団塊鉄ちゃん 2010/06/10(Thu) 01:50 No.1544
池袋線には、狭山湖に出来た人工スキー場行きの直通急行が平日も定期運行されていました。
311、351、まれに252型が2連で運用されていましたが、末期には411系も使用されました。
 写真は、狭山湖行きスキー急行 1311+312  清瀬駅にて  昭和38年12月


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 団塊鉄ちゃん 2010/06/10(Thu) 01:51 No.1545
 写真は、上石神井にて左クハ1336、右モハ340  昭和36年8月
 続投失礼しました。


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - モハ1005−モハ1006−クハ2003 2010/06/10(Thu) 21:20 No.1548
団塊鉄ちゃん様、こんばんは。
貴重な過渡期の画像、素晴らしい記録です。
と言っても私には黄色/茶色ツートンは殆ど記憶が無いのですが…
この頃は国鉄の101系の路線別カラーリングに合わせて、各私鉄が塗装変更をしていますね。確か東上線も、小田急もこの時期に明るい色になっていますね。

クハ1411形、この頃はモハ451と組むものは『クハ1451形』を名乗り、その後に後のクハ1471形がクハ1451形として登場する際に1440番台に改番など、451系の番号は非常に複雑ですね。クハ→クモハ電装やクモハ→クハ電装解除もあり、本当に複雑です。事故廃車がらみのやりくりもあったり…

狭山湖行の急行、池袋の7番線の長いホームの端っこに17mの2連が泊まっているのは不思議な光景でした。


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 田駄雄作 2010/06/11(Fri) 01:37 No.1550 投稿者のサイトor参照URL
351系2両編成は池袋線,451系2両編成は新宿線と棲み分けていたのはどうしてでしょうか? 411系も池袋線には入っていないかも.501系も晩年までは池袋線専用でした.551系は最初新宿線にも入線しましたが,その後池袋線に集結したような記憶です.

4両固定編成は351・451とも両線を走ってましたね.
小手指区ができるまでは,両線車両の交流はほとんど無かった記憶です.
電気機関車は最初E51・52が新宿線専用だった他は共通だったような.


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 団塊鉄ちゃん 2010/06/11(Fri) 18:22 No.1551
田駄様お世話になります。
小手指区が出来る前までは、確かに両線の車両交流は少なかった様な気がします。
551系は、昭和36年池袋線で朝の急行8両運転開始時に所沢での増結の利便性から当時唯一電連付きだった為、
池袋線に集結されました。この少し前、池袋線に新製配置されていた、471と481系の4両固定5本が新宿線に移動しています。
新宿線からは、411系4両固定(後の351系)5本が池袋線に移動しました。この時期451系は池袋線から姿を消しています。
池袋線は湘南型、新宿線は切妻型と意識していたのかも知れません。後の新411系ですが、一時期池袋線にも少数おりました。
E51と52は当初、上石神井の所属で新宿線系統で使用されましたが、小手指区開設時に全電機が小手指に集結、その後
所沢に落ち着きましたね。


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 1411 2010/06/11(Fri) 18:49 No.1553
団塊鉄ちゃん様
いつも貴重な記録の掲載ありがとうございます。
今回はどんな画像かと、スクロールするわくわく感も楽しませていただいております。

さて、素朴な質問があります。
突如現れた赤塗りは、当時どんな感じだったのでしょう。
新しい時代を感じる塗装であったのか、特に話題になることもなかったのか・・・
当時の流行や町並みや景色にも左右されると思うので、今の感覚ではまったく想像できません。

昭和35年当時、高嶺の花であった特急こだま号や飛行機の日本航空が赤色をまとっていたと思うと、当時の赤は斬新であった???
また、他私鉄の塗り別けはウインドシル/ヘッダーをベースにしていた車両が多かったと思うので、それを無視した赤色のラインと車体2/3を占めるベージュ色。正面は緩やかなカーブを描かずに、方向板を中心にして、あえて角基調の塗り分け。けっこう斬新で軽快なイメージであったのかなぁと、書き込みながら考えてみました。

赤塗りは私の年代では「懐かしい色」でありますが、登場当時はどんな色であったのか、当時をご存知な方に是非ともお尋ねしたいと思いました。

余談ですが、701系がレモンイエロー一色で登場したときの衝撃は今でも忘れられません。そんな登場であったのでしょうか???


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 団塊鉄ちゃん 2010/06/12(Sat) 00:10 No.1555
1411様今晩は
西武がローズレッドとベージュのいわゆる赤電を採用したのは、昭和35年のことですが、最初501型が塗り替えられたのを見た記憶
では、当時としては非常に斬新な配色と塗別けで驚きました。具体的には湘南塗別けを廃し、さらに腰周りの塗別け位置を下げたことが
とても新鮮に見えました。当時は国鉄113系なども似たような塗装でしたが、西武の方が少し早かったと思います。
ただ個人的には、切妻の451系やシール・ヘッダーの在る旧形車には余り似合ってなかったと思います。
他の私鉄では、当時単色や2色塗別け派から、帯回し派に衣替えするところが多かったような気がします。
 例として、京王・小田急・東武などが帯を巻きましたね。京成は塗別けに帯併用でしたね。

西武551系は最初から赤電でした。
写真は559F 昭和43年11月 東村山  


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 団塊鉄ちゃん 2010/06/12(Sat) 00:11 No.1556
余談ですが・・2色塗りの頃の小田急2200型  昭和37年  海老名

Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 団塊鉄ちゃん 2010/06/12(Sat) 00:13 No.1557
更にお隣の東上線・・・帯巻の頃の7800系休日急行 昭和37年  志木
余り関係無い写真で、失礼しました。


Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 保谷1番 2010/06/14(Mon) 00:21 No.1558
主宰の田駄雄作様,投稿の団塊鉄っちゃん様。保谷1番と申します。西武に浅からぬ縁のある保谷に敬意を表したネーミングです。今回初めての投稿です。よろしくお願いいたします。これまでも,閲覧だけで充分楽しませていただいたのですが,とうとう我慢できずに投稿させていただきます。
西武に対する郷愁は尽きなく,先日行われたオフ会にも本当は参加したかったのですが,予定が当日直前まで決まらなく,参加・不参加で揺れ動いては幹事の方にご迷惑がかかるのではないかと思い,断念しました。
さて,本題ですが,1311+312は,311+1312とともに,車体側面の車号表記が手書きからプレート貼付に変わった際に取り残され,近々の廃車を予感させる車両ということで印象に残っています。1336の最終相手は379,340の最終相手は1327であったと記憶していますが,この写真の時点で編成相手は何だったのでしょうか。複雑な変遷を辿る17m車の改番・編成相手の真実に迫りたいという思いが強く,ご教示いただければ幸いです。よろしくお願いします。



Re: 茶電から赤電へ過渡期のころ - 田駄雄作 2010/06/14(Mon) 01:29 No.1559 投稿者のサイトor参照URL
保谷1番さん,ご参加ありがとうございます.オフ会もぜひ次回はお出で下さい.

私はデータ屋さんではないので,編成の変遷(シャレではないです)は判りません.この辺りは詳しい方にお任せします.
クハ1311は木造客車の遺品,TR10を履いている車両がほとんどでした.この乗り心地がフンワフンワと凄かったです.末期の頃は片側TR10、片側TR11のクハも存在したと記憶しています.

ところで結構重くなってしまったので,以降は新スレッドを立てて頂けますでしょうか?


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