Seibu Yamaguchi line Koppele No.2 1972
さよなら謙信?!
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いよいよ1972年11月30日.初年度運転の最終日だ.朝運転所へ行くとなんと国旗と「さようなら謙信」のヘッドマーク付き!まだ翌年の運転は正式に決定していなかったし、井笠鉄道のコッペルが来るという噂などもあったので取り敢えずのさよなら、ということらしい.
しかしこの装飾も2往復した後なぜか外されてしまい、以降の便はいつもの姿で走ったはずだ.
翌1973年も春からコッペル2号機は運転されている.噂通り井笠の1号機とシングルルーフの木造客車4両も加わって盛大な運転が行われていた.しかし私は翌年から社会人となったことや、数年後に千葉県に引っ越したこともあって西武山口線から足が遠退いてしまう.その後台湾コッペルの入線や線路改良なども行われ、世の中大SLブームの中での国鉄の蒸機廃止の余韻もあって多くのファンを集めたのはご存知の通り.そして1984年に新交通システム化ということで路線ごと廃止になってしまった.

翌1973年からの運転で大きな変化といえば、何と今まで遊園地前駅側を向いていたコッペル2号機が、きびすを返してユネスコ村駅側を向いてしまったということだ.これは営業上の問題という話しもあるし、実は所沢工場でコッペル2号機をトラックに積み込むときに向きを間違えた、という話しもまことしやかに伝えられている.真相は如何に? 以降は廃止まで全ての機関車がずっと同じ向きだった、ということは今回ご覧頂いた今までの多くのカットは1972年限定となってしまった訳だ.どちらが良いかは一概には言えないが・・・・.この年は運転期間も短いし、井笠鉄道の客車を牽いていた期間は僅か2ヶ月と少々、撮っていた人の数もかなり少なかったので貴重な記録であることは確かだと思う.
私はそれから全く行っていないかというと実は数回行っている.しかし人の多さや、すっかり観光鉄道になってしまった雰囲気の変化に驚き、やはり自由に撮りまくれた最初の年が断然良かったな〜、と思う次第.以下数ページその後のコッペル達の写真をご覧頂きたい.


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