【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.545 幻のアメロコKD6


前に大奮闘シーンの連続写真をご覧頂いたアメロコKD7の弟分のようなカマで、全てがワンサイズコンパクトになっています.全動輪が均等に配置され、ボイラ位置の高い、如何にもアメリカンというスタイルです.兄機?と同じくボールドウィン、アルコ、ライマ社で1942年から1945年までかなりの両数が製作され、連合軍のヨーロッパ作戦に使われた模様です.終戦後は国際連合救済復興機関(=UNRRA)の援助物資として中国(=中華民国)へ投入されています.
↑はボールドウィン社のメーカー写真です.

1986年4月の訪中時、そのKD6があるよ、ということで黒竜江省の佳木斯から列車で鶴崗へ、さらにバスで郊外の嶺北鉱業所というところへ案内されました.しかし、そこに待っていたのはボロボロでサビサビの廃車体でした.確かにKD6ではありますが、現役機が存在するという確かな情報でやって来たのですからガッカリです.通訳の人にいくら説明して貰っても「これがケーディー・リューだ」の一点張りで埒があきません.

(画像をクリックすると拡大されます)

その帰路、鶴崗炭砿の露天砿の横を通った時に見てしまったのです.順光の下、煙を上げて休んでいるケーディー・リューを!「あれを撮らせてくれーーーーーっ」と懇願したのですが、聞き入れられず、本当に悔しい思いをしました.もっと悔しいのは鶴崗へ行く数日前に寄った撫順炭砿でもKD6がやはり現役で使われていた、という事実が後日判明したことです.
情報不足や細かく所轄が別れていて、それぞれ撮影許可を得るのは大変な時代だったとはいえ、2度もニアミスしていたとは悔やんでも悔やみ切れません.

そんな因縁のKD6の1両が、現在まで奇跡的に生き残り、遼寧省鉄法炭砿鉄道で動態保存されています.瀋陽の近くですからそれほど遠くはありませんが、今の私には遠い世界です.
鈴屋の鉄道写真館サイト主宰の鈴屋さんから画像をお借りしましたのでご覧下さい.


オリジナルや私の見た廃車体は結構派手でワイルドなアメリカンですが、鉄法のはランボードやキャブが改造されてしまい、ずいぶんと大人しい姿になっていますね.
チャンスがあればぜひ見に行ってみたいものです.

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2007/04/30 PM 03:52:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.544 森林鉄道の脇役達


中国黒竜江省、朗郷森林鉄道の主役はもちろんC2型蒸機牽引の運材列車と客車列車ですが、その合間を縫って各種モーターカー、レールバス、そして果たして正式に閉塞方式に則って走っているの?と思わせるようなプライベート・エンジンカーなども見かけました.
この森林鉄道はかつて満州開拓時代に日本の力で敷設されたのですが、当時の置きみやげであるKATOくんも健在でした.














撮影は1984年10月、1986年4月

最近は本編コンテンツのアップもさぼっています.焼き直しですがヨーロッパものを企画中です.しかし野暮用が多くて、なかなか手が付けられません.野暮用の中にはこのブログの更新も含まれているのですが、こちらの方もなかなか大変、滞りがちであいすいません.最近は軽く1点写真+コメント何ていう軽いものでは本人が満足しないから厄介ですわ.

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2007/04/29 PM 10:41:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.543 ポルトガル国鉄E141

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同じく1976年9月、ポルトのボアビスタ機関区で撮影のE141型です.1931年ドイツ、ヘンシェル社製.
軸配置2-8-2、いわゆるミカド形のタンク式機関車です.(タンク式機関車の場合はあまりアメリカ式表現はしませんが)
いかにもドイツ機ですがデフの形状やロッド回り、シリンダーの尻棒など、日本のカマのような雰囲気も一部持っています.

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2007/04/25 AM 11:04:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | [ヨーロッパ]

No.542 ポルトのレールバス

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1976年9月、ポルトガル北部、ポルトのボアビスタ機関区で見た興味深い流線形、単端式のレールバスです.今までに紹介したマレーなどが走るポルトガル国鉄(=CP)のメーターゲージ路線用なのですが、モハ52流電風、下回りまでフルカウリングの結構大型のボディです.6枚窓の正面に較べて後部はクラシックカーのトランク、というか木炭車の焚き口戸かというようなアンバランスさが何とも言えません.車内は木製の小型クロスシートが並んでいたような記憶ですが、はっきりした記憶がありません.塗装はダークブルーだったと思います.
クルマで移動中にトコトコ走っているのを見ましたが、残念ながらカメラには収まりませんでした.


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2007/04/24 PM 08:26:42 | Comment(1) | TrackBack(0) | [ヨーロッパ]

No.541 哈爾浜宵酔い散歩
1984年10月、ハルビン(哈爾浜)の晩餐のあと、酔い覚ましに散歩に出かけました. カメラには明るい標準レンズと1600のポジフィルムを装備. それでも暗いハルビンの街でなにが撮れるでしょうか.(フィルムとレンズのおかげで写ってますが実際はもっと暗い世界です)

メインストリート!には2台の市電が待機していました.よく見ると路上には人が一杯です!


緑のラインの電車が発車して行きました.


赤ラインの電車も満員の乗客を乗せ発車です.


フラフラと歩いて哈爾浜駅構内の端に架かる勝利橋へたどり着きました.なんと2台の蒸機が併走してやって来るようです.


左はRM(人民)型牽引の夜行列車、右はQJ(前進)型」の貨物列車でした.やや後方のQJのライトがRMのサイドを照らします.

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2007/04/22 PM 12:55:20 | Comment(1) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.540 銚子電鉄へ行って来ました


18日は仕事がオフ日で、静岡県に住む友人の希望で銚子電鉄へ撮影に行ってまいりました.友人は銚子に前泊しますが、私は前夜9時まで仕事なので5時起きで柏から我孫子、成田と乗り継いで8時50分に銚子駅に到着しました.成田からの成田線列車は113系のボックスシートを期待しましたが、やって来たのは211系で長時間のロングシート乗車は少々窮屈であり退屈です.ひまつぶしに買ってきたコミック週刊誌も、周囲は女子高生だらけなので出しはばかられました.
実は同じ千葉県内に住んでいながら、銚子電鉄にカメラを向けるのは40年振りです.10数年前に一度カメラも持たず乗車だけに来たことがありますし、銚子方面のドライブならばこれは幾度も来ていたのですが.

今年あたりから真剣に撮影してみましょう、と密かに企んでいたのですが、昨年暮れからの「濡れ煎餅」ブームで多くのファンが訪れるようになり、少し引いていたところでした.
現在の塗色ともと営団車両のみが走る日に当たると面白くないな、と思う気持ちもありましたが、今は1001号が改修中で1両は確実に吊り掛けの旧型車が運用に入りますので、そちらは安心です.
残念なのは天気でした.私のオフ日と友人の日程をすり合わせていたのでいたしかたありませんし、ファンや観光客が殺到する週末や祭日は避けたいところです.
本当はましな写真が撮れれば本編にアップするつもりでしたが、曇天ゆえパッとしたものがありません.一番困るのが車両に露出を合わせると細い一本だけの架線が写らないことです.またバックになる白い灯台や遠望できる海も冴えない写りしかしてくれません.
友人には申し訳ないですが、今回はロケハンとして天気の良い平日にクルマで再訪しようと思っています.

変則的なブログアップのギャラリーですが、よろしくご笑覧下さい.場所はよく紹介されているところばかりですので、あえて記していません.
なお重くて画像が表示されない場合はこちらからなら少し軽くなります.



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朝からの曇り空でしたが、午後になるとついに泣き出してしまいました.そこで撮影は中止して銚子駅傍でカツオの刺身や天ぷらを賞味しつつ友人と旧交をを温めました.実は半分はこれが目的でした.



40年前の撮影成果はこちらからご覧になれます.


写真に写っているデハ801は検査切れのため、4月21日から外川のデハ702と入れ替わり休車になったそうです.検査中のデハ1001はGWまでには復帰のもようです.残念ながら吊り掛け車は予備に回ります.(TADAさん情報)

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2007/04/21 AM 11:13:01 | Comment(3) | TrackBack(0) | [銚子電鉄応援]

No.539 アメロコKD7の大奮闘
4日ほどお休み頂きます


滬杭線長安鎮駅 (画像をクリックすると拡大されます)

第二次大戦後、1946年から中国国民党への援助物資として、アルコ、ボールドウィン、ライマ社製のKD7型が大量(150両+α)にアメリカから導入されました.このタイプはマッカーサー型とも称し、ヨーロッパのベルギーなどへも輸出されています.
1983年、初訪中時には上海、杭州などで入換や貨物列車牽引、さらには旅客列車牽引と大活躍する姿をこの眼で確認することができたのです.
アメリカ型の蒸機には昔から憧れがありましたが、アメリカ本土での活躍はすでに過去のものでした.まさか日本国内から煙が消えた後に中国で対面できるとは!信じられない思いでシャッターを切り続けたものです.

先日アップしたソ連製FDの記事で出てきた杭州、銭唐江大橋の手前の勾配区間でKD7型牽引の長い貨物列車を撮影しました.
日没間近で小雨の降る中、カーブの先の丘の向こうから勇ましいドラフト音が聞こえてきます.しかし濡れたレールに足を取られているのかそのリズムは度々乱れ、今にも止まってしまいそうな息づかいでした.
やっとカーブに姿を現した瞬間からの連続写真です.たかだか数100mの区間を空転を繰り返しながら、どれほどの時間をかけて通過して行ったのでしょうか.モードラの連写ではありません.1カット1カットタイミングを見ながらシャッターを押しています.
(モードラ連写なら1-2カット目でもうフィルム切れでしょう)
途中タテヨコ切り替えどころかレンズ交換までしていますね.
ちょうどフィルム1本分、全36カットです.重くなってしまうのでサムネイル表示にしました.似たような絵柄ばかりですので見たいカットだけクリックして拡大画像をご覧下さい.














KD7の力闘ぶりをご堪能頂けましたでしょうか?私はこのシーンを見たことにより、焼けぼっくいに火が付いてしまいました.その後中国に何度も出かけるきっかけになったシーンですが、残念ながらKD7にカメラを向ける機会はその後の旅では得られませんでした.

たかがブログの1記事に何時間も費やしてサムネイル含めて74点の画像ファイルを作りました.自己満足、と言うほどには満足していませんが、馬鹿な努力の成果を見てやってください.

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2007/04/15 AM 12:39:07 | Comment(1) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.538 ホームにて

KD7の連続写真を準備中ですが、スキャンが間に合わないので埋め草写真でご勘弁を.滬杭線の何処かの駅.1983年5月

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2007/04/14 AM 12:34:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.537 ソ連製友好(FD)型
13日の金曜日


(画像をクリックすると拡大されます)

お約束の友好(FD)型です.
1950年代から1960年にかけて当時蜜月時代といわれた仲のソ連から不要になったFD型(1931-1942年製)を標準軌に改軌して、中国国鉄になんと1250両もが大量導入されました.
全長約30m、重量258tという超大型機で、ほぼ中国全土で主力機として活躍したようですが、国産の前進型(QJ)の増備で順次置き換えられて1984年頃までに全廃されています.

私が初めて訪中した1983年4-5月にはかろうじて、最後の現役時代をかいま見ることができました.残念ながら機関区訪問や駅撮りで形式風は撮影できなかったので、車中から見た廃車体をトップ写真↑にしました.

こちらは大逆流で有名な、浙江省の省都杭州の銭唐江に架かる銭唐江大橋を渡るQJ+FD重連牽引の貨物列車です.この橋は道路と二層構造の併用橋で道路の観光客やトラック、海と紛うような大河銭唐江に浮かぶジャンク船が如何にも中国中国しています.杭州駅から橋までが結構な登り勾配になっていて、大迫力のドラフト音が辺りに響き渡った末にこの重連が顔を出して大感激でした.なんとこれが私の中国蒸機列車撮影初体験になります.


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)

2日後、南京郊外の京滬線沿線に場所を移して撮影していると、テンダファーストでFDが貨物列車を牽引してきました.少し先の駅から逆方向に支線が分岐していますので、そちらからの直通貨物でしょう.なんとなく場末の3流列車牽引のようで筑豊本線のD50・D60を思い出してしまいました.ボックス動輪のQJに較べてスポークのFDはリベットだらけのテンダーとも相まって、日本のD51とD50・D60と同じような関係のようです.


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)

次はアメロコKD7の番でしょうね.

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2007/04/13 AM 01:09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.536 パシシだ!
4月から一部生活環境が変わったものですから、時間のリズムが上手くつかめません.いつまで続くかしぶとい花粉症に、黄砂の影響でしょうか?眼はショボショボ、鼻はシュンシュン、さらに咳き込んだりして体調があまりよろしくない毎日です.
ブログの更新も怠ってしまうことしばしばですが、サボっている訳ではなく、昨日までは本編「96DEPOT」の更新作業をしていました.今回新機番7機を含めて37画像が追加されました.よろしければご覧下さい.更新日は4月3日の予定でファイルもその日付で作っていますが、実際のアップは5日遅れでした.

ここ数年来疑問だったことがあります.時々近所から太鼓の音が響いてくるんです.まあ、うるさいとかそういうレベルではないのですが、和太鼓かドラムの練習でもしているのかな、なんて思っていました.
それが漸く真相判明しました.先日は夜8時頃だったのですがその太鼓の音とともに、大きな歓声がはっきり聞こえてきたのです.忘れてました、自宅から直線距離で1.5kmほどのところに日立総合運動場があります.そうJ1柏レイソルの本拠地です.太鼓の音はその試合日の応援だったんですね.ですからデイゲームもありナイターもあるわけで、長年の疑問がきれいに解決してスッキリした思いです.
J2降格もしてここ数年冴えませんでしたが、今年はいきなり連勝して頑張っていますね.しかし地元ではあってもそれほど盛り上がっていませんが.




1983年5月、初めての訪中は上海、杭州、南京でした.この辺り、かつて日中戦争後は華中鉄道のテリトリーで国内からは9600型やC51型などが広軌化されて大量に持ち込まれています.この旅では現役の姿は無理としても廃車体くらいは発見できるか、という淡い期待もありました.

上海から杭州へ向かう列車で、まもなく杭州到着というときに車窓に廃車体の蒸機の列が走りました.それもパシフィック型のようです.予期せぬその姿を見て思わず「C51だ!」と叫んでしまったのです.そうは言いながら内心は「違うかなC54みたいだな?」とも思ったものです.(C54はありえませんが) この時は突然のことでカメラを向けるヒマもありませんでした.

杭州ではぜひその場所を訪問したかったのですが、なかなかガイドの人に真意が伝わらず、当時は規制が厳しくて何処にでも連れて行って貰える時代ではなかったので、叶いませんでした.
せめて帰路の車窓からはバッチリ撮影しよう、とメンバー全員カメラを構えて通過を待ちかまえました.東ドイツ製の軟臥車は窓が固定ではないのですが、キーでロックされていて開けられませんでした.
さて、再度眼前を過ぎゆく1両1両を確認しながらひたすらシャッターを切ります.



(画像をクリックすると拡大されます)

残念ながらC51ではありませんでした(もちろんC54でも)が、雑誌では見覚えのある機関車です.「あれはパシシじゃないか」と言い出す人がいて、なるほど納得です.パシシといえば朝鮮総督府鉄道のものが有名で、私もそちらを覚えていましたが、帰国後資料を見ると華中鉄道にも同型が入線していました.




後日写真を見るとやはりC54、C53あたりを大陸テイストにしたようなスタイルです.しかしあのような状態で何両も置かれてたいたところを見ると、数年前までは現役で走っていた模様で、その様を見られなかったのは残念ともいえます.乗車していた列車を牽引していたルーマニア製のND2型DLによって駆逐されたものでしょう.
パシシの中国国鉄での形式は「勝利11型=SL11」 です.


(画像をクリックすると拡大されます)

列の最後の1両はソ連製の1E1(サンタフェ型)のFDでした.こちらの形式については別にも撮影してますので、いずれまた話題にしましょう.
9600は後日の情報では当時南京西駅でまだ入換に活躍していたことが判明しました.駅付近をバスで通過しましたが、見かけませんでした.

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2007/04/09 PM 08:38:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.535 SUD EXPRESS

クラッシックな客車の側面に輝くワゴン・リーのエンブレム

1976年9月の欧州取材旅行時に、ポルトガルからオーストリアまで夜行連泊で3000km近い距離を北上しました.
ポルトガルからパリまで最初の晩はワゴン・リーの1等寝台車を奢りました.贅沢かも知れませんが、ユーレーイルパスが使えるので差額料金は確か6000円位.2食付き一人個室ですからそれ程の出費ではなかったはずですし、一生のうちに乗車のチャンスが今後あるかどうかというところです.
ところがこの列車、のっけから8時間以上の遅れ(折り返しの列車が事故で遅れたため=後で知りました)、イベリア半島の夕景を眺めながら優雅に晩餐を楽しむはずが、ポルトガルのコインブラ駅から乗車したのはすでに日付が変わった後でした.
途中駅なので情報が上手く伝わっていなくて、こちらも言葉が満足に通じないために(いつ列車が来るか判らないので)食事に行くことも出来ない中で空腹をこらえ、ひたすら待ち続けた末の乗車でした.しかし、すでに食堂車はクローズ!「込み込みの料金なんだから」と強引に交渉してなんとか遅い晩餐にありつくことができました.
この列車は"SUD EXPRESS= シュドゥ・エキスプレス=南急行" (リスボン・ポルト-パリ) という列車ですが、別名が「リスボン特急」.映画で有名になったあの列車です.


以下の写真はスペイン/フランスの国境駅アンダイ(Hendaye) にて.列車のメインの部分1・2等コンパートメント車と2等寝台車はここで台車交換の上、パリまで直通します.ワゴン・リーの1等寝台と食堂車はこの駅止まり.乗客はフランス国鉄SNCFの客車に乗り換えとなる.筈でした.

ところがところが、ところがです!この日は大幅な遅延のために、フランス国鉄側の"SUD EXPRESS" は乗客と直通客車の到着を待たず薄情にも出発した後.そのため後続の鈍足急行に乗せられるというハプニング続きでした.アンダイ発14:50.これでパリ発の夜行に乗れるのでしょうか?巴里の灯はまだ800kmの彼方なんですから.


これが乗車したワゴン・リーの1等寝台車.すべて個室.


隣にはこれもワゴン・リーの食堂車が連結.シェフもお疲れさん.


結局この食堂車では3食お世話になることに.本来は予定ではなかった最後のランチはしっかり別料金を請求されました.(かなりエクスペンシブでした)




スペイン国内でお世話になった機関車はこのグリーンのEL.スペイン国鉄RENFEではポピュラーな形式だ.しかしこのご面相はどっかで・・・?


側面にはスリーダイヤモンドが誇り高く輝いていました.そう日本製(現地組立て車もあり).正にEF60の顔です.

アンダイ駅はフランス側の駅ですが、一応ホームはスペイン/フランスと仕切られています.この写真は国境?の金網越しに撮影したものです.
※列車到着直後は境界のゲートに係官がいて入管手続きをしますが、終了すると閉鎖することもなくフリーになってしまいます.フランスからスペインに向かう場合はスペイン側の駅、イルン(Irun)で入国手続きします.

オリエント急行でお馴染みのワゴン・リー客車ですがフランスや西ドイツ(当時)では新型が使われ、高速運転をしないスペイン、ポルトガルには旧型車両が回されているようでした.もちろんこれに乗車できたのは嬉しいことです.


左)無理矢理食べさせて貰った深夜のディナー.スープは品切れでした.持っているのは予約カード.
右) 個室内はリニューアルされていて外観ほどレトロではありませんでした.隣同士の個室はこのようにドアを開ければコミュニケートできます.疲れ気味のダレ顔で失礼.


コーヒーカップにはワゴン・リーのマークが.


パスポートを預けておけば、夜中に国境で起こされずにすみます.スタンプにも列車名が.


アンダイから乗車したパリ行きの鈍足急行.(とは言っても140km/h位でぶっ飛ぶ)
途中ボルドーで先行するTEEの"エタンダール" に飛び込みで乗車.パリではオステルリッツ駅からノール駅まで気が急く中を満員の地下鉄で移動.
やっとこさっとこの事で、ブカレスト行きの"ORIENT EXPRESS" のデッキを駆け上がったのは出発5分前でした.

残念ながらパリで約束していたパリジェンヌとのデートは無断キャンセルになってしまいました.(本当かな?)

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2007/04/05 AM 02:25:01 | Comment(1) | TrackBack(0) | [ヨーロッパ]

No.534 小学校入学式

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1957(昭和32)年4月8日、満開の櫻の下で小学校入学の記念写真です.この中に50年前の私が居ます.制服ではありませんが、男子はお揃いの白襟服が当時の定番だったようです.頭は男も女もおカッパ全盛.背が二番の私.一番高い三井君と並んでます.
曇り空ですが、サクラの花の色がはっきりしていますね.記憶でも当時花びらは今よりも濃い色であったと思うのですが.

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2007/04/04 PM 03:08:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | [雑記・雑感・ぼやき・ほざき]

No.533 壁紙(89)ポルトガルのB-Bマレー

(画像をクリックすると壁紙サイズに拡大されます)

ポルトガル国鉄(=CP) E15/E16型B-Bマレー式(1000mmゲージ) 1908年ドイツ・ヘンシェル社製
1976年9月、ポルト市内ボアビスタ機関区
※後部動力ユニットはアウトサイドフレーム.


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2007/04/03 AM 07:40:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | [壁紙]

No.532 ポルトガルの手動転車台

(画像をクリックすると拡大されます)

1976年9月、ポルトガル、ポルト市内のボアビスタ機関区です.ここはポルトガル国鉄(=CP)なんですが、ブロードゲージ(1674mm)の本線ではなく、ナローゲージ(1000mm)の車両専門機関区です.ご覧のように誠に興味深いマレー式機関車やレールバス!が並んでいますが、今日の話題は中央にあるシンプルな転車台です.
この転車台の動力は人力です.手動自体はさほど珍しくもないですが、普通は長いバーを押して回る方式なのにこれはクランク式です.
このクランクをクルクル回すと傘歯車=ベベルギアを介して、この台ごと回転するようになっています.回転風景を見た記憶があるのですが、残念ながらネガには写っていませんでした.重さを考えても、さぞかしグルグルと何回も回転させないとならないはずで、その光景に見とれてしまったのでしょう.


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2007/04/02 PM 11:22:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | [ヨーロッパ]

No.531 サクラと1080

(画像をクリックすると拡大されます)

1971(昭和46)年4月11日、会津線撮影の帰路に誰が言いだしたか葛生に寄ろう、ということになりました.しかし確か日曜日、専用線は駒形石灰も住友栃木もお休みでした.そこで日鉄羽鶴で休む古典機ダブス1080の姿に詣でることにしました.構内隅の築堤の上に留置された1080の傍らには2本のサクラの木が青空の下で満開です.
ところが全員エクタクロームは会津で使い果たし、1本どころか1カットも無し.慌てて葛生市街に出て写真店を探すも、エクタどころか国産のリバーサルは120、135とも置いてませんでした.

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1080は非公開なので見ることはできませんが、今も葛生で大事に保管されているはずです.

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2007/04/01 AM 01:32:53 | Comment(3) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]










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