【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.92 台湾鐵路局 LDK57
本日は天気も良く体調もまあまあでしたので、さいたま市にある親父の墓に遅れの彼岸参りに行ってきました.その途中、以前より気が付いていた一台のナロー機関車を撮影してきましたのでご報告します.
気が付いていたとはいっても小型のタンク機としか判らず、保存されているのか放置されているのかも不明で、ネット検索をしてもキーワードが曖昧では何も出てきませんでした.
今日初めて近くまで行ってみるとLDK57のプレートがありますし、横割れの朝顔型カプラーは西武山口線を走っていたコッペル527と同じもの.これは台湾機だと確信しました.


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場所は国道122号と武蔵野線の立体交差から少々東京寄り、建設会社の資材置き場のような場所です.どうも保存ではなく、留置保管というよりは放置といった印象でした.
国道の下り線からは注意していれば発見できますし、武蔵野線電車からも一瞬見えるかと思います.ちょうど川口市とさいたま市のボーダー上ですが住所はさいたま市緑区大門になるようで、武蔵野線・埼玉高速の東川口駅からは東浦和方向へ武蔵野線沿いに約1kmの距離です.
周囲には誰もいませんでしたし、クルマに家族を待たせていたので現地では何も調査することはできませんでした.
保存状況は写真の通りでガラスなども割れていたりしますが、全体的にはまあまあではないかと思います.アメロコのようなまとまったスタイルは好感がもてますし、キャブ横に付いたエアーインテークがユニークです.


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帰宅後、LDK57 をキーワードに検索してみるとひっかかりました.
それによると、「台湾鐵路局旧台東線(762mm)で使われていた機関車で、1919(大正8)年汽車会社製Dタンク機.1980年に東急車輌が台湾から購入した9両のうちの1両.」とのこと、そしてもう1両 LDK56とともにステーキハウス・ペコペコに引き取られ、蓮田店(LDK56は越谷店)で展示.別のサイトでは閉店後埼玉県某所に保管、その後行方不明となっていました.
ステーキハウス・ペコペコといえば、このブログ8月27日No.58で三郷店の東武鉄道車両にふれていますが、折角良いところに目を付けて貴重な車両を展示利用していたのに閉店とは残念でなりません.
LDK57がどんな経緯で現在さいたま市緑区に存在するか判りませんが、今後の活用法やもう1両のLDK56の行方も気になるところです.
この辺りの情報をご存知の方、ご教示願えれば幸いです.


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※お陰様でブログ開始以来3ヶ月目も完走できました.いつもご覧いただきありがとうございます.

2005/09/30 PM 04:21:38 | [保存車両]

No.91 神宮寺の焼け佛

それほど造詣が深いわけではありませんが、寺社仏閣や仏像を訪ねるのも嫌いではありません.京都、奈良、奥武蔵、秩父の山中にあるお寺や神社をよく訪ねた時代もありました.
1975年の夏期休暇では四国、九州、山陰、北陸とドライブと風景写真(鉄道を含む)撮影の旅をしましたが、その1日を大分県の臼杵石仏と国東半島の探訪に充てました.

国東半島は全体を天台宗六郷満山ろくごうまんざんと称し、奈良-平安-鎌倉時代から宇佐八幡宮の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成されています. その由来や各寺社について詳細に語れば切りが無く、自分の浅学の程度を晒してしまうだけですので端折らせていただきます.
その中で末山本寺として寺勢を誇ったという国東六郷満山霊場第30番札所大嶽山神宮寺を訪れてみました.細い山道を登って行くと深山幽谷という言葉そのままの環境の中に、さほど規模は大きくない境内と本堂が現れます.



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しかしこの神宮寺で一番印象的で感動したのは、1896(明治29)年2月の修正鬼会という1300年前から伝わるという伝統行事で失火して焼け仏と化してしまった、六郷満山盛時の秀作といわれるご本尊と脇侍諸菩薩の計9体です.現在は国東町有形文化財に指定され、大事に収蔵庫に収められているそうですが、訪問時には本堂の背後の山中にある六所権現の神殿の廻縁に無造作に?立てかけられていました.
ただの焼け焦げたた木片というにはあまりにも威厳のあるその姿に接し、おもわず固まってしまい、暫しその場を動けなかったものです.現在、撮影はできないようですが、当時は特に制限はありませんでしたので何カットか記録しています.そのお姿をとくとご覧下さい.一番大きい本尊薬師如来立像の高さは2.75mです.


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この時訪問した臼杵石仏と他の仏閣については何れまた.

2005/09/29 PM 11:21:24 | [旅の1頁]

No.90 キーボードが故障
今日は突然にキーボードの一部が反応しなくなり、大変焦りました.先日のマウスの断線といい4年ものの Mac ではもう仕方ないのでしょうか.あわててアキバまで仕入れに行きましたが、Mac OS9.1用のキーボードなど売っていません.OSX 用なら3000円台で新品が買えるのに9.1だと中古が14000円!たしか4年前は8000円くらいで新品が買えたはずですからプレミア付きなんですね.
現在Mac はOSXしか売っていませんが、デザインや出版の業界ではまだまだOS9-9.2が主流です.イラストレーター、フォトショップ、クオークなどDTPに使用する高額のソフトはOSXでも発売していますが、ほとんど互換性が無い状態ではその切り替えが難しいところです.高い投資をしてOSXに変えるのだったらもっといろいろ便利なWinに変えても良いぐらいですね.
そんなわけでOS9.1の使えるMacの良品は中古市場でも結構引っ張りだこです.消耗品であるはずのキーボードも本体と一緒に動きますから、単体で買おうと思うとプレミアがついてしまうのです.

14000円出すのは勿体ない(出せない!)し、OSXに切り替えるのは大変だし、何よりもこのブログを書かなければならないですから、のんびりしてはいられません.仕方ないのでサードパーティのメーカーのものをOSX用の新品の倍以上の値段で購入してきました.これはASCII配列ということで若干キーの配列が違います.一番大きい違いは「かな」「英字」のキーが無いことで、まだそこで引っかかってしまいますが、まあすぐになれることでしょう.いままでのMac純正品よりもカチャカチャとタッチの感じは良いようです.

キーボードの写真を出してもしょうがないので、何のつながりもありませんが会津(只見)線時代のC11312を3カット.1971年3月の撮影です.


会津川口駅


会津高田駅 (誰かいますね)


会津高田出発
[今日は拡大画像はありません]

秋葉原を歩き回って疲れるし、原は監督に復帰するし!もとい、腹は立つし、腰は痛いし、酒は呑みたいし・・・・・.

2005/09/28 PM 09:32:56 | [現役蒸機の時代]

No.89 サブライト

D511057 1967年8月常磐線末続
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東北地区と北海道地区の蒸気機関車には、ヘッドライト(主灯)の正面から見て左側にもう1つのライトが付いているものが多いです.これをサブライト(副灯)と言います.これは交流電化区間でヘッドライトのランプが切れたときに、20000ボルトの高圧電流の流れる架線に近い場所でのランプ交換が危険なための予備のライトで、1965年頃から取り付けられはじめています.
関東でも大宮機関区のD51などから付けられましたが、大宮区のD51は水戸線経由で常磐線水戸までの貨物牽引の運用があったからだと思います.しかし同じ交流電化の北陸や九州の機関車には取り付けられず、逆に直流区間の運用ばかりの高崎、八王子、新鶴見などの機関車には付けられました.東北地区でも新津のD51・C57や会津若松のC11には取り付けられていないなど、厳密なものでは無かったようです.北海道でも小樽-旭川の函館本線電化区間に乗り入れる可能性の無い機関車には無いものが多かったですね.
しかし、これらの地区から西日本などへ転属した機関車の中にはそのままのものが多かったので、あればあるで便利だったのかもしれません.
面白いのは東北と北海道ではサブライトの取付位置が若干違うことで、東北→北海道と転属した機関車はきちっと修正されていました.

上と同じD511057ですが、常磐線電化で北海道の小樽築港区に転属しました.サブライトの位置は北海道仕様に準じて少し下げられています.
1967年12月函館本線上目名.

本来は予備のライトですから2灯が同時点灯することは無いはずですが、私のネガには2カットに両方が点いている写真がありました.どちらも撮影時には気付いていません.夜間はあまり撮るチャンスはありませんから、実際にはもっとあったのかも知れません.

1967年9月30日平機関区でC6249最後の給水シーンです.本運転ではどちらも点いてませんでしたから点灯試験かリクエストによるものでしょう.


D51123牽引貨物 常磐線四ツ倉-久ノ浜.1967年8月.
鼻の脂をフィルターに塗って光芒を出してみました.
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2005/09/27 PM 05:34:15 | [現役蒸機の時代]

No.88 御殿場線のD52
今日は良い気候でやっと秋の到来を感じさせますね.ところが体調は絶不調で親父の墓参りに行く予定をキャンセルしてしまいました.体調が悪いためにほとんど酒も呑まず、健康的には良いはずなのですが・・・.こりゃ思いっきり呑まなきゃ駄目かな?


D52101、国府津機関区(当時は小郡区からの借り入れ機)
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1965年の8月、中3でしたが初めて御殿場線を訪れました.近い割には朝方に集中しているD52列車を撮るには東京方面から朝出ても間に合いません.ついでだからと前日は何と名古屋まで行き、上りの夜行列車で沼津まで戻って御殿場線入りするという何が本命なのか判らないような旅程となりました.
しかし朝の列車はまだ夜が明けきっておらず、日中は日中で暑さでグロッキーになり、ろくな写真は残っていません.夕方は国府津機関区を訪問してD52の巨体を初めて間近に見ることができました.今日は数点並べましたが、何れコンテンツとしてまとめてみようかと思っています.


岩波駅手前の25‰を登るD52396(小郡区からの借り入れ機)牽引の916列車


D5270牽引914列車、足柄-御殿場
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D52236、国府津機関区
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2005/09/26 PM 09:08:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [現役蒸機の時代]

No.87 西武拝島線開通


1968年5月15日に西武拝島線、玉川上水-拝島間が営業開始でしたが、その前日に玉川上水駅にて開業祝賀式が挙行されています.通常開業前の祝賀行事は一般には非公開で行われることが多いのですが、玉川上水駅は営業中の駅ということもあってか特に制限はされず、自由に撮影することができました.
紅白の幕が張られた2番線に据え付けられたのは当時西武では最新鋭の801系4両編成で、正面には鉄道友の会寄贈のリース形祝賀マークが取り付けられています.
801系が使われたのは祝賀列車という意味もありますが、拝島線ならではの特殊事情もありました.従来、玉川上水までの列車は451系や17mの311系などの2両編成が中心で、お世辞にも上等とは言えない編成が使われていました.当時西武鉄道では本線へのATS導入準備中で、新車や入場車から順次車両側の対応が行われ始めていたところでしたが、拝島線では拝島駅構内で国鉄から米軍横田基地への航空機燃料輸送の貨物線との平面交差がある、ということでATSが先行して使用されることになり、開業後当面は801系と701系と411系の一部が限定運用になった、という経緯があります.


いつもは通学に使っている多摩湖線に乗務されている顔見知りの名物運転手さんと車掌さんが祝賀列車の乗務員に抜擢されていました.後日写真を差し上げて大変喜んで頂けました.(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


当時の西武鉄道小島社長によるテープカット.やはりテープは列車の前で切らなくっちゃ.(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


高層マンションが建ち、モノレールの高架が通る今の姿は想像もつかない玉川上水駅を出発する祝賀列車.駅北側は米軍キャンプ地が広がっている.踏切待ちをしているのは米軍のボンネット形のスクールバス.(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


招待客を乗せて拝島へ向かう801系.(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)




1番線から2番線の駅名板を見る.開通は明日なので拝島側の隣駅「西武立川」は紙で覆われていますが、風で剥がれかかっていたので見えた瞬間にもシャッターを切って見ました.北側は米軍キャンプです.

2005/09/25 PM 11:05:23 | [西武鉄道]

No.86 ゲテモノ49698

当サイトにはD51Box、9600DEPOTなどのコレクションがあり、皆様のご協力により多くの写真が集まっています.どちらも多くの両数が長年に渡って製造されて、全国各地で長年使われてきたために形態的に多くの違いや経年や地域による変化が見られ、1両ずつ見てゆくと興味深い物があります.
これから時々特徴のある機関車を紹介してゆきましょう.
多くの形態の機関車があっても、その多くは普通あるべきパーツはあるべき処にあるわけで、それ程の違和感は感じないはずです.そうで無い場合はいわゆる"ゲテモノ"と言うことになるでしょうか.


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この49698は写真で見て判るように、あきらかに変です.普通は正面ナンバーの上、煙突の前にあるべきヘッドライトが前から見て左側に落っこちています.そしてそれ以上下がらないように支えているような取付ステーもユーモラスです.もちろんこれは外れて落ちてしまったのではなく、夜間の入れ換え作業時に地面に近いところを照らすためのものです.
またこの機関車は普通進行方向左側にある運転台が右側(写真では左側)に移されています.そのために逆転機と呼ばれる機械も右側に移設されています.そのためにヘッドライトも右側なのです.


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北海道函館にある青函連絡船有川桟橋(貨物専用)への引き込み線のカーブの関係で、運転台を右側に移設した9600形は何両かありましたが、ヘッドライトまで移設したのはこの49698、1両だけです.
この写真はその有川桟橋の入れ換えがディーゼル化後に1970年3月、長万部機関区で偶然見つけて撮影したものです.雑誌で見たことはありましたが、実物を撮影できるチャンスがあるとは思っていませんでした.

2005/09/24 PM 10:43:44 | [現役蒸機の時代]

No.85 Victoria
ヨーロッパのネガをどかしたらカナダのポジが出てきました.このカナダ訪問は1996年の10月だったのですが、このために10年パスポートを取得しました.しかしその後は一度も使うことも無く、残1年を切ってしまったのです.もちろんいつでも出国はできますが、このままでは国際免許は貰えない、という悲しい状況でもあります.



VictoriaビクトリアはBritish Colombia州の州都で、バンクーバー島の南部に位置する英国色の強い街です.街には英国調の建物や博物館、水族館が港沿いに並び、2階建てバスが走るというテーマパーク「イギリス村」といった風情の観光都市です.対岸の北米大陸本土にあるバンクーバーからはフェリーや水上飛行機などを利用した日帰り観光ができるので人気も高く、季節によりオルカ(シャチ)・ウォッチングもできるんだそうです.
郊外には貴族の屋敷のような広い庭園(Butchart Gardens)があり、美しい花が見られましたがその様子は次回として今日は街の様子をご覧下さい.

そんなところに何しに行ったのかと言うと、もちろん観光旅行です.団体では無いのですが、ガイド任せの旅でしたので鉄は無しです.
カナダは公共交通機関内でのアルコールが喫煙とともに禁止されているようで、2時間近く乗船するフェリー内でビールが飲めず辛かったのが一番の思い出です.


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2005/09/23 PM 11:38:05 | [カナダ(アラスカ)]

No.84 Reguaの教会
誰もネガを片づけてくれないので、またヨーロッパです.


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ポルトガル北部Reguaレグアの駅はドウロ川の谷間にあり、ポルトガル国鉄(CP)ブロードゲージ(1674mm)の本線に、メーターゲージの支線が接続する駅です.構内には小さな機関区があり、転車台は両ゲージ共用の4線式になっています.ブロードゲージの方の列車はディーゼルですが、入換用には巨大なテンホイラー機が使われていました.


メーターゲージの列車は珍しいマレー式のタンク式蒸気機関車の独壇場です.マレー式とは写真でお判りのようにシリンダーと動輪の走り装置を2組持っています.強力でなおかつ急カーブも曲がれるという特徴を持っていて、ポルトガルの山奥を走るこのローカル線にはうってつけの機関車です.その活躍シーンはこちらをご覧頂くとして、今日は転車台前にある立派な教会に注目してみました.
とは言っても、この教会の名前も由来も何も判らないのですが、メーターゲージにしては大きいマレー機関車とのコラボレーションは魅力的です.この機関車は1910年代に製造されています.教会とはどちらが年上でしょうか?
ポルトガル語での讃美歌やお祈りも聞いてみたい気がしますね.
(撮影は1976年9月).

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2005/09/22 PM 08:17:53 | [ヨーロッパ]

No.83 国鉄時代3
今日はネコ・パブリッシング社から新刊「国鉄時代3」が送られてきました.特集はEF58ということで全編ゴハチゴハチで埋め尽くされている、かと思うとそうでもなく、しっかり蒸機やDF50などの記事もあります.盛りだくさんの内容は、過日の青春時代を鉄していたオジサン達の心をくすぐるような憎いものになっています.まだ全部は読んでいませんが、ファンの方だけでは無く、乗務員だった方のお話も面白そうです.
詳しいことは書店でお手に取って頂くとして、今号には拙作も掲載して頂いていますのでご案内させて頂きました.定価は2000円です.
当サイトとリンクさせて頂いている鈴屋さん、9633築さんの記事も掲載されています.


2005/09/21 PM 07:00:14 | [出版物・写真展他イベントのご紹介]

No.82 Esteban Terradas
ヨーロッパ関連の記事が続きますが、これはPCのそばにこの取材時のネガの束が出しっぱなしになってるからなんで、意図的なものではありません.そろそろ片づけねばと思っているのですが.


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1976年9月、スペイン北部のPonferradaポンフェラーダにあるPV鉄道の機関区の片隅で1台の機関車に出会いました.その足回りは動輪が抜かれて馬に乗った状態で、車体も埃だらけでした.これはもう廃車前提の留置というか放置というところでしょう.
この鉄道の大半の蒸気機関車には固有の名称が付けられています.ヨーロッパの機関車では珍しいことではありません.「トーマス」とか「ゴードン」というようなものですね.この機関車にもキャブのサイドに立派なネームプレートが取り付けられていました.

そう、この機関車は私の本名(寺田牧夫)と同じテラダさんなのです.実は訪問前からテラダさん号の存在は判っていましたので楽しみにしていたのです.現役で無かったのは少々残念でしたが、実物に会えて感激です.
この鉄道はボールドウィンのタンク機とクラウス他の1Cテンダ機によって運転されていますが、輸送力が不足するために数年前に廃止になった他の鉄道からテラダさんはやって来たようです.しかし1両1形式で使い勝手が悪く、このような状態に置かれているとのことでした.
ここはやはりツーショットが必要かと思い、特別出演です.(若すぎる!体型は同じですが)


名前があれば由来があるはず、ぜひそれを知りたいと思うのが人情です.それで関係者の人に聞いて貰ったのですが「余所から来た機関車なので判らん!どこかの山の名前じゃないか?」ということではっきりしませんでした.
どうせ廃車になるんだったらネームプレートを貰って来るんだった(くれないでしょうが)などと帰国後に考えましたが.そのPV鉄道は数年後には運転を止めたようで、多くの機関車達とテラダさんの行方を心配していました.しかし、このPV鉄道の記事をサイトにアップするときに調べてみると、博物館が出来ていて、他のPV鉄道の機関車達と一緒にテラダさんも保存されているじゃないですか!これはぜひ再会に行かなければなりませんね.

この機関車は比較的新しい1950年にベルギーのチュービッツ社で作られています.実は私が生まれたのも1950年です.そしてこの機関車に会ったのが1976年9月20日、私の誕生日が9月20日.
ということで本日で満55歳となりました.

追記:名前の由来について検索していてたどり着きました.長い英語の文章だったので要約しましたが、おおよそ以下の通りです.
【Esteban Terrdas(1883〜1950)
スペインの数学者、物理学者であり優秀な技術者でもあった.数々の功績があるが、特に電話と鉄道工業の分野に於いて世界的に高名である.カタロニア(スペインの旧名)鉄道の建設に際しては技術指導者として、政治的な諸問題を乗り越えて多大なる貢献をした.
功績を讃え、小惑星(2399_Terradas)と没年に製造された機関車に彼の名が命名されている.

やっぱりテラダはんはただものやおまへんでした.

2005/09/20 PM 03:22:19 | [ヨーロッパ]

No.81 羊追いの少女

1976年9月、ポルトガル北部で支線の列車を追いかけていると、線路際の丘の斜面で多くの羊たちがメ〜メ〜草を噛んでいる光景に出くわし、当然のごとくポジションを取りました.左下には川が流れ、バックにはマカロニウエスタン?に出てくるような岩山がそびえているという好ロケーションです.
メ〜メ〜草を噛んでいる羊ご一行様は、二人のあどけない顔をした少女達が率いているようで、距離を置いて丘の下で見張っていました.


汽笛が鳴り、カーブの先に列車が姿を現しました.何頭かの羊が線路に近すぎていて、パニックにならないか心配していると、少女達は落ちている石をいくつも投げて、羊たちをいとも簡単に斜面の上に追いやってしまいます.







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列車はその横を何事もなく通り過ぎて行き、再び羊たちは線路の処まで戻ってきて、またメ〜メ〜草を噛み続けていました.帰り際に少女達に手を振って挨拶をしたのですが、期待に反して全く無表情で無視されてしまいました.

この鉄道について詳しくはこちらをご覧下さい.

2005/09/19 PM 05:38:57 | [ヨーロッパ]

No.80 道端の礼拝堂





オーストリア西部のとある田舎街.さほど広くもない道端にささやかな礼拝堂がありました.日本でいえば町角のお宮さんといったところでしょう.見たときには無人でしたが、横の岩に掘り込まれた祭壇?には空き缶に野花が生けてありましたので毎日熱心にお参りする方が居られるのでしょう.
この礼拝堂の横にオモチャのような狭い線路が敷かれています.線路は錆びていますし、何よりも壁ギリギリの部分もありますのでここを無事に通り抜けられる車両なんてあるのでしょうか?

まあネタはばれていますが、この2フィート・ナローの線路を一日1往復だけ、工場からの製品輸送の列車が通って行きます.牽引するのは小さな蒸気機関車です.しかもこの機関車はただもんじゃありません.このドラム缶のようなタンクの圧搾空気でシリンダーを動かす、いわゆる"ファイアレス"という無公害機関車です.
この鉄道は短い専用線ですが、途中お城の横を通ったり、小さな街角をかすめたりしますので黒い煙を吐く蒸気機関車は似合いませんね.
この鉄道について詳しくはこちらをご覧下さい.


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2005/09/18 PM 12:13:55 | [ヨーロッパ]

No.79 白坂で撮る

東北新幹線が営業開始する直前、最後の力走をする特急列車などを撮りに東北本線白坂-磐城西郷(新白河)間へ何回か出かけたことがあります.冬季は凍結する小さな池があり、適度なカーブがあって撮りやすい場所ですが、名撮影地と言えるほどでは無いかも知れません.
頻繁に特急、急行、普通、貨物とやって来るので数は稼げますが、どの写真も午後の陽を浴びていたり、日没前後のような遅い時間のものばかりです.のんびり下道(国道294号)をドライブ(どちらかというと、こちらが主目的)して行くのですから、これは仕方ないかと思いますが.

ここで撮った写真を2-3日うちに本編にアップ予定で、只今鋭意スキャン&レタッチ中です.その予告編として3点を本日ご覧下さい.撮影は1981年11月と1982年2月です.



2005/09/17 PM 10:29:39 | [電車・気動車]

No.78 西武鉄道ヘッドマーク

(画像をクリックすると拡大されます)
昼間は涼しかったので体調もまあまあで、当サイトの西武鉄道画像保管箱に貼り込む写真のスキャンをしていました.当初は昔撮った自分の写真をとりあえず展示しておくために始めたBBS形式のギャラリーでしたが、最近は書き込み&貼り込みをしてくださる方も徐々に増えてきて嬉しい限りです.他の私鉄に較べて地味な、言い換えればしょぼかった赤電時代の西武も趣味的に見れば非常に興味深いものがあり、結構多くのファンが居られることに驚きを隠せません.
よろしければ新旧の西武線の写真、地方鉄道に譲渡された西武の車両の写真など西武鉄道画像保管箱へご投稿をお願いいたします.

今日は西武鉄道画像保管箱に上げてある写真も含めて、行楽列車に取り付けられたヘッドマークを特集してみました.
ヘッドマークの付いた列車は池袋線秩父線に運転される、いわゆる"ハイキング急行"が伝統があります.というかこれがほとんどすべてだと思います.それ以外で私が知っているのは池袋-狭山湖間の"狭山スキー場号"と、区間は不明ですが池袋線に運転された"英国フェア号"くらいです.
この写真は"狭山スキー場号"です.1962〜4年頃のシーズン中日曜日に日中1時間ヘッドくらいで運転されていたような記憶です.311系や351系など2両編成でスキー板をクロスさせたヘッドマークがユニークでした.撮影は1964年頃、保谷-ひばりヶ丘.

"英国フェア号"は1965年頃に沿線(豊島園?)で行われたイベントにちなんだ列車で、ユニオンジャックを円形にしたようなヘッドマークでした.残念ながら写真は撮ったかどうかの記憶もありません.




この2点はハイキング急行の帰路をやはり保谷-ひばりヶ丘で1965年頃に後追いで撮ったものです.この頃は往路と帰路は別のマークだったらしく、「急行 池袋」としか書いてありません.運転区間は池袋-吾野間だったと思います.上の写真の編成は701系+351系、下は501系の中間に551系のサハを2両組み込んだ編成で2M4Tという超エコ編成です.
この記事トップの写真は701系"正丸号"吾野行きで、1968年8月、東飯能駅での撮影です.




1969年には秩父線吾野-西武秩父間が開通して、ハイキング急行も西武秩父まで運転されるようになりました.1971年11月に横瀬駅で撮影していますが、奥武蔵号と奥秩父号がそれぞれ数往復あったようで、101系の8両編成(4×2)が使われていました.

現在は4000系の秩父鉄道直通列車などが相当するのかもしれませんが、ヘッドマークは無いようです.
新宿線系統でのヘッドマーク付き列車(特急を除く)を私は知りません.日曜日の朝には西武新宿-本川越間のゴルフ急行が2両編成で走っていましたが、特別な表示はありませんでした.
あっ、そういえば拝島線開通祝賀列車が1968年5月14日(開業前日)に非営業ですが記念マークを付けて走っていましたっけ.


いったんアップしてから他のサイトを見ていたら、最近の西武はヘッドマークが多数取り付けられているそうですね.ぜひ見てみたいものです.

2005/09/16 PM 10:44:48 | [西武鉄道]

No.77 特急あけぼの運転開始
1970年7月1日から臨時特急「あけぼの」が運転を開始しました.これは10月から運転の予定だった寝台特急を前倒しにして夏期臨としたものです.運転区間は上野-秋田間と言いたいところですが、下り列車は品川発の日もあるという変則運転で、翌朝の新庄までは大宮以外は無停車(機関車、乗務員交代の運転停車あり)というのも当時としては目新しいものでした.
上り列車は7月2日上野着が一番列車だったのですが、ヘッドマーク付きとの情報が入り、早朝の上野駅に撮影に行きました.牽引機は黒磯-上野の直流区間は常識で考えればEF58ですが、やって来たのは案に相違してEF651000、今で言うPF機の1011号機でした.43-10で「はくつる」が電車化されて以来、久しぶりのEF58ブルトレ特急復活か、と思っていたので少々がっかりしましたが、PF機にとっては初めての特急牽引.しかも新ヘッドマーク付きなんですから充分特ダネに値します.
しかしこの13番線ホームは建設中の常磐線の新ホームが上に被さって横には柱が点々と建ち、左側には柵があるという最悪の条件.さらに雨の早朝で暗い、ときてはこの程度の写真しか撮れませんでした.


(画像クリックで拡大します)



意外だったのは地平ホームに到着したことでした.従来ブルトレは貫通路が無いために回送列車の推進運転ができず、高架ホームで機関車を付け替えていました.地平ホームでは機回しができませんから別に回送機関車が来るのかな、と思っていたらそのまま推進で出て行ってしまったのです.
この「あけぼの」用に新製された20系から、車掌室内にブレーキ端末弁が取り付けられた事を知ったのは後日のことでした.


10月1日からは定期特急となり、区間も新線に切り替わった矢立峠を越えて上野-秋田-青森となっています.
牽引機関車は上野-黒磯EF651000、黒磯-福島ED751000、福島-山形EF71、山形-青森DD51でした.


もちろん全線無煙運転ですが、青森から運転所までの回送に青森機関区のD51が使われて話題になりました.翌1971年3月、北海道で撮影の帰途に青森駅で見た回送牽引機は運のいいことに長工デフ装備のD51197が就いていました.

2005/09/15 PM 10:45:50 | [電気・ディーゼル機関車]

No.76 チサ100

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前回のコム1と同じように北海道専用形式のチサ100形チサ513です.
写真は1971年3月、石北本線遠軽駅構内.すべての列車が折り返しとなるこの駅では複数のD51牽引列車が並ぶことも稀では無かったかと思います.
石炭車に較べれば少数ですが、木材を積んだチキやトラも北海道の貨物列車の編成中によく見ました.この3軸車のチサ100形は何両くらい存在したのでしょうか.この撮影時以外には、はっきりとした記憶も記録もありませんが、時折見かけていたような気もします.

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今回、この貨車になぜ注目したかというと珍しい3軸車ということもありますが、戦時中に大量生産された無蓋車トキ900形の残党だからです.トキ900は大量に作られたにもかかわらず、私が鉄道を意識して見るようになった頃にはその姿はすでに無く、美唄鉄道の同型と言われる(側板の高さが低い)トラ1形3軸無蓋車を見ただけです.3軸車はその後もワサ1形やタンク車なども作られたようですが、少数派であることは間違いありません. このチサ513はよく見ると、一応2段リンクに改造済みなんですね.
トキ900形は数年前にJR浜松工場で1両復元して公開した、ということなので機会があれば見てみたいものです.


これが美唄鉄道のトキ900ことトラ1形無蓋車です.1972年5月美唄駅.

2005/09/14 PM 11:21:46 | [客車・貨車]

No.75 1970年夏の熊本にて
一週間位前から持病の腰痛がひどくて、ここ2-3日は動くのも辛い状態です.そろそろ治らないと困るんですが昼も夜も残暑が厳しいこともあって、寝不足でどうにも辛抱なりません.ブログもお休みしようかとも思いますが、何とか椅子に腰掛けることは可能ですので続いています.


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写真は1970年8月の熊本機関区です.10月の鹿児島電化を控えて電車やED76+DD51による訓練運転も始まっているので狭い構内が賑やかです.
ご存知の方はご存知でしょうが(当たり前)、熊本機関区は熊本駅の真横にあり、ホームからバッチリ写真が撮れるという全国でも希有な機関区ですが、正式に訪問しようとするとグルッと大回りせねばならず、結構時間がかかりました.
ちょうどED76+DD51の後に9600型が居ます.動力方式が違う機関車がこうして並ぶのもこの時期ならではなんですが、この写真をよく見るとED76と9600の前にそれぞれ誘導係が乗車していますし、9600の機関士さんと助士さんは前方を見ています.そうですこの3台は走っているんです.車間距離はわずか10mほどしかありませんのでちょっと微妙な写真ではあります.ヌシとも言える9600が「そこの若いの、邪魔だ、どけ〜!」と追っ払っているようにも見えますね.


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暫くしてその若い奴らは仲良く客車の先頭に立って鹿児島目指して出発して行きました.
熊本駅は最近までこの頃の面影をよく残していたのですが、九州新幹線建設による連続立体事業が始まり、大きくその姿を変えようとしています.

2005/09/13 PM 01:49:59 | [駅]

No.74 特急「みちのく」
我々の年代だと「みちのく」というとどうしても急行のイメージです.北海道からの帰途に未だか未だかと思いつつ、退屈な轍の音を坦々と刻みながら南下する車内でのけだるい時間を思い出してしまいます.
青森で青函連絡船に接続して特急「はつかり」の続行で東京を目指す自由席車のある急行は、夜行の「十和田」「八甲田」などとともに均一周遊券利用者にとってはありがたい存在でした.
そんな「みちのく」が特急に格上げされたのは、調べてみると1972年3月のことだったそうです.使用車両は寝台昼行両用の583系電車で急行時代と同様に常磐線経由でした.
特急になってからは縁が無く、乗車はしていませんが583系のボックスシートは「はつかり」に何度も乗った経験からとてもお勧めできません.自分で座席が選べる自由席ならまだ進行方向窓際席に座れば少しはマシですが、全座席指定の時代ですからなかなか希望通りには行きません.
特急「みちのく」は1982年11月14日、東北新幹線の本格的営業開始の前日に廃止されています.10年ほど走っていた訳ですが、あまりその写真を見ません.同時に廃止された上越線「とき」の方はブームになるくらい撮られていたのとは好対照です.
数年前に583系で「みちのく」が復活運転され大フィーバーになったのはその反動でしょうか.

幸いなことに1979年9月に東北本線目時-金田一間で上り列車を撮るチャンスがありました.夜明け直後でまだ薄暗く、やむなく流し撮りです.暗いのにヘッドライトは点いていませんが、先に見えるトンネルを出た時についくせで消灯してしまったのでしょうか.

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2005/09/12 PM 11:38:43 | [電車・気動車]

No.73 RENFE 277型
RENFE(=スペイン国鉄)の277(ex-7700)型電気機関車を紹介します.ご覧のようにアメリカの一昔前のディーゼル機関車のようなショートボンネットを持った好ましいスタイルの機関車です.現在ではもうほとんど走っていないとは思いますが、私がスペインを訪れた1976年頃には中堅として旅客、貨物に活躍していて、あちこちで見かけたり、牽引する列車にも乗りました.
しかしスペインの訪問目的は炭砿鉄道にありましたので、あまり普通の鉄道には一生懸命カメラを向けないように心がけていました.何しろ見るもの見るものすべてが珍しいのですから、ついついキョロキョロしてパチリパチリやっていると、前へ進めなくなってしまう可能性があります.さらに鉄道と同じように風景や人物などに目を向けたくなるのもずいぶんと我慢しました.フィルムも何本あっても足りませんしね.
そんなわけで、この写真は宿泊したVigoビーゴの駅で1カットだけ撮ったものです.

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このスタイルですからGEなどのアメリカ製かと思いきや、イギリスのEnglish Electric Vulcan Foundry社製.と聞くと何となく親しみが湧いてきます.1952-59年に75両製造されていて、軸配置はC-C、直流3000V、2208kw、最高速度は110km/h というような性能諸元で日本の機関車と大差無いですね.ただしゲージは1674mmのブロードゲージですからこれは大きな差があります.これだけ広いとさぞかし安定していて揺れも少なく快適だろう、と思うと大間違い.線路が悪いのか台車が悪いのか(多分両方)驚くほど揺れます.鹿鉄キハ430型もマッツァオといったところでした.塗装はダークグリーンです.

この写真はPonferradaポンフェラーダの街を散歩しているときに、たまたま撮ったカットです.(撮影は2点とも1976年9月です)

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2005/09/11 PM 08:34:34 | [ヨーロッパ]

No.72 D51爆煙
誰が言ったか「爆煙」とは表現方法としてはなかなか秀逸な言葉だと思います.爆は爆発するような、という意ですから蒸気機関車の煙の表現としてはピッタリですね.ちなみに爆笑とは"大笑いをする"という意味じゃなくて"大勢が笑う"ということなんだそうで、つい最近まで私は恥ずかしながら勘違いしてました.そういえば場内大爆笑、なんて言い方をしますね.
爆煙に対して、煙が薄い場合は「スカ」と言いますが、これは「スカスカ煙り」の略だと思います.まあ、スカクジのスカでも同じようなもんですが.ただしこれは給気運転中に限る言葉で、絶気運転では煙が無いのは当たり前なのであえて言いません.
なんて、絶対的な定義ではありませんから文句は言わないで下さいね.
スカとかペケとかは関西弁だと思いますが、上方新喜劇や漫画の「じゃりん子チエ」が流行る前は余り聞いたり、使ったりはしませんでした.
閑話休題、夏の蒸機撮影はスカは覚悟の上で、少しでも煙があれば良し、としていましたが時としてビックリするような黒煙を上げてやって来ることがあります.1969年8月某日、ニセコ1号を撮影後、上目名駅に戻る途中で後からドラフトが聞こえてきたので、築堤を一段降りてマミヤを構えました.カーブのアウト側なので列車の姿は見えません.レールが響き、ドラフトが大きくなって突然ファインダーに飛び込んできたD51394とその上に吐き出される真っ黒な煙りに驚きました.普通は少しネズミ色だったり焦げ茶色だったり、重油併燃だと青っぽくなったりしますが、この時は真っ黒でした.本当に純黒でした.
すごく暑い日だったと思いますが、こういう写真が撮れると気分爽快、後味最高になります.まさに記憶に残る爆煙でした.

2005/09/10 PM 05:35:53 | [現役蒸機の時代]

No.71 龍門の滝-1
東北本線の宝積寺駅から分岐する烏山線ですが、終点烏山の1つ手前がその名も「滝駅」でホームに線路一本だけの小さな無人駅です.ここから徒歩15分くらいで名瀑といわれる龍門の滝に到着します.江川という川の流れがそのまま右折するようにドンと落ちる大滝で、幅65m、高さ20mの規模を誇ります.滝の途中にある祠には大蛇が棲むとの伝説があり、滝名の由来にもなっているようです.
2001年11月に訪問したときには、水量が若干少なくて横幅が途中で途切れている状態でしたが、名瀑というだけあって迫力のある水音が周囲に轟いていました.
この滝が鉄っちゃんにとって嬉しいのは後方に烏山線の築堤があることで、迫力ある滝を前景にキハ40が2両連結でのんびり走り抜ける姿を捉えることができます.少し前には首都圏色に復活したキハ40も走り、話題になったのも記憶に新しいことです.


少し高い位置にある展望台から滝壺に近いレベルまでカメラの位置は自由に選べますが、下からの方が滝の迫力が増します.しかし列車の音が滝の音にかき消されて、接近に気付くのが遅れそうです.この場所の欠点は線路と滝の間に道路があり、結構通行量が多いことです.列車に被ることはありませんが、観光バスや、ダンプカーなどが手前に入るとちょっと惨めな写真になりますね.
距離的に少々半端な場所なので、この場所のために行くのは大変ですが、真岡鐵道の茂木駅からクルマでわずか20分の距離です.真岡鐵道の蒸機列車の茂木折り返しのインターバルは2時間以上ありますから昼食時間を入れても滝で2-3本撮影する余裕はあります.
ちなみに列車からこの滝はまったく見えません.





2005/09/09 PM 08:37:27 | [烏山線と龍門の滝]

No.70 嗚呼 New-Orleans

ニューオーリンズといえばミシシッピ川、ルイ・アームストロング、バーボン・ストリートなどとともに「欲望という名の電車A Streetcar Named Desire」というビビアン・リーの有名な映画に出てくるストリートカーで有名です.現在でも世界最古の市電といわれる齢100歳以上のオールドカーばかり30数両が、ダウンタウンとアップタウンを結んで24時間運転をしているといいます.観光資源でもありますが大事な庶民の足としても大きな価値を持っているわけで、ニューオーリンズの街のある部分は歴史が止まっている、とも言われる要素の1つでしょう.
アメリカではニューヨーク、シカゴ、シアトルとともにぜひ訪れてみたい都市でした.

憧れの都市が未曾有の災害に遭い、壊滅の危機に瀕しています.ニュースの画面にはあの24時間歓声と音楽が絶えず、市電がスカスカの警笛を鳴らしながら街路を走り抜けてゆく活気のある街はどこにもありません.

偉そうなことも言えませんが、犠牲者の方々のご冥福と被災者のみなさんへのお見舞いを申し上げると共に、未来への希望を持って頂きたい、と願う以外ありません.

上手く話しがまとめられず、失礼いたしました.

2005/09/08 PM 04:03:08 | [雑記・雑感・ぼやき・ほざき]

No.69 十三湖

中世のロマン、大貿易都市十三湊とさみなとをご存知でしょうか?平安時代の末期より鎌倉時代、室町時代(12世紀〜14世紀)までの長きに渡り、北日本の中心都市として栄えた幻の大都市の全貌が明らかになったのは僅か10数年前の発掘調査によってでした.確認されている中世の都市としては西の博多に匹敵するような大きな貿易都市であったことを裏付ける湊や都市の街並みの遺構が発見されています.
中世に書かれた廻船式目かいせんしきもくや諸文献には巨万の富を持ち、国内はおろか樺太、千島、中国などと広く交易を結んだ豪族で安東水軍を率いた安東氏の支配する人口10万人以上の都市の存在が記されています.
そんな幻の大都市は1341年に起きた大津波により、滅んでしまったのだそうです.
国の文化審議会は本年2005年5月20日、五所川原市十三湊 遺跡を国史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申しています.

地理が好きなくせに、当時日本史には疎かった私は、そんなことはつゆ知らずに1972年10月、津軽の地を訪れました.主目的は五能線8620混合列車の追っかけ撮影でしたが、松本清張作「風の視線」の冒頭で描写されている十三潟の殺伐とした情景を求めて、早朝の十三湖じゅうさんこにやって来ました.
小説に出てきた砂丘はそれほどのものではありませんでした.しかし、日本海と区切るように南北から張り出した砂嘴の隙間部分に架けられた一車線の長い木橋は中央部に行き違い場所を持ち、大型の漁船が通るときには橋の一部を回転させる、いわゆる可動橋であったことに驚きました.湖岸は岩木川をはじめとする流れ込む川の三角州で、その広い平地にはちょうど刈り取り中の水田が広がり、東側の広大な牧場では牛達が思い思いに草を噛んでいたのも何か心を打つ情景でした.










しかし普通であれば辺境とも言えるこの地で津軽藩が繁栄し、金木、五所川原、弘前、黒石と岩木川を遡行するように都市が点在するのもかつての十三湊の名残りなのかも知れません.

2005/09/07 PM 01:08:28 | [旅の1頁]

No.68 クロ150-3
1964年4月24日、東京発宇野行き特急「第1富士」が東海道本線草薙-静岡間で踏切を直前横断のダンプトラックと衝突.先頭車のパーラーカー、クロ151-7が脱線転覆大破して廃車になってしまいました.当時の151系編成は、10月の東海道新幹線開業後に鹿児島本線交流区間に乗り入れのため、予備の先頭車をやりくりして改造施工中で、代替え車が全く無い状態でした.
そのため特急「ひびき」を運休して、その157系を特急「とき」の161系と混結組成.捻出したクハ161をクロ151の代用車として151系編成に連結して急場をしのぎ、その間に余っていた予備のサロ150-3に浜松工場で運転室を取付改造(クロ150-3に改番)、7月1日から正常運用に戻しました.正確にはクロ150-3は展望車パーラーカーでは無いので正常とは言い難いのですが.
その間には153系使用のいわゆる「かえだま」、157系使用の「ニセこだま」も運転されていますし、事故当日4月24日には特急「うずしお」(事故列車の折り返し運用、宇野→大阪間)にモハ80系が代走した、とのエピソードも残っています. これは旧型電車唯一の特急運用ということになっています.


1964.5 157系使用の特急「第1こだま」東京駅


1964年7月21日、東京駅で「第2つばめ」1号車に組み込まれているクロ150-3を目撃しました.露出不足の写真ですが、なんとか.

クロ150-3 は9月30日までのわずか3ヶ月間使用されただけで休車、翌1965年にはクハ181-53に改造されて「とき」に、後には「あずさ」にも使用されました.

そのクハ181-53を1968年2月の雪の朝、通学中の中央本線国立駅で「第1あずさ」の最後部に連結された姿を撮影しています.151系時代を彷彿とさせるロングスカートが健在でした.さらによく見ると乗務員ドアの前の部分、側板に付着した汚れの形がクロ時代のドア跡のような気がします.

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2005/09/06 PM 08:57:51 | [電車・気動車]

No.67 2475 Recording Film
高校生の頃に夜間撮影をするのが流行り、写真雑誌にもバルブ撮影や高感度フィルムによる撮影、増感現像の仕方などの記事が載っていると読みあさったものです.ちょうど常磐線の電化間近ということで、如何にしてC62牽引の夜行急行、夜行特急を記録できるかを研究課題として試行錯誤を繰り返していました.
最初はコダックのトライXフィルムの増感に興味を持っていたのですが、高校3年の頃に"2475 Recording Film" というフィルムが公称感度ASA1000で同じコダックから発売されたのを知り試用してみることにしました.雑誌によると10000位までは増感が効くとのことでしたので期待していたのですが.
夏休みに会津線信越線と撮影に行ったときに使うチャンスがありました.夜景なので露出ははアバウトですが、大体5-6000位を想定して露出を決定していたと思います.
帰宅後、雑誌に書いてあるとおりに増感現像を自分でしてみました.ベース面が被ってネズミ色になっているくらいですから増感は指定通り行われたと思いますが、実際に写っている絵は期待したほどではありませんでした.しかも粒子の形状がトライXのようにきれいに揃っていないので、焼き付けたときの印象が気に入りません.
高価でもありましたので、結局使用はこの時の一回だけとなりました.この程度の感度であればトライXでも充分増感出来る範囲だと思います.今は高感度フィルムも多種ありますし、デジタルが主役になってくればこのような苦労も昔話で終わりますね.何よりも駅や街が明るくなりましたし、無理して撮ろうという気にもならないのですが.


会津宮下駅でC11列車の出発.


磐越西線五十島駅で交換のC57列車到着.


同馬下駅でDC列車.


五泉駅で出発待ちの蒲原鉄道電車.


新津駅出発のC57羽越本線列車.いずれも1968年7月撮影.

2005/09/05 PM 11:48:19 | [夜景]

No.66 室蘭本線C57(本編予告)

本編に久々のアップをしますのでご紹介です.轍楽之路サイトとしては、やはり蒸気機関車現役時代の写真を公開するのが最大の売り物と考えていますが、こればかりはタイムマシンでも使わない限り特撮はできません.当然限りがあるわけでして、実のところそろそろ底の隅の方にへばりついてる写真をむりやり引っ剥がさないと形のあるコンテンツにならない状態です.
今回は室蘭本線のC57を探してみました.といってもここのC57をお目当てに撮影したことなど一度も無く、どれも他の目的のついでのカットや、クルマで走っていて「来た来た!じゃあ撮るか」というようなものばかりです.室蘭本線でも西側の長万部-東室蘭間は早くにDD51に置き換えられてしまったために、静狩-礼文の名勝地での撮影が出来なかったのが残念です.室蘭本線のC57はそれこそ1975年12月まで残りましたが、ポストC62としての被写体には成りませんでした.
アップは明日になりますので、今日は予告編です.
本編はこちらから

1969.3 早朝の苫小牧駅

1972.7 白老駅  (一番上の写真は1973.2栗山駅)

2005/09/04 PM 10:33:57 | [現役蒸機の時代]

No.65 マンモス蒸気機関車仰望
仰望とは俯瞰の反対と言いますか、下から見上げることです.俯瞰の場合は高さは見える限りいくら高くても良いですが、見上げる場合には限りがあり、地面より低いレベルからの場合は穴を掘るしかないわけです.
機関区には線路の2本のレールの間にアスピットと言って、火室の燃えかすを捨てるための穴や、下回りを点検するための溝が掘られています.
良い位置に機関車が停車していて、許可が得られればそこから真正面を仰望撮影することが可能です.C57などのボイラが細い機関車は遠近法でちょっと迫力がありませんが、やはりマンモス機のC62だと迫力が違いますね.これは1970年4月に長万部機関区で得られたチャンスです.スノープラウを外してしまった直後でしたが、さてどちらが良かったか.残念ながらスノプロ付きでのチャンスはありませんでした.



これは同じネガに入っていた同日、長万部区でのD52140です.地面のレベルからの仰望ですが、D52はボイラ径は同じでもC62よりも前端が出ていますので、こちらもかなりの迫力です.

ところでマンモス機と言えば、中国国鉄の前進型!こちらはC62やD52よりも一回りスケールが違いますが、1984年5月に山西省大同機務段(機関区)で、ピット正面から撮影の幸運に恵まれていました.写真だと大きさの実感が今ひとつですが、連結器の大きさと高さは日本とほぼ同じなのでご想像頂ければと思います.


ピットは無いにしても地面レベルからの仰望アングルは保存機関車でも撮れる可能性があります.しかし、ウェストレベル・ファインダーを使わない場合はとんでもない姿勢を強いられますので、恥も外聞も捨てての撮影はご自由ですが、あらぬ疑いをかけられないようにご注意をお願いいたします.

2005/09/03 PM 11:48:39 | [現役蒸機の時代]

No.64 TXを撮る
このブログや轍楽之路サイトをご覧の方は、8月24日に開通したTX=つくばエクスプレスについて開通以後全く触れていなかったことに疑問をお持ちの方も居られるかと思います.今までの私であれば、開通当日ルポや沿線撮り歩きなど早速取材アップをしてもおかしくありませんでしたが・・・.

大変間が悪いことで、あるトラブルに巻き込まれてすっかり体調も崩してしまい、一日フリー切符なども買い損なって腐っておりました.まだ解決したわけではないのですが、少しずつ立ち直りつつあります.
遅ればせながら8月30日には「流山おおたかの森-秋葉原」間の初乗車を果たし、本日は良い天気だったので柏の自宅から近場で撮影をすることができました.ご報告がてらこの撮影地のご案内をしたいと思います.

取って置きの場所かと思いきや、本日も平日ながら2名の同業者にお会いしました.おまけに「雑誌にも載ってますよ」なんて言われてショックです.
TXは前に本編で北千住付近での試運転の様子をご覧頂きましたが、全線にわたり防音壁とフェンスにガードされていて、なかなか足回りまで入った列車写真が撮れません.他の方のサイトを見ても皆さん苦労されているようです.
「流山セントラルパーク〜南流山」間のこの場所は短いトンネルの上を細い道路が越えています.ガードレール+1.5m位のフェンスがありますが、上の写真のように鉄棒の間隔が粗いので写真はOKです.背の高い人なら上からも撮れるでしょう.
ちょうど流山セントラルパーク駅からカーブして、高架から南流山のトンネルに向かって下ってくるところで、大きな森が線路沿いにあり良いロケーションです.しかし森の向こうの線路北側は土地の造成中で、アングルによっては重機やダンプがバックに入ってしまいます.残念!
また南流山側を向けば、こちらはトンネルの入口で列車の出入りの様子が撮れます.トンネルの上側遠くの住宅の間から総武流山電鉄の電車が見えますが、組み合わせは無理でしょう.
今日はまだ開業記念のヘッドマーク付きの編成も何本か走ってました.未確認ですが9月中は付いているとの話も聞きました. この場所は上り列車に対して午後が順光です.
細い道ですが結構通行量がありますので、駐車はどこか広いところにしたほうが良いかと思います.電車利用だと流山セントラルパーク駅、総武流山電鉄の鰭ヶ崎、平和台駅から徒歩10分くらいです.
こんな懇切丁寧なガイドをしてしまうと、土日は大変でしょうか?(知らん顔して見に行ってみようかな?)
架線やビームの関係でベストポジションはそれほどありません.

以下作例です.これだけの点数になるとブログではボリューム多すぎますね.今回は拡大写真にネクストキーを付けましたので順番にご覧頂けます.みな同じ場所ですのでキャプションはありません.
もはやブログでは無い、ギャラリーだ!

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2005/09/02 PM 09:50:56 | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.63 井川線1973

1973年2月、大井川鉄道千頭駅構内に保存されていた車両の写真を撮りに出かけましたが、ナビゲーターの案内違い!で着いたのは、なんと井川線の終点井川でした.静岡市街から相当な距離を走ったはずですが、眼下に井川ダムの湖面を望むまで、気が付きませんでしたからお恥ずかしい話しです.道路方面標識に「井川」の文字は何回も見ていました.しかし「井川」は「千頭」の先、という意識が先入感として皆の頭にあったものですから、仕方ないですね.
前置きが長くなりましたが、そんなわけで図らずも井川駅構内や、ちょうど千頭に向かって出発する井川線列車を撮影することが出来ました.当時、井川線に並行する道路は未舗装の林道で、線路とは必ずしも近いところを走っているわけではありませんので、併走撮影は厳しかったですが、ほぼ列車と同じ所要時間で千頭に着くことが出来ました.
L形のDB+1両の客車列車にはぜひ乗ってみたかったのですが、当日は自分のクルマを出していたので叶いませんでした.(案内違いをした当のナビ氏は乗っていきました)
結構な悪路で、いつも列車が見えないか気にしているところに、猿が飛び出すハプニングがあったりして運転は大変でしたが、このような写真も撮ることができましたから文句はありません.

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2005/09/01 PM 11:38:16 | [大井川鐵道]










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