【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.273 セリカLBターボ

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ブログにかつて趣味であったクルマのカテゴリーを作っていませんでした.今までの記事にも時々出てきましたが自分で乗ること、ラリーの真似事をすること、レースを見に行くなど鉄道趣味と同時に楽しんでいた時期があります.当時のネガやプリントが鉄道写真に混ざって出てきますので、たまには話題にしてみます.

この写真は1973年夏、富士スピードウェイで行われた「富士1000キロ耐久レース」で総合優勝したトヨタ・ワークスのセリカ・リフトバック・ターボです.このレースは今は無くなったオープンのプロトタイプ・スポーツカー(グループ7)からサニー1200までのレース仕様車までの各クラスの混走で、ドライバーもプロのワークス・ドライバーからアマチュアまで参加できるものでした.
晴れていればグループ7クラスのクルマがブッチ切りで総合優勝するはずですが、当日は生憎の雨.フロントグラスとワイパーの無いグループ7は、ヘルメットのバイザーやゴーグルで雨や先行車の水しぶきを直接受けるのですからまともには走れません.すべて早々にリタイアです.
セリカ・リフトバック・ターボはこのレースがデビュー戦で、もう1台の普通形のセリカ・ターボとともに正に水を得た魚のように1000kmを走り切り、ワンツー・フィニッシュしてしまいました.オリーブ・グリーンに塗られたボディは雨に濡れて凄く頼もしく見えました.
セリカ・リフトバック、当時発売されたばかりの市販車は2000ccエンジンがメインでしたが、このレースカーは1600ccの2T-G型(レビン・トレノのエンジン)がベースだったそうです.
このクルマは以後のレースには出場していません.この年の11月に起きた石油ショックにより、メーカーはワークス活動を休止してしまったからです.どころかガソリンを撒き散らして走るようなカーレースに対する批判の声も上がり、死者が何人も出るような大事故が続いたこともあって、一時日本のレースは存亡の危機に見舞われました.富士スピードウェイも一旦は閉鎖を決めたこともあったくらいです.

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2006/04/30 AM 12:45:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | [クルマのはなし]

No.272 青梅鉄道公園保存車両図鑑
いよいよゴールデン・ウィークです.私には関係無いですが.


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この度全車化粧直しを終えた青梅鉄道公園の保存車両達を本編にアップしました.轍楽之路としては初めての静態保存車両のコンテンツです.市中にあるD51などの保存車両はほとんどが現役蒸機終焉時に設置されたものですが、青梅鉄道公園は開園以来すでに41年も経っています.当時から公開されている車両は現役時代は見たことが無いものばかりですから私にとっては新鮮です.
今回久しぶりに訪問して煙を吐いて走る姿に思いを馳せてしまいました.保存維持は大変でしょうが露天野外の機関車は良いですね.
実は9608の横にあるのは普通の桜だと思っていたのですが、八重桜でした.3月に続いての訪問は4月初めに予定していたのですが風邪をひいて遅くなってしまい、桜はあきらめていました.ところが行ってみるとピークは過ぎてはいるものの園内には八重桜があちこちで咲いているではないですか.これは嬉しい誤算でした.


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2006/04/29 PM 11:51:45 | Comment(3) | TrackBack(0) | [轍楽之路本編新作紹介]

No.271 西武多摩川線の101系
今日は毎月の定期検診で病院へ行きました.腹部エコー検査だの、血液検査だのあっちゃこっちゃいじられたんですが院内の様子が少し違います.よく見ると看護師さん達のナース・キャップが廃止されていました.若い人も居ますが、どちらかというとベテランの看護師さんが多い病院なので、入院患者の付き添いのオバサンが大勢居るようで、ちょっと違和感がありました.そういえば今テレビで見たドラマ「医龍」でも看護師さんはノーキャップでしたね.昔々の病院は消毒薬の匂いがきつくて暗いイメージでしたが、大分様相が変わってしまいました.


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先日久しぶりに乗った西武多摩川線是政駅です.今やここと多摩湖線でしか見られないという101系原型に久しぶりのご対面です.西武鉄道の顔と言われた湘南型タイプの先頭部も過去の記憶になりつつあります.

短い路線ですが武藏境まで最後尾の座席から沿線を見ていました.当然のごとく住宅地の中を走るんですが、軒先ギリギリをかすめる、といったせせこましさでは無く余裕があります.何ヶ所か撮影ポイントがありそうなので機会があればチャレンジしてみましょうか.
武藏境駅は今中央線の高架複々線工事に併せて西武線も高架化工事中で、完成すれば新しいアングルもできそうです.
多摩川線は他の西武の路線とは連絡していないので、自動改札も無ければパスネットも使えません.来年?Suicaと統合のICカード、パスモが登場すれば改善されるんでしょうか.

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2006/04/27 PM 11:37:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [西武鉄道]

No.270 前進型太平洋を渡る


よその板の受け売りですが、中国黒竜江日報によりますと、中国からアメリカ合衆国へ中古の前進型(QJ)が2両輸出されたそうです.具体的にすぐどこで使用するという話ではなく、アメリカ国内で観光鉄道用に売り込むためのデモ機なんだそうです.
前進型はもともとアメリカ型の流れをひくロシア機がプロトタイプですから、何の違和感もなく受け入れられることでしょう.上の写真のような姿になって走る姿も見ることが出来るかも知れません.

私が中国の機関車を撮影するようになったのは、アメリカ製のKD7型やアメリカンな前進型など、写真でしか見ることの出来なかったアメロコの雰囲気に憧れていたからです.それは当のアメリカのファンの思いも当たり前ですが絶対に強いはずで、良いロケーションの中で相応の列車を牽引すれば大人気となるに違いありません.
過去に前進型の中国外への輸出実績といえば、相生に保存されている機関車くらいだと思いますが、1988年に大同機関車工場を訪問時に冗談半分(全部です)で聞くと、すぐ調べてくれて新車をFOB価格50万元(2000万円くらい?)で売りますよ!とのことでした.案外安いなとは思いましたが、その他の諸費用が如何ほどかかるかは不明です.あれだけの大きさと重さですから、ちょっと移動させるだけでも相当な経費が必要でしょう.

上の写真は哈爾浜機関区で撮影したQJ1002号の画像を私がアメロコ風に加工したものです.誤解の無きよう.

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2006/04/26 AM 01:53:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.269 青梅鉄道公園のD51452

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また22日(土曜日)の話ですが、本当の目的地は青梅鉄道公園でした.3月にも訪問していますが半数の車両が塗装中で撮影できなかったので、あらためて出直した訳です.
昨日紹介の東中神のD51451の連番であるD51452号機も美しい姿で迎えてくれました.
このD51は関東では珍しい鷹取工場式の集煙装置を備えています.最終的には大阪の竜華機関区に1972年まで所属して関西本線、草津線などで活躍、多くのファンにその姿をカメラで捉えられています.

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しかし生粋の関西機というわけではなく、1968年までは東北本線で使われていました.私が初めてD51452に出会ったのは1965年、中学の修学旅行で立ち寄った塩釜港の引き込み線でした.当時珍しくもないただのD51で写真も撮っていませんが、なぜかナンバーをはっきり記憶しています.
2度目に見たのは1967年2月の青森機関区でした.降りしきる雪の中、塩釜で2年前に見た機関車との再会に何故か嬉しかったものです.

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そして4年後の1971年2月、EF52の撮影が主目的だった竜華機関区で3たびの対面です.東北時代の副灯やテンダの大型重油タンクも無く、集煙装置を載せてすっかり印象を変えてはいましたが、3度も同じ機関車を違う場所で意識して見たのは初めてでしたから驚きました.

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できれば走行中を見たかったものですが、逆に言えば機関区でじっくり見られたのも良かったかと思います.
しかし何故か正面がちのカットばかりで、まともに撮影したコマがありません.隣に機関車が居たかどうかは記憶がないのですが、ネガが抜けてしまった可能性もあります.

話はそれで終わりません.翌1972年5月に廃車になったD51452はそのままの姿で青梅鉄道公園で保存されることになりました.当時は関東で廃車になるD51もまだあったはずです.なぜ関西から持ってきたかは判りませんが、よくぞ選ばれたものです.わずか10kmほどしか離れていない東中神に兄弟機のD51451が保存されていたのも何かの縁だと思います.
青梅に来てから私は一度も行く機会がありませんでしたので、今回の訪問は実に35年ぶり、4回目のご対面でした.
ところで451、452 と来て453.D51453号機は我が家の近く、千葉県柏市柏西口第1公園に保存されています.1973年九州の吉松機関区で廃車になっていますが、遠路はるばる千葉県までやって来ました.453号機は残念ながら現役時代に撮影はしていません. (撮影は2004年6月)

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451・452・453は1940(昭和15)年に汽車会社で製造され、いずれも東北に配置されています.その後配転で関東、関西、九州と活躍の場は変わりましたが、廃車後関東で揃って保存されているというのも奇遇ではあります.

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2006/04/25 PM 05:14:56 | Comment(3) | TrackBack(0) | [保存車両]

No.268 東中神のD51451

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順序が逆になりましたが、22日(土曜日)府中へ行く前は、青梅線東中神駅近くの昭和公園にあるD51451に詣でました.広い公園の中ほどで四方をフェンスに囲まれていますが日中は開放されていて誰でも出入り自由です.
機関車の状態は時々は整備されているようで、露天の割にはまあまあです.ライトのガラス、ブレーキホースなどが無くなっています.
すでにアスベスト対策は終わったのかどうか、キャブにも上がることが可能です.それはそれでよろしいことなんですが、小さな子供が数人テンダの上に登って遊んでいます.最初は保護者とおぼしき大人が下にいて話しをしていたのですが、そのうちに居なくなってしまいました.すると一人の女の子が器用にキャブの屋根の上からボイラ上を歩いて煙突の前、給水温め器の上に座ってしまいました.入口には小さい子には保護者が付き添うこと、屋根の上に登ってはいけないことがはっきり書いてあります.(掲示位置と漢字使用で子供が読めるかどうか) そして今ここにいる大人は私だけです.ってどういうこと?
仕方なしに注意して降りて貰いましたが、いつも登ってるのに怒られたことが無いようで、ふてくされていました.キャブ内には登れないようにする柵や注意書きなどは何もなく、表の注意書きは管理者の責任逃れ、といわれても仕方ないでしょうね.悪人役を演じてしまいましたが、怪我などしたらみんなが悲しみます.
(本心は写真撮るのに邪魔だったからだろうって? ドキッ!)



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周囲の美しい緑の木々が映り込んだ保存機関車はとても良い雰囲気で大好きです.

D51451号機は1970年11月、高島線の電化により新鶴見機関区で廃車になり、昭和公園に保存されてるんですが、私は1966年6月に大宮機関区で出会っていました.当時の活躍の場は大宮-水戸(東北本線、水戸線経由)間の貨物列車牽引と大宮操車場の入換でした.ちょうど仕業から上がって転車台で転向、給水給炭して次の仕業まで9600と連結して待機している様子がネガに残っています.もう40年前のことですが、初めて一眼レフのニコマートを買って貰い、初めて撮影に行った時のことなので、昨日のことのようによく覚えています.


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2006/04/24 PM 03:56:38 | Comment(5) | TrackBack(0) | [保存車両]

No.267 府中市郷土の森交通公園
タイトル名が長いとプラウザや画面サイズにより途中で行換えしてしまう場合や、写真が左右に重なってしまうこともあったかも知れません.見苦しくて申し訳ありませんが、こればっかりは全ての場合で確認できません.あまりひどい場合はご教示頂ければと思います.奇抜なことをしようとすると大体失敗してしまいます.いまやMac9.1+IEは超少数派になりつつあります.まずほとんどの動画は見られませんから.


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昨日(土曜日)は天気予報もまあまあ、体調もまあまあ、ということでホリデー・パスを使って久しぶりのお出かけです.国立駅をはじめ、あちこち巡りましたが最後は府中市郷土の森にD51296号機に会いに行きました.南武線府中本町駅から歩きましたが結構な距離です.それまでに10km近くは歩いていますから病み上がりの身としては少々辛かった行程でした.
D51296の酷い姿はD51/96/QJ掲示板でご覧頂くとして、ここには都電6191号と国鉄EB101も保存されています.下調べではどちらも傷んだ塗装で、あまり期待してはいなかったのですが6191の方は塗りかえたばかりのようで、懐かしい都電色を新緑の森の中で見ることができました.まだ完全に整備は終わっていないようで周囲をテープで囲い作業中でした.以前からそうですがナンバーが表記されていないのが残念ではあります.遠くにD51296の姿が望めます.

そのD51の右側にEB101が置かれています.こちらの方はやはり荒れていますが都電が整備されたところをみるとD51とともに期待が持てます.
現在の塗装は本当にもとは濃茶色だったんだろうか、というような褪色ぶりで善意に解釈すれば藤色に見えなくもないです.窓の鉄格子はガラスの代わりなのでしょうか?この姿で走っていた、と誤解されかねません.写真とは反対側の正面とサイドのプレートはありませんでした.
かねてから疑問に思っていた運転台の中を見ることができました.運転機器は1セットで前後進兼用だったようです.

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先月発行された「国鉄時代5」に掲載された拙作記事の主役ですから、1968年以来実に38年ぶりのご対面でした.懐かしくはありますがそれ程の思い入れはありませんので、感激したとは言えませんが.

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そのまま府中本町駅まで歩けば武蔵野線に直ぐ乗れますが、せっかくここまで来たのですから是政駅まで歩いて西武多摩川線に乗って武藏境、西国分寺経由で帰途に就きました.

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2006/04/23 AM 02:50:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | [保存車両]

No.266 ロマネスク風国立駅舎

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中央線国立駅は私が1963年から1969年まで、中学高校の6年間利用してきた大変懐かしく親しみ深い駅です.
1926(大正15)年、堤康次郎による学園都市としての街作りの象徴として建てられた、ロマネスク風の赤い三角屋根の小さな駅舎が今解体の危機にあります.この駅舎は国立市のシンボルとして市民からも、利用している一橋大学をはじめとする学生さんからも愛され続けていました.しかし中央本線の連続立体化工事により、現駅舎の用地が資材置き場として絶対必要で、JR東日本としては解体する予定でした.しかし市や東京都が駅舎の存続を求め、一時的に駅前ロータリー中心まで曳き屋で移動させ、工事完成後に現在地に戻す計画を立てたのですが、その費用捻出を市議会で否決されてしまったのです.現在市民団体などがJRとかけあうなどしていますが、状況は大変厳しそうです.なによりも連立化工事の日程に影響することは許されず、そのタイムリミットはすでに今夏に迫っているような状況です.
もちろん心情的には私も反対ですが、例に出して申し訳ないですが鹿島鉄道の廃止問題と同じく、外野がロマンと口だけでとやかくは言えません.実際に誰かが資金を出さない限り解決はしません.国立は例のマンションの高さの問題でももめていましたが、景観を大事にしている街です.80年の歴史のある駅舎を護りたい気持ちは当然でしょう.周辺の立川や国分寺の駅や街が大変貌を遂げてしまいましたが、国立の街は予備校ができたくらいで私が通学していた40年前とさほど変わっていないように見えます.駅前にはペデストリアンデッキも大型ショッピングセンターもありません.こんな街はいつまでもそのまま残って欲しいですね.
写真は本日撮影してきました.


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時々現れるコミュニティ・バス「くにっこ」


後日追加です.残念ながら解体されてしまいました.しかし高架完成後に復元する、と一応約束?されています.

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2006/04/22 PM 11:44:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | [駅]

No.265 さよならふるさと銀河線

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ついに最後の日になってしまいました.今日はお名残を惜しむ多くの地元の方やファンで、最後の賑わいになることでしょう.昨年は日立電鉄や名鉄600ボルト区間を送り、今年はふるさと銀河線.来年は・・・.という前に神岡鉄道が11月末に廃止予定ですし、高千穂鉄道がすでに運転休止中で運行再開を断念した模様です.そして来年2007年3月末はくりはら田園鉄道、西鉄宮地岳線の一部、そして鹿島鉄道とすべて決定というわけではありませんが、いずれも存続は厳しそうです.北条鉄道、三木鉄道も地元自治体が廃止を表明しています.さらに、わたらせ渓谷鉄道、秋田内陸縦貫鉄道、由利高原鉄道、樽見鉄道と三セクを中心に次候補が続いています.鉄道地図がどんどん寂しくなりますね.

本来ならば三セク転換時に廃止になっていてもおかしくなかったものを、カンフル剤投入で延命してきたツケがまた廻ってきたわけで、積極的な営業策をとらなければ当然のことではあります.
しかし完全に上下分離がされ、しかもその下の部分は基本的に無料である道路交通と競い合うのでは、絶対に勝ち目はありません.鉄道も道路の一部とみなして国や県、または地元自治体が管理整備して、上の部分は複数のバス会社、運送会社、そしてファンのチャーター列車などに自由に(有料でも)使わせるような方策をとれば、現施設を活かして行けるところもあるか、とは考えるんですが.
鉄道が道路交通に対して有利なところは、高速大量輸送なんですから、それが活かせない鉄道は存在自体が無理になります.今北海道ではDMVというバスを線路上で走らす方式を開発中ですが、高規格で2車線以上で、空いていて、道路管理者により除雪もされている並行道路があれば、そんな苦労をしてまで線路上を走らせることにどれほど意味があるのか、と疑問に思います.

閑話休題.ちほく高原鉄道ふるさと銀河線は国鉄池北線時代から長いこと未乗区間でした.まったく縁が無かった訳ではなく、1972年鉄道100年記念の企画で「日本の駅」という本を作った時に全駅の写真をクルマで撮影して廻っています.当時は並行する国道も未舗装で、途中置戸では森林鉄道の跡地調査などもしたため、池北線だけでまる1日かかった記憶があります.まだ9600牽引の貨物も健在だった頃で撮影したような記憶もあるのですが、駅取材関係のネガと一緒に提出してしまったためか、手許には気動車の写真を含めて残っていません.
その後北海道の鉄道の未乗区間は廃止も相次いだこともあり、次第に少なくなり池北線と江差線だけになっていました.実は札幌での所要の前に一番の飛行機で帯広に飛び、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線乗車を企んだこともあったのですが、よく調べないで行ったため帯広駅に着いてから北見まで乗車すると当日中に札幌に戻れないことが判明.どうしても夜に札幌で人に会わなければならない用事があったため、そのまま札幌に直行したなんて無駄足をしたこともありました.
2001年8月に今回アップした「SL銀河号」絡みでやっと全線乗車を果たすことができました.もう一つの江差線は実はまだ乗ってません.ここも結構不便で終点江差で一本ずらすと函館から丸1日がかりになってしまいます.これもいずれ果たしましょう.
写真はいずれも2001年8月2日.上写真は池田駅です.

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2006/04/20 AM 02:05:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.264 水飛沫とD52

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撮影行などでクルマで走っている時、良い水たまりを見つけると助手席の友人と顔を見合わせて「やるか!」「やろう!」とあうんの呼吸で撮影大会が始まります.何を撮るのかというとご覧のように水しぶきのシーン.
この頃同型のギャランがオーストラリアのサザンクロス・ラリーで総合優勝したこともあり、その壮絶な走行シーンが新聞やテレビでよく見られました.まあそれの真似と言えば真似なんですが.
カメラマン役を降ろすと適当にバックして急加速!水たまりにかなりの速度(ナイショ)で飛び込みます.おふざけのおバカさんではありますが、床下やフェンダーの裏にこびり付いた泥などがきれいに落ちる、という利点もあります.

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自分で自分の運転してるシーンが撮れないのは残念なんですが.
1972年3月、北海道大沼のそば、函館本線海回り線の銚子口駅の近くです.ネガのとなりのカットはD52468牽引の貨物列車でした.


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2006/04/19 AM 12:10:35 | Comment(1) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.263 モノクロがカラーに

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昨日アップした岩手開発鉄道キハ202のうちの1点、予備のキハ41003とキハ202、国鉄のキハユニ26の並んでいる写真、本編ではモノクロなのにトップページのバナーでは色が付いています.(気が付いた人は居ないでしょうが)
便利な時代になったものでPCソフトで着色することができます.ただし結構難しくて、出来上がりも美しいカラー、というわけには行かず、多少変色したような仕上がりしか私の技術ではできません.まあ古い写真ですからそれで良いのですが.
しかしモノクロ写真には色の情報がありませんから自分で考えながら、こんなもんかな〜?と試行錯誤の繰り返しということになります.昨日はバナーの大きさのファイルに着色したのでいい加減にやりましたが、今日は大サイズのまま着色に挑戦!
出来上がりは如何でしょうか?キハ41003は小坂鉄道時代の色のはずということで、こんな色にしてみました.


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2006/04/18 PM 07:42:50 | Comment(3) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.262 新作アップ

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久しぶりに本編新作をアップしました.少し前から準備をしていたのですが、大風邪をひいて寝込んでいたことと、D51/9600/QJコレクションのご投稿していただいた画像がたまっていましたので、順番としてそちらからアップしよう、と言う考えだけが先行して実際は空回りしていたため、遅れてしまいました.

ということで(どういうこと?)今回は2作同時アップ!です.

ふるさと銀河線に煙が上がった
は4月20日で最終日を迎えてしまう、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に2001年7-8月に3往復半だけ運転された「SL銀河号」です.復活蒸機にはあまり興味の無かった私ですが、この列車が走る、というニュースを聞いたときは「乗りたい、撮りたい」と思いました.ちほく線は国鉄時代から未乗車の区間で、しかも「SL銀河号」はかつて日高線でさんざん撮影したC11207が牽引の予定だったからです.2両の客車のうち一般売りは1両だけ、ということで乗車券が入手できるか気がかりでしたが、乗車希望日の1ヶ月前東京駅構内のJR北海道プラザにてゲットできました.
札幌で前夜呑みすぎたため池田から乗車できず、途中の陸別から乗ったというハプニングはありましたが、一応乗車と翌日はレンタカーによる追跡撮影を堪能しました.残念なのはC11207の調子が悪く、もう1機のC11171に振り替えられてしまったことと、撮影日は時折強く降る雨天であまり満足行く写真が撮れなかったことです.

ふるさと銀河線廃止にあたって当日の写真を並べてみました.池北線蒸機現役時代は9600、C58、そしてD60も入線実績があるそうですが、C11と縁があったかどうかは不明です.でも三セク線を旧客2両を単独牽引で走ったC11.ただの復活蒸機の運転とは一味も二味も違う趣がありました.
そしてもう絶対に走りません.

岩手開発鉄道キハ202
1992年まで岩手開発鉄道で旅客輸送をしていたキハ202は食パンと呼ばれ、人気がありました.しかしこの13.3mの小型気動車が有名になったのは廃止数年前のこと.私が訪問した1972年当時は雑誌などで紹介されたこともない無名の車両でした.当日は石灰石輸送がお休みで食パンしか走っていませんでしたので、仕方なしかどうかクルマで先回りしつつ撮影をしました.
同じ車両ばかり多くのカットで飽きてしまわれるかも知れませんが、最後には食パンキハ202のアンバランスな姿にも慣れて頂けるかと思います.

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前述のように、D51sBox・9600Depot・QJ(前進型)Theaterのコレクション三部作もご提供頂いた画像を加えて更新しています.引き続きご協力をお願いたします.

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2006/04/17 AM 10:20:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | [轍楽之路本編新作紹介]

No.261 CGで甦る夕張


夕張ご出身、札幌在住の熊谷さんが
CGのSLで甦る炭轍と故郷夕張
という素晴らしいサイトをを本年1月より公開中です. ご本職の建築パースの技術を使い、昭和30年代の夕張を鉄道情景を中心にCGで見事に再現されています.
特に夕張鉄道を野幌から夕張本町まで、夕鉄の蒸気機関車が様々な季節のシーンの中を走り抜けてゆく42点のシリーズは圧巻です.私の知っている夕張の一端が脳裏に甦ってきます.当時の情景の再現だけでなく、もちろん当時は無かったライトアップされた夜景など創作的なものや、作者の生家や炭住の様子など思い入れの情景に感動されます.各作品に添えられたコメントや昔の建物などのCG、現在の写真など地元ご出身で、故郷の想い出を大事にしている方にしか表現し得ないものばかりです.過去の楽しかった日々、事故により多くの仲間を失った悲しみ、など作者の人生そのものが反映されているように思います.

あらたに南大夕張の森林鉄道の三弦橋などの新作にも取り組まれています.将来は大夕張鉄道の記憶も甦らせて頂けるのでしょうか?

熊谷さんのご許可を頂きましたので、何点か小さめに紹介させて頂きます.




素晴らしい作品達にはこちらで出会うことができます.ぜひご訪問下さい.

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2006/04/16 AM 07:27:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | [サイト紹介]

No.260 岡女堂駅


4月20日で営業廃止となる「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」の岡女堂駅は1995年9月4日に、隣接する岡女堂本別工場のために岡女堂が約3000万円の費用を出して新設されました.岡女堂は関西では知られた甘納豆の老舗で神戸に本社があります.使用する十勝豆の産地であることから、地元の誘致で1988年に観光施設も兼ねた本別工場が開設され、そのアクセスのために駅も作られたものです.
ユニークな駅名の 日本初のお菓子屋さんの駅として、当時は話題にもなり、第3セクター鉄道への励みにもなると考えられていたのですが、実際は鉄道を利用して訪れる観光客は少ない、どころかこの本別工場自体が岡女堂の重荷になり、早くも1998年には「とかち岡女堂」として 本社から経営分離していました.しかし厳しい経営状態は続き、今月10日には鉄道にさきがけついに営業停止に.
しかしこちらの方はホワイトナイトが現れ、阿寒グランドホテルが従業員を含めた土地建物を買収して「岡女堂本家」として存続されることになり、ふるさと銀河線廃止当日の4月20日に仮オープンの運びとなったようです. 当然のことに前途多難は予想されますので目出度いのかどうかはよく判りませんが、ふるさと銀河線廃止の影の一つの話題としてご紹介しました.

ちなみに「岡女堂甘納豆」と「おかめ納豆」は全くの無関係です.でも、おかめ納豆の本社は茨城県小美玉市.鹿島鉄道の沿線にある、というのも何かの因縁でしょうか.

写真は2001年8月2日撮影

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2006/04/15 PM 07:21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.259 これも長城
秦の始皇帝さんが造ったという万里の長城ですが、北京の八達嶺のように石造りの立派なものはごく一部で、多くは単なる土累の延長程度のものだったと言われています.しかし観光地化されているポイント以外はなかなか我々旅行者の目に触れるチャンスがありません.

1984年5月、山西省の大同から太源まで北同蒲線の列車に乗ることになりました.地図で見るとその行程で線路を長城の記号が横切ってるではないですか.この部分はいわゆる長城の本線部分じゃなくて、横に張りだした枝線の部分なのでナマの長城の実体を拝めるのではないかと楽しみにしていました.

乗車してみると昼間の列車なので、車両は前後左右の見通せる軟座車(日本のグリーン車ですね).これが寝台兼用のコンパートメントの軟臥車だと視界が限られてしまってあまり面白くありません.

前進型蒸気機関車牽引の快速列車がいよいよそのポイントに近づきました.目を凝らして車窓を見ていると地図とは少し違って、ちょうど駅の構内に差し掛かったところで期待通り右の方に土手のようなものが見えて来ます.ある意味防衛拠点と言えますからそこが駅になっていても不思議はありません.



そしてちょうど線路の部分だけがカットされていて、左側へと続いていきました.


しばらくは線路と並行していましたが、この部分は列車からの見栄えを意識しているのか、一応長城風の体裁になっていました.


この北同蒲線は日本が当初はナローゲージの路線として建設したものですが、沿線は荒らされておらず、昔ながらの三国志や水滸伝などに登場するような典型的な中国の情景が次々と現れて、楽しい路線でした.

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2006/04/14 PM 10:23:02 | Comment(1) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.258「列車で旅する北海道」
我らがネット仲間、札幌の薫製工房こと原将人さん文・写真「列車で旅する北海道」が北海道のエムジー・コーポレーション社から出版されました.東京の出版社で修行された後、北海道での写真撮影を生業とするため移住を敢行された原さんのまだまだ集大成とは言わないものの、かなり力が入ったものと考えられます.
私と原さんは知り合ったのはネットの世界ですが、実はそのかなり前から間接的にお互いを知っていた、と言う不思議なご縁の方で、某繁華街で盛り上がった仲でもあります.まだ私は実物を手にしていないので、まずは氏から送られてきた書籍の紹介を転載させていただきます.


年明けからずっと編集作業してきた本が、おかげさまで、明日書店に並ぶことになりました。
出版社が札幌なので本州では大きな書店(紀伊国屋、三省堂など)で、4月10〜11日の発売になりそうです。
本書が北海道の鉄道の旅を楽しんでいただく、ささやかな手助けになればと思っています。
よろしければちょっと覗いてみてください。
本の概要は以下の通りです。
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書名/列車で旅する北海道
文・写真/原 将人
取材協力/JR北海道
発行/株式会社エムジー・コーポレーション
判型/A5判
ページ数/オールカラー144ページ
定価/1575円(税込)
ISBN4-900253-20-0
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セブン-イレブンで受け取れる7&Y(セブンアンドワイ)で購入できるそうです.
本-検索「列車で旅する北海道」から

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2006/04/09 AM 11:08:30 | Comment(4) | TrackBack(0) | [出版物・写真展他イベントのご紹介]

No.257 万里の杏


よそ様のサクラの写真が羨ましいので、こんなの引っ張り出してきました.中国北京、八達嶺万里の長城のサクラならぬアンズ(杏花)です.時期は少し遅くて5月1日ですが、北京の緯度から考えたら弘前や松前のサクラと同時期ですから頷けますね.
5月1日は中国でもメーデー(労働節)って向こうの方が本場とも言えますが、やはり祭日で観光地である八達嶺も国内外からの観光客で大にぎわい!大変な人出でした.
駱駝は記念撮影用で、下の写真にも小さく写っています.この長城の下を京包線が通り抜けていて、木々の間に線路を望むことができます.時々列車の姿も見えるのですが、ここには上下線別々の折り返しになるスイッチバック駅があり、そのために線路が輻輳していてよく判りません.大量の観光客や大音量でかかる音楽のために列車の音も聞き分けられず、気が付いたときにはいつも通過中というありさまで撮影はまったく不可能でした.



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2006/04/08 AM 01:20:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.256 続・大橋の櫻


2003年4月、久しぶりに日立電鉄大橋の櫻に会いに行きました.電車は営団銀座線のお古に置き換えられてしまいましたが、大橋駅横の銘木は満開の笑みを浮かべて歓迎してくれました.20年も経つとその幹は太くなり、さらに蔦などが絡まりその貫禄を増していました.

最後のサクラになるかもしれない、ということで今年の鹿島鉄道には大量のカメラマンが押し寄せたそうです.2003年の日立電鉄は結局廃止2年前だったわけですが、カメラマンは一人も見かけませんでした.
蒸機ならともかく、ひなびたローカル私鉄の電車を大勢で並んで撮るなんて、どうもピンと来ませんです.

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2006/04/07 AM 01:14:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.255 D6112?

(画像をクリックすると拡大されます)

この写真というか画像は本来4月1日用に引っ張り出してきたものですが、都合でアップできませんでした.
D61型蒸気機関車は丙線規格の路線に制限速度無しで入線させて、古い9600型を置き換える目論見でD51型を改造して6両だけ改造されたのは有名な話しです.留萠本線-羽幌線で使われましたが、結局96の置き換えよりもディーゼル化を推進する方針となり、追加改造はされませんでした.
全機が標準型からの改造で、外観上は2軸従台車とナンバープレートの変化くらいしかD51との差異はありません.
そこでさらに改造が行われたとすれば、道内に多数配置されていた初期型のD51、いわゆる「ナメクジ型」も改造されていた可能性がある、との考えで作られたウソ電ならぬウソ蒸機!D6112 号機のコラージュです.
タネ車はD5111.これに同じようなアングルの写真があったC6113号機の従台車を改造して取り換え.留萠区仕様のツララ切りとD6112のナンバープレートはD612号機のものを加工しました.下の写真郡が流用した素材です.


出来は本人も驚くほどのもので、各部品もきれいに収まっています.こんな機関車が走っていれば人気者になっていたかも知れませんね.

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2006/04/06 PM 01:54:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | [original image]

No.254 EF52だぶる

(画像をクリックすると拡大されます)

1971年2月末、所要で阪和線和泉砂川駅を和歌山方面行き電車で通りかかると、上り待避ホームにEF52の重連貨物が停車していました.幸い京阪神周遊券を持っていたので、慌てて途中下車.鳳方面へ線路沿いを歩いてゆくと程なくキハ82特急「くろしお」に続いて、EF521+EF522連番重連のタンク車を連ねた貨物列車がモーターを唸らせて加速してきました.
この時の取材では山中渓でパンタを4つ上げた重連列車を撮影したかったのですが、スケジュールの都合で断念した経緯があったので偶然とはいえ、大変嬉しい出会いになりました.

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2006/04/05 AM 01:48:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | [電気・ディーゼル機関車]

No.253 大橋の櫻
1983年4月、日立電鉄大橋駅の櫻に初めての出会いを想い出しました.電車の来ない2年目の春も老木は花を咲かせているのでしょうか?









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2006/04/04 PM 06:55:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.252 東京タワー


数年後には業平橋に世界最大の新タワーができると話題になっていますが、現行の東京タワーはどうなるのでしょうか?電波塔としての採算価値が無い場合は撤去もあり得る、なんて記事も見かけました.私としては新タワーから東京タワーをぜひ見下ろしてみたいと考えるんですが.
そのうち新タワーの名称募集なんてイベントも始まると思います.何か考えときましょうか.

先日ゆりかもめの新駅、市場前駅から東京タワーを見ていると何か前とシルエットが違います.じっくり見ることは本当に久しぶりです.何時からなのでしょう?高い方の特別展望台の上部がぷっくりと膨らんでいます.調べてみると地上波デジタル放送のアンテナ部分なんですね.ちょっと新鮮な気持ちで眺めていました.

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2006/04/03 PM 11:44:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | [車窓から?!]

No.251 貴船口の櫻

(画像をクリックすると拡大されます)

同じく1985年4月、京都のサクラ、今にも降りそうな叡山電鉄貴船口駅.いやいや当時は京福電鉄京都支社鞍馬線でした.(叡山電鉄は翌1986年4月1日から.オーッ20周年だ!) ナデ21型の2連をほとんど通りすがり状態で撮影しました.こんな明暗のありすぎる被写体、どん曇りの中で撮ったってまともに写るわけありません.予定も詰まっていたので先を急ぎました.


(画像をクリックすると拡大されます)

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2006/04/02 PM 04:28:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.250 保津峡の櫻

(画像をクリックすると拡大されます)

新年度と言っても私には何の関係も無いのですが、3月末から久しぶりの大風邪に見舞われてずっと寝床で39°Cの高熱にうなされていました.熱は下がりましたが、まだ咳が止まらず夜もなかなか寝られません.
皆さんのサイトやブログを拝見していると、もうサクラが満開!春爛漫の中を行く列車の写真を見せつけられます.これからサクラ前線北上と共に、各地の素晴らしい光景を見せて頂けると思うと楽しみです.
今週は体力的にも無理、となると来週は東北南部まで行ってしまうのでしょうか?風邪+花粉症では風の強い日々は散歩程度の外出も辛いものがあります.
新年度早々弱気で消極的な泣き言で失礼いたしました.
写真は1985年4月、山陰本線の旧線保津峡駅を通過する181系気動車特急「あさしお」を嵐山高雄パークウェイ展望台からの俯瞰です.ここはお手軽撮影地として何度か訪れましたが、クルマでの京都ドライブなど一人で行くわけもなく、連れを待たせて何時間も撮り続ける、という度胸も根性もありませんでした.この時もたまたまやって来たこの列車しかポジに残っていません. 天気も悪く靄っているせいか、なかなか上手くコントラストが付けられませんでした.

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2006/04/01 PM 12:53:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | [電車・気動車]










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