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このときも暑かったです。 投稿者:村樫四カ 投稿日:2012/07/17(Tue) 07:46 No.2536
毎日暑いですねえ。
大昔の写真で恐縮です。
旧根室本線狩勝峠関係の写真を自分の撮ったものも含め現地に送る手伝いをしていて珍しいスナップを見つけました。
撮影は50年前の8月、水害で狩勝峠が不通になり函館釧路間の急行まりもは石北・釧網線経由で運転されていました。
この写真は釧路から川湯へ向かう途中駅で私の乗ったローカルを待避させ通過する釧路行きまりもと思います。
「と思います」というのは釧路行きか函館行きかの記憶が曖昧だからです。しかしフィルム前後のつながりから釧路/川湯間で有ることは間違い有りません。
結構な広さの構内を持つ駅ですので、何方かこの駅名とこの列車が釧路を向いているのか網走を向いているのか教えて頂けませんでしょうか?
機関車のやりくりが難しかったのでしょうがC57が釧網線(当然石北線も)を走っている珍しい写真です。

添付:2536.jpg (233KB)
Re: このときも暑かったです。 - 村樫四カ 2012/07/17(Tue) 22:45 No.2537
自己訂正です。
北海道の知り合いにも訊いていましたところ、この撮影地は背景から弟子屈に違いないとのことでした。


Re: このときも暑かったです。 - 田駄雄作 2012/07/18(Wed) 15:59 No.2540 投稿者のサイトor参照URL
村樫さん、お暑うございます。
この写真はすごいですね〜。「まりも」の網走迂回運転は聞いたことがありますが、まさかC57が牽引していたとは驚きです。C57は網走経由で旭川か札幌、小樽までロングランしていたのでしょうか?
もともと「まりも」は根室本線ではD51が牽引していたのではなかかと思います。
釧網本線はもちろんですが、石北本線常紋越えのC57なんて魅力的ですね。

私も消去法から云って弟子屈(現摩周駅)だと思ったのですが、私の記憶とは違うような印象でしたので、グーグルマップなどで検証していました。
景色から見るとこの列車は札幌方面行ということになりそうですが、途中遠軽で方向が変わるので編成の向きは逆のような気がします。荷物車は函館寄りに連結されていましたから、釧路方に連結されているはずです。

川湯-緑間では当然補機が連結されたはずですが、迫力ものだったでしょうね。常紋や石北峠も補機の力を借りたはずです。
なんかわくわくするような迂回運転ですね。


Re: このときも暑かったです。 - 村樫四カ 2012/07/18(Wed) 23:51 No.2543
マッチポンプになってきました。
迷った理由はこの後撮った写真、川湯で写したC58重連まりもがあるからです。以前ネコの国鉄時代編集後記に小さく載った写真ですが貼っておきます。川湯/緑間の補機が重連となるのは緑から川湯に向かってだけだったからです。ということからこの重連は釧路行きでは?と迷ったわけです。
只、北海道の友人からこの重連は緑を向いているとの言葉も貰いましたのでC57は釧路行きです。
峠が事故ったとき釧路方にはまりも正規編成が1本居たはずでそれと石北経由の編成が入り乱れているので荷物車の位置が逆のものがあっても不思議ではありません。正規では「ニ」「ユニ」・・・となるところ1両になっていますがこれは交換駅の線路有効長の制限から削られたのではないかと思います。尚、削られたのは「ニ」の筈です。まさか十勝地方との郵便輸送を担っていた「ユニ」は外すわけには行かなかったと思います。


Re: このときも暑かったです。 - 村樫四カ 2012/07/19(Thu) 11:27 No.2544
寺田さんのコメントにあった「まりも」の牽引機ついにて。
この目で確認したことは結局一度も無いのですが当時小樽築港のC57が狩勝峠を越え釧路までロングランしていたことが知られています。このC57も小樽築港所属機で、釧路に来ていて閉じ込められてしまったのでしょう。遠軽経由で戻ることも可能ですが、迂回運転で機関車も不足したでしょうから(新得機関区のD51は余っても)そのまま十勝で復旧まで出稼ぎ中の写真です。
すると小樽・遠軽間も・・・旭川からそのままC57が入って来ていた可能性があります。夜行になってしまうので石北峠での写真は残ってないでしょうが、原生花園を走るC57の引く「まりも」など今考えてみれば撮っておくべきだったと後悔(?)しております。


Re: このときも暑かったです。 - 田駄雄作 2012/07/19(Thu) 12:11 No.2545 投稿者のサイトor参照URL
C57のロングランの話、以前にネットで話題になったことがありますが、小樽-釧路間をロングランしていたのは普通列車であり、「まりも」の狩勝区間はD51牽引だった、という結論に達したような気がします。たしか鉄道ジャーナルのC57特集(昭和47年ごろ)にその運用の話が出ていたんだと思います。

SLナンバー2で臼井さん?の文章で「今まさに狩勝を越えてきた雪まみれのC57」というようなくだりがあったのですが、当時の「まりも」のC57牽引は滝川?から小樽(築港?)までだったようで、あの文章は間違えだった、という結論に達したような記憶です。

どこかのサイトにその時のやりとりが残っていたような気がするので、探してみます。

昨日のトンチンカンな書き込みなおしていませんが、弟子屈駅での釧路方面行きだとバックに山が入るのではないかと思っています。


Re: このときも暑かったです。 - 村樫四カ 2012/07/20(Fri) 12:31 No.2546
私もまりもの狩勝峠区間はD51だったと、どこかで読んだ記憶があります。C57はボイラーが小さいですから軽い列車ならともかく食堂車を含む11両編成を引いて落合まで上って行くのはあり得ないと考えます。
本件について昔赤平に住んでいたことがあるC51アルバムの長谷川氏に訊いて見ましたら赤平で写したC57まりもの写真があるとのことでした。というわけで富良野で機関車交換していたことになります。
昼間峠を通る釧路・函館間の普通列車は小樽築港のC57が牽引している写真が多数写されていますので、少なくともこれを引いて釧路に来ていた機関車が閉じ込められ釧網線でまりもを引いていたと言うことになります。この区間にはもう一本小樽・釧路間の夜行列車があり、この列車は私も度々お世話になっていますが、情けないことには座席を確保するのに懸命で一度も機関車を確認に先頭まで行ったことがなく判りません。しかしこの夜行も寝台車を繋いでおり5〜6両の軽量では無いだろうと思えるのでC57ロングランでは無い可能性が高いです。しかし、少なくとも上述1本はC57で
、事故の巡り合わせで十勝でまりもを牽引しそれを更に偶然行き会わせた私が写していた、という落ちで取りあえずこのツリーは終わりにしましょう。


Re: このときも暑かったです。 - 札幌の佐々木 2012/07/21(Sat) 15:22 No.2548
村樫様、はじめまして、いつも貴重な写真を拝見させていただいております。川湯で撮られたC58重連(国鉄時代Vol.2掲載)ですが、この列車は釧路方に向かっています。川湯の駅舎が右手にあり、駅舎から先の線路が左カーブしています。網走方へ向かう列車であれば、駅舎を左に見て線路は右にカーブして行きます。C58の補機が付くのは川湯〜緑間ですが、このC58重連は、網走方から川湯駅に進入して来た(あるいは重連のまま釧路へ向かった)写真ではないでしょうか?



Re: このときも暑かったです。 - 村樫四カ 2012/07/21(Sat) 22:05 No.2549
終わりにしましょうと書いておきながら禁を破ります。札幌の佐々木様ありがとうございました。グーグルの航空写真で確かめました。まさに言われるとおりでこれは釧路を向いています。(C57の方は背後に低い丘があるので弟子屈に進入する釧路行きで間違いないと思います。) C58重連の写真はトイレで小用を足した後ホームに出て慌てて撮りました。(川湯)駅で便所を作るとしたら本屋側に作るのが順当で、このことからもこの列車は本屋と反対側の釧路方面行きホームにいることが判ります。しかしこの列車が優等列車と判り前方から撮れなかったことを悔やんだ記憶がありますし、機関車次位の車両が窓配置と台車から長距離列車に組み込まれていたマユニ78と見えますからこれもまりも!するとまりもが続行していたわけですね。それともまりもに先行する小樽発釧路行きと言う普通夜行がありましたからこれが途中で後続のまりもに抜かれたとか?生来ズボラでメモなど撮らなかったのが悔やまれます。

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