【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.203 80年代中国DL[9]

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第9回はNY6です.

この機関車は1966年に試験的に4両輸入されたNY5(写真は無し)をベースに若干の仕様変更の上、1972年から次の第10回に出てくるNY7と共に導入された液体式の強力な旅客用機関車です.
3形式とも西ドイツ(当時)ヘンシェル社製で、プロトタイプはソ連国鉄のTG400型ということになっています.上方が内側に絞られている特徴ある側面は、実はヨーロッパの標準鉄道規格に準じているからで、車両限界の大きい中国の鉄道では必要の無いものです.デザイン的にはvery good ですが.

軸配置C-C、エンジン 2×メルセデスベンツMB 16 V 652型(2×2200ps/1500r.p.m.)、全長23.6m、重量138t.最高速度120km/hとなっています.
最高速度はNY5の160km/hからギアレシオを変更してダウンしていますが、これは建前らしく上の写真(1984年5月石家庄駅)の列車は京広線上で実に150km/h 以上(キロポストによる実測)で快走していました.さすがのベンツパワーです.同じ標準ゲージのヨーロッパでは当たり前のスピードですが.

下の写真は1988年9月、北京駅です.上海からのノンストップ京濾直達特快を牽引して来ました.上の写真と較べるとエアホースが増設されています.

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北京機関区に0001-0010まで全10両が所属.京濾線、京広線など南部方面平坦線への旅客運用に付いていたはずですが、最近の目撃例は無いようで、すでにリタイアしている可能性が大です.

ヘンシェル社のメーカーズ・プレート


全長23.6m、本当に長〜い機関車です.1984年5月北京機関区で.早朝の散歩で構外から撮影したのですが怒られました.

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2006/01/31 PM 11:59:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.202 若手お笑い芸人
今日押入の中を漁ると蓋に「写真」と書いてあるお菓子の缶を発見!期待して開けてみました.残念ながら鉄道の写真はほとんどありませんでしたが、そういえばこんな写真も撮ったな、というような風景写真のポジがごそっと入っていました.中にはこんなものも.すっかり忘れていました.



今から16-7年前、つき合っていた友人?の関係で、ホリプロ所属の若手お笑い芸人のライブを何回か見に行きました.これは吉本に対抗してホリプロが無名の芸人さんを育てよう、という意気込みのもので、なかなかの実力派揃いで心底笑わさせられました.もちろんテレビ放映など無く、その場限定のお笑いです.写真撮影もOKということで 少し撮らせて貰い、後日彼らに差し上げて喜んで頂けました.ライティングが滅茶苦茶で、デイライトフィルム(あらためてポジを見たら、なんとPKLだった)を補正無しで使ったので発色は最悪ですね.

残念ながら、出演メンバーで現在も活躍されている方は少なく、お名前も覚えていない方々がほとんどですが、中にはこんな人たちも出てました.

上の写真グループ名は「キッドカット」ですが、左の岡田昇さんは現在「イジリー岡田」として活躍中です.往年の男性向け深夜番組で有名になりました.



この2人は判りますか?グループ名は「バカルディ」.現在はいわずと知れた「さまぁ〜ず」! 三村マサカズ、大竹一樹のご両人、若き日の姿です.当時から抜群に面白可笑しかったです.撮ってたのかよ〜.

こちらは「テンション」.軽快なドゥー・ワップのリズムで踊りながらの掛け合いは、これまたテンポが良くて面白く、この後テレビ出演も増えました.現在は解散していますが、右の田口浩正さんは俳優として活躍しています.周防正行監督の映画に良く出ていますね.


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自分で言うのもおかしいですが、私って随分いろんな写真を撮っていますよね.いったいどんな人間だと思われているのか知りたい気もします.

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2006/01/30 AM 12:05:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | [音楽・映画・テレビなどエンターティンメント]

No.201 80年代中国DL[8]
先日このシリーズの反応の無さにボヤキを書いたところ、何人かの方から楽しみにしていますのでどうぞ続けてください、とのmailやコメントを頂きました.ほんま、ありがたいこってす.他のネタも浮かばないので(それが本心か?)続けることにします.


中国は春節を迎えました
新年祝!


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1984年5月、北京機関区にて.

第8回は東方紅3型(DFH3)です.
少し前に東北地方へ出かけた方にはお馴染みの機関車だと思います.私も何回もこれの牽く列車にはお世話になっていますが、見てくれが今ひとつ好みに合わないこともあって、あまり撮影はしていません.
現在は電気式の東風シリーズが増備されていますが、1970-80年代の東北地区にはなぜか(寒さに強い?)液体式の東方紅シリーズが入換用、旅客用に集中配置されていました.東方紅3は人民型(RM)や勝利6型(SL6)蒸気機関車牽引の旅客列車運用を次々に置き換えて無煙化して行きました.

この写真は哈爾浜の北、80kmほどの綏化駅、1986年4月です.1年半前に来たときにはこの駅で人民型蒸機に付換えたので期待して待っていると、そのまま発車時刻になってしまい慌てて客車に戻りました.

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1972年から10数年に渡り量産され、全部で268両も作られました.軸配置B-B、液体式、エンジン12 180ZL型×2(1000ps×2/1500r.p.m.)、全長18.55m、重量84t.最高速度120km/hです.スペック的には日本のDD51と大差無いですが、1両50tほどの客車20両近くを牽いて結構なスピードで走ります.
ビールで有名な青島工場製、片運転台の東方紅1型の改良型ですが、出力アップで単機牽引が基本になったので両運転台に改められています.この2枚窓の正面スタイルはEF58のコピーではないか?なんて言う人もいますが、私は賛同しかねます.
しかしこの2トーンカラーを初めて見たとき、大昔の鉄道ファン誌の表紙を飾っていた日立製の試作ディーゼル機DF93(写真一番下)を真っ先に思い浮かべました.どう思います?
東北地区ほぼ全域で使われていましたが、瀋陽機関区所属機は北京や徐州方面まで南下する運用も確認されています.

以下2点とも1984年10月、哈爾浜郊外の京哈線王崗駅付近です.

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車両によって側面の窓、通風窓が違うようですね.

現在は第一線を電気機関車や電気式ディーゼルに譲り、小運転や専用線で使われているそうです.



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2006/01/29 PM 06:53:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.200 最短駅間距離?
お陰様でこのブログも200回続きました.さすがに皆勤賞とは行きませんが、良くやっていると思いますよ.我ながら.

電車が単線片面だけのホームに停車しています.あれ、手前にもホームがありますね.何処でしょうか?

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電車が発車してきますが、車両1両分も走らないうちにまたホームです.

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今度はこちらのホームに停車して、降りてくるお客さんが居ます.何じゃこりゃ!

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いやいや、ウソですよ、ウソ.ここは京福電鉄嵐山線支線の高雄口駅ですが、ワンマン運転のためホームは進行方向左側限定ということで単線の線路の両側に設けられています.この駅よく見ると昔は交換駅だったようで旧ホームの跡も見られます.しかし同じ場所に新ホームを作ると線路を横断するための施設を新たに作る必要があるからでしょうか、踏切のある少し離れた、はす向かいの場所に新ホームを作ったようです.
3枚目の写真は反対方向の列車でした.
撮影は1986年1月、もう20年も前ですが今も同じような光景でしょうか.

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2006/01/27 AM 01:07:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | [私鉄・専用線・トラム]

No.199 80年代中国DL[番外]

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シリーズは今回お休み、番外編の珍機関車を紹介します.
一見 東風4(まだシリーズには登場していませんが)のようにも見えますが、寸詰まり!というか少し小柄ですね.動輪も2つしかありません.
この車両は東風シリーズを製造している大連工場の構内入換機です.1984年10月、工場見学をしたときにはこのように木陰で佇んでいました.表には出てこない機関車ですから、写真が公開される機会は少ないでしょう. 小さいなりにまとまったデザインで、不自然さを感じません.

1970年頃の製造と思われますが、であれば文革のさ中によくぞユーモア溢れる珍車を作ったものだと思います.こいつが半完成の大型機を牽いて構内をチョコチョコ走る様を想像するだけでも楽しくなります.
型式などは不明ですが、側面には TUO CHE と書かれています.CHEは車でしょうが、TUO は何でしょう?田駄雄作の駄の字もTUO(DUO)ですが.
まだ残っているかどうかは?ですが、ご存知の方はいらっしゃいますか?

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2006/01/26 PM 07:51:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.198 80年代中国DL[7]
やはり身近ではない中国のディーゼル機は人気が無いようですね.覚悟はしていましたがシリーズを始めてからアクセス数は3割減、コメントや掲示板への書き込み、mailもゼロ!となるといくら商売では無いとはいえ少し考えてしまいます.趣味誌で中国を初めとする外国モノの記事が少ない、というのも頷けます. 今日のもそうですが、ここ数日のセミ・エンドキャブのアメリカ型機などは興味が無ければ皆同じに見えるんだろうな、とは思いますが.
まだシリーズ半ば、もちろん完結はさせますが、今後は少し間を空けてアップすることにします.



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第7回は東方紅5型(DFH5)です.
アフリカのタンザニアや中国雲南省昆河線で使われる狭軌バージョンがあることで知られる東方紅2(写真無し)の改良型としての位置づけで、1970年代から青島工場で製造されています.外観は先に出てきた電気式東風2を小型にしたようなセミ・エンドキャブ型ですがスペック上の出力はこちらの方が上です.(電気式と液体式はエンジン出力だけでその実力は比較できませんが)
軸配置B-B、エンジン12 180ZL型(1250ps/1500r.p.m.)、全長12.4m、重量84t.最高速度はlow range 40km/h、high range 80km/hと切替え式になっています.
北京や瀋陽周辺で入換や小運転に使われているのが目撃されています.
写真上は1984年5月北京機関区.下は1986年5月北京豊台駅ホームからです.

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中国の各機関車の公表されている出力値ですが、エンジン単体の場合と過給器(ターボ・チャージャー、スーパー・チャージャー)付き、グロス値、ネット値、定格値、最大値などが混在しているようで、あまり当てになりません.馬力だけでなく、トルク値や電気式の場合は発電機やモーターの出力によって実際のパワーは決まりますので、一応の目安と考えた方が良いと思います.

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2006/01/25 AM 11:56:03 | Comment(3) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.197 80年代中国DL[6]

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第6回は東風7型(DF7)です.
この重入換用機関車は、北京型液体式ディーゼル機関車用に設計された12 240Z型エンジンを流用して作られています.製造は北京型と同じく北京二七機関車工場で、北京豊台西操車場などで使われるために1981年に少量生産されました.
セミ・エンドキャブ型で、 軸配置C-C、エンジン12 240Z型(2000ps/1100r.p.m.)、全長18.5m、重量120t.最高速度100km/hとなっています.
写真の0002号機は1986年10月にその北京豊台西操車場で撮影しましたが、オレンジ塗装のものや、前面ボンネットがキャブ屋根の高さまであるタイプも存在します.
1976年から唐山工場で生産された東風5型の改良型として登場したようですが、大量増備には至っていません.その東風5型はほぼ同スタイルですが、残念ながら私のカメラには収められていませんでした.

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2006/01/24 PM 01:38:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.196 80年代中国DL[5]

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第5回は東風2型(DF2)です.
元々アメリカのアルコ社製のRSD-1型を基とするソ連のTEM-1型の中国版で、重入換機として使われています.
正確な製造開始時期は不明ですが、東風1と東風3の間の型式なのでおそらく1960年代でしょう.他の東風型と同じように大連工場製です.

いわゆるセミ・エンドキャブ型で、 軸配置C-C、エンジン6E207型(1020ps/850r.p.m.)、全長16.9m、重量113t.最高速度95.3km/hとなっています.
139両+αが製造され、主に中国南部の主要都市で入換に使われているということですが、北京周辺でも見られました.オリジナルがアメリカ製だけに、グリーンの中国標準色でもまったく野暮ったさがありません.
現在もそのまま使われているはずです.
写真は1988年1月、北京郊外の操車場(場所失念、豊台西ではなかったと思う)にて.

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2006/01/23 PM 07:21:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.195 80年代中国DL[4]

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第4回はND5です.
昨日、NDは輸入電気式ディーゼル機、NYは液体式の記号で意味が判らない、と書きましたが判明しました.

NDは内燃電伝、Nei ran Dian yun
NYは内燃液伝、Nei ran Ye yun
それぞれピン音の略、ということでひとまずスッキリしました.
このブログのシリーズの紹介順は思いついたものから、写真が出てきたものから、ということで脈絡はありません.すべて私が撮影したことのある型式だけなので、80年代に存在したポピュラーな機関車でも抜けている型式があることをご了承下さい.

ND5は見たとおりアメリカGE製C36-7型で1984-86年になんと422両も輸入されています.北米大陸で使われているGE機関車そのもので、同じく広大な大地を走る中国の鉄道にはピッタリといえます.(C36-7型は1978年から599両が製造されていますが70%が中国に輸出されたことになります)
大まかに初期ロットと後期ロットがあるようで、上写真のコバルトグリーンのボディは初期ロット車です.下写真のダークグリーン車が後期ロットで、運転台側ボンネットの高さが低く、そのぶん前面窓が大きくなっています.(この3点は北京豊台西操車場にて.1986年4月)

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軸配置C-C、エンジンGE7FDL-16 (3500ps) 電気式、全長19.9m、重量138t、最高速度118km/h.
当初は大同-秦皇島での石炭輸送、南京周辺での貨物輸送に使われていたようですが、現在は全国各地に散らばり、旅客列車も牽引しているようです.

1986年5月、京秦線(北京-秦皇島)で出会った超長大な石炭列車は2機のND5型が先頭と中間に連結、牽かれる石炭車は140両くらい、自重を含めて1両100tとすれば1万4000t、全長2kmあまり!こんな列車が2本続行で積出港の秦皇島へ向かって行きました.やはりスケールが桁違いですね.

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2006/01/22 PM 11:41:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.194 80年代中国DL[3]
今日は昼からという予報が外れ、朝から雪!14時20分現在ここ柏市は20cmくらいの積雪です.撮影に出かけたいですがクルマの滑り止めが無いのでダメ!まあ、有っても寒いので行かないと思いますが・・・.お出かけの方、風邪を引かないよう防寒と足許にご注意下さい.雪の中蒸機だったら+0.5〜1補正、明るい電車だったら補正なしで良いかと思いますが、測光はあまり雪を入れないようにAEロックを.大粒の雪が降っていたらAFは解除した方が良いですよ.動態予測モードは危険です.


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第3回はND4です.
「中国のディーゼルなんてくそグリーンの、屋根の深い野暮ったい形で
豆腐屋(さん)のラッパみたいの鳴らす奴だろう!」
なんてけなす人もいます.あながち間違ってると否定も出来ませんが、そんな人にはこの機関車の写真を見せてあげましょう.屋根は深いですが.
中国DLではおそらくベストスタイリスト賞のND4です.
NDは輸入電気式ディーゼル機の記号です.液体式はNYですが、これが何の略なのかは私には判りません.

スタイルから判るように、この機関車はフランス、アルストーム社製です.フランス国鉄CC72000型をベースに設計され、1973年に50両が輸入されています.アルストーム社と中国国鉄の縁は深く、1950年代には交流電気機関車のプロトタイプを輸入、量産型の韶山1(写真左)にもアルストーム社の技術が使われています.

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軸配置C-C、エンジンAGO240 V16 ESHR (4000ps/1350r.p.m.) 電気式、全長21.6m、重量138t、最高速度100km/h.
最高速度が低いのは、この機関車が貨物用として使われたためだと思います.全機が北京豊台機関区に所属して北京周辺の貨物輸送に活躍しました.このスタイルですから旅客列車の先頭に立たせてやりたかったですが、晩年はやはり北京周辺のローカル列車牽引にも使われたようです.
最近は目撃例も無いようなので1990年代にはリタイアしたものと思われます.

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1984年10月に北京北京豊台西操車場を訪問した際は、前進型蒸機、韶山型電機や他のDL達と共に数台のND4型が待機していました.また、直ぐ横の本線をND4型牽引の貨物列車が何本も通過して行く姿を見ることができました.

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2006/01/21 PM 02:14:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.193 80年代中国DL[2]
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第2回は東方紅1型(DFH1)です.
DFHは東方紅の中国語ピン音(ローマ字)DONG FANG HONGをあらわします.
東方紅型は中国国産の液体式ディーゼル機関車シリーズの型式名です.

東方紅(DFH1)型は1958年から青島工場でソ連製のNY1をプロトタイプに製造された片運転台式の液体式ディーゼル機関車です.
軸配置B-B、エンジン12175Z型×2(900ps/1500r.p.m.×2)、全長18m、重量84t、最高速度140km/h.
100両あまりが製造されて東北地区で使われ、 瀋陽方面からの列車を牽いて北京駅へも乗り入れていました.
私が北京-瀋陽間の夜行特快列車に乗車したときの牽引機でした.何回か列車から目撃しましたが、見た限りでは背中合わせの重連で使われていた様子です.

写真上は北京駅上楼から、進入してくる東方紅(DFH1)型牽引の列車です.
写真下は北京駅に隣接する北京機関区での撮影です.所属は瀋陽機関区になります.現在はすでに全機リタイアしていると思われます.
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日本のDD50型やJR貨物、北海道で活躍するDF200型にも似た好ましいスタイルです.
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2006/01/20 PM 03:09:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.192 80年代中国DL[1]
今日から時々、1980年代に撮影した中国国鉄のディーゼル機関車の写真をご覧頂きたいと思います.本編のコンテンツとして構成するつもりでしたが、なかなかまとめてポジ探し、スキャンをする時間というか根気が無いもので、一形式ずつこちらにアップします.完結後(いつになりますことやら)に本編であらためてまとめて公開するつもりです.
他のテーマのものでもこのように後日、本編のコンテンツにしたり、逆に先日の三宮の写真のように過去にアップした本編から観点を変えてブログで紹介するつもりです.
新鮮味は無いかもしれませんが、しょせん一人の引き出しのキャパシティには限界がありますし、一回のアップではなかなか表現しきれないテーマもあります.ご了承下さいね.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

第1回は東風3型(DF3)です.
ちなみに DFとは日本のDF(6動軸DL)という意味ではなく、東風の中国語ピン音(ローマ字)DONG FENGをあらわします.たまたま東風シリーズは6動軸なのでややこしくなっています.東風型は中国国産の電気式ディーゼル機関車シリーズにつけられた型式名です.

東風3型(DF3)は1972年から大連工場で176両製作された片運転台式の電気式ディーゼル機関車です.1958年から作られていた東風型=東風1型(DF1)の旅客型で形態(東風型の一次ロットは正面2枚窓)も諸元もほぼ同じですが、ギアレシオを変えて最高速度が100→120km/hとアップされています.オリジナルはソ連(当時)のTE3型ですがよく似ています.
片運転台は使いづらく見えますが、客車とは幌を繋げてコミュニケーションが取られ、列車として一体化します.出力不足の場合は背合わせ重連にすれば東風4なみの出力です.
軸配置C-C、エンジン10E207型(1800ps/850r.p.m.)、全長16.14m、重量125t.
東風型と併せて1000両以上が存在しましたが、主に中国南部で使われていたようで、私が初めて訪中した1983年当時はすでに後継機の東風4型(DF4)が登場していたこともあってじっくり見た記憶がありません.
唯一撮影したのは無錫駅で出会ったこの上局濾段(上海機関区)所属の0058号機.「周恩来号」の美しい姿です.北京豊台機関区所属の「毛沢東号」、哈爾浜機関区の「朱徳号」とともに中国国鉄三大栄光機関車で各機関区の代表機として前面にレリーフを掲げ、美しく磨き上げられています.
この3枚窓の前面はなかなか良いデザインですね.
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現在の「周恩来号」は後々継機の東風11へと受け継がれているようです.
東風1東風3とも現在は国鉄線上から姿を消していると思いますが、数年前に東北地区の専用鉄道での目撃情報があります.

参考までに当時の「朱徳号」は3台のうち唯一蒸機である前進型QJ2470号機でした.残念ながら「毛沢東号」(当時は東風4型)は見たことがありません.


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2006/01/19 AM 01:51:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | [80年代の中国DL]

No.191 リンク集

Webサイトに付き物なのは掲示板BBSと共にリンク集だと思います.よくネットサーフィンと言いますが、リンク集無しには成り立たないですよね.
しかし鉄道趣味関係のサイトではあまり利用されないようで、当サイトのリンク集にもアクセスは多くありません.
そこで昨年からひと工夫して各サイトの更新情報を載せることにしました.リアルタイムに載せるのが理想ですが、もちろんそれは無理というもので7〜10日に一度、各リンクサイトにアクセスしてリンク切れが無いか確認すると同時に、更新情報を得ています.本当はさらに新コンテンツの感想コメントを添えればパーフェクトですがそこまでは時間がありません.

リンク先もあまり多くなって分割などすると、複雑になって利用しづらいものになると思います.現在61サイトとリンクしていますがバナーが重く、これ以上増やすと開けにくくなりますので、これくらいが限界でしょう.
ぜひリンク集を時々ご覧頂き、こちらから他サイトへのご訪問をお願いいたします.

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2006/01/18 PM 06:48:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | [ウェブサイト・ブログ・写真]

No.190 揺れた日



1995(平成7)年1月17日の朝6時前、私は大阪府高槻市芥川の自宅(当時)マンションで、たまたま早く目が覚めたので頭をスッキリさせるためにシャワーを浴びていました.頭髪にシャンプーをかけようとしたその時、寒いはずなのになま暖かいような、普通とは違う空気を感じたのです.直後、遠くの方からゴーッという、あたかも戦車の大群が押し寄せてくるような音というか振動が、近づいて来ました.
慌てて浴室から出ようとしたとき、過去に経験したことの無いような大きな揺れが押し寄せました.何かに掴まらずにはいられないくらい、体感的には45°も前後左右に揺すぶられたようにな気がしたものです.瞬時に思ったことは「裸のまま死んだら格好悪いな」と意外と冷静でした.その時はまだ電気は点いていて、キッチンの棚から食器類が床に落ちて壊れるのが見えたところで真っ暗になりました.
その後は良く覚えていません、しかしまずドアが開くことを確認して千葉県の実家に電話をすると寝ぼけた声でお袋が出ました.ひとまず無事であることを伝えてから、身支度をして表へ出ました.これだけの地震であれば何処かへ避難しなければならない、と思ったからなのですが通りには誰も居ず拍子抜けでした.どころか人の話し声さえ聞こえません.一瞬自分だけ生きてるの?なんて変なことも考えたことも確かです.

仕方がないので部屋に戻ると間もなく電気が復旧、水道は異常なし.ガスは震度5以上だったので自動的に切断されていましたが復旧を試みると問題なく供給され、暖房も付けることができました.
しかし、テレビから流れる神戸の惨状には声も出ませんし、神戸に住む親戚知人や会社の同僚の身を案ずるばかりでした.
それから数ヶ月間は生活の上でも、仕事の上でも地震の影響でイレギュラーな日々が続いたものです.幸い会社の仲間は軽い怪我をされた方はいますが、全員無事.神戸市北区に住む親戚も何事も無かったことをご報告しておきます.
死者 6595人、負傷者 4万3792人、全壊及び半壊棟数 24万9180棟という未曾有の大災害を目の当たりにし、天変地異の恐ろしさ、酷なる自然の威力をひしひしと感じました.
阪神・淡路大震災からもう11年の歳月が経過しました.あんな怖い体験は二度としたくないですね.























写真は震災から12日後、阪神電鉄が神戸市内(青木駅)まで復旧した1月29日の神戸市三宮界隈と青木駅前.

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2006/01/17 AM 12:05:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [雑記・雑感・ぼやき・ほざき]

No.189 日高本線絵笛駅
今日は朝の「題名の無い音楽会」でキャサリン・ジェンキンスの可憐で迫力のある歌声を聴くことができてご機嫌です.




北海道日高本線の絵笛駅は私が日本中で一番好きな駅です.初めて訪れたのは1969年3月になります.日高本線に乗車してC11牽引の貨物列車撮影のため、全線ロケハンをしていましたが牧場の中にある小駅の素晴らしい情景に感激して、帰途に途中下車してみました.

それから数年間の間に何度この駅のホームに降りたでしょうか. 絵笛というロマンチックな字面と発音からなる地名の素晴らしさ.精悍なサラブレッドなどの競走馬たちの美しさと可愛らしさ、牧場で働く純情で優しい 人達.そして何よりもその素敵な絵笛の中を走る2本のレールとC11とディーゼル・カー.その姿に惚れ抜いて通い詰めることになりました.
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当時はたかがC11の走る日高本線は素晴らしい沿線風景を持つにもかかわらず、北海道を訪れる多くの蒸気機関車撮影のファンには見向きもされず、絵笛駅利用する人は地元の人以外は皆無に近かったと思います.雑誌などで写真を見ることもほとんどありませんでした.

日高本線は襟裳岬に向かう国道236号浦河国道と併行していますが絵笛駅は山中にあります.太平洋沿いに走る国道とは一山隔てていますので、通過するトラックや乗用車とは無縁で驚くほど静かで長閑です.地図検索システムで見て判るかと思いますが、駅の両側で線路は20‰の小さな峠を越えるのでC11牽引の貨物列車は上下とも力行する、という撮影には持ってこいの場所でした.
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このような素晴らしい絵笛を一人占めするのも勿体ないと思い、北海道の他の撮影地で会う人ごとに語り、鉄道雑誌にも撮影地ガイドを何回か書かせて頂いたので、C11が無くなる1974 年前には少しはファンが訪れるようになったようです.

その後は再び静かな絵笛駅に戻り、私も行かなくなり30年近くの時が過ぎましたが、5年ほど前テレビドラマ「天国への階段」「ホーム&アウェイ」の舞台になり、一躍全国区になってしまい驚きました. 地元の誘致もあるのでしょうが、日高線沿線はドラマロケ地として知られるようになったところが何ヶ所かあります.

2年前に渡道したときに久しぶりに日高線列車に乗車、絵笛駅で降りる予定でしたが折からの強風、大雨で牧場には馬が出て居らず、この中で数時間過ごすのは無理と判断して様似まで往復しただけに終わりました.車窓から見た絵笛は多少住宅が増えたような気がしますが、30数年前とさほど変化は無いように思えました.
また機会があれば天気の良い日に再訪するつもりです.
写真は1970-72の撮影です.

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2006/01/15 PM 12:50:22 | Comment(1) | TrackBack(0) | [駅]

No.188 Vigoの朝
ジャズピアニストの本田竹広さんの訃報に接しました.個人的に知り合いというわけではありませんでしたが、大学時代良く聞きに行ったナベサダ(=渡辺貞夫さん)のライブや公開録音にご自分のトリオやジョイントで度々参加されていて(その後渡辺貞夫カルテットに正式所属)、そのダイナミックな演奏に感銘を受けたものです.今から20年ほど前、たまたま友人と入った銀座のジャズ喫茶「スイング」では当時氏が主宰していたフュージョングループ「ネイティブ・サン」が出演していて、昔とはひと味違った演奏にバーボン・ソーダを呑みながら聴き入ることができました.氏の演奏は何か自分の波長に合うような、安らぎを感じさせるものがあったようです.

1995年には脳内出血で倒れたとのニュースがあり、心配していましたが、障害を抱えながらも復帰され演奏活動を続けられていてまた生で聴くチャンスもあるかな、と思っていましたが残念なことになってしまいました.享年僅か60歳.
激しいジャズの曲や、軽快なラテン系の音楽、クラッシックなど幅広いジャンルの曲を「本田竹広節」とでも言えるような独特な演奏で聴かせて魅せて頂きました.今は聴か(け)なくなった古いLPが押入で埃を被っているはずです.


久しぶりにヨーロッパ編です.1976年9月スペイン北西部、大西洋に面した港町Vigoビーゴ泊、前夜は旨い魚介類を地元産ワインで味わい、良い気分で寝付くことができました.
翌朝はいよいよポルトガルへ向かう国際列車(と言っても2両編成の近郊型ディーゼル・カーですが) に乗車するために早朝のビーゴ駅に向かいました.そこでのスナップです.

レールバスのような小型のディーゼル・カーのローカル列車が発車して行きました.傍らにいるDLはどこか日本のものに似ていますね.

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こちらはマドリッド行の特急列車です.イタリア、フィアット製のディーゼル・カーですが、青と黄色に塗り分けられた格好良い車体は、どこか近鉄特急を彷彿とさせました.

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自分の乗ったポルトガル国鉄のディーゼル・カーは、上の写真の左に少しだけ写っているステンレス車ですが、 肝心なその写真は何故かネガが脱落しています.はて何処へ行ってしまったか?

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2006/01/14 AM 10:22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | [ヨーロッパ]

No.187 ブログ開設
当ブログも開設以来6ヶ月を経過、毎日100数十名の方々にご覧頂いています.年賀状やmailには「ブログ毎日見ていますよ」の文字が多く見られてやりがいを感じます.
なかなか毎日続ける、というのはネタ選びも含めて楽というわけではありませんが、さりとて苦ということでも無いのが幸いしています.ただ一回休むと休み癖がつき、永久にお休み・・・・・・.なんていうブログ(鉄関係ではないですが)も見かけます.
このブログはTOK2のサーバーにあり、過去ログを自分で取ることができません.将来的に何時まで保存されるのかは?ですが、サーバーの都合で消えてしまう可能性も無きにしもあらずで不安な面もあります.一応テキストと画像は必ず保存してバックアップはしてありますが、これらを一定のフォーマットで復元するとすれば大変な手間となってしまいますね.

最近当サイトとリンクをして頂いているお二方が相次いでブログを開設されましたので、ご紹介します.

まず鉄道幻灯館を主宰されているHNくまさんによるブログ「鉄道幻灯館」です. くまさんは水中写真の第一人者で、そちらのサイトも主宰されていますが、その確かなカメラの腕で鉄道を詩情的に表現されることを得意とされています.
ブログでは今まで掲示板に公開されていた「本日の思いでの1枚」をほぼ毎日アップされ、原則として「月 ディーゼル機関車」「火 蒸機(日本)」「水 電気機関車」「木 蒸機(中国)」「金 気動車」「土 電車」「日 フリーテーマ(最近のエポック)」を日替わりのテーマとしています.旧作あり、新作あり何が出てくるか毎日の楽しみです.


次はかつて「鉄路の記憶」という人気サイトを開かれていた国府津さんのブログ「あの日あの時」です.
ご多忙ということでサイトは素材列車という形で残されていましたが、実質的には休眠されていました.
1970-80年代の思い出の写真を公開されて行くようです.かなりの写真ストックをお持ちのはずですから今後の展開が期待されます.


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2006/01/11 AM 01:29:49 | Comment(3) | TrackBack(0) | [ウェブサイト・ブログ・写真]

No.186 そっくり
1988年9月、中国山西省大同で行われた第一回大同国際蒸気機関車フェスティバルに参加しました.これは長年蒸気機関車を製造してきた中国国鉄大同工場での蒸気機関車製造中止を記念してのもので、世界各国からの招待客や地元の人々を集めて盛大に行われたものです.詳細は本編を見て頂くとして、そのアトラクションでの1カットです.
北京から同行して頂いた鉄道出版社のLさんが「寺田さん、サンマがいますよ」と手を引っ張ります.一瞬何のことか判りませんでしたが目を向けたその先にはなんと!
竹馬に乗ってニコニコ笑う歌舞役者さんは顔の輪郭といい特徴のあるBucktoothといい、本人と見まがうようなそっくりさん.当時はひょうきん族が放送されていた頃で、日本滞在経験のあるLさんも大笑いしてました.
帰国後に芸能人と空似の写真を投稿する番組もありましたので、応募しようと何回も思いました.結局出しませんでしたが・・・・.
この写真、数年前に本編にアップしましたが、Hさんからコメントを頂きました.「後の役者さんはタケちゃんマンじゃないの」よく見ると「アララ!」

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2006/01/10 PM 11:26:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | [中国の鉄道]

No.185 湧網線キハ22
驚きました.昨日2006年撮り初め真岡鐵道を緊急アップしましたが昨日だけで500アクセス.本日は当サイト開設以来の1000アクセスを超えました!昔々の現役時代の蒸機にはあまり興味の無い若い人達も、リアルタイムで見ることのできる真岡鐵道のC11は違うようですね.何か複雑な気持ちもありますが、大変嬉しいことです.本当にありがとうございました.

さらに昨日のブログでもご紹介した龍門の滝の烏山線キハ40の写真に、若い隠密さんからコメントを頂きました.「大人の鉄写真」とおだてられて、すっかり良い気分になっています.

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そこで調子に乗ってこの写真をご覧下さい.1978年12月31日の北海道湧網線のキハ22列車です.場所はクルマで行った時のため失念してしまいましたが、風が強くてもの凄く寒かったのを覚えています.バックはサロマ湖です.私が今まで撮影した中で好きな写真の1つですが、その寒さが伝わるでしょうか?
湧網線はその後1987年3月20日に廃止になってしまいました.

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2006/01/09 PM 11:56:11 | Comment(4) | TrackBack(0) | [電車・気動車]

No.184 龍門の滝-2
昨日の成果を本日アップしました.復活蒸機は多くの方が素晴らしい作品を発表されていますので比較されるのは辛いところですが、まあご笑覧下さい.としか言えません.

昨日のブログで龍門の滝での成果について謎をかけておきました.真岡鐵道の蒸機列車を追いかけてきた場合、6001列車の茂木駅到着は12時02分、折り返し6002列車の発車は14時28分ですので約2時間半のインターバルがあります.
茂木駅から龍門の滝までは約15km.道路は空いているので片道約20分の所要時分です.
左の烏山線滝駅時刻表で見ると上りが12時44分、13時44分、下りが13時6分の3本が撮影できると思います.14時6分を撮影しても間に合うかも知れませんが、少々危険ですね.
6002列車を天矢場のお立ち台などで撮りたい場合は、置き三脚などで場所取りして置く必要があります.
昨日の私は茂木で食事をしてから滝に向かいましたので、烏山線の撮影は2本のみです.滝のある場所は駐車場(無料) から5分くらい.滝の下に向かって階段を降りてゆく形になりますのでポジションは高いところ、低いところ、いろいろ取れますが線路を俯瞰できるような場所はありません.
滝壺に近い下から狙うと滝の迫力はありますがキハが上半分くらいしか写りませんし、あまり上の方から狙うと滝の迫力が今ひとつとなります.
そしてここで撮る場合、キハの音が滝の音に消されて直前まで聞こえないので要注意です.案の定1本目は突然やって来てタイミングが遅れてしまいました.


2本目は安全策、キハの見えている時間が少し長い場所に変更して待ちました.気温が上がり、滝の氷がどんどんと崩れ落ちてゆくのでそちらも気がかりでした.2本目は風向きが変わったせいか、少し前から音が聞こえて心の準備をすることができ、何とかうまく撮れました.しかしここまで引いてしまうと、凍った滝の迫力がほとんど感じられませんね.水量が多い時期には滝が左右全体に広がるそうです.
この時間は滝やキハに対してモロ順光で、わざわざこのためだけに訪れる価値もあるかもしれませんが、やはり真岡鐵道との掛け持ちで行く方が効率が良さそうです.
クルマで行かれた方はぜひトライしてみてください.途中の道も軽い峠があったりしてドライブも楽しめます.

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2006/01/08 PM 11:45:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | [烏山線と龍門の滝]

No.183 2006年撮り初め

今日は天気が良さそうなので8時30分頃に決心して急遽出かけることにしました.しかし寒そうなので下着と靴下に貼るカイロを装着、久しぶりにハンドルを握っていざ出発です.
さて肝心な行き先なんですが迷いました.候補地の中で江ノ電は初詣客で混みそうですし、茨交は高速代が高い.鹿島鉄道は今一ポイントが決まらない.なんて考えていたら、今日は真岡鐵道のC11の今年初運転日であることを思い出しました.やっぱり蒸機がイイね.ということで2年振りの真岡行きが決定です.
SL真岡号の下館発が10時36分、60km以上あるのにもう1時間半しかありません.しかし道路が空いていて、特に飛ばしたわけでは無いのですが10時20分には下館に到着しました.

実は今まで真岡を訪れるときには必ず自分に課題を与えていました.ある時はステレオサイズで撮影、ある時は真横のカットを中心に撮る.などと手近な撮影地であるが故に、いつも同じような写真ばかりを撮らないように工夫していました.
今日の課題は往路のクルマの中で考えた結果、
1.下手な技巧に走らず、初心に還って撮る.若い頃に現役蒸機を撮影していた頃の気持ちで撮るということです.
2.停車中の姿と駅構内での出発シーンは撮らない.つまり駅間での走りシーンに限る.
3.過去に撮影したカットと同じ構図では撮らない.
以上3つを実行することにしました.

実際の撮影成果がどうだったかは明日にでも緊急アップするつもりです.
クルマで移動のせいもありますが、今日は一日中天気が良く、風が無かったので暖かささえ感じました.

終点茂木では蒸機列車の折り返し時間が2時間以上あり、いつもヒマを持て余し、寝ていたりしますが今日は久しぶりに烏山の龍門の滝を訪れました.茂木からわずか20分の距離です.ここのところ寒いのでひょっとしたらと思って行ったのですが、やはり半分ほど凍っていました.水量は今ひとつですが、なかなかの迫力でした.
ここでのお楽しみは烏山線キハ40との組み合わせですが、成果は明日ということで.

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久しぶりに煙を見たせいか体調は良く、300km近いドライブもそれほど苦ではありませんでした.

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2006/01/07 PM 10:59:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | [復活蒸機の走る線]

No.182 オーバーハング

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写真は1971年2月28日、大阪は竜華操車場を出発する阪和線貨物列車で、 先頭に立つのは1928(昭和3)年製の古強者EF52のトップナンバーです.関東では旅客用機関車が貨物列車を牽引する姿はお目にかかれませんでしたから好奇の眼差しを向けたものです.
この編成を見て、実物と模型のスケールの差(当たり前なんですが、それ以上にという意味です)をひしひしと感じたものです.模型で例えば2軸先台車のある旅客用機関車と2軸貨車を連結した場合、連結器の支点をかなり奥にして大きく左右動をさせなければ、カーブの始めやポイント部分では貨車側が脱線すること必至です.模型を走らせたことのある方は容易に想像がつくと思います.
ところが実物は連結器のピンは台車枠前端にありますし、貨車側も同じようなものなのに全く普通にポイントも通過して行ってしまいます.
ましてこの編成はEF52の次はワフ22000、しかも貨物室側が機関車と連結しています.下の写真で判ると思いますが、この形式は軽い車掌室側とバランスを取るために貨物室側のオーバーハングが極端に短くなっています.こんな編成を模型で組むこと自体が自殺行為みたいなもんで、普通やりませんよね.
まあ、それだけ実物のカーブが緩いというか、模型のカーブがきついということになるんでしょう.
実物では急カーブといえる半径200mのカーブは1/150スケールでは1330Rになります.これだけあればNゲージの新幹線車両がスケールスピード500km/h 以上でぶっ飛べますね.

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2006/01/06 AM 12:19:48 | Comment(3) | TrackBack(1) | [電気・ディーゼル機関車]

No.181 C12ナンバー


ナンバー・プレートに数字がきれいに並ぶ(ぞろ目や123などの並び)機関車ってなかなか無いので希少価値があります.とはいってもまず形式の数字が揃っていることが前提条件になります.
該当する形式としては、C11、C12、C55、C56.あら、これしかありませんでした.D型は全部ダメですね.
では4形式の中で実際に存在したナンバーというと.C111・C1111・C11111.C123・C1234.C5555.C5678と6両でした.
C111福知山区に居て現在は青梅鉄道公園で保存. C1111 は米子区所属でお召牽引の実績もあります.C11111も山陰方面で活躍していたはずです.C5555は九州で都城機関区所属で日豊本線で走っていたと思います.C5678はタイに戦時供出されてしまっています.いずれも実際に見るチャンスはありませんでした.
上の写真は喜多方駅で1968年7月に撮影したC12234で日中線の混合列車を牽いてきました.該当機ではありませんが惜しい!ところでしたね.
その数年前1966年2月に飯山機関区で出会ったC1234です.飯山区の所属ではありませんがスキー臨牽引のための借り入れ機です.豪雪の飯山線を走るのにスノープラウが付いていません.
この時にはC56111も撮影することが出来ました.




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2006/01/05 PM 11:54:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.180 おおぞら・北海

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1967年当時の夜半12時過ぎには青森から函館へ向かって連絡船が1便、101便と雁行していました. この便には東北本線のキハ81系特急「はつかり」、客車急行「第2みちのく」(上野発)、奥羽本線キハ82特急「白鳥」(大阪発)、キハ58系急行「しらゆき」(金沢発)と優等列車の接続を受ける青函連絡船では一番人気のある便で、いつも満員の日が多かったようです.
特に「はつかり」-1便-「おおぞら」の連絡は当時の東京-札幌間最速列車でしたから指定券を取るのも至難の業でした.
函館側でこの2本の便を受けるのはキハ82系特急「おおぞら」(東室蘭、札幌経由釧路行き)、「北海」(倶知安、札幌経由旭川行き)とキハ58系急行「ニセコ」(倶知安経由札幌行き) が当たり、早朝の函館駅ホームには2本のキハ82系特急が並び、連絡船からの乗客を待っていたものです.

1967年の12月に盛岡から「第2みちのく」で青森に到着しました.希望としては先行する1便に乗船したかったのですが、接続特急の指定券を持っていないと乗れませんでした.当時の特急は全席指定だったので自由席に乗るから、という手は通用しません.
3本の列車が待っているとはいっても、実は「おおぞら」には先行の1便しか接続しません.101便到着時には「おおぞら」はすでに出発後、ということで2本が並んだ姿を撮影することが出来ないんです.
我々が乗るのは急行ですから本当は乗れませんが、ダメモトで正直に写真を撮りたいので1便に乗せて欲しい、とお願いすると何とOK! お陰様で↑の写真を撮ることが出来ました.
しかし「おおぞら」が13両の長い編成なのに「北海」は7両編成で前後ともきれいに頭を揃える姿は撮れない状態でした.右上空中には函館山山頂の灯りが写っています.
連絡船は定員がはっきり決まっているので均一周遊券の自由席利用だと満席で乗れず、後の便に回されることもしばしばでした.接続の優等列車の乗客が最優先なので、わざわざ長万部まで戻って急行に乗ったこともあります.

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2006/01/04 PM 11:21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [電車・気動車]

No.179 fake はくつる

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ネコパブの山下さんから、国鉄時代4に掲載する「夜のハドソン」をまとめて欲しい.との依頼があったときにこの写真を入れるかどうか迷いました.「はくつる」のヘッドマークを付けたC6014@盛岡機関区ですから、テーマとしては申し分のないカットなんですが・・・・.
結局プレゼに出すのは見送りました.なぜならばこのC60のヘッドマークは機関区事務所にあったものを借り、許可をもらってたまたまそばに居たC6014のフロントデッキに置いて(ステーはありませんでした)撮影したものだったからです.当時(1967年12月)「はくつる」はすでにDD51重連牽引になっていました.
自分のホームページに出してはいましたが、やはり公の出版物に掲載されるのはまずいだろうと、当然ながら自粛した次第です.
C60+C61重連牽引の「はくつる」が撮れなかったのは残念なことの1つですが、青森到着が早朝だったことを考えれば幻のシーンと言えます.

ではこのマーク付きDD51重連なら堂々と出せるかと言えば、やはり×です.この重連もC6014 の隣に停車していたもので、付き添いの職員さんに断って取り付けて撮影しました.別の貨物列車牽引用だったらしく、撮影中に事情を知らない乗務員さんが仕業点検に現れて驚かせてしまいました.ごめんなさい.

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2006/01/03 AM 12:04:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.178 初詣臨

毎年正月になると初詣のための臨時列車が運転され、イレギュラーな車両の運用で、貴重なシーンを撮影するためにファンも出かけて行くことになるようです.
関東では成田臨や高尾臨などが有名で、昔からいろいろ運転されています.ところで、この臨時列車のお客さんは駅で募集するものなのでしょうか?どういう人達が、どのような単位で乗っているのか、かねてから疑問に思っています.一口にお寺に初詣をするとは言っても宗派などがありますから、何処のお寺でも良いというものでもないはずです.交通情勢や生活習慣が変わって行く中で毎年運転されている、ということはそれなりの需要があるからなのでしょうね.
写真は1969年の八高線高尾臨の帰路で、C58202の牽引です(高麗川-毛呂).2月の節分臨とともに八高線では貴重な客車列車でした.C58またはD51が高崎-高尾間を中央線直通で牽引、お客さんが高尾山薬王院に参詣中は八王子まで回送留置の場合と客車は高尾に留置、機関車だけ八王子に戻って転向する場合が年によりあったようです.

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2006/01/02 PM 10:19:44 | Comment(4) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.177 2006年 元日
2006年元日を迎えました.新年おめでとうございます.今年1年の世の中、皆さんとご家族、そして私と私の家族が平穏無事に過ごすことができますよう、心から祈念いたします.


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正月らしい写真をご用意しました.1979年1月1日、川湯温泉硫黄山(アトサヌプリ)での光景です.一端帰りかけてクルマに乗ったところ、この親子連れが山の方へ向かっていったので後を追いかけて撮影したものです.

川湯から尾岱沼の白鳥を見に行きましたが、大変良い天気で美しい光景に心が和みました.

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2006/01/01 PM 07:08:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | [旅の1頁]










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