【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]

No.123 自画像
武べえさんの留任とおチョコさんの入閣にはビックリです.

旅は原則として単独行なので自分の写った記念写真というのはほとんど無いのですが、ワンマンカー用の鏡を見つけると遊んでみたくなります.とは言っても長時間の交換待ちや、終点での折り返し時間でしかチャンスはありません.
1986年4月、名鉄三河線の猿投駅です.猿投-西中金間で運転されていたレールバスですが、この区間は昨年3月に廃止になってしまいました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

1993年9月、釧網本線川湯温泉駅です.ここでキハ54の単行同士が交換します.鏡の中に写っている向こう側の鏡には背中が写っていました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

対向列車が到着しました.上下列車は通路を挟んで両側に停車するので1枚の写真に収まりませんが、鏡の中では両車が写りました.手前の方の自分は額から上だけですが.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

1995年7月近江鉄道近江八幡駅です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

おかげさまで10月も完走できました.7月1日の開始からいまだ皆勤が続いています.もう11月ですね.

2005/10/31 PM 08:43:14 | [電車・気動車]

No.122 TX 近況
私の写真の青空が青い?のは何か特殊なソフトでも使っているのか?というご質問がありましたが、そんなことは全くありません.画像処理については専門家ではないので語るのは遠慮しますが、ようするに青い空を撮れば青く写るのは当たり前です.若干露出をアンダー気味にするとその青みは増しますが、他の部分との兼ね合いもあるので、バランスを考えつつ補正することもあります.PLフィルターも最近は使っていません.
晴れた日以外は撮らないと言うわけにも行きませんが、晴れの日は空を大きく入れます.そうでない場合は空の面積が少ない構図をとれば、今のカラーフィルムやデジタル機は鮮やかに色を再現しますので、美しい絵ができるのではないでしょうか.
あとは常日頃の行いに注意し、雨男や雨女と行動を伴にしない方が良いかも知れませんよ.


先日27日の午後は久しぶりに晴れたのでカメラを持って散歩に行きました.東武野田線に乗って「流山おおたかの森」駅へ.TXの駅構内で編成写真をと思ったのですが、やはりホームゲートがじゃまですね.上下線の間隔もあまり空いていないので電車が近すぎます.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

秋葉原方向で逆光の絵が面白そうでしたので上下列車を狙ってみました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

3駅目の守谷駅まで乗車、360円はさすがに高いと思いましたが北総鉄道よりは安いかな.
「祝開業」のヘッドマークはもう表示されてませんが、フレームは白板表示で残されています.個人的には尖った鼻がこの車両のチャームポイントだと思うので、無い方がいいのにと思います.正月に「賀正」表示でもするのでしょうか.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

次の土曜日11月5日にTX守谷車両基地が公開されます.関東鉄道の水海道車両基地も併せて公開されるので天気が良ければ行ってみようかな?という気はあります.

TX と守谷から乗った関東鉄道のキハ.両方とも同じような車内の臭い(消毒薬?)がしましたが、ちょっと生理的に合いません.長い時間乗ると気分が悪くなりそうです.

2005/10/30 PM 09:26:52 | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.121 D51重連には役不足
テレビではクイズばやりでナゾナゾから一般常識まで、毎日クイズ番組の放送されない日は無いくらいです.昔は回答者が一般の人、というものが多かったのですが、今はクイズ・ミリオネアとアタック25(まだやってるんですね)以外、タレント学者、ベテラン芸能人やお笑い芸人の博識自慢vsバカさ加減の闘い、というバラエティがほとんどです.
しかしこれだけの数の番組があると当然その質に差が出てきますし、ネタが被ったり、パクリ合いは日常茶飯事なような気がしますし、正解についても?と思わされるようなものもあります.
また一般常識以上の知識を要求される問題と、思考力を要求される頭の体操的問題が混在していて、どう考えても普通人には解るわけがないような問題が出されたりします.
あきれたのは「ある企業の創業者が裸一貫から商売を始めたときに、今まで誰も思いつかなかったようなアイデアで成功させました.さあそれはなんでしょう?」式の問題でした.誰も思いつかなかったアイデアがその専門家でもない回答者がスタジオで即座に考えつきますか?.それでも数人が正解を答えてしまったのですから驚きでした.よっぽどの逸話として知られていることなのでしょうかね?

国語の言い回しや漢字の読み書き、筆順などのクイズも最近よく見ます.勉強になりますが、自分の力の無さに失望することも多いので精神的にはあまりよろしくないのですが.
しかし複数の説があり、必ずしも正解とされたものが絶対正しいとは言いきれない場合もあります.国語学者のような肩書きの方が解説をしている番組も多いですが「こちらの方が宜しいのではないでしょうか」などと断定はしていませんね.
筆順は正式に定義されたものは50年ほど前に文部省が当時の教育漢字881字に対して制定した「筆順指導の手引き」だけです.それ以外では複数の書き順が存在する漢字もあります.
大体「右」と「左」の字のタテとヨコの書き順が違う!なんていうのは成り立ちの違いはあるにせよ、正しく書くことにどれだけの意味があるのかと思います.
まあバラエティですから、あまり目くじら立てても仕方がありませんね.

そこで表題の「役不足」なんですが、これも良くクイズ番組で取り上げられる言葉です.「彼にこの仕事では役不足だ」なんて使い方をしますが、「彼ではこの仕事には役不足だ」とは言いいません.
最近テレビ、雑誌で高名な評論家の方などが誤用されているのを相次いで目にしました.
「僭越ながら役不足ではございますが、私が進行役を務めさせて頂きます」は×です.「俺様は司会をやるような下っ端じゃないんだけど、仕方ないからやってやるよ」みたいな高慢な意味になってしまいます.
自分の誤字乱文は棚に上げて置いて、鬼の首を取ったようなお話しで失礼かとは思いますが、公表される発言、文章(このブログは端くれにもならんでしょう)には影響力がありますからご注意をお願いしたいものです.

そう言えば昔勤めていた会社に「私はハクガクですから」と言うのが口癖の課長がいましたっけ.本人は「薄学」と言っているつもりなんでしょうが.「それは浅学と言うのですよ」と何度も注意したのですが、結局直りませんでした.今でも言ってるのかな?

貨車4両じゃD51重連にとっては役不足ですね.
1967年6月八高線高麗川-東飯能

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

クイズ番組の正解をすべて記憶していればそれこそ「博学」になってしまうのでしょうが、歳のせいか片っ端から忘れていってしまうのは残念です.「この問題この前見たのに答えを覚えてない」と悔しがるくらいだったら未だ軽傷です.問題さえもきれいさっぱり忘れてしまうようになると逆に、いつも新鮮な気持ちで見られます.

2005/10/29 PM 01:49:22 | [現役蒸機の時代]

No.120 TX vs JR

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

常磐線の車内や駅にこのようなポスターが掲出されています.今年の夏頃から見られましたが、単なるSuica の宣伝かと思いきや、見本として載っているSuica定期券の日付、区間に大きな意味がありました.(拡大画像でご確認下さい)
使用開始日の8月24日はつくばエクスプレスTXの営業開始の日で、南流山、秋葉原はどちらもTXにもある駅だからです.しかも6ヶ月の有効期間と[継続]の文字はあきらかにTXを意識していることが伺えます.

南流山-秋葉原間はTXで20〜25分、秋葉原で地上まで上がるのに5分くらいかかりますから約30分で、もちろん乗り換えは無しです.
JRでは武蔵野線(南流山-新松戸間)3分、常磐線各停(新松戸-松戸間)7分、常磐線快速(松戸-上野間)20分、山手線(上野-秋葉原間)4分で計34分.3回の乗り換えがスムースに行った場合で約45分というところでしょうか.常磐線各駅停車から直通の東京メトロ千代田線西日暮里経由だと乗り換えは2回になります.所要時間は大差ないと思いますし、運賃が高くなってしまいます.

便利さや所要時間で見るとTXが圧勝かと思いますが、運賃がJR450円、TXが550円と100円の差がありますし、6ヶ月通勤定期だとJRはポスターにあるように65020円ですが、TXだと106920円と大きな差になってしまいます.大企業ならば問題なく認めてくれるとは思いますが、中小企業や零細企業ではこの差は痛そうです.
小さな会社では従業員を雇うときに、通勤交通費も大きな選考要因になります(本当はいけないのですが).昔プロダクションをやっていた時に近所に住んでいて徒歩で通える人間を雇ったところ、直ぐに「遠方の実家に引っ越します」と言われてマッツァオになったことがあります.最近は通勤交通費に上限を設けている会社も多いですね.

東京側の目的地が秋葉原では無くJRに乗り換えるような場合はさらに割高になりますし、秋葉原での乗り換え時間を考えると所要時間のアドバンテージも少なくなってしまいますね.

2005/10/28 AM 08:06:14 | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.119 北柏夕景
今日はホワイトソックスがワールドシリーズ制覇!井口クン、おめでとうございます!今日13時からのNHK の中継は優勝の瞬間に絶妙のタイミングでしたが、あれは生じゃなかったのかな?「羨ましいですね」と言ったゲストの野茂がちょっと気の毒でした.

先ほど撮りたての夕景をご覧下さい.常磐線北柏駅のホームからです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

2005/10/27 PM 07:36:25 | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.118 雪の行路
千葉ロッテマリーンズ、おめでとうございます!


1971年鉄道ジャーナル社制作の名作「雪の行路」は函館本線C62重連急行「ニセコ」の記録映画として良く知られています.テレビ放映もされているので、どなたも一度はC62重連が厳しい冬の山線を激走するシーンを目にされたことがあると思います.
ちょうどその頃は学生でしたが鉄道ジャーナル社にお世話になっていて、飯田橋の編集部に出入りしていました.直接映画の制作に携わった記憶はありませんでしたが、撮りたてのラッシュプリントを見せて頂いたり、録音を聞かせて貰ったり、その制作過程をつぶさに見学できるという幸運に恵まれました.
ある晩、初めて完成した作品を16mmにプリントしたものが編集部に届き、早速上映してみました.まだ音は入っていませんでしたが、今までパートパートでしか見てこなかったものが一本にまとまり、素晴らしい作品に仕上がっていて感動したものです.
竹島紀元編集長は月刊誌、増刊号の編集を続けながら、ほとんど一冬でこの作品を撮りあげてしまったのですから、眠る間も無いような毎日だったようです.
私として一番嬉しかったのは、新宿厚生年金会館で盛大に行われた初上映会のパンフレットの表紙に拙作を採用して頂いたことです.だいぶ変色してしまいましたが、今でも手許に残っていました.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

写真は1970年11月28日、吹雪の倶知安峠を登る上り104列車「急行ニセコ」です.

裏話ですが「雪の行路」の中でほんの数秒間、夏に撮ったカットがあります.よく見ていれば判るかも知れません.

2005/10/26 PM 10:04:32 | [現役蒸機の時代]

No.117 浦和で見た機関車

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

久しぶりの浦和・大宮シリーズです.撮影は1961〜3年頃だと思います.↑は浦和駅付近の東北本線下り貨物列車 、EF134 牽引ですが貨物列車は本数が多く、EF10、EF12、EF13、EF15と走っていたはずですが、同じような形で見分けは付かなかったと思います.さすがに凸型のEF13は記憶にありません.

それに較べると旅客用電関はみな特徴があり、はっきり覚えています.写真にはありませんが無骨なEF53、流線型のEF55(逆向き牽引も見たことがあります)、まん丸でパンタの寄ったEF56、そしてこのEF57はパンタがせり出しているので遠くからも直ぐ判ります.まだSG付きの時代です.寝台車を連ねていますが八甲田か津軽でしょうか.浦和-北浦和間です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

高崎線の列車はほとんどがEF58牽引でした.当時は東海道の特急用以外はすべて茶色塗装でしたが、正面窓の長いヒサシが格好良かったです.上は北浦和-浦和間、京浜東北線電車と同じ線を上ってくるEF5870牽引普通列車.下は南浦和付近のEF5887です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

普段は東北本線にはやって来ないEF80型の4号機が浦和貨物駅の待避線にパンタを下げて停車していました.臨時列車でしょうか.いつもは茶色電関ばかりなのでピンクの交直流機は異彩を放っていました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

いつも1-2点の画像で簡単に構成しようとするのですが、どうもインパクトが無くて数に頼ってしまいます.

2005/10/25 PM 02:08:58 | [浦和/大宮付近]

No.116 暖房車
マヌ34を連結したEF13牽引中央線旅客列車.1968年2月.国分寺駅.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

蒸気機関車によるスチーム暖房が基本の旧形客車ですが、電化区間では当初、別に暖房車を連結しなければなりませんでした.EF56型が暖房用蒸気ボイラ(SG)搭載で登場するまでは、冬季の必需品として多くの形式両数が直流電化区間で活躍していました.
その後電気暖房も採用されましたが、暖房用電源もしくはSG非搭載の電気機関車、ディーゼル機関車牽引の客車列車には必ず必要で、EF13牽引の中央東線.DD13牽引の水郡線.ED91牽引の仙山線列車などは実際に見た記憶があります.

信越本線アプト区間専用のヌ200トップナンバー.1965年2月.横川機関区.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

仙山線ED91牽引列車のホヌ30.1967年2月.仙台駅.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

1973年廃車、最後まで残った阪和線用のリウ311?いえいえスヌ31のトップナンバーです.天リウは天王寺鉄道管理局竜華りゅうげ機関区の略号なんですが、車番に近すぎますね.スヌの表記も少し遠慮しすぎてます.1971年2月.竜華機関区.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


暖房車はボイラを扱いますから蒸気機関車の機関士さんが乗務していました.ちなみに記号の " ヌ" は「ぬくもり」のヌです.

2005/10/24 PM 09:59:34 | [客車・貨車]

No.115 秋の真岡鐵道
今日は予報に反して良い天気だったので、どこかに出かけようかと思ったのですが、いつものように朝食時に利尿剤を飲んでしまったために断念しました.失敗!健康体では無い、というのはいろいろ大変です.

今日出かけるとすれば候補地の1つであった秋の真岡鐵道の写真を引っ張り出してみました.撮影は2002年、もう12月になっていたかもしれません.遠出の場合は撮影日の推測は容易ですが、近場は本当に日付が判りません.真岡は自宅からクルマで1時間半ほどで行けるのですが、もう2年もご無沙汰しています.
紅葉真っ盛りで秋空に午後の陽射し、そして プロビア+1現像のコントラストは若干派手ですが、見事に秋らしい色になりました.
茂木の道の駅です.この日は暑いくらいの陽気でしたが、この場所で煙り無しというのは少々きついです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

天矢場の頂上あたりで追いついたのですが、逆光と無煙では撮る気になれず、クルマで併走しながらドラフト音を堪能しました.
市塙駅出発はきれいな順光、秋空バックに黒煙少々ですがオーソドックスなカットで決まりです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

西田井駅?出発はシルエットで.たまにはこんなカットも良いもんです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

真岡-寺内間の正面ドカンで有名な踏切に行ってみました.紅葉の林に見事な正面ギラリでした.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

現在真岡鐵道はC1266が入場中なので東北遠征を終えたC11が頑張っています.11月半ば過ぎくらいから紅葉もきれいに色付くことでしょう.

日本シリーズ、ロッテ2連勝!渡辺俊介が完封とは恐れ入りました.今江の8打席連続安打も凄い!猛虎打線はどうしたのでしょうね.バレンタイン監督は私とは同年ですし、千葉の球団ですからこのシリーズは応援してます.でも寅年なんですが.

2005/10/23 PM 09:11:28 | [復活蒸機の走る線]

No.114 千歳-女満別空中写真
速報は数日前に掴んでいたのですが、ドイツ語が判らないので詳しい状況が把握できず書けませんでした.ドイツ、ニュルンベルク博物館の別館である扇形庫が焼失、名だたる保存機20数両が焼失してしまった、というニュースは衝撃的で大変残念です.ドイツには動態保存機が多く、全滅ということは無いでしょうが、いつも雑誌などで見るお馴染みの動態機は大方この博物館のものだと言います.ドイツの大型蒸機は未だ見たことが無く、ぜひ一度は訪問をと考えていただけに言葉がありません.世界的に貴重な財産を失ってしまったものです.
ドイツのファンの人達や、日本にも熱心なドイツ機ファンが大勢居られます.そして現場で保存のお仕事をされていた鉄道マンの方々はさぞやお力落としのことと思います.心からお見舞い申し上げます.
焼失してしまった車両達のリストは←links のRM編集長敬白で名取さんが書かれています.
http://www.v160.de/phorum5/read.php?3,12442,12442#msg-12442/
http://de.news.yahoo.com/051018/12/4q9rc.html


気は取り直せませんが、本日の話題です.
1986年2月に所要で札幌に滞在していましたが、ホテルで朝のニュースを見ていると流氷が知床半島のウトロに接岸したと報じていました.日中は用事が無く、どこへ行くか思案中でしたので、これだ!と思ったのですが列車で往復していては夜の用事に間に合いません.
TDAに電話すると女満別まで往復とも空席があるというので、朝飯も食わずホテルを飛び出しました.何しろ出発時刻までもう1時間を切っていたのですから.
そして1時間後にはYS11機上の人となっていました.乗客はほんの僅か、好きなところに座って良い、とのことで翼やプロペラが邪魔にならない最前列一人占めです.
帯広上空で雲が晴れて市内がきれいに見えましたので、カメラを取り出しました.女満別に到着するまでの小1時間地上の雪景色を楽しんだのですが、一旦網走上空まで行ってから引き返すコースを取ったのには少々驚いたものです.
現地滞在は約6時間、その間レンタカーで知床半島ウトロから能取岬を回り流氷風景を堪能しました.その時の写真は何れ、ということで今日はYS11からの空中写真をご覧下さい.
写真の上のURLは国土交通省国土地理院の地形図閲覧システム、1:25000地図の該当するファイルです.なおこのリンクは許可されています.

P1.帯広市街です.広尾線、士幌線とも健在です.
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=64433105&slidex=400&slidey=2000

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

P2..池田町高島駅付近.直角に曲がる国道242号、現在はバイパスが出来ています.利別川を渡る高島橋.右下の築堤が国鉄池北線.現在のふるさと銀河線で、下側画面が切れた少し先に高島駅があります.
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=64434305&slidex=800&slidey=0

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

P3.P4.
この2点は確かに↑2と↓5の間のコマなのですが、地図上で場所がどうしても確認できませんでした.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


P5.足寄市街.ちょうど中央辺りが池北線足寄駅になります.大地です.
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=64436450&slidex=2000&slidey=400

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

P6.東藻琴村市街.黒い道路が国道334号です.地図で確認するとこの時右側の窓には屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖の大絶景が広がっていたはずですが、曇っていたのか記憶がありません.
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?city=01541

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

P7.網走の天都山です.雪の中クルマで登ったことがありますが、逆光でオホーツク海が全く撮影できませんでした.
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?latitude=44.00052222&longitude=144.2382806

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

P8.網走湖です.中央の一部を除いて氷結しています.ゴマ粒のような黒い点は穴釣りをしている人達でしょう.
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=65447100&slidex=2000&slidey=1600

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

P9.まもなく女満別空港に着陸です.森の中にスノーモービルのシュプールが見えます.
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=65446150&slidex=1600&slidey=0

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

2005/10/22 PM 10:04:56 | [旅の1頁]

No.113 Sカーブ
またまたホリエモンと太蔵クンがお騒がせ!第2党党首をコイツと言う
議員一年生の傲慢嬢!




きれいなS字形カーブを行く長編成の列車をアウト側のハイポジションから撮ると、編成全体がクネクネと収まって見栄えの良い絵ができあがります.今でもこういったポイントは当然人気があるので、復活蒸機やイベント列車が走るときなどは多くのカメラマンを集めます.しかしよほどの急カーブであっても、普通はSの字をタテに長〜く伸ばしたような線形で、いわば比喩に近いようなものです.

ポルトガル北部のCarrazedoカラズエドでは、これぞ "Sカーブ" と言ってもよいような見事な線形が見られます.有名なポートワインの原料となる葡萄畑の丘を巻くように、メーターゲージの線路が敷かれている様は、写真を見ただけでも感動を覚えることでしょう.
さらにこの場所を走るのは撮影当時(1976年9月)でも珍しかった、マレー式蒸気機関車と木造客車なのですから面子オーバーの出来すぎ、と言えます.
この線は9月22日当ブログNo.84の記事にある Regua レグア駅を起点とする支線上にあります.No.84ではマレー式蒸気機関車のアップもご覧頂けます.

ちょうど "Sカーブ" に列車がやって来ました.このような目的のために撮影した連続写真ではないので、画面がギクシャクするのはご勘弁下さい.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

下り勾配ですが、見事に煙りもSカーブの軌跡を描いています.写真から推察すると半径5〜60mくらいでしょうか.マレー式蒸機は急カーブを通過するために2組の走り装置を持っていて、前側のユニットはカーブに合わせて首を振ります.次の写真は別の列車でのアップですがその首振りの様子が判るかと思います.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

急勾配、急カーブの多いこの路線は正にマレー式蒸機が本領を発揮する場所でした.
この場所、実はこのSカーブだけでは無く、さらにクネクネと大蛇のごとく右に左にカーブしている凄い場所です.その様子は当サイトこちらでご覧下さい.

現在もこの路線は健在?で動態保存のマレー式蒸機が走る?こともあるようなので、ぜひ見たいと思われる方は調べてみてください.

2005/10/21 PM 08:06:11 | [ヨーロッパ]

No.112 インスタント・カメラ
20数年前に初めて中国へ行った時に、インスタント・カメラで地元の人や鉄道の方の写真を撮ってあげると喜ばれるよ.と言われ、当時発売されたばかりの富士フォトラマを購入して持って行きました.
コダックやポラロイドに較べて色の再現性には目を見張るものがありましたが、考えてみれば自分自身で絶対に必要なものではありませんよね.第一自分の手許には何にも残らないですし、下手すると画像が出る前に持っていかれてしまう場合もあります.インスタントで撮り、さらに一眼レフでもう1カット撮りたいところですが、相手は出てくる写真に夢中になっていてそれどころでは無く、それで逃げられてしまうことも度々でした.
人の多い場所でそんなことやったらもう最後、なんだなんだと大変な騒ぎになってしまうこと間違いありません.中国には2度ほど持っていきましたが、荷物になるし、フィルム代は高いし、ほとんど効果もないので止めてしまいました.

普段でも撮ってその場で渡せば確かに喜ばれます.だからといって女の子にモテるなんていうことも全くありませんでした!
一度だけ仕事で大勢の男女を一人ずつ撮らねばならず、それぞれに氏名データを付ける必要があったときにフォトラマでも撮影.各人に署名して頂いたお陰で後の編集作業がはかどった、ということがありましたっけ.

1983年5月、杭州から南京に向かう列車の食堂車で、ちょっと目立つ少女がいたので撮影をお願いしたところ、写真をくれるなら良い.ということだったのですが、ポーズが気に入らないとインスタントで何枚も撮らされた挙げ句、一眼レフを向けるとNO!と言われ悔しい思いをしました.しかしなぜか?私のポケットにはこの1枚が入っていたのですが.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

今回初めてスキャナーにかけてみましたが、結構綺麗に出たので驚きました.

2005/10/20 PM 11:40:13 | [女の子]

No.111 SLふらの・びえい号
トップページ、メニューページの模様替えをしました.
早くも白い冬、と言うかタイトルロゴは2006年仕様を年賀状発売よりも早く!採用してしまいました.ただバックグラウンド・カラーの指定を変えれば良いようですが、実際にはテキストの色やテーブル内など微妙に指定していますのでボロを出さないように慎重に工事をしました.
トップ写真は昨日485系の「やまばと」に換えたばかりでしたが、どうも新仕様にはしっくり来ないので青森駅の「ゆうづる」ED75 に入れ換えてしまいました.私は割と気に入ってますが如何でしょうか.
今年のタイトルロゴ・イメージはグレースケールのバーを中心にロゴを配しましたが、来年のは同じデザインをネガポジ反転して、パステル調のレインボーカラーのバーを中心で 上下を分割しています.
虹の色は赤橙黄緑青藍紫の順に並んでいます.中学生の頃にセキ・トウ・オウ・リョク・セイ・ラン・シと口ずさんでいるうちに覚えてしまいました.結構これは使えますよ.(何に?何処で?)



(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

今日は2001年10月14日に撮影した「SLふらの・びえい号」の写真をご覧下さい.本当はC11171が前向き牽引の旭川から富良野行きを狙えば良いのでしょうが、午前中は大夕張で汽車フェスタの行事に参加していましたので、午後からの撮影になりました.
最初はラベンダー畑駅の手前の公園の処で待ちました.停車直前ですから煙は期待していません.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

ラベンダー畑駅は後補機のDLがうなりを上げるだけで出発して行きました.その先追っかけましたが80km/h くらいで逃げられて追いつけません.上富良野駅停車中に先回りして峠にかかる辺り、紅葉した林をバックに後追い撮影をしましたが、またも煙り無しでガッカリです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

もうどうでもいいや!と撮影は諦めて峠路をぶっ飛ばして楽しんでいると、なんと追い越してしまいました.深山峠のドライブインの辺り、国道から線路が見通せる場所で見事な紅葉をバックにサイドから撮影することができました.夕陽を浴びて煙りもバッチリです.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

満足したので撮影は終わりにして(実は追いつかなかったんですが)、この晩は十勝岳の中腹にある十勝岳温泉に泊まりました.翌朝は一面の銀世界でした.

2005/10/19 PM 11:49:26 | [復活蒸機の走る線]

No.110 バッファロー・パドック
古田のプレーイング・マネージャー就任はワクワクしますね.子供の頃の中西太、野村、村山と若き現役監督ヒーローの活躍に胸躍らせたものです.世は巨人・大鵬・卵焼きの時代ではありましたが、それほど巨人一辺倒では無く、セの他球団やパリーグのチームや選手の情報も新聞やラジオ、そして創刊されたばかりの少年週刊誌にも詳しかったような気がします.

ちょうど1996年の今の時期に訪問したものですから、 カナダの話題が続きます.
カナディアン・ロッキーのバンフ国立公園の中心都市、バンフ近郊には自然の中に多くの動物たちが生息しています.バンフでも街中の道路をエルクという種類の大きな鹿が平気な顔で闊歩していて驚かされたりします.
街の中心部から2kmほどの処のバッファロー・パドック(保護区)に行ってみました.バッファローは200年ほど前には6000万頭以上が北米各地の平原に生息していたといいますが、乱獲されて今では絶滅の危機に瀕しています.
ここで言うバッファローとは、私たちの知っている野牛、もと近鉄バッファローズのバッファローではなく、アメリカン・バッファローいわゆるバイソンのことです.西部劇の中で群れをなしてぶっ飛んでくるあれ、と言ったらお判りでしょうか.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

広大なパドックの中をクルマで走りながら捜すのですが、日中はほとんどが森の中に居て見られないことが多いそうです.これは天気と一緒でこちらの普段の行いが功を奏すのでしょうか?幸い天気の方は連日大快晴が続いています.
少し走ると運転手さんがクルマを停めて左の方を指さしました.居ます居ます!親子連れでしょうか、数頭が盛んに草を噛んでいます.一番大きいのは3mくらいありそうです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

クルマを出て、カメラを持ってソロソロ近づいて行きます.あまり近くには行かないように言われていましたが、200mmレンズでアップが撮れるくらいの距離まで寄ってしまいました.所々に直径30cm!位の彼らの巨大なお土産が落ちているので、うっかりすると踏みそうになってしまいます.ゼリー状でブヨブヨしていましたが、草食のせいか臭いはありませんでした.
どうも光線状態が悪く、頭の部分が影になってしまうのと、ずっと地面の草を食べ続けていてついに顔を上げては貰えませんでした.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

現在バンフのバッファロー・パドックは閉鎖されていて、見ることができないのだそうです.別の場所に小規模のものがあるようですが、注意書きにパドック内でクルマから降りるのは危険なので厳禁!と書いてあります.もし顔を地面から上げてこちらを見るようなことがあれば、危なかったのかも知れませんね.

2005/10/18 PM 11:33:48 | [カナダ(アラスカ)]

No.109 落合川
いやー、面白い試合でした.パリーグのプレーオフは2年連続して王・フォークスがペナントレース1位、プレーオフ敗退となってしまいました.キーマンの城島が負傷という大ハンディがあるのに、フォークスは力を過信していたのか、2位のロッテをなめていたような気がします.
西武ファンとしては最後にチャンスはあったのに残念ですが、勝率5割を切っていて優勝なんかしたら何を言われるか判りません、これで良かったんだと思います.
バレンタインさん、ロッテさん、リーグ優勝おめでとうございます.私は千葉県民ですから心からお慶び申し上げます.日本シリーズも応援しまっせ〜!?
去年もあれだけ面白かったのに、中継をしない全国ネット局はどういう考えなんでしょうね.テレビ東京さんは株を上げましたが、見られなかった地方のファンは可哀想です.


話しは1973年3月、大学卒業の月です.就職先が決まったのがギリギリ月末でしたので、まだ不安定な時期だったかも知れませんが.友人と木曽森林鉄道の撮影にクルマで出かけました.当時は中央高速が大月まででしたので東名高速小牧経由の夜行走りです.
まず行き掛けの駄賃に明知線のC12貨物を撮ろうと恵那駅へ行きましたが、朝の不定期貨物は残念ながら運休.ということで電化も近い中央(西)線の貨物列車を落合川で撮ることにしました.少し明るくなってきた6時前に塩尻方面行きの867列車がやって来ます.
奇数番号なので下り列車なんですね.中央(西)線と北陸本線などは上り下りが感覚的によく判りません.地方の支線などでも駅員さんに貨物の時間を聞く時「上りは・・・」と言われて戸惑うことも多かったです.

867列車が黒煙を上げて落合川駅を通過しています.登り勾配に備えて機関助手さんは懸命に投炭中でしょう.(今回スキャンするまでは単に吊り橋の写真かと思っていました.)

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

駅を過ぎると木曽川鉄橋にかかります.上部トラス橋なのでシャッターのタイミングが難しそうです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

この区間は後補機付きの列車も多いのですが、867列車は単機牽引で頑張ります.白い煙と鉄橋に絡むドレインが印象的ですね.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

鉄橋を通過すると、すぐに登り勾配の新瀬戸山トンネルに飛び込むのでD51はそれに備えて集煙装置の上蓋を閉じます.煙は集煙装置後端の排出口からボイラ→キャブの屋根に沿って流れ、トンネルの天井に当たって運転室内に進入するのを防いでいます.中津川機関区で積んできた石炭がてんこ盛りです.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

この集煙装置を閉じた瞬間の写真は、今まで他のサイトに投稿したり提供してきましたのでご覧になった方も多いかと思いますが、その前のカットは初公開です.

今ロッテのビールかけが始まりました.嬉しいでしょうね.
今年は中内さんが亡くなったこともあり、王さんは無念だと思います.

2005/10/17 PM 11:19:26 | [現役蒸機の時代]

No.108 氷河に立つ
昔から何時かは絶対に行きたい、と思っていた場所の1つにカナディアン・ロッキーがありました.ぜひ氷河と言うものをこの目で見、できれば自分の足でその上に立つことを夢見ていました.

1996年10月、秋の晴天の日、宿泊したバンフから氷河ハイウェイをクルマで数時間、絶景を眺めながらのドライブを堪能してジャスパー国立公園のハイライト、アサバスカ氷河に到着しました.駐車場は観光バスや乗用車で満杯です.ここから氷河探索のツアーバスに乗ります.
数時間待ちとの話しもありましたが、うまい具合にすぐに出る日本人の団体さんのバスに空きがあり、そこに混ぜて頂くことにしました.ラッキーにも日本語でのガイド付きです.
アサバスカ氷河は北半球最大のコロンビア大氷原から流れ出る氷河の1つで、長さ6km、幅1km.氷の厚さは一番厚いところで350mほどあるといいます.

この写真は駐車場から見たアサバスカ氷河、手前が氷河湖です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

まずは普通のバスで氷河に沿った砂利道を10分ほど登り、そこで大型の6輪雪上車(スノー・コーチ)に乗り換えます.雪上車というとキャタピラー式のものを思い浮かべるのですが、ここのは巨大なゴムタイヤを装着した、言わば雪上バスでした.以前は普通のキャタピラー式の雪上車を使っていたのですが、氷河の氷に影響の無いようにゴムタイヤ式に換えられたのだそうです.そう言えば昔見たガイドブックに載っていたのはキャタピラー式の写真でした.
いよいよ氷河に乗り入れです.初めて間近に見る氷河は、かつて登った白馬岳の大雪渓と同じような印象ですが、スケールが大きいので、距離や大きさの感覚がおかしくなっています.おそらくその数倍いやそれ以上の規模なのでしょう.雪上バスはゆっくり、しかし確実に氷河の上を登って行きます.両側はこの氷河が削った険しい崖がそびえ立っているのですが、その途中の岩棚や尾根にビッグホーンシープ(大きな角がくるりと輪を描いている野生の羊)などの動物が現れることもある、というので双眼鏡で目を凝らしましたがこの日はお出ましになりませんでした.残念.
20分ほど登り、まだまだ氷河は先に続いているのに〜、という場所で早くも終点だそうで降ろされてしまいました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

ともかくも長年の夢が叶い、アサバスカ氷河の上に最初の一歩を踏み出すことができたのです.足許の氷は時速3mm!で流れていると言います.もちろん体感はできませんが.
凄く寒いよ、と脅かされていて、ほとんどこのために厚手の上着を持ってきたのですが、写真でご覧のように素晴らしい晴天で無風.寒さは全く感じませんでした.

 ドライバーは逞しいお姉さん.     憧れの氷河の上に立つ私です.


逆光になりますが、さらに上流の方を見ると氷河は3段になって標高を上げています.一番上の段の向こう側には小豆島の約2倍の面積というコロンビア大氷原が広がっているはずなのですが、こちらからは全く見えないのがもどかしい思いです.写真で見ると簡単に歩いて行けるように見えますが、ここから先は正式に登山の許可が必要で、クレバスや雪崩の危険も多いとのことでした.これはヘリかセスナで見るしかないですね.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

国内旅行にも行けない体調では全く無理ですが、今のカナダは最高の季節です.またのんびりと行きたいな〜、と思う次第です.

2005/10/16 PM 04:33:21 | [カナダ(アラスカ)]

No.107 糸魚川の春

1970年代の中頃、現在は成田ゆめ牧場で活動をしている羅須地人鉄道協会の活動に参加させて頂いていました.年に何回か活動日がありましたが、毎年5月の連休には作業兼運転会が新潟県糸魚川市の東洋活性白土の工場および専用線で行われるのが恒例で、夜の懇親会なども含めて楽しい数日間を過ごしたものです.協会の活動とは言っても東洋活性白土さんにも全面協力して頂いて、運転担当のさんにより、いつも現役で貨物を運んでいる有名な協三製の2号機、普段は庫の奥にしまわれているドコピール・タイプと言われる1号機まで加わってイレギュラーな運転が見られました.プライベートな会合ということで雑誌などでの報道はほとんどされませんでしたが、30年も経ったことでもありますので、その模様を時々ご覧頂きたいと思います.
多くのスナップカットが残っていますが、日付けがあやふやです.今回の写真は1974年5月だと思います.

3号機にはクローバーの首飾りがかけられました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

レアもんの変則三重連.1号機も無火ですが走りました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

成田ゆめ牧場まきば線での蒸機運転は、本日10月15・16日と12月3・4日にあります.

2005/10/15 PM 11:43:43 | [羅須地人鉄道協会]

No.106 大原の柿
秋の風物詩と言えば柿が連想されます.秋晴れの清爽な蒼空に鮮やかな柿の実の色は見事に映えています.
普通柿の大木というのはあり得ないのですが、ここ岡山県大原町(現、美作市)には大きな柿の木が何本も立ち並び、青色のキャンバスに緋色のドットを撒き散らしていました.
もちろん収穫はできないでしょうからこれらの実は鳥さん専用でしょうか.
撮影は1994年秋です.





(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

2005/10/14 PM 09:05:42 | [旅の1頁]

No.105 ギースルエジェクター

中学生時代の鉄道ファン誌に「ワルツの国から来た煙突」と題してギースルエジェクター(Giesel Ejector)のことが紹介されていました.上諏訪機関区のD51349に初めて取り付けられた煙突は、通常は上から見た断面が円筒形であるのに対して、楕円形というか長円形という特異な形状なのでとても印象的なものでした.
技術的に詳しいことは専門誌や他サイトに譲りますが、要するに排気効率を良くして性能の向上、省エネルギーになるというものだそうです.
1960年代後半からは北海道のD51型の何両かに装備されて、国鉄蒸気機関車最後の貨物列車牽引にも使われていましたので、多くのファンのカメラに記録されています.
上写真は夕張線最後の貨物列車を牽いたD51241.1970年4月、夕張線清水沢駅の跨線橋の真下に停まっていました.なかなかこのようなアングルで撮影できるチャンスはありません.

「ワルツの国から来た煙突」ということでオリジナルはオーストリア製で、日本以外でも世界各地で採用されたようです.1976年に訪欧した際、オーストリア国内で唯一見た大型蒸機52型にももちろん付いていいました.やはりオリジナルだけあって決まっています.ナローの小型の機関車にも装備されたものを写真で見ましたが、こちらは高さがあるので余計奇異な感じです.
オーストリア国鉄52型、ザンクト・バレンティン駅. 1976年9月.


日本でももう少し蒸機が長生きすればもっと多くの機関車に装備したのではないか、と言われていますが、もっと長生きした中国では前進型の後期型には標準で採用されています.ただし、煙突付近は大型のカバーで覆われてしまっていますので、特徴あるギースルエジェクターの形状は見ることができないのですが.

私が訪中していた頃には試験的に採用している機関車が見られました.
これは1983年5月初訪中したときに見た旧華中鉄道のパシロ型、勝利6(SL6) 型です.ギースルエジェクターが似合っているかどうかは意見の分かれるところでしょう.


こちらは1986年4月、鶴崗線鶴崗駅で見た旧満鉄ミカイ、解放(JF)型795号です.貴重なスポーク動輪装備機で、さらに通常は無い大型のデフが煙室両側にデンとそびえ立っています.そしてギースルエジェクター装備という、ミカイ・フリークにはたまらない機関車です.大きなデフが災いして煙突部分がはっきり見えませんのでこのアングルになりました.


折角の新しい技術も、蒸気機関車自体の衰退により同時に消えて行ってしまうのは残念ですが、おそらく現在のクルマなどの燃焼装置、排気管その他の技術に生かされているのではないかと思います.
ギースルエジェクター装備のD51は953号が北海道豊浦町に保存されているほか、夕張市の石炭の歴史村SL館にそのパーツが保存展示されています.

2005/10/13 PM 11:50:48 | [現役蒸機の時代]

No.104 北浦鉄橋と183系
鹿島線北浦鉄橋は全国でもベスト10に入るような長大鉄橋です.自宅からはクルマで2時間くらいで行けるので鹿島鉄道などと併せて時々撮影に行きました.今回の写真は1978年頃だと思うのですが、はっきりした日付が判りません.これは113系です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

この頃は北浦での帆曳き船漁はまだ盛んで、冬の風向きの良い日には多くの漁船が出漁していました.漁船は鉄橋手前までエンジンでやって来て、ここで帆を上げて帆走で網を曳いて北浦の湖面を北上して行きます.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

なんとか列車と組み合わせを!との願いで構えていいましたが、列車が来るときに限って船が居ません.待っててくれ〜、と言うわけにも行かず数時間をつぶしてしまいました.
どうにかこの一枚が同じ画面にDD51のタンカートレインと一漕の帆曳き船が収まっています.しかし遠すぎて私の安物のスキャナーの限界を越えてしまっています.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

この鉄橋での花形は183系特急「あやめ」です.この頃はグリーン車も連結の9両編成で、なかなか貫禄のある姿です.しかし30年近く経った現在でも短編成化はされましたが、国鉄色で千葉を走っていた183系もいよいよ引退なんだそうです.最近は国鉄型、国鉄色の車両の淘汰のニュースが多いですね.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

寂しいことではありますが、何時までも古い車両を特急として使っているのも問題が多いかと思います.でも置き換えられる新型車のスタイルはJR社内では問題にならないのでしょうか?センスが無さすぎます.

話しは違いますが、先日さよなら運転をした川越・八高線の103系が本日急遽運用に入ったそうです.再び走ったということは嬉しいことでしょうが、これで最後ということでお名残の撮影や乗車をした人は複雑な気持ちでしょうね.

2005/10/12 PM 11:47:58 | [電車・気動車]

No.103 Kully ちゃん


今日は可愛い女の子を紹介します.まだ6歳、お父さんはアメリカ人、お母さんは日本人のハーフです.彼女が初めて来日した時にヒマ人だった私は一緒に遊ぶ機会が多くあり、仲良しになりました.
少々シャイな彼女は最初カメラを嫌がっていましたが、いつもカメラを持っている私には徐々に気を許すようになり、このように遊びながら撮らせて貰えるようになりました.












子供とはすぐ仲良くなれる方で、地方や外国で地元の子供と一緒にふざけながら写真を撮らせて貰うことが良くありました.
この女の子は私の叔母の娘、つまり従妹です.現在はアメリカ在住で、もう40過ぎのオバさんになっています.おそらく本人が見ても判らないでしょうね.(表題の名前は一応仮名にしました)

2005/10/11 PM 05:56:59 | [女の子]

No.102 C11227
大井川鐵道で活躍するC11227が走り出してから29年も経つのだそうです.大井川鐵道でも何回か撮影していますが、私にとっては国鉄現役時代の姿の方が親近感を感じます.1969年頃から数年間、北海道日高本線へ何回も撮影に通いました.海岸線や牧場の中を走る二つ目のC11が目当てでした.当時の日高本線には9両のC11が苫小牧機関区に配置されていましたが、全車が二つ目ではなく3両の普通形も同じ運用に就いていたのです.その中の1両がC11227で、こちらは二つ目狙いですから227が来ると落胆したものです.
この写真は1970年3月、苫小牧方面から静内駅へ到着するC11227牽引の貨物列車です.他のC11は片寄せ式のスノープラウ装備でしたが、227だけは普通の両寄せ式が装備されていました.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

静内機関支区にはいつもお世話になっていたので機関車の運用が事前に判っていました.227はじめ一つ目機にはなるべく当たらないように撮影していましたが、それでも何カットかは撮っていました.
この写真は1970年8月、絵笛の牧場です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

1971年3月、荻伏-絵笛です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

私は1972年頃からはあまり行かなくなってしまったのですが、1974年2月に日高本線はDL 化されました.C11227をはじめ数両のC11は釧路機関区へ転属して標津線を走りましたが、これも1975年4月で無くなってしまいました.
ところがC11227は大井川鉄道に引き取られ、1976年7月から客車を牽いて営業運転を始めてしまったのですから驚きました.日高本線を撮影した多くのネガの中で捨てカットとして見向きもされなかった写真が俄然脚光を浴びてしまったのです.標津線時代はいくらか撮影している人もいましたが日高線での写真は貴重品として引く手あまた、と言うほどのことはありませんが、いくらかおよびがかかったことは事実です.
そんなC11227に敬意を表して1977年に再会に出かけた時の写真が下です.場所は?ですが、どなたか判りますでしょうか?

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

C11227は1942年製ですので、もうすぐ国鉄時代と大鉄時代が同じ期間になります.63歳と、年金が貰える歳ですが、いつまでも元気に活躍して欲しいものです.

2005/10/10 PM 11:49:16 | [復活蒸機の走る線]

No.101 和田岬線呑み鉄旅行
1987年9月19日の土曜日、7月28日付けの当ブログの記事にあるように、川崎重工兵庫工場に中国に輸出される電気機関車6K型の見学に行きました.夕刻には見学も無事終了して一行10数人は山陽本線兵庫駅に戻りましたが、せっかく関東から来たのですからこのまま帰るんじゃ勿体ないと思う気持ちは皆一緒です.誰かが「和田岬線に乗ろう!」と言い出すと大半の人は同調しました.時刻表を見ると数分後には出発というタイミングの良さです.気の利いた若いメンバーが「じゃあ、回数券を買いましょう」とてきぱきやってくれたお陰ですぐに乗ることが出来ました.私はミニ周遊券を持っていたと思うので乗車券は必要なかったはずですが、記憶無し.
ところが乗ってビックリ、編成のほとんどは座席無しの客車オハフ64、ドアも片側にしかありません.最後部に1両だけ普通のスハフ42が連結されていましたので、そちらに落ち着きました.
この時間、和田岬方面行き(下り?)なので乗客はほとんど居ません.



DE10牽引の列車は30km/hくらいの低スピードでガタンゴトンと工場や住宅の間を走り、10分足らずで終点の和田岬駅に到着してしまいました.僅か2.7km の旅でした.
当然折り返し乗車するのですが、数十分の停車時間があります.また気の利いた若いメンバーが「ビールでも買ってきましょうか?」反対する人間などいるわけもありません.そばに酒屋があったとかで、すぐに酒盛りが始まりました.停車時間はあっと言う間に過ぎてしまいます.その間にDE10は機回しを済ませていて、再び兵庫駅へ向かいました.
往路と違うのは土曜日だというのに、出発間際に乗ってきた帰宅の人達で車内は満員だった、ということです.我々の一画はちょっと別世界で完全に浮いていました.しかし、「やはりビールを呑みながらの客車の旅は良いワイ」なんて思うのもつかの間の10分.兵庫駅に到着です.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

もう17時を過ぎたと言うことで東京組はそそくさと新大阪へ向かいましたが、呑み足りない私とK さんは梅田のおでんやでもう少し大阪の酒を呑み、最終ひかりで帰りました.実はこれは当初からの計画で、この直前のダイヤ改正から最終ひかりだけが2時間52分運転にスピードアップされたので、それに体験乗車するという目論見だったのです.しかし乗車するやいなや、二人ともグッスリ.起きたのは東京駅に到着直前でした.

和田岬支線はその後気動車化され、さらに電化されて今は103系が走っています.和田岬のひなびた駅付近も地下鉄が開通して相当便利になったようです.

2005/10/09 PM 12:50:32 | [車窓から?!]

No.100 C57186
ついにこの轍楽之路付"録"ブログもNo.100!となりました.大したことはありませんが三日坊主を公言していたのですから、私にとっては大した進歩です.毎日1点くらいの画像を添えて適当なことを書いていこうか.と思って始めたのですが、かえってその方が難しいことが判りました.たった1点の写真で説明できるような記事を毎日まとめるのは私の能力では無理でした.
結果連日の小コンテンツのパレードということになってしまいました.これはこれで題材を考えて、テキストはなんとかなっても写真のスキャンが大変です.ここのところは昨日アップした常磐線ハドソン壮行のスキャンも重なって、一日のうち1時間はスキャナー作業をしてるような状態でした.

別に連日アップを確約しているわけでも無いのですが、夜になりボケーッとしている時間にやれてしまうのですからどうということはありません.特に義務感も責任感も感じていません.体調が悪く、最近はほとんど好きな酒を呑んでないので憂さ晴らしに続いているようなものでしょう.途切れたときは余程体調が悪くなったか、逆に良くなって呑みに行ってしまったかどちらかです.きっと.



おっ、C57ですね.今日は57186です.この機関車は1946年9月27日三菱製で、山形機関区→1947年酒田機関区→1950年新津機関区→1969年人吉区→1973年宮崎区→1974年旭川機関区(1975年2月18日廃車)
という生涯を送った機関車です.羽越線時代に撮ったことがあるかな、と思いましたがすぐにネガが見つかりませんので確認はできませんでした.
じゃ〜、上の写真は何だい?ということになりますが、煙と排気は合成でした.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

ご存知と思いますがC57186はスハフ32 2146とともに東京の小金井公園に保存されています.広大な敷地は緑豊かな都民の憩いの場となっていて、春にはお花見の名所としても知られています.
他のサイトで見ると現在は錆も目立ち、かなり傷んでいるようで、正面ナンバーも無く今後が思いやられる状態のようです.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

この写真はネガカバーを見ると1975年5月と記されています.同年2月18日に旭川で廃車とのことですからまだ運び込まれてすぐの姿ですね.人っこ一人居ない景色の中に置かれたC57186はまだ現役時代のようでしたので煙を出して遊んでみました.

2005/10/08 PM 11:15:06 | [保存車両]

No.99 平機関区のC57
今朝ほど「常磐線ハドソン壮行」をアップ、リンク先の掲示板にご案内を書き込まさせて頂きました.ご案内=宣伝にはいろいろご意見があろうかと思いますが、やはりできるだけ多くの方々に見て頂きたい、との気持ちですので、ご理解いただきたいと思います.
最近は無くなりましたが、以前は「あちこちに宣伝するな!」逆に「何でうちには宣伝に来てくれないの」などのメールを頂戴したものです.
こちらの掲示板はすべてOKですので、どんどん宣伝の場に使ってくださいね.堅苦しい挨拶なども不要です.
お陰様で本日は順調にご覧頂いているようで、カウンターも良く回っています.


あまり知られていませんでしたが、平機関区には12両のC62 、1両のC61のほかに2両のC57(20、54)が所属していました.残念ながら私は列車牽引中の姿を撮影することも見ることもできませんでした.いつも一次休車として平機関区で休んでいたからです.しかし某サイトで走っている姿を見ましたので、使われることもあったようです.2両とも形式入りのナンバープレート付きですので、他の機関区ならば人気者になっていたはずですが、如何せん、平では相手が悪すぎました.


C5720は1967年2月撮影の上の写真では副灯付きですが、下の9月30日の写真には付いていません.おそらく他の機関車の部品として召し上げられてしまったんでしょうね.その右にいるC6224も大型のさよならマークを取り付けるC6249にヘッドマーク・ステーを譲って付いていません.


1往復の夜行特急、4往復の夜行急行、日中1往復の客車急行、その他不定期、臨時、ローカル列車の運用がありますが、12両のC62では検査入場車などがあれば足りなくなるので、予備車としてC57の配置でした.本線優等列車の運転を陰で支えたC57だ、と思えば細いボイラも凛々しく見えてきます.
その後のC62配置区である糸崎機関区や小樽築港機関区では予備車としてD51を使っていました.逆に言えば足の遅いD51でも用が足りるくらいの運用だったとも言えますね.

2005/10/07 PM 08:18:36 | [現役蒸機の時代]

No.98 上目名

今日はこれから大モノをアップするので早めに(早くない!)こちらを片づけてしまいましょう.今日はタテ位置3カットです.
お馴染みの雪の函館本線上目名です.降りしきる雪の中をD51牽引の旅客列車が登ってきます.本命列車では無いので線路脇から撮影です.

実はこれまだ11月です.1970年11月30日だったと思いますが、前日の朝まではほとんど積雪が無かったのですが、昼前からズンズン積もりだしてこの日の朝には1m以上になっていました.倶知安のニセコ・ユースホステルに泊まったのですが、朝は一番にたたき起こされて道路までの雪かきをしたものです.
どこか途中の駅に停車していたのでしょうか.この貨物列車の貨車の屋根にはかなりの雪が積もっていますね.ざっと考えても1両あたり1トン分以上は載っかているはずですから編成では相当なものでしょう.そのためか、このD51は相当喘いでいます.力強い姿ですね.


でも本命はやはりこちらです.この日は糸崎から移動してきたばかりのC6216が頭に付くということでの特撮でした.まだヘッドマーク取付座が残っていますし、デフの点検穴も開いておらず完全に北海道仕様にはなっていません.大雪の洗礼もこの日が初めてでしょう.


同じC62ネタ、久しぶりの超大型コンテンツを今夜アップします.100点以上の写真が掲載されていますので3連休の時にでもごゆっくりご覧下さい.

2005/10/06 PM 08:33:11 | [現役蒸機の時代]

No.97 木之本地蔵さん

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

SL北びわこ号の終点北陸本線木之本駅から程近いところに「木之本地蔵さん」が建っておられます.
ここ木之本地蔵院は日本三大地蔵尊のひとつと言われています.ちなみに他の二つは何処かいな?と調べてみるとこれがはっきりしません.一応、栃木県岩舟町町岩船山岩舟地蔵尊、山形県舟形町猿羽根山地蔵尊、新潟県栃尾市延命地蔵菩薩、大阪府八尾市八尾地蔵尊と四つも候補が挙がってしまいました.
三大稲荷というのも伏見稲荷、笠間稲荷、祐徳稲荷と言う説と祐徳稲荷の代わりに豊川稲荷が入るんだ、という説があります.豊川稲荷は神社ではなくお寺なので同列には扱えないという話しもあってよく判りません.俗に三大○○と言われるのは結構確定していないものが多いようです.そういえば最近よく言われる「百名山」も作家の深田久弥が独自に決めたもので、客観的でない、と思っている人もかなり居るようです.(私もそうです)

おっと閑話休題.木之本地蔵院は白鳳3(675)年、祚蓮それん上人が大阪湾に流れついた仏像をこの地の柳の大木の根本にご本尊として祀ったのが始まりとされ、木之本の名前もこれに由来しています.その後空海による中興、豊臣秀頼による再興などの歴史を重ね度重なる火災を乗り越えているようです.その本尊の地蔵菩薩立像は、高さ162cm眉間に白毫をはめこんだ寄木造の彩色像で、重要文化財でもあります.
しかし木之本地蔵さんとして有名なのはご本尊の写しとして1894年に開眼された身の丈6m、日本一といわれるお地蔵さんの方で、境内中央にその美しい姿がでんとそびえ建っています.


その昔、お地蔵さんが目を痛めた旅人にカエルの片目を与えて目を治した、という伝説により、目や無病息災のお地蔵さんとして親しまれているようです.境内には今でも片目のカエルが棲むと言われ、お地蔵さんの足元には、眼病の回復を願う人々による片目のカエルの置物多数が奉納されているほか、そこかしこにカエルの置物が見られます.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)



カメラマンにとって目は命です.北びわこ号撮影の折りにでも参詣されてみては如何でしょうか?毎年8月22〜25日には大縁日が勤修され、全国からの多くの参拝者で賑わうそうです.
写真は1995年7月の撮影です.当時は大阪の高槻に住んでおりました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

2005/10/05 PM 11:29:08 | [旅の1頁]

No.96 糸魚川駅1968年7月
1968年7月19日に糸魚川駅を訪れました.当時の北陸本線は糸魚川以西が電化済みで、直江津方面はD51が旅客貨物とも主流、優等列車にはDF50とDD51が使われていたという時代です.
もの凄く暑い日の昼過ぎに直江津方面からD51191牽引の旅客列車で到着しました.このD51は集煙装置、重油併燃装備の厳つい様相です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

入れ違いで同じような装備のD51822牽引の貨物列車が直江津方面へ発車して行きました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

富山側のホーム先端に立つと目の前にED701がパンタを降ろして停車中です.正面貫通路が埋め込まれているのは初めて知りました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

振り返るとEF7060牽引のタンカートレインが富山方面に向けて発車するところでした.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

その右奥には大糸線用のキハ52が停車していましたが、よく見るとトップナンバーでした.こうして見るとキハ52は長いですね.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

さらにその右には入換用のC1288が停車しています.逆光で撮影は苦しいですね.右奥にはC56が居ますがナンバーはちょっと判りません.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

さらに右へカメラを振ると、有名な重厚なレンガ造りの機関庫でD51が2両整備中です.なかなか素晴らしい光景です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

以上、糸魚川駅でほぼ定点で連続して撮影した7カットでした.
お楽しみ頂けましたでしょうか? あの日は本当に暑かった〜.

2005/10/04 PM 11:48:20 | [駅]

No.95 96+D51重連
96とD51の重連というと石北本線の常紋を思い出しますが、函館本線でも見られました.C62重連103列車の倶知安出発シーンは有名ですが、その直前に倶知安峠を登ってくる96+D51重連は夕刻ということもあってあまり撮られていません.
この列車は小沢駅で岩内線からの96貨物と函館本線のD51貨物を併合して、隣駅の倶知安まで重連で走るという列車です.
1970年の8月22日に小沢駅で出発シーンを撮影しました.ここの96は倶知安区のお馴染み二つ目機で煙突の後に給水暖め器を持つ重装備機ですから迫力が期待されます.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

D51159の前に79618が連結されていよいよ出発です.小沢駅を出るとすぐに20‰の倶知安峠への連続勾配にかかることは後年のC623ニセコやC11207のSLニセコで良く知られています.もう薄暮というような時間ですのでD51はライトを点けていますが、先頭の96は点けてません.


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

結局中途半端な煙りも風で向こう側に回り込み、迫力が無いというか情けない写真しか撮れませんでした.
さらに私の前を通り過ぎた途端に両機とも猛烈に煙を出し始めたという、後味の悪い撮影になってしまいました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

2005/10/03 PM 11:51:43 | [現役蒸機の時代]

No.94 500系のぞみ

もう8年も前になりますが、1997年3月22日に憧れの列車がデビューしました.JR西日本の500系「のぞみ」、最初は1編成のみで、新大阪-博多間を2往復(1往復は不定期)するダイヤでした.なんと言っても国内初めての300km/h 運転ですし、あのスタイルです.子供の頃からの鉄歴で、こだま型、新幹線( 0系)が格好良いと思う車両の双璧でしたが、40代後半( 当時)になってからのライバルが登場です.

これはぜひとも乗ってみたい、と思いましたが何せ山陽新幹線です.定期列車は大阪を早朝に発車、夜に到着ですので関東からは利用しづらいダイヤでした.しかし時刻表をよく見ると日中に博多-新大阪を往復する不定期列車の方も初日から運転となっているじゃないですか.この年はちょうど病気で会社を退職したばかりで自宅療養中でしたが、冷やかし半分で初日の上りを電話予約にトライするとあっけなく取れてしまいました.
こりゃリハビリを兼ねて行かねばなりません.ということで3月22日に戻って来られるように九州7泊8日の旅に出かけました.

当日は上りの1番列車ということで、博多駅では盛大な出発式が行われ、車内も団体客が多くて満員に近い盛況でした.ところが私の乗車した3号車の団体さんは「時速300キロ一番列車で行く安芸宮島の旅」のツアー客で、広島駅でほとんど全員が降りてしまい、広島からの乗車も無くて大変寂しい車内になってしまいました.(上の写真は博多駅で300系のぞみと並んだところです)
一番列車ということで、乗客には記念パッケージの「写ルンです」と乗車証明書などの記念品が配られ、良い記念になりました.


私は結構初物ファンでもあって、今まで東海道新幹線開業初日の「こだま」、東北新幹線上野乗り入れの一番「やまびこ」(これは国内初の240km/h運転の列車)、智頭急行「スーパーはくと」1番列車などにも乗車しています.
その日はそのまま東京へ戻る予定でしたが、何か物足りなくて京都に一泊して翌日は宇奈月温泉に一泊.翌々日にはやはり3月22日に開業したばかりのほくほく線経由でやっと自宅に戻りました.
京都から富山までは「サンダーバード」に乗車しましたが、あらためて写真を見ると500系と共通のコンセプトが感じられますね.


500系は九州新幹線が全線開通後は新大阪-鹿児島中央間の運転になり、東海道新幹線には乗り入れなくなるとの噂もあります.素晴らしい列車なのでJR東海からはあまり好かれていないみたいですね.

2005/10/02 PM 11:49:18 | [新幹線]

No.93 彗星廃止
関西ブルトレの「彗星」が昨日で廃止になったそうです.といっても関東人にとっては、かつて東海道新幹線開通以前の大阪行き寝台急行以来、縁のない列車名ではあるんですが.相棒の「あかつき」には以前長崎まで個室B寝台に乗車したことがあります.
1980年代に某運輸大臣がブルートレインは将来原則廃止、と発言して物議をかもしたことがありましたが、20数年を経て実現に近づいているようです.
JR線が各社に区切られている状態では、そこを跨いで運転する寝台特急はJR1社の車両、企画による営業はどう考えても非現実的で、現在残っている車両が使えなくなった時点で「北斗星」を含めて廃止の声が出ても不思議ではありません.
素人考えではありますが、例えばホテル会社などに営業一切を任せて、運転はJR貨物に委託するというのはどうでしょう?出張にしても観光にしても前日に現地入りして宿泊する人はかなり存在します.また早朝の列車に乗るために出発駅近くに宿泊する人もいます.当然費用的には結構な出費になりますね.そこにホテル列車の価値があります.(寝台列車などという前時代的な名称も現代の人には受け入れられないのかも知れません)
睡眠中というのはベッドが快適であればホテルでも列車の中でもさほどの違いは無いような気がします.睡眠中に移動してしまい、到着後にシャワーと朝食の手当があれば爽やかな気分で活動ができるのではないでしょうか.
決して快適とは言えませんが安価な夜行バスがそれなりの集客力があり、豪華ホテルが各地に次々と建設されている現状を考えると、便利で快適そしてリーズナブル・プライスであれば絶対に客はいると思います.
佐川急便が毎夜東京-大阪間を6時間ほどでチャーター貨物電車を走らせています.同じような発想でのホテル電車などというものは不可能ですかね?

写真は1970年頃でしょうか?大分駅での「彗星」です.

2005/10/01 PM 09:35:58 | [雑記・雑感・ぼやき・ほざき]










(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.