流転の車両達 投稿者:団塊鉄ちゃん 投稿日:2010/05/24(Mon) 01:36 No.1489 北所沢のスイッチャー? 7号機関車 田駄さま、皆さま今晩は。お世話になります。スイッチャーの話題にちなんで7号機関車の写真を掲げさせて下さい。 米国ピッツバーグ社製1Cタンク機です。1897年伊賀鉄道発注なるも注文流れとなり、阪鶴鉄道・播州鉄道・鉄道省等 を経て、1945年西武に払い下げ、北所沢の米軍引込み線で主として入替機として使われたそうです。その後1962年上武鉄道へ (日本ニッケル鉄道)貸し出し、1965年西武に返還されています。西武廃車後は、東品川公園に展示保存となりました。 写真は昭和37年 上武鉄道へ移送準備中の同機。 所沢駅にて 添付:1489.jpg (236KB) Re: 流転の車両達 - 団塊鉄ちゃん 2010/05/24(Mon) 01:38 No.1490
京浜急行元400型 西武は昔から中古鉄道車両の購入、改造、販売に熱心で所沢工場がその中核を担っていましたね。払い下げ国電の 自社向け改造、自社車両の売却は比較的判り易いのですが、他社車両の改造、転売は難解な場合も多々有ります。 たまたま思いがけない車両を検車区の片隅で発見することもありました。 写真は昭和41年小手指に留置されていた元京急デハ400型の廃車体で、当時の西武所沢工場が購入した ものです。元車番は判らず、1・2・7と仮番が付いていました。その後、所沢工で改造のうえ総武流山電鉄1101 、伊予鉄道121〜123、421、弘南(弘前)108等に生まれ変わったようです。撮影当時は小手指には前記3両 が有りました。 昭和41年8月 小手指検車区 Re: 流転の車両達 - 団塊鉄ちゃん 2010/05/24(Mon) 01:39 No.1491 山形交通元ハフ1,2型 写真は、昭和43年11月頃小手指に留置されていた単軸車ハフ1型2両です。こちらの購入目的は良く判りませんが、 後年ハフ1は保谷でE12と連結されて原型モニター屋根に復元保存。片やハフ2は大井川鉄道に引き取られたそうです。 昭和43年11月 小手指検車区 Re: 流転の車両達 - 団塊鉄ちゃん 2010/05/24(Mon) 01:41 No.1492 連投、失礼致しました。 Re: 流転の車両達 - モハ1005−モハ1006−クハ2003 2010/05/24(Mon) 20:26 No.1495 所沢車輌工場、昭和40年代〜50年代前半は、50両以上の新造能力の他に、自社の廃車車両の譲渡改造など、余力も随分あったようです。京急の車体を改造して各地に送られていましたね。 たまたま南入曽車両管理所に廃車留置されていた371形(後に大井川鉄道に譲渡)を見に行った時、小田急のクハ2153があり、驚きました。こちらは三岐鉄道に譲渡されたようです。 1976年4月15日 南入曽車両管理所 小田急クハ2153(廃車) Re: 流転の車両達 - 所沢市緑町3丁目 2010/05/24(Mon) 22:51 No.1496 モハ1005−モハ1006−クハ2003さま、初めまして。撮影なされた数カ月後、現車は三岐向け改造工事のため、E43、E44に挟まれて所沢工場に入場しました。その後10月には三岐クハ215として現地に発送されました。 昭和50年6月〜7月 南入曽車両管理所 Re: 流転の車両達 - 団塊鉄ちゃん 2010/05/25(Tue) 01:33 No.1497 モハ1005−モハ1006−クハ2003さま、所沢市緑町3丁目さま今晩は。 三岐には小田急車は計3両が所沢経由で納入されていますね。関東鉄道にも国鉄キハ07や南海キハ55が同じく所沢工場で大改造されるなど、とにかく種々多彩でした。 写真は、例の日立電鉄モハ13で所沢工場を22に引かれて出場 して来た所です。 昭和43年11月 所沢中線にて Re: 流転の車両達 - モハ1005−モハ1006−クハ2003 2010/05/25(Tue) 19:22 No.1498 所沢市緑町3丁目様、はじめまして。 所沢工場入場の際の、元小田急クハ2153の画像、ありがとうございます。 三岐鉄道に行った3両、その後は元西武401系の譲渡により廃車となったようです。 三岐鉄道は車両の入れ替わりも頻繁なようです。昨年も旧西武101系が旧西武571系を置き換えましたね。 団塊鉄ちゃん様、日立電鉄向けの改造車の出場画像、貴重なものをありがとうございます。 所沢駅の改札や周辺の建物なども当時の姿、懐かしく感じます。 Re: 流転の車両達 - 田駄雄作 2010/05/26(Wed) 23:54 No.1507 投稿者のサイトor参照URL >山形交通元ハフ1,2型 一緒に来たDBは所沢工場の入換に使われてましたね. Re: 流転の車両達 - 団塊鉄ちゃん 2010/05/27(Thu) 11:23 No.1509 田駄さま、ご教示有難うございます。山形交通から来たのはDB151だったのですね。知りませんでした。 所沢工場は、当時大手車両製造会社が手を付けない部分をカバーした、ある意味地方私鉄等にとっては、 大事なニッチ鉄道車両工場でしたね。 一方、自社5000系レッドアロー増備車などは、日立製に全く遜色ない出来栄えで当時から優秀な技術水準 を持っていたと思います。 Re: 流転の車両達 - ホビぽっぽ 2010/05/27(Thu) 17:24 No.1510 京急400の台車がすごいですね 甲種輸送が本台車使用、乙種輸送がチキなどによる積載輸送と言いますから、これは乙種なのでしょうか? 台車とは言えないし、貨車積載とも言い切れない、不思議な輸送方法です。 細部は良く見えませんが、もしかして「あの貨車」の足回りかもしれない、などと想像してしまいます。 所沢工場の技術、作業レベルは相当なものだったと思います。 しかし大手工場が請けない仕事というのは、概して採算性が悪く作業性も低いことが多いものです。 いわゆる“ワンオフ”まさに「ニッチ産業」であったと思います。 系列グループの静岡や滋賀の工場が比較的高いレベルにあることも、堤氏が車両にかけた熱意を感じます。 |