【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.176 2005年 大晦
12月31日、大晦おおつごもりをむかえました.今年は私個人にとっては災いの年でした.体調も悪くて良いことはほとんどありませんでしたが、7月1日からこのブログを始めたことにより毎日毎日の区切りがつけられ、生活がある意味規則的なものになったことは救いの1つと言えます.
というわけで、当ブログ(轍楽之路付"録"ブログ)もちょうど半年の歴史を刻むことが出来ました.11月までは皆勤賞でしたが、12月はサーバー・トラブルでアップできなかった日があり、それをきっかけにして無理に毎日続けるのは止めることにしました.それでもおかげさまで、通しナンバーは今日で176を数えています.
カウンターも30000を超えていますので、毎日百数十名の方々にご覧頂いていることになります.リピーターの方も多いかと思いますし、内容により検索にも良くかかるようなので、あまりいい加減なことも書けません.うろ覚えのものをそのまま書くとご迷惑をかけることもあるかと思いますので、なるべく裏付けを取るように心がけていましたが、メールでご指摘を受けて慌てて訂正したことも何度かありました.


今日は1年の締めくくりとして、今年1年に撮影した写真の中から印象的なものを並べてみました.本格的に撮影したものでは無く、近場だけですがシャッター回数は結構切ってるんだな〜、とあらためて思った次第です.
関連コンテンツをリンクしておきましたので、まだご覧になっていない方はよろしければご笑覧下さい.

[1] 1月15日
常磐線三河島駅で撮影した183系成田臨です.高崎線方面からの列車ですが武蔵野線経由とはならずに上野駅折り返しでした.この区間での直流特急車の運転は大変珍しいものと思います.

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[2] 3月31日
ついに日立電鉄が廃止になってしまいました.20年以上前から何回か撮影していた路線ですが大変残念なことです.27日(クルマ)と31日(電車)と2回訪問して全線の様子を記録しました.
このカットは大橋駅をのぞむ国道バイパスから300mmでねらったものですが、どうしても夕方の交換風景を撮りたくて三脚と感度1600のフィルムをこのために用意して行きました.(実際はかなり暗いです)

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[3] 4月15日
山手線の205系電車、最後の1編成が4月17日でリタイアということで14日、15日に撮影しました.浜松町駅の小便小僧とのコラボは何回やっても外回り電車と被ってしまい失敗!こうなると意地でも撮ってやると思い、4回目でやっと撮れたものです.この時にも直ぐ背後には外回り電車が迫っていました.

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[4] 5月10日
8月24日開通予定のTX(つくばエクスプレス)の試運転がたけなわのようなので、北千住付近で撮影地を探してみました.全線防音フェンスにガードされていて、足回りまで見える撮影場所は高い場所に求めるしかありません.北千住駅付近で登れるビルはいくつもありませんが、JR常磐線の真上にある駐車場の非常階段から撮ったカットです.屋上から簡単に出ることができますし、特に立ち入り禁止の表示もありませんでした.

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[5] 5月26日
NHKで都電三ノ輪橋駅付近のバラが満開だとのニュースを見て、快晴の午後に行ってきました.鉄道関係のネットでは全く話題になってはいませんでしたが、平日の午後はあきらかに都電とバラ目当ての観光客が多く、駅一帯はさながらテーマパークのような雰囲気と賑わいでした.カラフルなバラと電車の組み合わせはどこから撮っても絵になりますし、電車もボンボン来ますからいろいろなアングルを楽しむことができます.

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[6] 6月19日
六甲の山中から頸城鉄道の車両が里帰りしてから初めての公開となりました.多少迷ったんですが、鈍行で往復することにして出かけました.さすが片道6時間はしんどくて、帰路は越後湯沢で1時間の接続待ちが辛抱できず新幹線に乗ってしまいました.
憧れのホジ3や西武山口線以来33年振りに再会したコッペル2号機の姿に感激しました.結局この時が今年一番の遠出でした.

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[7] 7月20日
上野駅が面白い.この頃は秋葉原のオフィースに通っていましたが、行き帰りに上野駅で臨時列車や新しいアングルを探してみました.
地平ホーム先端モニュメント付近から見上げた常磐線ホームの様子が新鮮に見えて、いろいろ角度を変えて撮影しました.来る列車がE231ばかりなので変わり映えしませんが、別の場所で撮影しているときに、たまたま1本しかない103系が入線してくるのを見て慌てて駆けつけました.
いよいよこの首都圏最後の103系も3月で消えるようです.

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[8] 7月22日
川越線-八高線を走っていた103系3000番代も最後の一編成(ハエ53編成)が残るだけでしたが5月15日以来出番が無く、これで廃止かと思われていました.ところが7月21・22日と急遽運用に就くことがネット情報で判り、撮影というよりもお名残り乗車に行ってきました.103系とはいってもこの車両はもと旧型国電モハ72系電車の更新車体を使っているので少々年期が入っています.印象的だったのはクハに使われているもと101系DT21T台車の乗り心地の良さでした.
ハエ53編成はその後10月2日にさよなら運転が行われ、さらに10月12日にも営業運転に就いたのを最後に廃車になってしまいました.
写真は武蔵高萩駅です.

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[9] 8月15日
成田市内に保存されているD51609の撮影の帰りに成田線空港支線に寄りました.沿線はほとんどが高架かトンネル.国際空港関連施設ですから、当然のごとく全線フェンスに囲まれていて大変ガードが堅い路線です.
しかし、数ヶ所に路線を越える農道?があり、上から撮れそうです.なかなか入口が見つかりませんでしたが、一ヶ所だけ急勾配のアプローチを見つけてクルマを乗り入れました.ネットフェンスの間から撮影できましたがなかなかのロケーションですね.

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[10] 11月18日
12月改正で石巻からやって来る北王子貨物駅行きの紙輸送列車に使われていた2軸車ワム80000型がボギーのコンテナ車に置き換えられるとのことで、晴天の日に出かけました.とは言っても自宅からクルマで20分ほどの南柏-北小金間の有名な歩道橋、近場です.ここは一見どこからでも撮れそうですが微妙な場所にネットがあって、架線、架線柱、電線などをクリアするのはなかなか難しい場所です.(誰が開けたか直径15cmほどの穴がネットに2ヶ所あったので利用させてもらいました)
上り5262列車はワムが20両+コンテナ車10両の長編成で この日は北斗星塗色のEF8186の牽引でした.
懐かしい2軸車はまだ他に残っているのでしょうか?タンタンタンタンというジョイント音、ドアと連結器をガシャガシャ言わせながら走る貨物列車も過去のモノになってしまいました.今回の常磐線2軸車ワムの廃止があまり騒がれなかったのは残念です.撮影しているカメラマンも見かけませんでした.

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[11] 12月13日
東急世田谷線にぺこちゃんカラーの300型が登場とのニュースを聞き、 早速見に行きました.最初は抜けるような青空で逆光撮影やハレーションに悩まされました.ところが昼過ぎから一転俄にかき曇り白いものがチラチラし出すような天気、撮影する気勢もそがれましたが、沿線の晩秋色を探して全線5kmを歩いてみました.結局一番季節色があったのは三軒茶屋駅のホームから進入シーンだったのですが.

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本年は轍楽之路および轍楽之路付"録"ブログをご覧頂きありがとうございました.
来年も引き続きご贔屓下さいますよう、よろしくお願いいたします.


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2005/12/31 PM 03:43:40 | [ウェブサイト・ブログ・写真]

No.175 智東のC55

昨日の続きになりますが、3月で廃止される智東駅付近では、名寄で交換する上下のC55牽引の普通列車をあまり待つことなく撮影できます.この写真は1972年3月、初めて自分のクルマで行った時の撮影です.
雪原の向こうを行く列車を流してみたんですが、止まりませんでしたし、木にもかかってしまいました.(残念)
C55はスポーク動輪ですが、三つの動輪全てがきれいに抜けて向こう側が見えます.このようにバックが雪だったりすると素晴らしい作品が出来る可能性があるのですが、当時はそこまで気が廻りませんでした.

宗谷本線のC55はそのうちにまとめようと思っています(以前一回アップしたことがありますが、事情があって今は引っ込めています)ので、余り多くはお見せできませんが是非ご期待下さい.

取り敢えず新年1月1日からのトップページは智東駅でのC5547 を予定しています.
今年も残りあと24時間ですね.新年恒例の風邪をひかないように暖かくして寝ることにします.

写真は智東駅構内に乗り入れた当時の愛車ギャランです.まだ高速の無い東北路をはるばる走って行きました.


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2005/12/30 PM 11:21:04 | [現役蒸機の時代]

No.174 張碓・智東駅が廃止
JR北海道から2006年3月18日のダイヤ改訂が発表されました.特急列車の増発や札幌周辺の快速などが増便されるようで大きく取り上げられています.
それに較べれば小さく以下の7駅の営業廃止が告知されています.どの駅も名称としてはお馴染みですが、最近は休止状態であったり冬期休業の駅や、一日2-3本の列車しか停車しない駅ばかりです.

張碓駅(函館本線停車列車なし)、中徳富なかとっぷ駅(札沼線3往復停車/日)、智東駅(宗谷本線2往復停車/日、冬期休業)、南下沼駅(宗谷本線2往復停車/日)、新栄野駅(石北本線上り3本、下り1本停車/日)、東幌糠駅(留萌本線2往復停車/日)、旭浜駅(室蘭本線上り5本、下り4本停車/日)


張碓駅は本編で、智東駅はこのブログの[好きな駅]で取り上げている私にとって懐かしい駅なので感慨深いものがあります.廃止の噂があった宗谷本線の塩狩駅は今回見送られたようです.
利用者がいないから廃止なんでしょうが、本数が少ないので利用できないという面などを述べてもその議論はとうの昔に終わっているんでしょうね.
カナダなどの小駅のようなフラッグストップやバスのように申告制、予約制などの形で停留所を設ければ、などと素人は考えてしまいますが・・・.
JR北海道ではバスをそのままレールの上を走らせるシステムを開発中ですが、逆にあんな苦労して線路上を走らせなくても、そのまま道路を走らせた方がコスト的にも安価で利便性も良いのではないか、とも考えてしまいます.

今回の改定ではさらに残念なこともあります.
夜行特急の「利尻」札幌-旭川間と 「オホーツク9・10号」札幌-網走間が季節運転になってしまうことです.
「利尻」は夏期の離島・花観光シーズン、「オホーツク9・10号」は 冬期の流氷観光シーズンのみの運転ということで季節列車とは言ってもかなり限定されたものになるようです.
この列車達は急行時代にはさんざんお世話になっています.均一周遊券利用の旅では大事な足として、宿として.撮影対象としてもC55牽引であったり、D51牽引の最後の急行列車、北見以東の普通区間、いわゆる「大雪くずれ」の長い編成を牽くC58の勇姿を多くのファンがカメラに記録したことでしょう.
現在でも「北海道フリーきっぷ」などで利用できますが、廃止になると有効期間の短い同切符の利用者には辛いものがありますね.

通常は4連(ハネ1両)の「利尻」も夏期は7連に増結.2001年8月 稚内駅


「オホーツク10号」1996年10月 網走駅

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2005/12/29 PM 11:57:37 | [駅]

No.173 切り詰めデフ


北海道を走行する蒸気機関車の徐煙板(=デフレクター)は、その前端が切り詰めカットされているのが特徴でした. D51型、D61型と9600型、C58型のほぼ全機、D52型は1両(204号機↑写真1970年3月 長万部機関区)、C57型には終焉間近の1973年頃から施工されています.C55型、C62型は施工機なし、C11型にもなぜか施工されていません.

この切り詰め工事は電化対策ということだそうです.北海道の場合は冬期、入れ換作業の誘導係は前部ステップには線路脇に積み上げられた雪に干渉してぶら下がれないので、デッキに乗車します.その際後方を見る場合は、デフが邪魔になるのでランボードに登っていました.しかし20000ボルトの架線下では危険なので、デフ前端をちょん切ってしまった訳です.ランボードに登るステップ部分には[架線注意]の札を両側から吊って登れないようにしていました.(機関区内での作業では邪魔なので、片側が外されて札がぶら下がっているのも良く見かけましたが)
電化区間(函館本線小樽-旭川)には直接関係の無い、道東道北などの9600型などにも及んだのは、配転の自由度を持たせるためだったのでしょう.
C57についてはデッキに積もった雪を排除しやすいようにカットした.との話しもあります.

この写真のD616号機は1966年7月 留萠機関区での撮影ですが、最初は左側のデフのみカットしていました.おそらく他機に先駆けての切り詰の試作ではないかと思います. この機関車は後に右側もカットされて他機と同じ仕様になっています.


北海道以外では福知山機関区のD51727が同様のカットをされていました.北海道に配置されていたことはありませんが当時は同じ国鉄ですから、これも北海道仕様の試作だったのかも知れません.
D51 Boxより(1969年8月 福知山機関区 photo by 飯山18688さん)


この切り詰めデフは冬が厳しい北海道仕様の象徴として結構人気がありますが、私はやはりオリジナルの方が好みです.

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2005/12/28 AM 12:06:08 | [現役蒸機の時代]

No.172 バックアップ

久しぶりにPCのバックアップをしました.今まではMOに落としていたのですが、HPの容量が大きくなりすぎて何枚にも分割しなければなりません.また最近MOドライブの調子が悪いので今回は外付けのハードディスクにしました.
これがけちってUSB接続のものにしたものですから、えらく時間がかかってしまったんです.HP の画像ファイルの中にはきちっと作っていないボツファイルも入っているため、そこですべてエラーになって止まってしまいます.それをいちいちチェックしていったので3日ほど費やしてしまいました.
その間PC作業(=仕事)はやってできないことは無いですが、コピーはさらに遅くなり、フリーズする確率も高いのでやりませんでした.ではコピーをかけて外出してしまおうかとも思うんですが、前述のようにコピーが途中でストップすることも多いので、PCに貼り付いていないと何時まで経っても終わりません.
まあ次回からは更新分だけの追加ですから、それほどではないと思います.

今までクラッシュやサーバーデータ消失!なんて悲劇も味わっていますので、バックアップを最近サボっているのは気がかりでした.まあこれで一安心ではあります.

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2005/12/27 PM 11:47:53 | [コンピューター]

No.171 岐阜国体お召
年の瀬に羽越本線で大きな事故が起こってしまいました.強風での転覆事故といえば1986(昭和61)12月28日、山陰本線餘部鉄橋での「みやび」転落事故が思い起こされます.同じ12月末、駅名も似通った余目近くの鉄橋ということで、因縁さえ感じます.
事故に遭われた方々には心よりのお見舞い申し上げます.
原因はこれから究明されてゆくでしょうが、強風や大雪の中を通常と同じように高速で走行する在来線列車に乗り合わせて恐怖を感じたことがあります.運転士さんの中には恐怖で徐行してしまう方もおられる、ということですが、人間であれば当たり前だと思います.
しかし朝の番組に掛け持ちで出演されていた鉄道アナリストのK氏が「強風で脱線転覆するとは考えられません!」と断言していたのには驚きました.(実際には話の前後があったとは思いますが、そのように編集されてました) 氏は尼崎事故の時にも、原因はボルスタレス台車の欠陥にあるようなトンチンカンな発言をされていたことが印象に残っています.



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今日のご紹介は1965(昭和40)年秋の岐阜国体お召列車を牽引したC58です.
当時はすでに新幹線は開通していますが、お召列車は在来線で東京からの運転でした.
日程は
10月23日原宿11:35-岐阜16:33
10月24日美濃関11:15-郡上八幡12:05 郡上八幡14:16-岐阜16:01
10月27日岐阜10:05-多治見11:02 土岐市14:39-岐阜15:48
10月28日岐阜11:20-原宿17:00
使用機関車は東海道本線がEF5861、高山本線、太多線が美濃太田機関区所属のC58250とC58354がその任に当たりました.
写真は1965年10月25日、美濃太田機関区でのC58250の美しい姿です.

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2005/12/26 PM 05:27:44 | [現役蒸機の時代]

No.170 ラッセル車

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磐越西線のクリスマストレインは運休になったようです.C57180の雪中力走を楽しみにしていた大人はともかく、今日の日が本当に待ち遠しかった子供たち、イベントの準備に忙しかった関係者の方たちのガッカリした気持ちや無念さを思うと残念です.ホワイト・クリスマスったって限度があるよ.

今日も1970年1月26日、只見線(当時は小出-大白川間)上條駅付近でのラッセル車です.推進はC11でしたが機番は不明です.このラッセルは帰路だったのですが、未明の往路で大方の雪は飛ばしていったため線路上にはあまり雪が残っていませんでした.しかし、この辺だけは往路で飛ばさなかったようで数百メートルに渡って残っていたため、ラッセルらしい写真を撮ることが出来ました.
ラッセル除雪列車は駅で見かけることは何度かありましたが、沿線で実際に雪をはね飛ばしている除雪風景を撮影したのはこの時が最初で最後です.

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2005/12/24 AM 10:19:00 | [現役蒸機の時代]

No.169 寒波ですね


寒くて天気が良いのに出かけられません.日本海側の雪は12月としては異常なものになっていますね.暖冬と予想した気象庁は慌てて「例年より寒い冬」などと訂正しています.何だかんだと言い訳をしていますが素直に予報間違いを認めればいいのに、と思います.私の考えですが気象予報士の資格を持つ人に、毎日予報を提出させてその的中度を公表してランクを付けたら良いのにと思います.

季節ものの写真をどうぞ.1970年1月26日、只見線(当時は小出-大白川間)上條駅を出発する132列車C1146 です.まだ午前7時前、寒〜い朝です.

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2005/12/23 PM 11:48:47 | [現役蒸機の時代]

No.168 「すずらん6号」
磐越西線のクリスマストレイン、明日からの運転ですが大雪と停電で運転されるかどうかも判りません.少し色気があったんですが、いやはや今の私には無理ですね.


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国鉄時代4の「真夜中のハドソン」で1カットだけ出していますが「すずらん6号」のC62牽引区間、もう少し撮影してみたかった列車です.深夜の長万部機関区での転向の様子など、白い蒸気に包まれてさぞや魅力的なシーンが展開されていたものと思います.しかし長万部区で夜の写真というのは見たことが無いような気がしますので、夜間は許可が出なかったのかもしれません.
寝台車やグリーン車組み込みの夜行急行を牽引するC62、まさに真夜中のハドソンに相応しい姿でした.撮影はしていませんが均一周遊券利用にはありがたい夜行急行ですから乗車は何回もしています.特に下り列車の場合は先頭が自由席でしたから間近にC62の鼓動を聞くことができ、七飯-大沼間、通称藤代線の連続勾配を登って行くブラストは素晴らしいものがありました.
最初のカットC6244は国鉄時代4ではモノクロで出していますが、オリジナルはカラーです.1969年3月函館駅.

長万部駅を出発する上り「すずらん6号」C623です.同じく1969年3月です.もちろん発光の了解は得ています.

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同じく長万部駅のC622なんですが、上りか下りかは判りません.出発シーンは撮っていないのでおそらくこのまま乗車していったのではないかと思います.

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そうそう、上りは砂原線廻りでしたがカーブで車窓に見える朝陽を浴びたC62も格好良かったです.この辺のシーンもじっくり撮影してみたかったんですが、確か1969年10月からDD51に置き換わってしまい、見られなくなってしまいました.

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2005/12/22 PM 11:48:21 | [現役蒸機の時代]

No.167 国鉄時代4
書店では明21日、早売り店ではすでに店頭に並んでいると思いますが、ネコ・パブリッシングRM別冊「国鉄時代4」(税込定価2000円)が発売です.
今号の特集はハドソンですが、蒸機廃止30年企画、その他国鉄時代の懐かしいグラフ、記事が満載です.ぜひご覧になってみて下さい.

当サイトとリンクして頂いている田島(常雄)さん、鈴屋(鈴木靖)さん、9633築(都築雅人)さんをはじめ、ベテランの広田尚敬さん、高橋弘さん、村樫四郎さん、庄野鉄司さん.さらに前原誠司(民主党代表)さんも寄稿されています.
拙作「真夜中のハドソン」もなんと巻頭グラフで12頁も掲載頂き、誠に光栄の限りです.
「夜景のハドソンをまとめて欲しい」との編集部山下氏の依頼に苦しんで苦しんで、締め切りギリギリ(過ぎていたかも)に送稿したものです.
撮影から40年近く経過して、高校大学時代の作品が世に出るというのも複雑な気持ちになります.あらためて思うのは、当時の写真に対する並々ならぬ情熱です.(自分で言うのも何ですが) 荒削りではありますが今よりは数段、腕とセンスは良かったんじゃないかと思います.




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2005/12/20 PM 04:33:29 | [出版物・写真展他イベントのご紹介]

No.166 岩泉線鉄道情景への旅

当サイトと相互リンクしている鉄道情景への旅を主宰される"ふにゃ"さんこと船坂晃弘さんがこの度写真集「 岩泉線鉄道情景への旅」を出版されました.どうもおめでとうございます.
船坂さんはここ数年、岩泉線の情景を足繁く通われて撮影されていました.国鉄色として復活した気動車の活躍もあり、四季の素晴らしいシーンをサイト上で公開されてきましたが、その努力の集大成での写真集だと思います.
一地区、一ヶ所での撮り込みは私も好きな撮り方ですが、熱意や思い入れがなければ出来ないことです.それを何十回、いやそれ以上通われるとは新幹線や高速道路があるとはいえ、頭が下がります.
まだ拝見してませんが、感動の傑作が並んでいることでしょう.

こちらにご本人のご案内と購入方法があります.興味のある方はぜひご覧になってみて下さい.
左側のアマゾンのコーナーからもご購入できます.ご利用下さい.


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2005/12/19 PM 11:45:07 | [出版物・写真展他イベントのご紹介]

No.165 現役は何両?
先週木曜日夜から眼の網膜内に出血があり、右眼視界中に赤い膜が見えたので心配して眼科へ土曜日に出かけました.もともと白内障+網膜症でレーザー治療を受けていたので、このようなことは予測していましたがいざなってみると慌てます.
まあ、それほど心配することは無いそうで取り敢えず止血剤を飲んで様子を見ましょう、ということでした.今日は血の色もだいぶ薄くなり、多少ショボショボはしますが生活にはまったく支障はありません.お酒も飲んで構わないとのことですが、最近は呑む機会もほとんど無くなりました.



ところで、先日あるサイトで現役時代を見ることができた国鉄制式蒸気機関車は18形式.というコンテンツがありました.私も同じようですが19-20形式になるのかな、と思います.じゃあ全部で何両の現役の活きた蒸機を見た、あるいは撮ったのかな〜?と考えてみました.見ただけ、というのは記憶があやふやなので撮影しているものを大まかに数えてみると.(本当に大まかです)
D51-330両、9600-100両、これは当サイトのD51Box、96depot に収録されている自分の写真の分です.
8620-40両、B20-2両、C11-80両、C12-20両、C50-15両、C55-15両、C56-20両、C57-60両、C58-90両、C59-2両、C60-30両、C61-13両、C62-21両、D50-15両、D52-16両、D60-15両、D61-3両、D62-4両.以上、制式蒸気機関車だけで20形式891両になります.
あと古典機や私鉄機が30両、スペイン、ポルトガルなどヨーロッパで80両、中国前進型110両、その他80両、中国C2-15両 など全部で1200両余りになりますね.
私はあちこち撮りつぶす、というよりも一線一地区に集中して撮る方なので、同じ罐を何回も撮ることが多かったと思いますからカット数から行けば少ないかも知れません.
私の友人の中には世界を回っておそらく私の2倍以上は撮っているであろう、という凄いのもいますのであまり自慢できませんが、よくぞ撮ったと思います.

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2005/12/18 PM 07:45:06 | [現役蒸機の時代]

No.164 三丁目の夕日
昭和33年代の東京を描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」が評判になっています.鉄道情景のシーンも各サイトの掲示板の話題になっているようですね.
33年当時、私は8歳で浦和に住んでいましたから都内の様子はよく知りませんが、たまたま親父に連れられて浜離宮でのモデル撮影会(何故かよく覚えている)に 行ったおりに建設中の東京タワーを見た覚えがあります.

西岸良平氏の「三丁目の夕日(夕焼けの詩)」は1974年からのビッグコミック・オリジナル連載を最初の頃から見ていて大ファンなんですが、実写版は抵抗があります.今までにもコミックが実写で映画やテレビドラマ化されたことは多々ありますが、その後そのコミックに接したときにどうしても演じた役者さんのキャラクターと重ね合わさってしまい、会話などは正にその役者さんのものになってしまうからです.
さらに怖いのは、実際に時代を経験して少し知っている人間にとっては、自分なりの記憶というものがある訳ですが、そこにこの映画の印象が刷り込まれてしまう可能性が考えられます.実は先ほど建設中の東京タワーを見た、と書きました.見た事実は確かなのですが,この記憶に何年も経ってから見た雑誌に掲載された建設中の東京タワーの写真のイメージが確実に+して刷り込まれているんです.まあ同じ時代の写真なんですから,記憶の確認くらいでそれほどの弊害は無いのか思います.
しかし、50年近く経ってからその時代を経験していない人達の手で作られた映画の場合はどうでしょう?もちろん多くの人達からの聞き取りや、当時のニュース映画、その他各種資料などでの検証や考証は充分行われているとは思いますが、あくまでも制作者によって作られた過去の世界であることを念頭において見なければ,自分の記憶の世界が狂ってしまうかもしれません.



こんなことばかり云ってると文句も出てくるでしょうが、ついでにもう1つ、良く再現されていると言われるこのシーンです.↑
見た目は常磐線の荒川鉄橋を彷彿とさせますが,ロケ地は九州の筑豊本線遠賀川鉄橋ということが明らかにされています.このCG合成の列車が走っている線は下り線で、向こう側に上り線が実際にはありますがそちらの方は修正で消されています.しかし、足下の橋脚は消し忘れちゃったのか下側に見えています.
ということは映画内でのこの鉄橋の設定は単線なんですね.常磐線荒川鉄橋だとすれば当然複線ですからこれはおかしい!? 複線にも見えるじゃないか.と言うご意見もあるかと思いますが、だったらトラス寄りを走ったら右側通行になってしまいます.さらによく見れば架線ビームが交流用です.
まあ、これは常磐線だと仮定しての話しです.東北本線の荒川鉄橋は当時は複々線ですからあきらかに違います.うーん、常磐線だと当時の上野駅では地平ホームには入れないはずなんだけど.

折角鉄道シーンにもこだわりを持っていろいろ努力をされているようなので、少々辛口で失礼しました.こういう指摘は嫌われるかも知れませんが、それだからこそもっと頑張って欲しかったと思います.
「しょせん映画の中の話しだから」「イメージなんだから,いちいちケチをつけるな!」と云われてしまえば,それ以上の反論はありませんですが,制作者に「しょせん映画」と云ってしまうのは失礼ですね.

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2005/12/15 PM 08:08:29 | [音楽・映画・テレビなどエンターティンメント]

No.163 東急世田谷線
2日ほどお休みしまして失礼いたしました.昨日は世田谷線の取材でほぼ全線を歩き通し、他の用事でもかなり歩いたので足が痛いです.


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世田谷線はいつかじっくり撮影してみよう、とかねてから思っていましたが11月に旧玉電ぺこちゃんことデハ200形の塗色の復活、また12月限定の「せたまるサンタ・ラッピングトレイン」の登場のニュースを聞き、昨日行ってきました.昼前に撮影を始めた頃は雲ひとつ無い晴天で、撮影も順調と思っていたのですが順光側ではガラス面積が多く、ピカピカの車体がハレーションを起こすので結構撮りづらかったです.
午後1時過ぎから急に曇りだし、白いものが舞い出す始末で、結果は満足行くものではありませんでした.大体沿線の様子が判りましたので、また行く機会を作ってみようと思っています.
昨日は「せたまるサンタ」の308編成とぺこちゃんカラーの301編成が連続する運用に入り、6分間隔でやって来るので撮影は楽でした.この両者のシーンは本編でご覧頂くとして、ここでは他の車両の世田谷線らしいカットをご覧下さい.
写真上:山下-宮の坂、世田谷八幡宮境内から

若林駅出発後、環七通りと平面交差で信号待ち.

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下高井戸-松原で

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301形は全部で10編成ありますが、各編成がパステル・カラーの色違いに塗り分けられ、ヨーロッパのLRTを思わせるようなソフィスティケートされたグッドスタイルです.機能上はもう完全にLRT と言って良いかと思います.
玉電時代から含めて世田谷線はあまり身近なものではありませんでしたが、30数年前に渋谷の某大学を受験したときの帰り、デハ200ぺこちゃんの一番前のシートに渋谷-下高井戸を乗車した想い出があります.

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2005/12/14 AM 11:38:12 | [私鉄・専用線・トラム]

No.162 C54
サッカーはあまり興味無いのですが、地元柏レイソルのJ2降格は大変残念です.しかし強かった頃でも地元はそれ程盛り上がっていませんでしたよ


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さすがに希少車C54型となるとトップナンバー写真の在庫はありません.ただし他形式との比較、ということでtop numberのカテゴリーに入れておきます.
C54型はC51の増備機という形で1931(昭和6)年に17両が作られています.技術の発展により使用蒸気圧力を上げて軽量化していますが、そのためバランスをくずして空転や牽引力不足をおこして不評で、その後の増備は更なる改良型のC55型としています.
戦後は山陰本線で活躍していましたが、DF50型ディーゼル機関車の増備によるC57型の玉突き移動で1963(昭和38)年浜田機関区所属機を最後に全廃されています.発展の狭間で中途半端な立場であったことや、SLブームなど遠い先であったために1両も保存されていません.
写真はいずれも最終年1963年浜田区でのものですが、下写真の罐はすでに休車か廃車でライトがありません.国鉄制式蒸気機関車の中ではE10型とともに希少車で、写真もあまり残っていないと思います.

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2005/12/11 PM 11:50:12 | [Top number]

No.161 団結駅

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1986年4月末14時すぎ、中国黒竜江省小興安嶺山脈の中を走る朗郷森林鉄道の団結駅に1日1本の旅客列車が到着します.車内は朗郷の街に泊まりがけで買い出しに行く沿線の人達で満員です.沿線に住み林業に従事する人達の足はこの列車のみ、切り出した木材の輸送もすべてがこの細い線路にかかっています.
ほぼ定時に到着ですので普通であれば、あと2時間ほどで終点朗郷に到着するはずです.ところが乗客達はこの駅で異状に気が付きます.いつもは先に行って居ないはずの運材列車ともう1本VIP専用車を含む2両の客車列車が停まっていて、時間になっても一向に発車する気配もないからです.1時間経っても2時間経ってもどの列車も動きません.結局この列車が朗郷へ向かって出発したのは日も暮れた18時頃だったのではないでしょうか.その間どのように事情が伝えられていたかは判りませんが、乗客達は辛抱強く待っていたのだと思います.

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実は別の列車が脱線転覆事故を起こして不通になっていたからで、私はそのもう1本の客車列車の乗客でした.予定では朗郷へは昼過ぎに帰着するはずでしたが、とんだところで足止めをくってしまうハプニングです.しかし一行は鉄道好きのメンバーなんですからC2型ナロー蒸機列車が3本も並べば(だいぶ前後にずれていますが)喜ぶだけです.ただし何時出発するか判らないので列車から大きく離れるわけにはいきません.置いてきぼりにされたら一大事ですから.

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一時はここで夜明かしか、という恐ろしい話もありましたが、17時過ぎに我々の列車はやっと動きだしました.外国からのお客さんが乗った列車が閉じこめられているのですから、全力で復旧がなされたものと思います.定期列車と併結して重連で走るのでは?という憶測も外れ、単独で大急ぎで朗郷に無事戻りました.
この日の夜は現地に住むドイツ人、カナダ人達との大パーティーに参加する予定でしたが、なんとか開始時刻に間に合いました.余談ですが、朗郷は木材関連の工業が盛んで、提携をしている外国の技術者達が多数滞在していました.日本人であれば当然単身赴任でしょうが、彼らは奥さんや小さい子供達とも一緒に来ていました.娯楽も何もないとんでもない田舎ですから、外国人がやって来るとこのようなパーティが開かれるのだそうです.会場は英語、ドイツ語、中国語、そして日本語が飛び交い、まさか中国の山奥でインターナショナルな交流をするとは思ってもいなかったので驚いた覚えがあります.

翌日、朗郷の機関区ではキャブ周辺が大きくひしゃげた泥だらけのC2型の姿が見られましたが撮影は失礼なので自粛しました.

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2005/12/10 PM 10:53:34 | [中国の鉄道]

No.159 B201とB2010
1円で61万株を空売り! お馬鹿さんがいたものです.


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国鉄制式蒸気機関車の中での異端児B20型は太平洋戦争末期に15両作られたようですが、小樽築港の1号機と鹿児島の10号機が昭和40年代まで残りましたので知られています.形式の20は重量が20トン、から付けられたということで、他の制式蒸機の原則には則っていません.
このトップナンバーは1967(昭和42)年に廃車になっていたのですが、その後もラウンドハウスの中に置かれていたのでC62を訪ねた人は見ていると思います.角形ドームに描かれた鐘の絵や煙突に巻かれた金帯など、小樽築港区のシンボルとして大事にされていたことが窺えます.写真は廃車前1966年の姿です.
現在は岩見沢市旧国鉄万字線朝日駅跡(万字線鉄道公園)で保存されています.

一方の鹿児島機関区10号機は、梅小路蒸気機関車館で赤い50系客車に連結されて長いこと庫外で展示されていましたが、数年前に一般からのボランティアの手を借りて動態復元され、ピカピカになっています.
鹿児島時代はどちらかというとグレーっぽい褪せた色で梅小路搬入直前の1972年まで使われ、最後には日豊本線で特別列車を牽引するという珍しい晴れ姿を見せてくれました.
形式入りの立派なナンバープレート付きですが、確か木製だったと思います.

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2005/12/09 PM 11:34:56 | [Top number]

No.159 寒い朝

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♪北風吹き抜く〜、寒い朝も〜.なんて唄が大昔に流行りました.1970年3月中頃、札幌駅の早朝は雪晴れとなりましたが、ダイヤモンドダストが舞うような、もんの凄〜い冷え込みでした.しばれる、とか痛い、なんてその寒さを言い表しますが頬が本当に芯までチクチクしていました.

午前7時少し前、定刻よりも1時間近く遅れてD5170ナメクジ機に牽かれて1217列車「すずらん6号」が到着です.スチームが効いた寝台車や客車から降りてくる乗客は皆身を屈め、凍てついたホームや階段に足を取られないよう注意深く歩をを進めて行きます.
しかし10両近い客車を暖め、さらに余った蒸気を列車の最後部から吐き出させるD51は力強く頼もしい存在でしたね.

最近掲示板に悪質なアダルトサイトの宣伝書き込みが多く、対策に悩まされてきました.ウチだけでは無く、他のサイトも同様のようで困ったもんです.そんなこともあってテキスト掲示板のみ違うものに換えてみました.CGIの組み込みはまことに厄介で、一度で上手く行った試しがありません.また細かいカスタマイズも複雑で大変ですが、頭の体操と考えれば自分自身の脳のためには良いのかも知れません.


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2005/12/08 PM 07:52:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | [駅]

No.158 ハルツ狭軌鉄道

ドイツ中央部にあるハルツ山地、そのシンボルとも言えるブロッケン山.そう自分の影を中心に円形の虹が現れるブロッケン現象や強風で有名な山で、その山頂まで34kmの道程を1時間40分かけて登って行くのが
HSB=Harzer Schmalspur-Bahnen(ハルツ狭軌鉄道)です.
ハルツ鉄道自体は多くの支線を持つメーター・ゲージの鉄道ですが、やはりこのブロッケン線が一番の白眉と言えます.何と言っても全列車が蒸気機関車で運転されていて、雪の積もる冬期も33‰を登る姿が見られるんですからたまりません.
と、紹介してきましたが実は私、HSBへは行ったことがありません.しかしここ数年間、毎日のようにその様子を眺めているのでとても親しみを感じています.
終点のブロッケン山頂駅にはライブカメラがあって、原則10分毎にライブ画像が更新されています.このカメラが絶妙な位置に取り付けられていて、数々の名シーンを今までに見ることができました.
この鉄道で活躍するのは99-7200形というちょっと厳ついE型のタンク機です.この機関車も充分魅力的ですが、イベント列車やチャーター列車には1930年代に作られたB-Bマレーが使われます.
ライブカメラは前述のように10分ごとに自動的に更新されます.定期列車は到着後10分少々で折り返して山を下って行ってしまいますので、バッチリ機関車が拝めるタイミングに出会うのには実はなかなか厳しいものがあります.

その名シーンから何点かご覧頂きます.








ハルツ狭軌鉄道のホームページはこちらです.

ご参考までに定期列車のブロッケン駅着発時間(時差-8時間)は以下の通りですが、遅延や運休なども多いようです.除雪列車は午前10時頃登って来ます.
10:49→11:03
12:04→12:18(不定期?)
13:19→13:33
14:34→14:44
16:34→16:44
17:18→17:57
17:44→18:49

何時かあの場所へ行ってカメラに向かってVサインをしてみたいものです.誰かに携帯で連絡して画像チェックして貰わなければなりませんね.

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2005/12/07 PM 08:05:42 | [ヨーロッパ]

No.157 D601

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今日も在庫品からトップナンバー、D601をご覧下さい.1965年、小郡機関区での撮影です.
もとは1927(昭和2)年製の9900形式「19961」、翌年には「D50162」と改番されています.
昭和の激動の時代を走り抜き1951(昭和26)年には2軸従台車に振り替えにより軸重を軽減.その名も「D601」と改められ山口線にやってきました.
古めかしいD50の車体に近代的なコロ軸受け装備の2軸従台車はミスマッチな感じでしたが、もうどちらも古くなってしまいましたね.
D60型は大正製9600型の置き換えが主目的で改造され、DL化までのつなぎ役となった機関車が多く、北海道から東北、九州と流転した仲間もいました.しかしD601 は改造後は山口線一筋で活躍、1966年12月に引退しています.
現在山口線はC571が牽引する「やまぐち号」が走っているのはご存知の通りです.

D601は山口市内の山口県博物館で独特の集煙装置を付けた姿のまま保存されています.

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2005/12/06 PM 06:57:06 | [Top number]

No.156 C551

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こちらも現在梅小路蒸気機関車館で静態保存されているC551です.初めての出会いは1969年3月末、とても寒い最北の駅稚内駅でした.この2年ほど前に友人が室蘭機関区で撮影した写真を見せて貰っていましたが、その後旭川機関区に転属していました.
実はC55という機関車をじっくり眺めるのはこれが最初、トップナンバーに当たるとは実にラッキーで、1750mmのスポーク動輪に感激です.

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C551は普通列車を牽引して旭川へ向けて出発して行きました.稚内-南稚内間は市街地が続き、適当な撮影場所はありません.

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この写真は翌1970年3月に日曹炭砿専用線を訪ねた後、豊富駅北側で撮影した夕暮れの雪原を驀進してくる下り普通列車牽引のC551です.クロス・スクリーンを使ったようですね.

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これは夏姿ですのでスノープラウがありません.この日は稚内から旭川までこの列車に乗車してきました.旭川からはC57194が牽引して滝川に向かって行きました.1969年8月です.

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C551は梅小路蒸気機関車館開館に先立つ1年前の1971年、鉄道100年記念映画撮影のために梅小路に回送後、旭川に戻されることなく1年間梅小路に置かれたまま、開館を迎えています.

宗谷本線のC55は一度本編にアップしたことがありますが、何時かまとめて再アップの予定です.その際は今回の写真も使う予定です.

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2005/12/05 PM 09:05:06 | [Top number]

No.155 智頭急行開通
この記事、本当は昨日にアップの予定でしたがサーバーの調子がおかしくて送れませんでした.失礼いたしました


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1994年12月3日、ちょうど11年前ですが智頭急行、上郡-智頭間56.1kmが開通しました.当時は大阪府高槻市に住んでいたため、初発電車で新大阪駅へ赴き「スーパーはくと」1番列車に乗車しました.実は1ヶ月前に指定券ゲットにチャレンジしましたが、あっと言う間に満席となってしまい取れませんでした.
早朝、発車2時間以上前でも結構自由席待ちの列ができていましたが、なんとか先頭車の窓際席が確保できて鳥取まで乗車しました.
当時は新大阪発でしたが、大阪や三宮から乗車する人も多くて立ち席満杯の超満員!その中を鳥取日本海テレビのレポーター「木へんにホワイト、柏村武昭」さん(今は参議院議員です)がインタビューに奮闘していたのが印象的です.
新大阪駅の入線時間が出発ギリギリで満員のため車販も廻らず、朝飯やビールには鳥取までありつけませんでした.
智頭急行線内では130km/h の振り子運転、快適ですがトンネルと斜めになった景色の連続、あっと言う間に通り過ぎてしまった感じです.
終点鳥取駅では乗車記念に鳥取砂丘の砂絵版画を頂き、乗った甲斐がありました.(裏面に智頭線開業記念の文字が記されています.額は違います)

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「スーパーはくと」鳥取駅での出発式.私が新大阪から乗した列車の折り返しです.

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その後、智頭急行線に戻り、大原駅と話題の宮本武蔵駅で下車して撮影しました.

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当日は普通列車もご覧の通り大混雑.「今日で廃止は残念ですな〜!」なんて冗談も聞かれました.

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しかし僅か1ヶ月半後に、あのようなことが起きてしまい「スーパーはくと」が何ヶ月間も区間運転になってしまうなんて!誰が予想したでしょうか.同じポジの後半にはその惨状が写っていました.

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2005/12/04 AM 10:42:06 | [私鉄・専用線・トラム]

No.154 琴電

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1975年8月、夏期休暇を取り四国九州とドライブをしましたが、高知から祖谷渓を廻り琴平金比羅さんへお参りにやって来ました.ついでと言っては何ですが、高松琴平電鉄も初めての撮影です.
といえばもと京浜急行230型や前面二つ窓の「こんぴら号」などしか知らず、琴電琴平から一駅高松寄りの榎井-羽間間の土器川鉄橋で、どんな電車が来るか楽しみに待ちました.
やって来たのは1034+1035の2両編成.お恥ずかしいことに琴電の形式は良く判りませんが、旧型車の足回りを利用した如何にも私鉄の電車というべき好ましいスタイルですね.

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琴電では今月の17(土)18(日)に旧型電車まつり、18(日)に仏生山工場電車まつりが開催され、長尾線、志度線で旧型電車の走行や工場開放があります.
自社型、もと近鉄モ5621型、もと京急デハ230型などの旧型車のほか、先頃全廃された京急700型や1000型.もと名古屋地下鉄の車両など興味深い車両が走る琴電、訪ねる価値はありそうです.


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2005/12/02 PM 09:01:05 | [私鉄・専用線・トラム]

No.153 C591

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昨日がC581でしたので今日はC591にします.12月1日なのでC121があれば良かったのですが、残念ながら在庫がありませんでした.
C591は東海道、山陽本線で急行・特急列車を牽引した後、九州に転属して1965年まで熊本機関区所属で鹿児島本線の特急「みずほ」「さくら」「はやぶさ」などを牽引していました.
この写真は現役最後の年1965年8月、鳥栖機関区でのものです.
その後は国鉄小倉工場で保存され、現在は2003年開館の九州鉄道記念館にてピカピカの状態で展示されています.

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2005/12/01 PM 10:58:41 | [Top number]










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