【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.152 C581
ブログのカテゴリーを少し作りすぎたような気がします.まだ記事が1つしかないものも多いので少しずつ埋めてゆくことを心がけてゆきます.でも[月光仮面]のネタはまだあるかどうか.
今日は[Top number]ということでC581を.


現在梅小路蒸気機関車館で静態保存されていますが、現役時代の最後は北海道北見機関区に所属して石北本線、釧網本線で活躍していました.ここでは貨物列車、混合列車、そして「大雪くずれ」なんて言われたAB寝台、グリーン車などを組み込んだ優等列車編成の牽引にもあたり人気がありました.
残念ながら途中ですれ違う列車の牽引する姿を見かけることはあっても、私のカメラに収まる機会はこの1970年3月、網走駅駐泊所での一度だけでした.

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C581 は早くから保存の候補に挙がっていたためか他のC58のようにデフの切り詰めも施工されず、原型を保ったままの姿で使われ、この翌年には煙室扉のハンドルを磨きだしの船舵型に交換されていました.

梅小路では一時、山口線のC571の予備機として「やまぐち」号の牽引にあたりましたが、その後その任を解かれて現在は前述のように静態保存されています.
1980年6月には横浜臨港線で走りました.そこで10年ぶりの再会となった訳ですが、C58には大型すぎる集煙装置が付き、同じ機関車とは思えませんでした.その他、デフの大きい点検穴が無くなり、現役時代には無かった助士席側の旋回窓が付いていますね.

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もう12月ですね

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2005/11/30 PM 11:05:45 | [Top number]

No.151 国見山三重鉱山専用線
今日の午後はNHK「耐震強度の偽装問題めぐり国会参考人質疑中継」を興味を持って見ています.面白いと言ったら不謹慎かも知れませんが、このような意識の人達が人の命と財産を預かっているのかと思うと情けなくなります.


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三重県度会郡南島町にJR線など他の鉄道とは一切接続の無い専用線が存在しました.過去形にしていますが地図上ではまだ見ることが出来ます.しかし実際は数年前にベルトコンベア化されていて現在は使われていないようです.

この鉄道は山中の国見山三重鉱山(大阪セメント→住友大阪セメント.現在は子会社が掘削)から掘り出された石灰石を吉津港まで運ぶためのもので、1067mm ゲージの本格的路線です.最終的にはディーゼル機関車が使われていましたが、1990年代初頭までは電化されていて、もと南海電鉄から払い下げられた凸型電気機関車がホッパー車を牽引しています.

紀勢本線からもメインルートの国道42号からも離れたこの地の取材は至難でしたが、1980年頃に知人が新宮の実家にクルマで帰省する際に、わざわざご家族同伴のまま寄ってきて下さいました.
ということで石灰列車の走行写真はありませんが、この3点の写真は的を射たカットばかりで感心させられます.ホッパー車の最後尾には車掌室というよりもパノラミック・ウインドウの簡易運転台のようなものが付いていますので、港からの帰りは推進運転を行う、いわゆるプッシュプル運転が行われていたようです.

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もと南海電鉄の電気機関車は資料が無いので旧番号等は不明です.最後のカットのさらに旧型と思われる予備機についても不明ですが[1]のナンバーが付いていますね.

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その後の写真がネット検索で見られましたが、ホッパー車が大型のボギー車に換わっていて、やはり最後尾には簡易運転台が見られます.機関車が濃いオレンジ、ホッパー車はシルバーになっていました.

南島町は本年、2005年10月1日に隣の南勢町と合併して南伊勢町になっています.

O型台風さんからコメントを頂きました.ありがとうございます.
オレンジ色のカマですが、関西鉄道研究会からリリースされている「南海電気鉄道 下」(藤井信夫氏著)によると、ED5101形5108(南海では1971年8月10日廃車)であるとのことです.
また、1号機は南海EF4形の1020を1934年に木南車輛で鋼体化の上、売却したもののようです.


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2005/11/29 PM 03:37:31 | [私鉄・専用線・トラム]

No.150 ネムタク

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ネムタクこと根室拓殖鉄道は根室と北海道最東端納沙布岬への途中、歯舞を結ぶ15.5kmを結ぶ762mmゲージのいわゆる軽便軌道でした.ここにはトラックの運転台と客室をくっつけたような「銀龍号」と呼ばれる厳めしい気動車(ガソリンカー?)などが全線を1時間かけて走っていたようです.残念ながらこの日本最東端であった鉄道は1959年6月20日に廃止になっています.当時8歳であった私には見るすべも無く、趣味誌上でたまに見かける程度でした.

1974年2月、釧路でレンタカーを借りて道東を回りましたが、納沙布岬に程近い珸瑶瑁ごようまい小学校の校庭で遊戯施設になっているこれを見つけました.ちなみにこの小学校は最東端の学校になります.
一目でネムタクだと判ったのですが、上回りだけでドアもガラスも無く、雪の降り込んだ車内には学校の椅子がいくつか置かれています.

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検索してみると、この車両は日車東京支店製の「千鳥号」ジ3だとのこと.この地ですから「千島号」ではないかとも思いますが良く判りません.雑誌で見た記憶がありますが、今すぐには探せませんので確認はできないのですが.ご存知の方が居られましたらご教示下さい.
現在は話題にもなりませんからもう無いでしょうね.

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2005/11/28 PM 08:35:35 | [私鉄・専用線・トラム]

No.149 青森駅は雪の中

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1986年2月、14系急行「八甲田」で到着した雪の降る青森駅です.正に歌の歌詞通りの状況に、連絡船に向かう人々の脳裏には歌が流れまくっていたことでしょうね.
「八甲田」を追うように「ゆうづる?号」が到着しました.オレンジのヘッドマークは白い雪によく似合います.


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青函連絡船の出港までは少し時間がありますので、のんびり撮影できます.今日は空いているので並ぶ必要も無いとのこと.
雪だらけの50系客車と出発して行く「八甲田」の回送です.


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583系の「はつかり?号」.はて、この「はつかり」は上野行き?と思ったのですが、すでに東北新幹線が開通済みでしたので盛岡行きでした.
このあとガラガラの八甲田丸で函館に向かいましたが連絡船での渡道はこの時が最後になりました.つい最近のことのようですがもう20年前でした.

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2005/11/27 PM 08:47:41 | [駅]

No.148 続々さよなら2軸ワム

今日も気になったので昨日と同じ柏-北柏間で上り5262列車を見にいってきました.なんとEF8180が単機でやって来て拍子抜けです.手前に置きピンしてありましたが単機だったので早めにシャッターを切ってしまい、ピンぼけ! ということで拡大画像は無しです.

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2005/11/26 PM 11:39:53 | [客車・貨車]

No.147 続さよなら2軸ワム
11月21日分が抜けているのに気付いた方はいらっしゃいますか?まあまあ---


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11月18日No.141の話しはどうやら本当のようで、26・28日に田端発武蔵野線経由で吉原へ40両(各20両)回送 との情報が入っています.
先ほど柏-北柏間で上り5262列車を見てきたところ、EF8184に続くのはコキ!あれま、もう置き換えられてしまったのか.と思ったら今日は後に連結されていました.日によってワム、コキが入れ替わることもありましたから不思議ではありませんが、通常はワムが前でしたから明日の回送を控えての処置なのかもしれません.

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このワム80000はハワムと表記されていますが、最初はパワムでした.パはパレットのパですね.

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2005/11/25 PM 01:10:27 | [客車・貨車]

No.146 スノプロ付き前進型
マリナーズ入りの決まった柳沢慎吾じゃなくて城島クン.今期プレーオフ欠場の責任はどう取るのかな?王さんも複雑な心境でしょう.リップサービスかもしれないが選手生活の最後は福岡で終わりたい.だって.行く前からそんな気持ちじゃ先が思いやられますな.


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1986年4月に訪中したとき佳木斯機務段所属の前進型QJ3398にはトラ塗りのスノープラウが付いていました.この写真は鶴崗機務段で撮影したものですが、カウキャッチャーの上に装着された姿はかなりのインパクトです.

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黒竜江省も奥の方のこの地域では冬期はかなり寒く、降雪がありますが日本の北国のように1mも2mも積もるということは無いようで、スノープラウ装備の蒸機の写真は過去に見たことがありませんでした.その後、佳木斯に近い南岱には多くのファンが冬期にも訪れていますが、他のスノプロ装備前進型のはおろかこの3398号機の写真も撮られていません.

厳寒地では積もった雪がカチンカチンに凍っているといいます.このスノープラウもそのせいか近づいてよく見ると周囲がボロボロに欠けています.
ぜひ雪の中をラッセルしながら進む姿を見てみたいものですが、撮っている人はいないんでしょうね.

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2005/11/24 PM 11:59:50 | [中国の鉄道]

No.145 アシニボイン山飛行

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カナディアンロッキーの観光拠点として有名なバンフの街からクルマで20分ほど南下するとキャンモアという集落があります.ここのヘリポートから遊覧飛行のツアーが各種用意されていて、カナディアンロッキーの絶景を空からリーズナブルに楽しむことができます.
1996年10月、当時勤務していた会社の旅行(といっても団体で行くのではなく、2年ほどかけて5-6名のグループで交代で出かけるもの)で行ったカナダ旅行ですが、このヘリツアーもコースに加えても良いことになっていました.しかし結構条件が厳しく天気が良く、風が無いなどの条件をクリアしないとヘリは飛びません.1日目はヘリポートまで行ったものの風が強くてアウト.しかし2日目はOKでした.

私の乗るヘリコプターは写真のような真っ赤な機体、パイロットは女性でした.前1人、後3人で乗りましたが前席は天井から床までガラス張りの好展望、当然のごとく取り合いかと思いきや、なぜか皆後に乗りたがります.というか本当は乗りたくないようでした.いるんですね〜恐怖症の人.ということで難なく前席をゲットできました.全員インカムを被り、いよいよ離陸です.

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パイロットの女性の自己紹介と簡単な注意がありましたが、非常に早口でほとんど聞き取れませんでした.
わずか30分のツアーですが目的地は50kmほどロッキー山脈に分け入ったところにあるアシニボイン山 Mt. Assiniboine 標高3618mです.カナディアンロッキーの中では北のロブソン山と並び代表する名山だそうで、世界百名山の1つでもあります.

眼下にはこのような美しい水をたたえた自然のダム湖が次々と現れます.ヘリはこの谷間に沿ってどんどん上流へと遡って行きます.

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最後の湖で行き詰まった先に氷河の終端が見えますが、その先の一際目立つ尖った山が目指すアシニボイン山です.その形状からカナディアン・マッターホルンとも呼ばれます.これだけ美しい山なら何もヨーロッパの山と比較しなくても良いかとも思いますが、そこはヨーロッパ出身人が呼んでるんですから仕方がないですね.我々はカナダの槍ヶ岳と呼びますか.

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近づいて行くとその特異な山容がはっきり見て取れます.前の写真とは見る角度が違うのでマッターホルンという感じでは無いですね.このような高いところまで氷河が削った跡がありますが、素はどんな地形だったのでしょう.

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さらに近づきます.絶景に声も出ませんが後席の人が「怖い怖い」と盛んに呟いています.私より年上のオジサン達ですが.

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まだまだ近づきます.後席はもう3人とも悲鳴です.さらに近づきバンクをかけて右に急旋回しました.後席の絶叫とともにインカムから聞こえてきたのはパイロットのお姉さんの笑い声でした.(やりましたな!絶叫マシーンサービス?)

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離陸してからまだ15分、帰途に就きます.往路とは違うルートのようですがやはり湖が目に付きます.

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最後はこの大きい湖の真上を下流に向かって飛びます.気持ち良いですね.

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感動快適の30分間、結構長い時間に感じられました.私にとっては楽しい時間でしたが、後席のオジサン連中は冷や汗をかいていました.「もう2度と乗りたくない」んだそうです.
私はこのヘリをチャーターしてカナディアンロッキー山中を行く長い貨物列車を撮影できないか、と今も考えています.日本でやるとえらく費用がかかりそうですが.

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2005/11/23 PM 03:58:14 | [カナダ(アラスカ)]

No.144 小山のC50揃い踏み

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小山機関区C50ファイナルの8両揃い踏みの全容を見たい、とのリクエストを頂きましたので1点だけですがご覧頂きます.
本当は今回のC50123お色直しの公開に合わせて当サイトのコンテンツとしてアップする予定でしたが、作業する時間が無くて今回は見送りました.少しは準備してありますのでいずれ公開しますのでご期待下さい.

撮影は1970年7月3日.小山機関区です.

今日の拡大画像はさらに大きい画像にリンクしています.A4位ならプリントもできると思います.

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2005/11/22 AM 01:48:46 | [保存車両]

No.143 C50123展示会

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栃木県小山市で保存されていたC50123が有志の方々(C50123お掃除会)の手で美しく整備され、昨日、本日とお披露目の展示会が行われました.当サイト掲示板に"TADA"さん、"やまてつ"さんからご案内を頂いていましたので、今日の午後見に行ってきました.
小山駅東口を出るといきなり汽笛が聞こえてきて少々驚かされましたが、40年前の小山駅には入れ換え作業にはげむC50の汽笛が絶えなかったことを思い起こさせました.
駅から徒歩5分ほどの駅東公園で公開中のC50123号機との再会は1970年7月3日以来です.その日は小山のC50が近々廃止になるそうなので撮りに行くべえ.ということで出かけたのですが、小山機関区で待っていたのは[みなさんさよなら]のマークを付けて勢揃いしている8両のC50でした.C50123はその中、右端で煙を上げて迎えてくれました.
さかのぼって1965年1月には両毛線小山-栃木の短区間ですがC50123牽引の旅客列車に乗ったこともありますから、私にとって想い出の機関車が地元で保存されているのは嬉しいことです.

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蒸気機関車が大好きなファンの方による整備なので、塗り直された車体は美しく輝いていましたし、無駄な白線や銀色での装飾が一切無いその姿に感動を覚えました.さらに今回はヘッドライトの点灯、外部コンプレッサーからエアー管をつないで汽笛の吹鳴、ブレーキ動作なども行われています.それこそ35年振りでしょうか煙突から煙りさえ出ています.

地元の方々多く見学に訪れ、子供達が喜んでいる姿を見ると蒸気機関車保存の意義というものも見えてくるような気がします.
今回拙作写真も展示して頂き、お役に立てて良かったと思います.

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美しく整備して頂いたC50123お掃除会の皆さん、どうもお疲れ様です.ありがとうございました.

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2005/11/20 PM 11:52:03 | [保存車両]

No.142 西武鉄道5号機

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保存機を取り上げるサイトが増えてきていますが、私が中学生の頃に撮った保谷のナスミスウィルソンの記事を見かけません.今はもう無いのかなと思い、あらためて調べてみるとどうやら非公開で現存しているようです.んならば出す価値はあるだろうとネガを引っ張り出してみました.

撮影日は1965年10月9日、当時の保谷検車区に隣接するというか、検車区構内に新設された西武鉄道職員養成所の施設として腕木式信号機やボンネットバスとともに置かれたようです.紹介パネルの日付が6月になっていますから設置後4ヶ月ということになります.おそらく当時も一般公開はされてはいなかったのでしょうが検車区と共にまったくオープンで、近寄っても咎められることもありませんでした.
古典ロコというものに特段の思いは無かったと思いますが、銘板の1896年という製造年とマンチェスターという地名をリバプールととも公共鉄道の原点でということで知っていたので興味を示したようです.

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5号機の概要については写真の紹介パネルをご参照下さい.

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キャブ内部ですが右側運転台です.

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もう40年も前になりますが、当時の保谷はまだ田舎で武蔵野名物、雑木林も多く見られました.
この5号機かどうかは判りませんが1962-3年頃、上石神井検車区に同じような古典ロコが置かれていて一度だけ煙を上げていたのを覚えています.小中学生の頃は自転車でいつも保谷や上石神井に電車を見に行っていましたが、カメラは持って行かなかったので記録が無いのは残念です.

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2005/11/19 AM 02:45:07 | [保存車両]

No.141 さよなら? 2軸ワム

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正確な情報ではないのですが、紙輸送に使われているワム80000型2軸有蓋車が12月のダイヤ改訂で廃止になるとの噂がネットで流れています.
いつも利用している常磐線柏駅では毎日午前10時20分過ぎに20両のワム+10両のコキを連ねた長い貨物列車(5262列車)が見られ、例の連結器とドアをガチャガチャを言わせながら通過して行く姿が過日の記憶と現実を結んでいました.残念ながら柏駅付近はロングレール化されているのでダン、ダン、ダン、ダンと車輪が1つずつ刻んで行くジョイント音は聞くことができないのですが.

今朝は天気も体調も良かったのでこの列車を撮影に出かけてきました.自宅からクルマで20分ほどの南柏-北小金間の歩道橋は、複々線の緩いカーブをアウトハイのポジションできれいに抜いて撮れます.鉄道ファン誌で紹介されたこともあって人気スポットになっていますが、フェンスや架線柱、電線の処理が難しい場所です.
EF81のスノプロがホチキスにかかってしまいましたが、まあイイでしょう.(ダメ?) 
常磐線貨物列車牽引のEF81はJR 東日本からの借り入れなので北斗星色が多く、95号機が来ることもあります.

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12月ではないにしても2軸車は間もなく見ることができなくなると思います.D51やEF15に牽かれた2軸車、ボギー車、まれに3軸車や3軸ボギーのタンク車などが混結された昔の長い貨物列車が懐かしいです.最後部の車掌車が刻む最後のタン-タンがいつまでも聞こえていました.タン-タン タン-タン タン-タン - - - - - - - -・

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2005/11/18 PM 05:48:42 | [客車・貨車]

No.140 711系試作車

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北海道国鉄線の電化は1968(昭和43)年8月28日に函館本線小樽-滝川間が嚆矢とされています.実際に営業開始されたのは10月1日、いわゆるヨンサントーと言われるダイヤ白紙大改正の日でした.
前年の1967年12月には小樽-札幌間が先行電化されて、ED75501号機と711系900番台試作車4両により試運転が開始されています.厳しい北海道の冬期間の経験を踏まえての施設改良、量産車の仕様が決定されることになります.
1967年12月末に訪れた小樽駅ホームには試運転開始の看板が誇らしげに掲げられていました.

電化完成以降、試作車の711系900番台は量産車に合わせて3両編成化や機器の取り替えなど仕様統一されましたが、クモハ711-901、クハ711-901の2両は2段窓、4ツ折りのドアなど特徴ある姿のまま営業運転に付いていました.写真は1969年3月に美唄駅で見た編成です.中間に量産車のモハ711を挟んでいます.

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その後再び2両編成に戻されて急行「さちかぜ」の増結車に使われていましたが、同列車が特急に格上げ後は増備車のクハ711をもう1両連結して他の量産編成と同じく1M2T 編成に揃えられて共通運用されていました.折り戸は普通の引き戸に改造されましたが2段窓は改造されず、数年前にリタイアしています.
711系は冷房こそありませんが、シュリーレンタイプの台車の乗り心地は秀逸で、乗るのが楽しみな電車です.

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2005/11/17 PM 11:49:23 | [電車・気動車]

No.139 401系デカ目廃車
CRTのモニタガラス面のコーティングがボロボロになってしまい、画面が大変見にくかったのですが、前に友人に教えてもらった通りに磨いてみました.178円也で購入してきたコンパウンドで画面を拭くように磨くと、容易にコーティングが剥がれてきれいになりました.こんな簡単ならもっと早くやるべきでした.


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401か403か良く判りませんが、最後に1本だけ残っていた原型ヘッドライトを持つ編成が廃車になってしまったそうです.2年前2003年4月、日立電鉄のサクラを撮りに行ったときに勝田駅のホーム前の留置線に停車していました.この頃からこの編成1本だけでしたからよく持ったもんだ、ともいえますね.
昔は全部がデカ目だったのでそれ程珍しいとは思いませんが、無くなるとなるとやはり気になります.直径30cm くらいでしょうか?ホームで間近に見ると本当にデカかったですが、写真で見ると良くバランスが取れていると思います.

401系は 私が小学生の時の登場でした.新性能車では初めての3ツドアの近郊型、バラ色と言われればそうなんですが、不思議な色のボディは結構なインパクトで、運転台同士が顔をつき合わせた連結面がニラメッコしてるようで妙に好きでした.交流仕様の屋根上の機器や中央に寄ったパンタの 大きい碍子などが質の高い高級感を感じたものです.
これは1965(昭和40)年3月に水戸駅での撮影ですが、わざわざ401系というか近郊型を撮影するというシチュエーションは未だに無く、皆ついでのカットばかりです.

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エメラルドグリーン103系の「青電」に対し「赤電」と呼ばれていましたが、つくば科学博を機に白地に青のラインに塗り替えられました.この取り合わせは(多少色合いは違いますが)小田急や山陽路の115系に見られましたが、同じ頃東武鉄道の8000系も似たような色になっています.柏駅では東武野田線が常磐線と並びますし、小菅では常磐線の上を東武伊勢崎線が越えています.常磐線と並行する営団千代田線には小田急の9000系も走るんですから正に「類は友を呼ぶ」ですね.この立体で3車が同時に相まみえる瞬間があったでしょうか.
さらに常磐線から九州へ転属した415系500番台の影響を受けて、白地に青が九州の電車、気動車の標準色になってしまったのですから驚きです.下関では山陽路の115系との出会いもあったことでしょう.

数年前にはバラ色の復活色も登場して1年ほど走っていました.別に撮る気も無かったのですが、たまたま乗車した列車に連結されていて、1.ヒマだった.2.天気が良かった.3.カメラを持っていた.という条件が揃ってしまい、なんと水戸まで行ってしまいました.そのまま戻るのも勿体ないので鹿島鉄道に寄ってきたのですが.
その時の写真です.2003年3月水戸駅です.

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2005/11/16 PM 01:59:55 | [電車・気動車]

No.138 北海道最後のD50

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1969年3月高校を卒業、北海道の蒸気機関車を初めて本格的に撮影に訪れました.訪問した追分機関区では多くのD51が煙を上げていましたが構内の片隅、防風雪柵のかたわらにD5025号機が火を落として置かれていました.一次休車とはいえ、まだボイラの艶は失っておらずまだまだ働けそうな様子でした.
前年までD50は現役機として多くの仲間が夕張線の運炭列車牽引に活躍していましたが、この時点ではこのD5025号機が唯一残るのみだったのです.残念ながら私は北海道のD50には間に合わなかったということになります.
大正時代に製造された無骨な甲冑のようなスタイルは好きな機関車の1つです.早くに廃車されたため他の北海道の機関車のようにデフの切り詰めや副灯の取付などが行われなかったのは幸いだったのかも知れません.
正式に廃車されたのは翌1970年だそうですが、現在は北見市で大事に保存されている姿を見ることができます.D50型は梅小路蒸気機関車館のD50140とこのD5025の2両しか保存されていません.

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2005/11/15 PM 11:51:54 | [現役蒸機の時代]

No.137 スチーム・クレーン
先週、インフルエンザの予防接種を受けてきました.消費税別で3000円かかりました.ここ数年毎年今頃受けていますが、インフルエンザじゃないと思われる普通の風邪はしっかりひいてますから効果の程はよく判りません.自分のため、というよりは同居の母にうつさないための保険と考えれば受ける理由になりますね.


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昨日のRM編集長敬白名取さんのブログで"蒸気ロコクレーン"を取り上げておられたので私も便乗します.(そろそろネタに行き詰まってきたのかな?)
1964年の8月、中学2年でしたが神戸市東尻池の叔母の家に遊びに行った時、朝食前にカメラを持って散歩をしました.神戸市電を撮ったり、川崎重工の構内を横断する踏切で新幹線の車両を撮ろうとして守衛さんに怒られたりしているうちに、こいつを見つけたようです.
当時の鉄道ファン誌に同じようなクレーンの記事が載っていたのを思いだして「あっ、これだな」と思ったような記憶があります.最近偶然その記事を見る機会がありましたが全くの別物でした.
おそらく川崎重工の製鉄所だと思いますが、トロトロと自走していたのを覚えています.しかしよく見ると凄まじい車両?ですね.全身トラ塗りの警戒色、無造作に開けられた窓など相当なゲテモノぶりです.
比較するものが無いのでその大きさの見当がつかないのは残念です.車輪の大きさや窓の位置などから想像するとかなり巨大なようにも思いますが、いったい何ミリ・ゲージなのでしょうね?

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2005/11/14 PM 10:56:52 | [客車・貨車]

No.136 オレンジ色の前進型
ロッテがまた勝った.バブルパンチを喰らったバレンタイン監督を撮ったカメラマンはお手柄ですね.


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オレンジ色の憎いやつといえば夕刊フジのキャッチコピーでしたが中国にはオレンジ色の前進型がありました.新鮮だし格好イイでしょう.こんな姿で列車を牽いたら人気者間違い無しですね.
この写真はQJ6639で有火ではありますが、残念ながら本線を走ることはありません.1984年5月に訪問した山西省大同の機関車工場で、錆止めの下塗りのまま構内試運転をしている姿です.この後塗装工場で真っ黒に塗られて完成となるわけです.
こちらはQJ6638です.集通線を走っていませんでしたか?

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オレンジ色の蒸気機関車といえばアメリカ、旧サザン・ パシフィック鉄道の「デイライト」N0.4449や南アフリカのものを思い出しますが、本来はアメリカ型である前進型にも意外と似合います.ディズニーランドのポーターもどきの発展型と言えなくもない訳で、せめて模型の世界ででもオレンジ色一色の客車編成を牽引する姿を見たいものです.
[11.15 追加]大井川鐵道に一時登場したSLマンことC11227もオレンジ色でした.

前進型は公称85km/hくらいが最高速度だと思いますが、実際には100km/hは軽く出る(出してる)そうです.旅客列車の先頭に立つ姿もなかなかです.

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2005/11/13 PM 10:12:56 | [中国の鉄道]

No.135 「くたに」と「しらさぎ」
NHK総合、新日本紀行ふたたび「湘南・電車通り」を今見ました.1977年の放映も見た覚えがあります.つい先日のようでしたが28年前なんですね.人の姿が変わった割に風景と電車はあまり変わっていないような気がします.最近江ノ電撮影がブームのようですが、この放送でまた増えてしまいそうです.

1971年7月10日に廃止された北陸鉄道加南線から大井川鉄道に、「くたに」号と「しらさぎ」号 各2両編成が移籍してきました.北陸鉄道は直流600ボルトでしたが、大井川鉄道は1500ボルトと電圧が違うのでそのままでは走れず、1962年製のクモハ6001 + クハ6051「くたに」号は電装を解除、小田急電鉄からやってきたデハ1900型と組み3両編成の「あかいし」号として使われていました.
一方1963年製オールアルミ製の「しらさぎ」号 モハ6011 + クハ6061は当初は同じように電動車を連結して使用されましたが、足回りが旧型車の流用であったことが幸い?して2両編成で走れるように改造できたようです.乗車したことがあります.車内は転換クロスシートで観光列車向きなのですが、台車のせいか線路のせいか、その両方か相当な乗り心地でした.
1978年1月、撮影に訪れた時にはこの2本の編成が仲良く手を繋いで5両編成で走る姿が見られました.ちょうど新日本紀行江ノ電と同じころですね.

「しらさぎ」号 モハ6011 + クハ6061(もと北陸鉄道 クモハ6011 + クハ6061)+ モハ1906(もと小田急デハ1906)+「あかいし」号 クハ6052+クハ6051(もと北陸鉄道 クモハ6001 + クハ6051「くたに」号) 抜里-笹間戸(現川根温泉笹間戸)

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2001年までには引退して「しらさぎ」号編成は千頭駅構内に留置されていましたが、本年2005年8月に故郷の山中温泉に里帰り. 国道364号沿いの「道の駅山中温泉ゆけむり健康村」に展示保存されています.


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2005/11/12 PM 11:24:30 | [私鉄・専用線・トラム]

No.134 3時間10分


1964年10月1日に開業した東海道新幹線でしたが最初は路盤が安定していないために東京-新大阪間を「ひかり」が4時間、「こだま」が5時間の運転でした.確かに乗車すると船が波を乗り越えるようなスリリングな揺れも実感しましたが、余裕運転時間がありすぎて品川-東京間などはゲタ電にガンガン抜かれてました.

1年と1ヶ月後の1965年11月1日からは晴れて3時間10分にスピードアップ、当初の3時間運転の目標をほぼ達成しました.おまけの10分は開業数ヶ月前に急遽決まった京都停車のため、と言われていましたが本当のところは判りません.

当日は月曜日でしたが、一番列車「ひかり1号」は午前6時発なので中学へ登校する前に、早起きして東京駅へ向かいました.別に車両が変わるとかヘッドマークが付く、というわけでも無いのですが歴史の1ページに立ち会いたくて行ったものと思います.(開業日にも行ってます) 単なる野次馬?

1年前の開業日、ホーム前端は一般は立ち入り禁止でしたが、今回は何となく居並ぶ国鉄関係者の間に取り残された、といった感じで間近にテープカットを見ることができました.
挨拶などの式典が終わり、6時ジャスト.東京駅長の合図でドアが閉まりタイフォンが響きます.合わせて谷伍平新幹線支社長(後の北九州市長)がテープカット、そして発車となるはずでした.しかしタイミングが合わずに先に列車が動き始めてしまい、テープが大きく突っ張ってしまった頃にやっと切れました.
この2枚の写真からその様子がお判り頂けると思いますが関係者はヒヤヒヤもんだったでしょうね.


3時間10分後の新大阪を目指す「ひかり1号」の後追いを撮りました.まだ3線しか無い新幹線ホームは16両編成用に延長する準備工事だけはされていたようです.こういったカットも40年も経つと立派な記録になりますね.
後日鉄道ファン誌にこの列車に乗車していた方のレポートが載りましたが、その中に「報道陣はすでに機材を片付け始めている中でファンであろう、熱心に去りゆく列車にカメラを向けている人がいた」との記述があり嬉しくなりました.これがその写真です.ヘッドライトが点いているようですが赤フィルターがかかったテールランプです.

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2005/11/11 PM 07:53:33 | [新幹線]

No.133 白河のC12

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まだまだ東北の話題が続きます.同じく1965(昭和40)年10月中学修学旅行の初日は上野から仙台まで、誕生したばかりの455系急行「第1いわて」に乗車.バリバリの新車でDT32の乗り心地の素晴らしさに感激しました.
時刻表から自作した列車ダイヤ(当然旅客だけですが)と各駅の予想通過時間、駅間平均時速表などを持参して友達や先生にに自慢げに解説したものです.しかし貨物列車の多いこと多いこと.10分置きくらいにED71牽引列車とすれ違います.
この写真は白河駅構内で入換え作業にはげむC12207です.バックのバスの車庫が泣かせます.ふそうの大型ボンネットバスの姿も見えます.

白河機関区といえば東北本線の交流電化前はC62、C59など本線用大型機を擁する要衝でしたが、この頃は僅か数両の入れ換機のみの配置となっていました.

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2005/11/10 PM 11:35:34 | [現役蒸機の時代]

No.132 秋田市電

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東北の話題が続きますがご容赦下さい.1965(昭和40)年10月中学修学旅行も最終日、弘前から秋田にキハ58系急行「あけぼの・しらゆき」でやって来ました.生憎の雨の中バスで男鹿半島に向かいますが、駅前で若干の自由時間があったようで、電停に停車していた古めかしい路面電車を撮影していました.


秋田市電は秋田駅前-土崎駅前間(国鉄で1駅)、7kmほどの短い路線でした.ネガにはポールを降ろしたこの34号(もと都電)しか写っていませんが、他の電車を見たかどうかは全く記憶がありません.当時はまだ漠然と鉄道が好きだという思いのみで、予備知識もほとんどありませんでしたから、興味を持ってあちこち観察するということもなかったようです.
数ヶ月後に趣味誌で見た秋田市電の記事は12月31日で運転を終了した、というものでした.1889(明治22)年に馬車軌道として始まった秋田市電の76年の歴史のほぼ最後に、文字通りその一端に触れることができたわけです.
あれからもう40年も経ちました.当時完成したばかりの国鉄秋田駅の先代の駅舎です.秋田新幹線の開通後は駅舎も橋上になり一新、駅前の再開発も進み、もうどこがどこやら全く判りません.

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2005/11/09 PM 11:11:45 | [私鉄・専用線・トラム]

No.131 D62型

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本日本編にアップしたD62型蒸気機関車は、1950・51年に戦時中大量生産されたD52型蒸気機関車から将来、乙線級の幹線での使用を目論んで、ボイラー交換および戦時型簡易仕様を本格仕様に改装する際、従輪を2軸化することで産まれた形式です.20両が浜松工場で改造されていますが、当初は他のD52型と同じく東海道・山陽本線で使われていました.
軸配置の先輪1軸、動輪4軸、従輪2軸という並びは1D2と表示され、バークシャーと呼ばれています.その後D60(←D50)、D61(←D51)といずれも改造により2形式が誕生していますが、登場はD62型が早く国内初のバークシャー機でした.

その後東海道本線の全線電化、山陽本線の電化進捗により1959年には全20両が東北本線一ノ関機関区に集結して貨物列車を主に活躍を開始しています.
その際、鷹取工場で動輪にかかる重量を従輪に一部負担させる軸重軽減工事(軸重16.0→14.27トン、シリンダー径550→530mm)が施工されました.
D62型は長町-盛岡間で1965年の盛岡電化後も活躍し、1966年9月に全機使用停止、廃車になっています.
しかし運用はD51と共通で、D62の力を最大限発揮したとは言い難いものでした.

私は1965年10月、中学の修学旅行の際に平泉中尊寺付近で少し撮れたのですが、本格的に沿線撮影の機会はありませんでした.翌1966年夏には一ノ関機関区、盛岡機関区で撮影できましたが、すでに数両しか走って居らず貨物牽引の姿が撮れなかったのは残念です.
2軸従台車は見た目に安定感があり、ナンバーの62という蒸機では一番大きい数字も貫禄を感じさせます.D52は首都圏から近い御殿場線を走っていましたから、東北まで行かないと見られない僅か20両、希少種のD62を見たときは感激したものです.
いわゆるSLブームが起きた時代にはすでに走っていなかった形式としては、最後の大物に出会えただけでも、これは幸せなことなのかも知れません.

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2005/11/08 PM 07:41:30 | [現役蒸機の時代]

No.130 日高本線キハ21単行


1970年3月31日.日高本線様似-西様似間の峠を越えるキハ21の単行列車です.バックは日高山脈アポイ岳(アポイヌプリ).810.6mと標高は低いですが、高緯度のため多くの高山植物の群落があることで知られています.
当時日高本線の普通列車はキハ21、キハ17、キハユニ25など3〜4両編成で運転されていました.ところが日中の下り列車は終点様似駅の1駅手前の西様似駅や5駅手前の浦河駅で編成中の1〜2両を切り離します.そして交換する上り対向列車に連結、身軽になった編成で終点に向かう、という面白いというか効率の良い運用になっていました.

この日の撮影の本命はもちろんC11の貨物列車でしたが、春めいた暖かい日にのんびり走る単行気動車も良い被写体になりました.
今はほとんどの列車がキハ40の単行で、各駅の交換設備も撤去されています.

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2005/11/07 PM 08:45:30 | [電車・気動車]

No.129 花巻電鉄

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1966年8月26日.国鉄花巻駅ホームから撮影したカットです.見える文字は花巻温泉郷一色ですね.
この日は北上のD60と花巻電鉄の撮影を考えていましたが、風邪による発熱と猛烈な暑さでグロッキーとなり、北上での撮影後、釜石の伯父の家に戻ってしまいました.その帰路での1枚ですが、結局私にとって唯一の花巻電鉄のカットになってしまいました.
その後すぐ廃止になってしまったような記憶でしたが、調べてみると1969(昭和44)年9月1日花巻-西鉛温泉間が廃止、1972(昭和47)年2月16日に花巻-花巻温泉間廃止、と結構後でした.北海道に何度も往復していた時にはまだ走っていたんですね.北海道での撮影に気合いが入っていると途中下車する気にはなかなか、なれなかったのかも知れません.

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2005/11/06 PM 06:42:06 | [私鉄・専用線・トラム]

No.128 真岡鐵道重連

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今年は重連運転が冬に無いので、朝の回送でのこのような味のある編成も見ることができません.
いつのまにかレールバスも代替わりしつつあります.復活蒸機でも経年で周囲の情景や車両も変わってしまいますね.
2001年11月折本駅.

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2005/11/05 PM 11:47:34 | [復活蒸機の走る線]

No.127 東北本線旧利根川鉄橋

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東北本線栗橋〜古河間の利根川鉄橋は 1886(明治19)年に完成し、それまで渡船連絡であった当時の日本鉄道東北本線が宇都宮まで開通しています.錬鉄トラスで支間63.4m3連、30.2m9連の歴史に残る鉄橋は1977(昭和52)年、現在のワーレントラス橋に架けかえられるまで東北本線の下り線用として現役でした.

架けかえ直前の1977年9月にこの利根川鉄橋で撮影していました.全くの偶然なのか、架けかえを知って行ったのかは記憶が欠落しているのですが、ネガを見る限り鉄橋というよりも反対側、アプローチ区間のカーブが目的だったような気がします.肝心な鉄橋の全景写真が無くて恐縮ですが、その下り線を走るボンネット485系「あいづ」に免じてお許し下さい.向こう側に見えるのが現在の利根川鉄橋です.

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この写真を見ると足回りが全く見えず、非常に撮りづらい鉄橋だったことが判ります.それでもよく思い切ってこんなアングルで撮っていたと思います.

ところでこの「あいづ」の後追いカットを撮ろうとしたときに、ちょうど上り貨物がやって来たので慌ててシャッターを切りました.しかしEF65が画面はみ出し、ボンネットが電柱串刺しの哀れなカットになってしまいました.EF65があと0.5秒遅ければ結構面白い絵ができていたかと思うと残念です.

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それで思いついたのですが、大画像掲示板でこのようなNG写真のご投稿をお願いすることにしました.
構図は抜群なのに対向列車に被られた、人が飛び出した、ピンぼけ、露出過不足、手ブレ.自分の責任、他人の責任、運が悪かったなど原因はなんでも構いませんので、インパクトのあるNG写真を面白いエピソードとともに貼って頂ければありがたいです.以前の「ダブル=同形式の重連」のように盛り上がればと思っています.
よろしくお願いいたします.


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2005/11/04 PM 11:21:44 | [電車・気動車]

No.126 急行みちのくとTR50X

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「みちのく」は9月12日にNo.74 特急「みちのく」として取り上げていますが、今日のは急行時代です.1966年8月27日東北本線一ノ関駅で撮影したED7573が牽きいる上り「第1みちのく」です.12系登場前ですから旧形客車とはまだ呼ばれないころの客車達で編成されています.
プリントをルーペで見てみると、スハフ42+ナハフ10(11?)+スロ54×2+オシ17+ナハ10+スハ43系×7 の13両編成のようです.荷物車も連結されていない典型的な昼行急行列車の編成ですね.
当時の牽引機は青森→盛岡がDD51重連.盛岡→仙台はこのED75.仙台→平C62!.平→上野はEF80というバラエティでした.

2日後に花巻駅で見た同じく上り「第1みちのく」の編成にはナハ102905が入っていました.1955年に登場した初めての軽量客車ナハ10の試作車で1955年に製造された8両しかありません.後に登場したナハ10量産車、改良型のナハ11とは外観上の差異はあまり無く、番号以外に見分けはなかなか付きません.

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「台車が違うよ!」客車ファンからはクレームが付きそうです.はいはい、試作車は10系客車の標準台車であるお馴染みのTR50の試作タイプ TR50-X を履いています.外見上は枕バネのコイルスプリングが1本という特徴があり、すぐ判ります.
実はこの時も台車が違うな、と思って話のタネにカメラを向けたもので、形式など詳細は後日客車に詳しい後輩に教えて貰いました.

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この頃であれば機関車交換も頻繁にあり、C62が牽引したりで乗車も楽しかったでしょうが、私が北海道の帰路に良く乗った1970年頃は青森→水戸がED75のロングランで、本当に退屈な列車でした.一度だけ食堂車に行った記憶がありますが、大概は北海道で金を使い果たしてしまいゲルピン!(死語)状態、車中で飯が食えなかった辛い想い出もあります.
それにしても北海道や東北への往復に乗った列車で、空いていたという記憶は皆無で、いつも満員でした.


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2005/11/03 PM 10:03:33 | [客車・貨車]

No.125 踏切事故
朝から良い天気なんですが、悪寒がして体調最悪です.昨晩、明るく輝く火星を外で眺めていた所為でしょうか.

1966年8月29日、釜石発盛岡行釜石線の急行612D「はやちね1号」キハ58系4両編成、の先頭車に乗車していました.間もなく土沢駅というところで突然ドーン!という衝撃があり急停車です.反対側の座席の乗客達が外を見て騒いでいるので私も失礼して顔を出してみると、3両目の側面にボンネットがめくれ上がった小型トラックがへばりついています.「踏切事故だ!」産まれて初めての体験です.
車掌さんが2両目の助士席側のドアから降りたので、私もカメラを持って降りてみました.

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幸い怪我人は居らず、皆でトラックを引き離して移動させました.パトカーが来たかどうかは記憶に無いのですが、車両側のダメージも無かったようで30分ほどの停車で運転再開となりました.
特ダネ写真ではありますが新聞に持ち込むこともせず、39年後の公開です.昔の話しですが、一応トラックの運転手さんの顔とトラックのロゴはぼかしています.

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10年ほど前に小浜線でやはりキハ58の普通列車に乗車時に乗用車と衝突しました.この時は乗用車が完全にひっくり返ってしまいましたが、幸い乗っていた親子は逃げて無事でした.見通しの良い踏切で発煙筒も焚かれていたのになぜ列車が止まれなかったのか不思議です.列車は動けず3時間ほど待たされ、救援の別の気動車編成に牽引されて小浜まで走りました.カメラは持っていませんでしたし、線路には降ろして貰えなかったのですが.ワンマン運転の運転士さんが一人で処理できず、パニックになってました.
貴重な経験ではありますが、あまり遭遇はしたくありません.

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2005/11/02 PM 08:58:08 | [電車・気動車]

No.124 JALDC10 引退
東京証券取引所システムダウンによる全銘柄取引停止!この大事な時期になんちゅうことを.半月前にシステム増強をしたことが、「ただちに影響があったとは思われない」との東証常務のコメントは一方では「原因不明」と言いながら何を根拠に言う?
コンピューター・システムに全面的に依存する今の経済のシステムで良いのでしょうか?


昨日2005年10月31日、ソウル発のJL952便をもってJALのDC10が最終運行となったそうです.ジャンボ機に較べれば地味な飛行機ですが、国内線国際線での30年あまりの活躍は大きな功績といえましょう.私も札幌便、大阪便では何回かお世話になりましたし、1980年代の中国訪問では国際線仕様にも乗ることができました.JALのではありませんが、カナダへ行った時も往路はCPのDC10でした.
垂直尾翼にもエンジンを持っているので、乗っていても精神的なものでしょうが、安定感を感じた覚えがあります.マクドネル・ダグラス社も今はボーイング社に併合されてしまっています.
写真は1984年4月、上海虹橋空港です.最近はボーディング・ブリッジからの搭乗が多いのでこのような写真も撮れなくなりましたし、中国民航のトラック型のタラップも懐かしいものです.

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3発機といえばライバルの「星みっつ!」のロッキードL1011 トライスターも名機でした.導入に当たってはDC10との販売競争で日本の政界を揺るがすような疑獄事件になってしまいましたが好きな飛行機です.こちらには就航早々に千歳-羽田間で01号機に乗りましたし、1987年の大晦日には大連経由のANA便で北京に向かいました.当時はまだ上海上空経由の航空ルートを取っていたので大連まで4時間近くの所要時間でした.
写真は大連空港です.大連では一旦降機して入国手続きをしなければなりません.でもそのおかげでこのようにトライスターを撮ることができました.こちらもすでに国内航空会社からはリタイアしています.

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航空機はあまり詳しくはないのですが、子供の頃からの乗り物好きとしては新型機の登場、国内初就航などのニュースには興味を持って接していました.しかしマイナーチェンジや部品更新が行われているとはいえ、航空機の寿命は鉄道車両に較べれば長いですね.今でも世界の主力機として活躍するジャンボ機、ボーイング747も初登場からもうすぐ40年です.ライト兄弟の初飛行からまだ102年しか経っていない中での40年ですからね.

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2005/11/01 PM 12:03:10 | [航空機]










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