【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.299 亀有駅の両津勘吉


こち亀こと、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は1976年以来、週刊少年ジャンプに連載された秋本治さん作の人気漫画シリーズなのはご存知の通りです. コミックスはすでに150巻に達し、床屋さんの待ち時間にご覧になった方も多いと思います.テレビアニメはすでに終了しましたが、時折特番で見ることができますし、映画や舞台化もされています.
上野・浅草から台東区、葛飾区を舞台に荒唐無稽、ハチャメチャに展開、常磐線や京成線や都電、トロリーバスなど懐かしく興味深い話題がじゃんじゃん出てきます.
主人公の両さんこと両津勘吉のモニュメントが常磐線亀有駅北口に今年2月にできました.両津勘吉も亀有公園前派出所も実在はしないのですが、両さん会いたさにやって来る人が多いために作られたそうです.漫画のキャラそのままに「ヤアー!」と手を上げています.
少しの時間ですが観察していると、いろいろ面白い人間模様が見られました.
撮影は2006年5月31日


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2006/05/31 AM 12:11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | [駅]

No.298 下河原線のクモハ40
洋画の盗作疑惑!がニュースになっていますが、前に国内の西にある鉄道会社の新特急のスタイルで、同じような話があったような気がします.そのことをはっきりと「独国のの車両と似てるんじゃないの〜?」と直接デザイナー本人に問いただした立派な編集者が居られました.その時の○氏の解答は、海の向こうのオリジナルの方のデザイナーと親交があることを認めた上で、「究極のデザインを求めれば選択肢はそれほど多くない」なんて答えられました.へぇー! 真似するんなら全部真似れば良いものを、前半分だけそっくりに作ったもんだから見た目にもバランスが悪いですわ.その製品は今でももちろん健在でバリバリの現役です.(そういえば仏国の手慈英塀を寸詰まりにしたような作品も同じ作者でした.)
またそれをさらにパクったような製品が昨年現れました.しかも中央に!こちらの方は一つ一つの長さは短い上、頭に何か付いていますが.しかし塗装は海の向こうのオリジナルにそっくりでした.
まあそれが出没する中央の新都心には、違う海の向こうにある、昔から有名な建築物そっくりのシルエットを持つビルもありますが.・・・・・・・何の話か判りますか?(は英訳して大文字で綴ってください)



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今日はあまり画像が良くないですが、下河原線(国分寺-東京競馬場前)のクモハ40です.普段の列車はほとんどこれの単行運転で、朝夕の北府中までの通勤列車や、競馬開催日の中央線直通列車として101系7連が入線してましたが、国分寺駅でも前後1両ずつがホームをはみ出してました.
貨物列車も運転されていて、東芝府中工場からの新車が搬送される姿も懐かしいです.機関車は1962年頃は8620形でしたが程なくDD13に換わってます.
上の写真は1965年頃ですが、国分寺-北府中間、中央鉄道学園横の中央線と併走区間です.通学に利用していた毎朝の中央線下り電車は北府中行の101系7連と併走、というか競争してました.

下の写真は翌年1966年5月、国分寺駅下河原線ホームのクモハ40です.毎日見てはいてもカメラを向けたことなどほとんどありませんでした.

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下河原線は1973年3月31日、武蔵野線の開通により発展的廃止となりました.「東京競馬場前駅」というのは長いこと最長駅名として知られていましたが、最終日に購入した入場券がバブル末期に1枚7000円(10 枚持ってました)で業者に売れたのにはびっくりでした.

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2006/05/30 PM 10:38:39 | Comment(6) | TrackBack(0) | [電車・気動車]

No.297 D51のボイラ径

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D51型蒸機はかなりの回数撮影していますが、D52並にボイラが太く見えて大迫力を感じる場合と「あれっ、C58かな?」なんて思うほど貧弱に見える時があります.これは目で感じただけでなく、出来上がった写真を見てもはっきりそう感じる程なのです.
上の写真は1967年の奈良機関区での撮影ですが、右のD51940は左のD51669より太く見えません?もちろん940の方が少し前へ出ていますから遠近感のせいもあるかと思いますが、全体のバランスが違うような気がします.私の錯覚でしょうか?940の方がナンバーが少し上に付いているからですかね〜?

下写真は1972年12月、和歌山線撮影の帰りに名阪道から降りて撮影した関西本線関-加太で力闘するD51703です.大変な迫力ですが、この機関車もボイラが太く見えます.
実際のところ煙室前端部の径の相違などが、あるのかどうか、どうなんでしょう?

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2006/05/29 PM 11:49:48 | Comment(3) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.296 梅田貨物駅のC622

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国鉄もいよいよ最後の日という1987(昭和62)年3月31日.難波の高島屋で開かれるイベント設営のために大阪にやって来ました.大阪駅ホームで電車を待っていると、何やら聞き覚えのある汽笛が盛んに聞こえて来るじゃあないですか.なんじゃろかい?と構内を見渡しても煙はおろか蒸機の影さえありません.よく聞くと、どうやら汽笛は駅北側にある梅田貨物駅の方から聞こえて来るようなので、時計と相談の上行ってみることにしました.
そこに待っていたのは何と懐かしやC622号機!どうりで汽笛に聞き覚えがあるはずです.知らなかったのは私ばかり、という感じで多くのファンやカメラマンに囲まれていました.また置かれている場所が鉄骨で組まれた大きなドームの中、ヨーロッパの終着駅を思わせる雰囲気で素晴らしく、C62は貫禄充分でした.
「さようなら国鉄、よろしくJR貨物」のイベントなので、本来ならばD51辺りの方が適役かとも思いますが、よくぞC622を持ってきてくれたものです.こちらの方が理屈抜きで良いに決まってます.
ドームに大サービスでほぼ鳴りっぱなし状態の汽笛がよく響きますし、さらに排気やブローオフのサービスも頻繁に行われていました.

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夜もライトアップされて展示される、とのことでしたので行きたい気持ちもありましたが、残念ながら?こちらも魅力的な京都の夜に流れてしまいました.

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2006/05/28 PM 06:36:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | [復活蒸機の走る線]

No.295 函館本線D52牽引客レ
土日と親戚の葬儀の疲れが出て(飲みすぎ?)、2日ほど空いてしまいました.遡ってアップする元気もないので、本日付けから再開します.


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D52型牽引の客車列車といえば御殿場線を思い出しますが、山陽、柳井線でも通勤列車があったようです.最後までD52が残った函館本線海区間(函館-長万部)では貨物列車専門で、旅客牽引はD51型があたっていました.ところが1972年3月改正後の五稜郭機関区D52の運用表を見ていると客レ(荷レ)の列車番号(240列車、41列車)を発見、しかし趣味誌でも話題になっておらず半信半疑でした.その3月に初めてクルマで渡道したので、実際この目で確かめてみることにしました.3月23日、森駅で待ちかまえていると確かに240列車の先頭にはD52235の姿がありました.この列車は砂原線回りです.この機番を見ると、何となく御殿場線を思い浮かべる人も(私も)いるかと思いますが、国府津機関区にいたのはD52236号機でした.上写真は渡島砂原駅付近だと思います.

道内撮影を終えて渡島半島へ戻ってきたのはもう4月になっていましたが、思いがけず雪が降っていました.4月2日の240列車はD52140の牽引でした.しかし雪の中でD52牽引の旅客列車が見られるとは!旅のフィナーレを飾るには最高の被写体でしたね.場所は落部駅です.

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この年は続いて5月、7月とクルマで渡道しましたが、7月の帰途、山崎駅にラストナンバーD52468牽引の旅客列車が停車しているのを発見.240列車とは別の列車で、すでに暗くなっているのでバルブ撮影です.
D52468号機は2ヶ月半後の10月から京都梅小路蒸気機関車館で展示されていて、その前に苗穂工場で整備を受けていますから、ほとんど最後に近い運転だったかと思います.

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2006/05/27 PM 03:00:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.294 薔薇の荒川線NG編2
A新聞のTVCM「言葉は○○」は、富士フイルムの大好きなCM「ジョン&ヨーコ、PHOTO IS △△、写真は□□」の誰が見ても判るパクリ? 作った人〜、恥ずかしくないですか?


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今日もNG編ですが、これはバラを絡めることができなかったためで、作品としては平凡ですがまあ見られるカットかと思います.上の写真は荒川2丁目-荒川区役所間の踏切です.左側のカーブを狙っていましたが、女の子2人が自転車でやって来たので急遽フレーミングを変更しました.ちょうど影に入ってしまったのですがレタッチでなんとか.

こちらは荒川区役所前のホームです.お婆さんと孫の動きが面白かったので写させて頂きました.

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ところで本編にある下2点ですが、左側は上写真で電車の左にある駐車場横のバラ群を向こう側から撮ったものです.
下右側のカットは、やはり上写真で信号機の下、矢印の看板とブロック塀の間に顔を突っ込み、ガードレール上端のレベルから見上げて撮影しました.小規模のバラ群ですが結構なボリュームに見えます.


この荒川区役所前から2駅間、終点の三ノ輪橋まで乗車しました.これは薔薇園のような三ノ輪橋駅構内に進入して行くようなカットを撮りたかったからなのですが、写真のように大した迫力は無くてNGとなりました.線路両側がバラの壁になるような演出や、味気のない砂利の道床を芝生にすると最高なんですけど.昨年は一番奥、乗車ホームの車止め部分にも赤いバラの大輪が咲いていましたが、今年は植えられていませんでした.

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明日も良い天気だそうで、再訪したいですが月一の通院の日で残念です.このバラの荒川線、他の方の視点での作品をぜひ拝見したいです.

本編「今年も薔薇の荒川線 2006」はこちら

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2006/05/24 PM 11:58:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.293 薔薇の荒川線NG編1


荒川線は専用軌道ではありますが、道路と併行している区間も多いので、いろいろなハプニングに襲われます.
上の写真は手前グリーンの生け垣の高さからローアングルで狙っていました.そうすると手前の道路も見えなくなりますし、向こう側駐車場のクルマもバラで隠れます.ちょうどいい具合に早稲田行電車が接近してきました.京成町屋駅ホーム上にいる2人連れのシルエットも良いアクセントになりそうです.と、それまで一台もクルマが通らなかった前の道に、お爺さんの運転するワンボックス・カーが後方からノロノロと進入してきました.そのまま通過して行ってしまえば何とか間に合いそうでしたが、何と途中で停車して、バックを始めました.そりゃあ無いぜ!と立ち上がって撮ったのがこの写真です.そのまま目の前に駐車されてしまいましたので、再アタックも不可能でした.チッキショーッ!
他にも良いポジションで待っていたら踏切待ちのクルマが来てアウトだったり、電車通過後に上がる踏切の遮断棒がファインダーに突然現れてビックリしたこともあります.



この写真は本編でもお気に入りの1枚と同じ場所、先の写真とは京成線を隔てた反対側です.もう少し早く、京成線電車の最後部(少し見えてます)がガード上を通過する瞬間にシャッターを切るつもりでしたが、向こうに見えた対向の都電が、待っていた女性運転士の電車と判り慌てたため遅れてしまいました.おかげで京成には逃げられるし、都電の顔にバラが被ってしまいました.
しかし、その直後に撮った1枚は本編2点目、昨日も書いた例の写真、上手く行ったのですが.

NG編ということで拡大画像は無しです.またレタッチをほとんどしていないので本編とは色が異なります.

本編「今年も薔薇の荒川線」はこちら

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2006/05/23 PM 01:20:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.292 今年も薔薇の荒川線

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トップ写真が変わったので判った方も居られるかもしれませんが、今日は都電荒川線の撮影に行ってきました.そう、荒川区内の都電の沿線は各種各色のバラが今満開です.ほとんどの花がそうですが、やはり良いお天気でないと色鮮やかに写りません.昨年は5月26日に行ってるんですが、すでにピークは過ぎていたように思えたので今年は早めにと考えていました.ところが全ぜーん晴れないんですよね.実に連休明けは晴れた日が無かったそうです.昨日の日曜日は本当に久しぶりの快晴になりましたが、所用があって行けませんでした.今日、月曜日も晴れるとの予報でしたが昼過ぎまでは曇り、後2時間ほどの間やっと晴れてくれました.

昨年は結構な点数を本編にアップしましたが、2年目のナントカやらで、下手をすると全く同じカットを撮影してしまう可能性がありますので、極力昨年と同アングルでは撮影しないよう意識しました.構図、露出とピントはバラ優先で、画面内になるべく多く(大きく)入れる、という意図のもとで撮影にのぞみました.昨年と同じく100カット以上撮影しましたが、厳選20点ほどを明日にでも「今年も薔薇の荒川線2006」として本編にアップするつもりです.(23日にしました)
平日ということもあってか都電と絡めて撮影されている方は数人で、いずれも女性でした.他に何かのロケ隊が一組と、三ノ輪駅にはビデオを持った本職風の方が居られましたがどうも私と相性が悪く、お互いに写り込まないように反対へ反対へと移動するものですから、危うく堂々巡りになるところでした.

トップページは町屋駅前ですが、女性運転士の都電が来た時に、ちょうど京成スカイライナーが通過しました.ここは京成電車が居ないと間が抜けた写真になりますので、ついてました.このカットのノートリミング写真は厳選20点にも入っています.
今日はとりあえずボツ写真を2点ほど.

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本編「今年も薔薇の荒川線」はこちら

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2006/05/22 AM 12:17:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.291 アプト式のラックレール

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もう昔々のお話になってしまいますが、信越本線の横川-軽井沢間の碓氷峠は1963年まではアプト式でした.私が初めてこの区間を通ったのは1964年の夏のことですから、残念ながらアプト式体験はできませんでした.しかし旧線はほとんどそのまま残っていて、新線をEF63型重連と連結された80系電車準急「軽井沢1号」の車窓からかいま見ることができました.写真上がそうですが、集電用の第3軌条もそのままですね.
アプト式の電気機関車ED42も軽井沢駅や横川機関区構内に置かれていました.

旧線撤去後、横川駅や信越本線高崎側の沿線の柵や側溝の蓋などにラックレールが流用されてるのをよく見ました.この写真は横川からはかなり離れている吾妻線岩島駅近くの踏切ですが、同じ高崎鉄道管理局内だからでしょうか、ここにもラックレールが使われていました.撮影は1970年5月です.


もうアプト式にとって代わった粘着式の碓氷峠新線も、廃止後9年も経ちます.ラックレールは本当に昔々の遺物なのですが、今でも見ることができるのでしょうか?
どこに再利用され、現状はどうなっているかなど、研究されている方が居られても不思議ではありません.

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2006/05/20 PM 11:12:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | [車窓から?!]

No.290 続・TX撮影地その後(下)
北千住駅はTX=つくばエクスプレス、JR常磐線の他に東武伊勢崎線、東京メトロ日比谷線、同千代田線が通ります.日比谷線は東武伊勢崎線、東急東横線と.千代田線にはJR常磐線、小田急線が乗り入れていますし、東武伊勢崎線には東京メトロ半蔵門線、東急田園都市線の電車が乗り入れて来ていますので、どこが何線だか判らないほど、いろいろな車両が入り乱れていて興味はつきません.

このポイントではその全部の車両を見ることができます.ただし東武伊勢崎線と半蔵門線、東急田園都市線の電車はTX線高架の影になって一瞬、ちょこっと見えるだけなんですが.(な〜んだの声が聞こえてきそう)
この写真に東急5000系が少し顔を出してるのが判りますか?


左側には地上に顔を出した千代田線が見えます.下り列車しかまともに見えませんが.東京メトロ6000系と小田急1000系です.

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右側には2層になった東武伊勢崎線と東京メトロ日比谷線引き上げ線が見えます.両側の線には伊勢崎線直通列車が通ります.東武20000系が通過して行きます.

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北千住折り返しの日比谷線は中央2線に停車しますが先頭部が架線柱にかかってしまいます.TX列車との組み合わせを狙いたいところですが、これがなかなか.この東急1000系が停車中にはTXは1本も通過しませんでした.下は東京メトロの03系5ドア車です.

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ここで見られる車両は、
TX:1000系、2000系
JR:203系、207系、E209系、E231系、E501系、E531系、415系、651系、653系、臨時で485系、183・189系、貨物EF81、EF65
東京メトロ:03系、6000系、06系 、(08系、8000系)
東急 :1000系、(2000系、5000系、8500系)
小田急:1000系
東武20000系、(100系、200・250系、300系、6050系、8000系、10000系、30000系)
6社30余形式となります.() 内はちょい見しかできない東武伊勢崎線を走る車両です.こちらは隣の小菅駅ホームからバッチリ撮れます.

当ポイントを紹介するには多少の勇気が入りましたが、電車好きには文句なしに楽しめる場所ですし、TXを足回りまで入れて撮影できる数少ないポイントでもあります.雑誌などのメジャー・メディアでの紹介は無理でも、マイナーなB級サイトでは何とか許して貰えるのではないかと思っています.
もし撮影できなかったり、注意を受けた場合でも私に責任を押しつけないでくださいね.すべて自己責任においての行動をお願いいたします.
またそのような事例があった場合は、メールでご報告を頂けると幸いです.

前回の記事[続・TX撮影地その後 (中)]
前々回の記事[続・TX撮影地その後 (上)]


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2006/05/19 AM 12:36:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.289 続・TX撮影地その後(中)

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カテゴリーから外れますが、昨日と同じ場所から撮るJR常磐線列車です.この場所は常磐線の真上になりますから究極の俯瞰撮影が可能です.架線やビームが気にはなりますが、このように撮れる場所も珍しいでしょう!
上写真の415系も常磐線全普通列車にグリーン車組み込みが発表されたことから、あと僅かな命です.中間にただ1両のステンレスのサハが組み込まれています.
この日は撮れませんでしたがE501系も同様な理由から、水戸線にコンバートの噂が流れているので要注意ですね.

真下にEF81が出てきたのですが、単機だったので後追い撮影ができました.この後上りの単機もやって来ましたが、素人考えではもったいない運用に見えます.

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先ほどの415系を待避させてE531系の特別快速が通過します.暗くて速いシャッターが切れずブレてしまいました.相変わらずガシャンガシャンという車輪の音が気になります.こちらもグリーン車が組み込まれれば編成が変わりますし、帯色が変わるとの噂もあります.

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EF81牽引のタンカートレインがやって来たのでシャッターのタイミングを待っていると、足もとから651系「スーパーひたち」が飛び出して来ました.地上からの撮影だったら泣きの被り、というところでした.貨物列車も結構本数があります.

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103系さよなら列車をここから撮った人はいるのかな?103系が無くなっても、まだまだ目が離せない常磐線です.車両バラエティのある常磐線に較べて、すべて同じ形で6両編成しか来ないTXは物足りない感がします.ユニークなラッピング電車があっても良いかも.

次回はやはりここから撮れる地下鉄、私鉄電車の作例です.こちらもバラエティがありますよ.

前回の記事[続TX撮影地その後 (上)]

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2006/05/18 AM 12:09:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.288 続・TX撮影地その後(上)

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5月5日付の記事で流山市の撮影地の現況を紹介しましたが、もう一ヶ所の北千住はどうなっているか気になって見てきました.何が気になっていたかと言うと、前回行ったのはちょうど1年前、盛んに試運転が行われていた頃ですが、その後開業して撮影する人が増えて立ち入り禁止や撮影禁止になっているのではないか、と思っていたからです.
心配することはありませんでした.全く前回と同じ状態で問題なく撮影できます.今まで場所の紹介はあえてしませんでしたが、ここは北千住西駐車場、屋上の非常階段です.屋上まではフリーパスでエレベーターで行けますし、階段へは鎖錠されていませんので出ることが可能です.ただし駐車場の係員の方に何か言われたら必ず指示に従って下さいね.場所柄三脚や脚立の使用など、目立つことはお奨めできません.地上や列車から丸見えですから危険と思われるような行為があれば、それこそ撮影禁止になりかねません.
高架下には、トラックや工事機材が置かれていて雑然としていますが、フレーミングでカバーできます.
TX上り列車の接近はカ−ブ線路脇にあるランプが点滅することで事前に知ることができます.

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この場所からは当然ながら他の路線の列車も撮影できます.その作例は次の記事で.
ツーショット、スリーショットのチャンスもありますが、架線柱やビームに邪魔される可能性が大です.

前回の記事

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2006/05/17 PM 12:49:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.287 飯田線5月の風景

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1975年5月30日、木曾森林鉄道最後の日に立ち会った帰路、飯田線に寄り道です.こちらも旧型電車や旧型電関のカウントダウンが始まっていました.もう夕方で時間もあまり無いので伊那松島駅、機関区.そして隣の木下駅との間で何列車か撮影しました.田植えが終わったばかりの田圃の中、ちょうど線路が小さなピークになっています.編成が弓状に曲がり、田圃の水鏡にも電車が映る面白い絵になりました.
結局この時が飯田線旧型国電・電関、最後の撮影でした.

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2006/05/16 AM 11:43:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | [電車・気動車]

No.286 小沢のDDとカラス

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1970年8月22日.函館本線小沢駅です.国道の立体からの撮影ですが36年経過した現在も、給水塔やターンテーブルが無くなった以外は印象はあまり変わらないと思います.C623復活時代、現在のC11207「SLニセコ号」でもお馴染みですね.
左側1番線には岩内へ向かう二ツ目キューロク牽引の貨物列車.右側3番線には104レ「ニセコ1号」言わずと知れたC62重連が停車中です.中央2番線に倶知安方面からやって来た列車ですが、DD51の牽引ですね.実はC62が置き換えられる以前の山線でDDを見た、という記憶が欠落しています.手許に当時の時刻表が無いので、この列車が普通列車かどうか確かめようがないのですが、ご存知の方はご教示下さい.
DD51は五稜郭か鷲別の配置ですから、通常は山線運用に入ることは無かったはずなのですが.

今は無人駅になっていますが、当時は駅員さんが何人もいる中規模の駅で「こざわ、こざわ」と伸ばさず短く2回連呼する到着アナウンスが独特でした.
ある時列車が到着していないのに「こざわ、こざわ」が聞こえてきました.それも頭上からです.おかしいなと思い見上げると、なんと電線に留まったカラスがアナウンスそっくりに真似をしていました.当時聞いた人も多いのではないでしょうか?

そのDD51の列車到着と入れ替わりに、C6232+C622牽引の「ニセコ1号」が黒煙を盛大に吹き上げて出発して行きました.

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※千葉のD51さんからDD51牽引の下り列車は8111レ臨時急行「ニセコ2号」である、とご教示いただきました.どうもありがとうございます.

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2006/05/15 AM 11:42:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.285 ナハネフ23

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ブルートレイン、20系寝台特急の最後尾を飾るのは電源車の3枚窓も味がありますが、やはり2枚窓半展望室のナハフ20やナハネフ22が代表的な顔といえます.子供の頃は本当に格好良い列車で、何時か乗ってみたいと憧れていたものです.
東京ではほとんど見ることができませんが、途中で付属編成を切り離した後に姿を見せる切妻のナハネフ23(ナハフ21)も、物足りないと感じる人も居るかも知れませんが、私は好きです.
貫通ドアと幌は遠くに去りゆく客車列車の必須アイテムともいえるものですから、この姿には旅情をかき立てさせるものがあります.この写真のように先頭が蒸気機関車であればなおさらです.
写真は1971年4月4日、「あけぼの」回送.青森駅.先頭はD51197です.

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2006/05/13 PM 06:55:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | [客車・貨車]

No.284 赤電画像発掘

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ネガ整理をすると、本編やブログで既に使用済みの写真が多くなってしまっていることに気づきます.連日題材選びは考えてしまいますが、すでに同一内容同一写真ををブログに出しているのが判り、急遽差し替え無ければないことも何度かありました.まだ1年にも満たないのに、今までのブログの記事を全部は覚えてはいません.同じ内容を出しちゃいかん、と言うこともないでしょうが.全くの同内容でははずかしいです.今後ますます増えて行くと、その危険が増えそうです.


久しぶりに西武赤電時代のネガを発見!20枚ほどスキャンしたので明日辺り「西武鉄道画像保管箱」の方へアップするつもりです.
ネガカバーには1966年と書かれていますがこれはウソ、新鋭801系が写っています.ということは登場した1968年以降、いやその1968年だと思います.
801系は張り上げ屋根の塗り分けと、いかつい付随台車(FS067)が特徴でした.高い方の赤線の塗り分け位置は、先行して張り上げ屋根で登場した411系で、421編成は高い位置の雨樋が赤、422編成は雨樋下の幕板に赤線が試行的に入れられ、後者が801系に採用されています.旧型の自動ブレーキ車ながら、台車まで新造部品を使った初めての新車として話題になりました.旧式のコンプレッサーが回らなければ良い電車だとは思うんですが.
今はもう西武線上にその姿はありません.近所の総武流山線では譲渡された801系車が現役ですが、濃藍に塗られた「青空」編成はなかなかです.

(写真上:登場したばかりの801系+311系.下:こちらは501系.場所はいずれも池袋線、保谷-ひばりヶ丘の大カーブ)

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2006/05/12 AM 04:08:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | [西武鉄道]

No.283 星海公園にて

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1984年5月、乗っていたた中国大連市電が星海公園駅に停車すると、対向する電車に小さなお客様達が乗車するところでした.これは良い被写体だと思い、下車して撮らせていただきました.子供の姿はどこでも絵になるんですが、コントラストが強くて、今いちでした.電車が満員だったので子供達はなかなか乗れません.

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2006/05/11 AM 12:43:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.282 F1選手権inジャパン[2]

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これはイギリスのサーティース・チームのアラン・ジョーンズだったと思います.このクルマのスポンサーが話題になりました.durex社は最近日本でもテレビ・コマーシャルをやってるのでご存知だと思います.これは教育上よろしく無い、なんていうお節介を言う人がどこにでもいる訳です.当時の世間の意識を考えれば納得できるエピソードなのかもしれません.しかし、この頃の国内のレース・カーにはタイヤも作っているO本R研社のOKサインのステッカーが貼ってありましたが.

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2006/05/10 AM 12:14:41 | Comment(1) | TrackBack(0) | [クルマのはなし]

No.281 F1選手権inジャパン[1]

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まだ鈴鹿サーキットでのF1日本グランプリが開催されるようになる前、1976年と1977年の2回だけ10月に富士スピードウェイ(FISCO)でF1チャンピオンシップが開かれたことがあります.1976年は鈴鹿でF2クラスによる「日本グランプリ」という名称のレースがすでに決まっていたため、富士でのレースは国内的には「F1選手権inジャパン」と称されました.
この年はマクラーレン・チームのジェームス・ハントと、5月のレースで起きた火災事故での瀕死の重傷から甦ったフェラーリのニキ・ラウダとの壮絶なるチャンピオン争いで話題のレースとなりました.
また日本チームで日本人ドライバー数人のスポット参加など、見に行くっきゃない!ということで通常国内レースの4-5倍もするチケットを購入しての観戦行でした.
ところが当日は生憎の雨.それも中途半端な雨では無く、レース開催が危ぶまれましたが、約2時間遅れでどうにかスタートしました.
まあ、そんなレース経過はともかく、この年と翌年はティレル・チーム(当時日本語訳はタイレル)からこんなクルマ(タイレルP-34)が参戦していました.なんと前輪を小径4輪とした6輪車です.前面の空気抵抗の減少と接地面積増加によるブレーキ力の向上が目的だったようで、1年目はそれなりの性能を発揮して優勝もしています.
翌年からボディ下面全体を逆翼断面にする、いわゆる「ウィング・カー」が登場したため、この珍車も僅か2年の寿命でした.現在はレギュレーションで4輪車以外は禁止されているので2度とレースに現れることはありません.
(写真上:カーナンバー3、ジョディー・シェクター.写真下:カーナンバー4、パトリック・デパイユ.サイドに平かなで「たいれる」と書かれているのはご愛嬌)

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ピットでの6輪車.前輪がいかに小さいか判ります.

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この日は雨で野球の日本シリーズが中止になり、スタートが2時間遅れになったので当時はTBS系列だったテレビ放送が録画から生中継に変更、劇的なゴールシーンで日本中がF1で盛り上がった初めての日でした.

この日の写真は何回かに分けてご覧下さい.

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2006/05/09 PM 11:43:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | [クルマのはなし]

No.280 ある写真展
半年ほど前に東京郊外の某所、河沿いのギャラリーで行われた写真展を見に行きました.作者の方とは面識やネットでのお付き合いは全くありませんでしたが、写真の特殊ジャンルには大変興味があったため、また以前に幾度か雑誌で作品を拝見したことがありましたので楽しみにでかけました.期間中は作者の方が会場に詰めていらっしゃる、と伺っていたので直接お話しできることも期待して、おそらく来場者が少ないであろう平日の午後早めに参りました.
予想通り?閲覧中のお客さんはいらっしゃいませんでしたが、作者の方も不在のようで受付は無人.ただ中央のソファーコーナーでは数人の女性がペチャクチャとおしゃべりをしていました.私が来たのは判っていたはずですが、一瞥もされなかったので関係者の方ではなかったのでしょう.(と思いたい)

作品は文句なしに素晴らしいもので、添えられた小文のコメントを読みながら、小一時間ほどかけて全作品を拝見しました.確かな技術とセンスに加えて、私にはとても真似できそうもない被写体にかける情熱にいたく感激したものです. その間中央の女性達はコーナーを占領して声高におしゃべりを続けていました.それが作品鑑賞の妨げにならなかった、とは言えません. 彼女たちは来客だったのでしょうか?
残念ながら作者の方は現れませんでしたので、記帳のほかに自分の名刺の裏に簡単な感想を書いて受付台に置いてきました.
期待している方が悪いのでしょうが、その後その方からは何の音沙汰もありません.作品が良かっただけに少々割り切れない気もしました.

写真は予定していた記事用のもので、本文とは全く無関係です.1984.10 八達嶺にて.普通列車ですが、回送かチャーターでしょうか軟臥車が目を引きます.


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2006/05/08 PM 04:00:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [雑記・雑感・ぼやき・ほざき]

No.279 お召C571と田植え

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そろそろ関東地方では田植えが行われているようで、ローカル線の沿線では風物詩といえる鉄道情景を捉えられる時期です.

田植えと言えば想い出すのはこのカットです.1972年5月22日、羽越本線村上-新津間で運転された昭和天皇新潟植樹祭行幸のお召列車は、電化による現役引退を前にしたC571号機が最後の花道として牽引しました.
友人2人と三国峠を夜行で越えて(まだ関越道はありません)撮影に行ったのですが、当日は生憎の雨でした.
本番列車は追跡は不可能と思い一発勝負にかけて、朝の回送を追いかけました.
坂町で停車中に追い越して撮影場所を探しながら走っていると、荒川鉄橋を越えたところでこの光景に出くわしたのです.ちょうど駐車できるスペースを見つけ急停車!雨の中カメラを持って飛び出します.列車はもうそこまで来ていました.
昔ながらの手植えでの作業中でしたが、皆立ち上がって金ぴかのお召回送列車を見つめています.中にはいぶかしげに我々を見つめている人も居ますが.
この後、さらに追いかけて何カットか撮り、折り返しの本番列車も撮影しましたが、ここでの写真が一番気に入っています.

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当日の模様は本編C571お召列車でご覧になれます.

C571号機は同年10月に千葉-銚子間で運転後、梅小路入りしています.34年経った今年も、間もなく山口線での活躍が始まります.

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2006/05/06 PM 04:46:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.278 TX撮影地その後
TXこと、つくばエクスプレスも開通後9ヶ月が経過.新交通機関として定着してきたと思います.自宅からクルマで20分ほどの流山セントラルパーク駅近くの撮影ポイントに久しぶりに行ってみました.半年ほど前に行った時はバックに土地造成中の重機が多数作業中で絵にならず、即退散しましたがそろそろ工事も終わった頃かと思ったのですが・・・.

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確かにメイン(左奥)の工事は終了していましたが、手前にあるボロ隠しの森が少し伐採されてしまったようで、見えなくても良いものが見えてしまいます.プレハブ物置に仮設トイレ(エメグリ色、103系の怨念か!)をこんな場所に置かれてしまってはお手上げです.
昨年の9月、開通直後はこんな状態で、まだよっぽどマシでした.

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仕方がないので全てが隠れるようにフレーミングしたら、こんなになってしまいました.この場所はどこからでも撮れるようですが、架線が列車前面にかからないポイントは狭くて、ここまで望遠側(300mm)に持ってくると、横に張り出すビームの手前で切らなければなりません.置きピンのポイントも少しずれると手前の架線やビームを拾ってしまいそうです.つまらない絵ですし、編成後部が切れてしまいました.

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今後は住宅の建設が始まるのでしょうし.右の空き地や左の森もどうなるかです.この場所ですっきりとした写真が撮影できる時は来るのでしょうか?
今後も時々様子を見に行ってみます.帰路に総武流山電鉄も撮影しようと思ったのですが駐車場所が無く、面倒くさいので止めました.ここは徒歩に限ります.

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2006/05/05 PM 11:08:40 | Comment(1) | TrackBack(0) | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.277 GWのアルペンルート(下)
1995(平成7)年のGWアルペンルートの旅も最高地点を過ぎて後半です.
大観峰から黒部平まで標高差488m、1700mの区間を立山ロープウェイで下ります.所要時間は7分、途中に支柱が1本も無いワンスパンタイプでは日本一です.天気が良ければ後立山連峰、黒部湖、立山など360°の大パノラマが広がります.天気は最高でしたが車内は満員で、全方向は見えませんでしたが.

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時間に余裕がかなりあったので、黒部平でも雪原に座り、五平餅やおやきを肴にしてビールを呑みながら昼食代わりとしました.ここからは立山方面が絶景です.
右が立山ですが、ロープウェイのルートを辿ると中腹に四角いコンクリートの建物とその右に横一線の筋が見えると思います.ここが大観峰で右の筋は展望台です.大観峰が如何に凄い場所にあるか判ると思います.

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黒部平-黒部湖間は標高差373m、800mを5分で下る黒部ケーブルカーです.雪害防止と、景観保護のため全線地下を走る、という日本ゆいいつのものです.残念ながら写真は撮っていないようです.
終点の黒部湖駅を出ると黒部第4ダム、いわゆる「くろよんダム」のアーチの上を徒歩で渡ります.

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ここがこのコース最後のハイライトで、まだ氷結している黒部湖越しに見る薬師岳(2926m) の姿は、今まで見てきた山だけの景色とはまた違った趣があります.

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放水シーンは見られませんでしたが、展望台からダムの有名な景色を見て、最後の関電トンネル・トロリー・バスのりばに向かいます.ところがどっこい、大勢の先客が居て3本後の1時間半待ちとのこと.そろそろ大町からの列車の時間も気になり出します.それにここはダムとトンネルという人工物しか無く、居る場所や見える景色も限られてしまうので時間がつぶせません.その場所にケーブルカーからの乗客がどんどん溜まって行くので、人だらけになってしまいました.
やっとバスに乗車、なんと8台続行運転です.新型のVVVF車と1964年開業以来の旧型のロングシート車が混ざっています.もちろん?旧型を選択、懐かしい車内に感激していると後から乗ってきた子供が「このバス電車みたいな椅子だ」と言ってました.まあトロバスは電車なんですが、そんなこと言ったら話しがややこしくなってしまうので黙ってましたが.

このトンネルは石原裕次郎の「黒部の太陽」で有名で、関西電力黒部川ダム建設の資材搬送用として掘られたものです.途中富山・長野県境付近の破砕帯を突破するための難工事はNHKプロジェクトXの中でも代表的な逸話となっています.
黒部ダム-扇沢間6.1kmを16分で走ります.トンネルは一車線なので中間地点で対向車とすれ違います.それに両駅での乗降時間を入れると30分間隔が最短で、車両数も交換所の長さの関係で最大8両となっているようです.
扇沢駅で私の乗った旧型のロングシート車です.

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新型のVVVF車です.電車と同じ音がしていました.

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扇沢から大糸線大町駅までは普通の路線バスで、本数も多く直ぐ乗れました.18km、40分とのことでしたが30分少々で到着しました.富山県側はずっと好天に恵まれましたが長野県側は今にも降りそうな曇り空.
乗車予定の「スーパーあずさ6号」15時31分発までは1時間以上あるので、市内の若一王子神社まで歩いてみました.ちょうどサクラが満開でしたが、この天気では花の美しさも今ひとつでした.




帰路は大糸線の線路沿いに歩いていると、ここにもサクラが.何か来ないかと待つほどもなく、381系特急「しなの」がやって来ました.暗くて色がまるで出ていませんでしたが、無理矢理補正しました.

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アルペンルートの旅、長いことお付き合いありがとうございました.もう10年以上前ですが、国内でいわゆる観光地の旅としてはなかなか印象深いものでした.自然を観光のためにいじるのには賛否両論があると思いますが、この観光(貫光)ルートが無ければ、このような美しい景色に一般人はお目にかかれないのですから、あながち反対とは思いません.一般のクルマをシャットアウトしている、というのも好感が持てます.
今年のGWはどこにも行けませんが、あらためて昔のポジをスキャンしながら辿って反芻してみるのも良いものです.

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2006/05/04 PM 04:58:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [旅の1頁]

No.276 GWのアルペンルート(上)
1995(平成7)年のGWは当時住んでいた大阪から遠回りして、立山・黒部アルペンルート経由で千葉の実家に帰省しました.この年は4月24日に全通したばかり、駆け足で通り過ぎただけですが、白銀に輝く北アルプス連峰の雄大な景色を堪能しました.
大阪-立山は夜行の急行「サンダーバード立山」に乗車.681系3両のミニ編成でした.
富山地方鉄道立山駅でのスナップです.



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立山から美女平までは立山ケーブルカーで高低差505mを7分で一気に登ります.最急勾配は560‰!
このケーブルには貨車が連結されています.美女平までの道路が開通するまでは観光バスも載せて引き上げていました.


美女平-室堂間23kmは高原バスで50分.ブナの原生林の中を走りますが、外はまだまだ雪景色.途中落差日本一(350m)の称名滝が遠望できました.晴れていても朝はガスって見えないことが多いそうですから、ついています.
標高差1500mを登って室堂に到着直前はこの区間のハイライト、「雪の大谷」です.ゴールデンウィーク前の開通目指しての除雪作業の成果を目で見ることが出来ます.一番深いところで20数m、狭いところではバスの両側は30cmほどしか隙間が無い状態で、乗客からは歓声が上がります.
これを車内から写真に収めるには最前列に座らないとならず、ケーブルから降りると次々と列を作ってバスに詰めて行く乗り方では、よっぽど上手く立ち回らないと確保は難しく見事に失敗してしまいました.
今は時間を限って歩けるサービスもあるそうですが当時はまだ無くて、室堂から立ち入り禁止ぎりぎりの処まで歩いて行って撮ったカットです.この奥にもっと深くて狭い場所があります.




室堂では約1時間の待ち時間がありましたので、雪原を散策と行きたかったのですが迂闊にも革靴を履いてきてしまい(大バカ!)、危険であまり歩けませんでした.
室堂から見た立山です.この真下をトンネルが通っています.

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室堂-大観峰3.7kmは立山の真下を通るトンネルバスです.途中破砕帯を通過するとの案内がありましたが車内からはもちろん判りません.翌1996年からはトロリー・バス化されましたが、当時は普通のエンジンのバスでした.このバスは最前列に座れましたが何の意味もありません.すでに2本の架線が張られています.


大観峰は立山の絶壁の途中をくり抜いて作ったような展望台でルートの中間、最高地点です.ここで陸路は絶たれます.ここからは細いロープにぶら下がったゴンドラに身を委ねなければなりません.
大観峰からは後立山連峰、いわゆる北アルプスの山々が眼前にそびえ立つ絶景が広がります.冷たい風の当たるオープンの展望台で、地図を広げながらビール片手に至福のひとときを過ごしました.
写真も結構撮ったのですが、その時は確認できた山名が全く判りません.地図を見ても自信が無いのでここにははっきり判る針ノ木岳の写真のみですんません.烏帽子岳、野口五郎岳、鹿島槍ヶ岳、白馬岳などが見えたはずです.

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2006/05/03 PM 04:57:58 | Comment(1) | TrackBack(0) | [旅の1頁]

No.275 青梅線電車今昔

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昨日の1973年の青梅鉄道公園と同じネガに入っていました青梅線のクモハ73系電車です.青梅に行く途中ですがさてどこでしょうか?記憶はほとんど無いのですが、東中神のあたりかと漠然と考えます.昨日のD51452の件もありますので当時の記憶は怪しいですけど.
この頃は線内ローカルは73(72)系とクモハ40.一部中央線101系付属編成3両.中央線直通が101系でした.私が中学生の頃は17m国電ばかりで青梅線や南武線というと、いまだにそのイメージを私は引きずっています.

現在はオール201系です.中央線用は置き換えが始まるようですが、青梅・五日市線の201系はいつまで走るのでしょう?

青梅駅.4月22日.青梅駅ホームの発車チャイムは「天才バカボン」かと思ったら「秘密のアッコちゃん」でした.

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2006/05/02 AM 11:04:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [電車・気動車]

No.274 青梅鉄道公園今昔

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1973年に撮影した青梅鉄道公園の写真が出てきました.まだC515が転落前で崖っぷちに置かれていた頃、でマイテ3911展望車(現在は大井工場、来年開館の大宮鉄道博物館に展示予定)と連結されていました.
当時はまだ現役蒸機機関車もあちこちで走っているころですから静態の機関車には写欲も涌かず、まじめに撮影していません.何しに行ったんだろう?ほとんどドライブのついでだったのかと思います.

しかし数少ないカットと今年撮影した写真を見比べると36年の時間の経過を感じざるを得ません.
まずはこの写真.

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展示機関車、展示位置は全く同じですが9608と2221の煙室扉ハンドルが欠損しています.今回まったく同じ構図で撮った写真が無かったのですが、バックの変容に驚きです.36年前は山林と廃材置き場だったのが現在は立派な住宅地に化けています.神社は当時あったのか?あったとしても山の中のお宮さんだったのでしょうね.

次は反対側でC111とE102が展示されています.C515は 転落復旧の後、ここに置かれました.

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こちらはあまり変わっていませんね.驚いたのは手前に写っている機関車です.これD51452ですね.記憶ではこの時まだD51は搬入される前だと思っていたのですが、データを見ると前年1972年に展示されていました.単独で撮影したカットはネガにはありません.4月25日のこのブログで、今年再会したのは1971年の竜華機関区以来、と書いたのですが間違いでした.当然青森や竜華で見た機関車だと知っていたはずですが、何故撮影しなかったのかは不思議ですね〜!

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2006/05/01 AM 10:38:44 | Comment(7) | TrackBack(0) | [保存車両]










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