【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.62 室蘭駅

1997年7月に渡道した際に、札幌から日帰りで室蘭を訪れました.天気にも恵まれて、間もなく完成する白鳥大橋の優雅さに感心したり、船に乗っての地球岬観光やイルカ・ウオッチングを一旅行者として楽しむなど、夏の一日を有意義に過ごしたものです.
帰りがけにはこの室蘭行きの目的のひとつである、室蘭駅の駅舎をじっくり見ることが出来ました.近日中に新駅舎にとって代わられることになっていて、保存はされるようですが現役の駅としての最期の姿を堪能しててきました.
1912(明治45)年に建築の駅舎は寄せ棟づくりの入母屋風で、屋根上に出っ張ったドーム式の窓や「がんぎ」の付いた外観が特徴になっています.現存する駅舎建物としては、道内で最古のものと言うことで、エントランス部や待合室の天井、駅長室のドアなど特に豪華というわけではありませんが、見ほれてしまうような明治の魅力を感じます.








駅舎としての役目を終えた現在ではそのまま室蘭市観光協会の建物となり、多目的ホールとして展示会やコンサートなどが行われているそうです.
石炭の積み出しをしていた頃には、大きなヤードに石炭車が盛んに出入りして、いつも蒸気機関車の煙が空を覆っていた活気ある室蘭は様変わりしてしまいましたが、歴史の生き証人である旧駅舎は今も市民に親しまれて健在です.

お陰様でこのweblog 付"録"(ブログ)も2ヶ月間無事完走できました.開始当初の目論見とは若干路線が変わってしまった部分もありますが、出来る限り続けていきたいと思います.今後ともどうかよろしくお願いいたします.

2005/08/31 PM 10:45:31 | [駅]

No.61 Westcoast Express

(画像クリックで拡大します)
バンクーバーのウェストコースト・エクスプレスは、ウォーターフロント駅と郊外の住宅地を結ぶ通勤列車で、CPの貨物線を利用して毎日5往復走ります.運転形態は完全に通勤専用で、朝は上りのみ、夕方は下りのみなので体験乗車をしようとすると結構大変です.しかし帰国後調べてみると、リニアモーターの新交通システム"スカイトレイン"とは並行とは言わないまでも近接して走っていて、連絡するバス便もあるので周遊できるんだそうです.
機関車や客車はおそらく新幹線のmaxなどと同じ位の高さかと思いますが、ホームが低いのと車体幅が狭いせいでもの凄く大きく見えます.


列車はトロントのGOトレインの客車と同型の2階建て客車を大型のディーゼル機関車が上りはプッシュ、下りはプルという、いわゆる"プッシュプル"運転です.
これだけの列車のために大型の機関車と客車を何組も用意しているとは、結構費用もかさみそうです.しかも見た列車はガラガラでした.



最後にバンクーバー市内のスナップからです.

2005/08/30 PM 03:25:43 | [カナダ(アラスカ)]

No.60 天津の街角(2)
天津の街角2回目は中国らしいお土産やさんの露店から、と映画のポスターです.1988年の5月ですが意外!
今日はコメントと拡大画像はありませんのであしからず.(見たい方もおられるでしょうが)










2005/08/29 AM 02:02:58 | [天津の街角]

No.59 外吊りドア
電車や気動車のドアは、開くときに側板の間というか厚みの中にある戸袋に収納される引き戸です.旧型客車などの内開きドア、寝台客車や583系などの折り戸なんていうのもありますね.
数年前に試作されたJR東日本のACトレインという電車は様々なハイテク技術が試用されていて、そろそろ置き換えが噂される中央線201系の後継車のプロトタイプとも言われています.この電車には外吊りドアが採用されています.
そもそも車両の箱の設計ではドアや戸袋の部分が複雑で厄介そうなのは容易に想像がつきます.最近の車両では軽量化が大きな課題になるわけで、戸袋部分は強度が弱くなりますから代わりに周囲を強化しなければなりません.当然重量増になってしまいますね.だからそんなモン止めてしまえばいい! と言いたくなる気持ちは理解できます.


↑はスペインのナローの気動車ですが、外吊りドアは外国の車両ではよく見るような気がします.
国内の量産車ではキハ35系気動車くらいしか見られません.

キハ35 1968.2 八高線高麗川-東飯能


クモハ451 1967.10 常磐線平-草野


キロ60 1967.3 総武本線銚子駅

かつては写真のように451・471系のクモハの前位ドアや、試作気動車キロ60などに採用されたことがあります.いずれも重量の関係で台枠が強化できなかったための処置で、その後の軽量機器の開発で解消しています.クモハ451(471)とキロ60はキハ35とは違って、閉じたときにドアが車体内に押し込まれ外板と面一つらいちになる、いわゆるプラグドアでした.まあ、ガイドレールのカバーは出っぱってるんですが、すきま風の進入や風切り音の防止には役立つはずです.
素人目に外吊りドアは混雑時のホームでは危険のような気がします.キハ35の長い使用実績の中で、開いてくるドアと乗客が接触するトラブルは無かったのでしょうか?ホームドアがあれば問題無さそうですが、中央線はドアの数や位置が違う特急が停車する駅もあるので設置は難しそうです.

2005/08/28 PM 02:54:43 | [電車・気動車]

No.58 ペコペコ

埼玉県三郷市、常磐自動車道三郷ジャンクションに近いところに、ステーキレストラン・ペコペコがかつて存在しました.味の方は食べたことがないので判りませんが、表に書いてある料金は結構リーズナブルな大衆料金だったような気がします.
しかし何と言ってもこのお店の特徴は、東武鉄道の廃車になった車両を店舗に利用していたところにあります.東武鉄道の車両はあまり保存されて居らず、これだけでも価値がありますが、ここでは7300形が3両、荷電のモニ1470形に凸形電機のED4020形(他に貨車5両)が台車、パンタ毎、まるのまま置かれていたのですから壮観です.置き方も2両を除いてホームの両側に停車しているように2列に並べられ、先頭の2両はパンタも上げた状態でしたから、この写真のように現役時代と見まがうような撮り方もできました.

撮影は開店したばかりと思われる1985年5月ですが、数年後に訪れると早くも閉店していて、倉庫状態でした.当然ながら車両もだいぶ荒れていて、塗装の剥離や錆などがあちこちに見受けられました.現在は?残念ながら影も形もありません.どこかに移設されていたりするようなことはあるのでしょうか.
このお店は越谷市にもあり、そちらの方にも7300形が置かれていたようですが現況は判りません.
店舗利用などで民間に引き取られる廃車車両は良くありますが、よほど鉄道好きの理解者の手に渡らない限り、長続きしなかったり、現役時代を全く無視したような塗装や外観に変えられてしまったりすることが多くて残念です.

車両番号
モハ7300形(モハ7304、モハ7325、クハ361)
モニ1470形(モニ1472)
ED4020形(ED4022)
貨車(ワラ4、ワラ19、ワラ35、ワラ39、ヨ210)



(画像クリックで拡大します)

この辺は柏の自宅から前は20分くらいで行けたのですが、三郷駅付近の渋滞がひどくて最近は近寄らなくなってしまいました.

2005/08/27 PM 06:45:16 | [保存車両]

No.57 Granville Isiand
カナダ、バンクーバー市のグランビル・アイランド(Granville Isiand)は、かつて工業地帯の倉庫街であった 埋め立て地を1980年頃にその建物を利用した一大ショッピングパークに衣替えした場所で、今では観光客も必ず立ち寄る名所になっています.
1996年10月に訪れましたが、私はショッピングなどには興味が無く、ひと通り回った後にハーバーの木製のベンチに座って対岸のビルに映る夕日や、ヨットのマストなどに留まるカモメを海風に当たりながらのんびりと眺めていました.


グランビル・アイランドと対岸の間にはアクアバスと呼ばれる小さな乗合船が頻繁に往き来していて、そのユーモラスでカラフルな船体は300mmを付けたカメラには格好の被写体でした.


カナダの街や風景を時々ご覧下さい.


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2005/08/26 PM 09:43:07 | [カナダ(アラスカ)]

No.56 東海形153系

1964.10.1 静岡駅

東海形の登場は1968年、こだま形151系と同じ年、いわゆる新性能車の草分けと言えます.まだ小学校の低学年ですから情報には疎く、新型電車の登場は「子供の科学」などで知ったのでしょうが、当時住んでいた浦和辺りには縁が無く、なかなかお目にかかれませんでした.東北線方面に定期で走った新型車は「日光形」157系が最初ではないかと思います.

1962年、6年生になったばかりの4月に東京駅に写真を撮りに行ったようです.この時が初めての東京駅詣でだったか、同行者が居たのかどうかなどの記憶は無いのですが、残っている写真では一番古いものでしょう.
カメラは親父のオリンパスS35、それほど安物ではありませんが距離計連動機なのでファインダーのパララックスが大きくて、よく目標を外していました.鉄道写真の師匠も身近に居らず、構図も滅茶苦茶で先頭部のアップばかりで酷いものです.
1962年4月といえば前年の10月には大改正が行われていて、東海道本線に特急・急行電車が大増発されています.おそらく次から次へと出入りする優等列車を目の色を輝かせて見ていたのでしょうね.
撮ったのはもちろんモノクロ(当時は白黒と言ってましたね)なんですが、東海形の前面のオレンジ一色は鮮やかで、強烈な印象でした.その後111系、165系と登場しましたが、前面に回ったグリーンの塗り分けは153系の高級なイメージと違い、何故か野暮ったい感じが今でもしています.
153系にはその後東海道線で何回もお世話になりました.一番の長距離は東京-大阪間で夜行「急行はりま」に乗って行った時ですが、興奮してほとんど眠れず夜間ながら沿線の様子を良く覚えています.

167系修学旅行色とともに165系が残っているうちに東海形塗りを一度復活させて欲しかったですね.

1967.4.23 東京駅.出発を待つ下り「東海5号」ヘッドマークは1966.10.1から付けられました.


1967.4.23 東京駅.80系とともに普通列車に使われる153系です.先頭は前年に登場したばかりの500番代高運車.153系で先頭に幌を付けた姿は珍しいのでは? 昔の写真を見ると必ずと言っていいほど和服の女性が写っていて、時代を感じさせます.ゴミ出しのため、ホーム反対側のドアを開ける習慣も懐かしい光景です.

2005/08/25 PM 10:41:19 | [電車・気動車]

No.55 板谷峠直流時代
今日はミニ・ギャラリーということで1967年12月の奥羽本線峠駅とその周辺をご覧下さい.
東北、北海道と蒸機撮影の一日を割いて、翌年で無くなるEF64の最後の冬を撮影しました.福島-山形間は1968年10月から交流化されて赤い交流電機、EF71、ED78が走るようになります.
この区間は板谷峠の急勾配のためローカルも客車、特急DCキハ82系も前にEF64を連結するので被写体としても面白いものです.もの凄く寒くて凍えてしまいましたが、写真の方も惨々! カラーは間違えてイエローフィルターをかけてしまうし、モノクロは紫外線にやられて粒子が酷く粗れてしまい、まったく引き延ばしができないものでした.それでもPC処理でこれくらいのサイズならなんとか見られるようになったのですから良い時代です.
板谷峠、今はご存知のように広軌化されて山形新幹線が走っています.









2005/08/24 PM 10:47:13 | [電気・ディーゼル機関車]

No.54 修学旅行電車

我々の年代だと中学校の関西修学旅行には、修学旅行電車155系「ひので」や「きぼう」を利用した人も多いと思います.153系とほぼ同じ車体ながら車内は新幹線と同じような3人+2人ボックスシートが特徴でした.新幹線よりは当然車体幅が狭いので、一人当たりの占有幅は相当狭くなってしまいます.中学生とは言え、私のように大きめ(太め?)の生徒には文字通り肩身が狭かったでしょうね.
臨時列車などで普通の大人が座る場合ならなおさらで、増備車の159系からは普通の2+2に変えられました.ほかにも台車がコイルバネだったり、前面のスカートが無かったりと153系よりもレベルダウンがされていたことには、まだまだ身分や格を重んじた時代背景が感じられます.

修学旅行色と言われた赤と黄のツートーン・カラーは、何処の風景の中でも際だっていて、山の緑に紛れてしまう湘南色とは対照的でした.
167系が消滅前にはこの色の復活の噂もありましたが結局実現はせず、今は交通博物館の167系前頭部実物大モデルでしか見ることはできません.

中学は東北、高校は新幹線で関西だったので残念ながら修学旅行電車は私には縁がありませんでした.撮影も何かのついでに撮った数回だけで終わってしまいました.
167系使用の急行や団臨などは良くあちこちで出会いましたが、カラーはこの時一回のみです.

1977年9月東北本線古河-栗橋

2005/08/23 PM 03:14:32 | [電車・気動車]

No.53 釧網本線北浜駅
続けての私の好きな駅は釧網本線の北浜駅です.駅の目の前はオホーツク海が広がっています.
オホーツク海や極端ではありますが大西洋など、容易には拝むことの出来ない海には憧れてしまいます.私が北海道に撮影に行くことになった時に、このオホーツク海を目指したのは言うまでもありません.
初めて北浜駅に降り立ったのは1969年3月末でした.時期からしても流氷に期待していたのですが、案に反してオホーツク海は水平線まで青い海原.それはそれで美しかったのですが、流氷とのご対面は1年待たねばなりませんでした.
この素晴らしい海岸の駅にはC58牽引の混合列車が発着するのですから、役者としては文句の付けようがありません.その辺の写真は当サイトの道東のC58冬薔薇に拙作がありますのでご覧下さい.





1993年9月、夕刻になりましたが久しぶりに北浜駅に降り立ちました.海岸には今の季節のみ解禁されているアキアジ(戻り鮭)釣りの竿がずらっと立てられていて壮観です.
駅舎は昔のままでしたが、現在は駅員さんの居ない無人駅化されています.代わりに駅舎内には喫茶店が店開きしていました.このお店は「軽食&喫茶停車場」で、今でも時々テレビなどで紹介されていますのでご存知の方も多いと思います.
この時に面白いと思ったのは、待合室の壁一面に貼られた全国からの旅行者の定期券です.かつて大流行した幸福駅の駅舎内にもこのようなものが貼られていましたが、なにがきっかけでこのような習慣が定着したのでしょうね.中には病院の診察券や会員証のようなものもありましたが、全国から若者が北浜駅に集まってきてることが判ります.



(画像クリックで拡大します)
その後何回か通過はしていますが下車はしていません.さて現在はどうなっているでしょうね.また機会があれば寄ってみたいと思います.

2005/08/22 PM 10:24:29 | [駅]

No.52 宗谷本線智東駅
私の好きな駅の1つ宗谷本線の智東駅です.この駅は撮影ガイドなどには載っていませんでしたが、1/5万地形図を眺めていて山間の良さそうな駅だな、と感じていました.しかし、なかなか現地に赴く機会は作れませんでした.
たまたま撮影に行く友人に智東駅の話しをして「寄れたら寄ってみて」とお願いしたところ、律儀にも写真を撮ってきてくれました.宗谷本線は何処でも絵になる、と言ってしまえばそれまでですが、想像していた以上に良い雰囲気で友人も「ぜひ、行くべし!」と太鼓判を押してくれたのです.

その後何回か訪れることができて、駅だけでなく周辺にも良い撮影地を発見しています.その辺はいずれまとめようと思っていますが、今日は違う季節の駅を2点ご覧下さい.

1970年2月、冬の智東駅にC5547牽引列車の到着です.
待っているのは郵便屋さんでしょうか?ウ〜ン・・・・.

(画像クリックで拡大します)

1972年5月、花咲く春の智東駅をD5114牽引の貨物列車が通過します.

(画像クリックで拡大します)

2005/08/21 PM 11:46:47 | [駅]

No.51 TXフリー切符
昨夜から再びブログサーバーがシステムダウン.本当に嫌になってしまいます.アクセス出来なかった方、ごめんなさい.昨日のアップも早めにしておいたのでまたまたすり抜けました.
ということで本日も早めに.

TXこと、つくばエクスプレスの開通まであと4日となりました.去年の秋から試運転やってますが、慎重すぎるほど慎重な準備期間も終了.いよいよ本番ですね.日立電鉄から転身された運転士さんは間にあったのでしょうか?頑張ってください.

今朝(8.20)の朝日新聞ちば首都圏版からです.

もう今朝から発売されているところもありますが、今日明日で発売のようです.今のところネットでは公表されていないようなので千葉県外の駅分については不明ですが、問い合わせてみては如何でしょう?
全線が500円で一日乗り放題とは!秋葉原-つくば間片道1.150円ですから超々お買い得です.各駅初降り体験など全部切符を買っていたら大変な額になってしまいます.

私も早々に乗ってみたいと思っていますが、29-31日は相当混みそうですね.




2005/08/20 AM 11:07:27 | [常磐線東北線のEF510/EF81・その他常磐線TXなどの話題]

No.50 1964年の大宮駅
昨日から今朝にかけてブログサーバーがシステムダウン.アクセス出来なかった人が多かったと思いますが、ご迷惑をおかけしました.昨日のアップは幸い日付が変わった直後にしておいたために(続きだったので)、助かりました.ということで無事No.50に一日も休まず到達です.

先日ネタ探しで古い写真箱を整理していると、1964年頃に撮ったハーフ判のカラースライドがバラバラと出てきました.当時はプリント代が高かったのでスライドで撮る人も結構いました.特に流行りだしたばかりのハーフカメラでは、2倍撮れるのでおトク感があったようです.でもネガと違って原板を直接いじるためにホコリや指紋、カビが付きやすく、マウントの糊の劣化も変色の原因になります.プロジェクターの熱も良くないですが、何よりも一枚ずつ扱うために、フィルム一本分がバラバラになってしまうのが最大の欠点ではなかったかと思います.
案の定ホコリ・カビ付き放題、変色褪色し放題、数本分がバラバラになった汚いマウント達が箱の中に裸でちらかっていました.
鉄道が写っているのは僅かでしたが、その中から大宮駅での3カットを何とか清掃、スキャン&レタッチを敢行しましたのでご覧下さい.スライドのマウントには「1964-10-29 大宮」と万年筆!でデータが記してありました.

↑最初の写真は京浜東北線のクハ79920です.京浜東北線のホームは43-10までは東北本線の列車と共通だった?と思います.分離された時期の記憶が曖昧で、違うかも知れませんが.
中央線や山手線の101系に較べて見劣りする京浜東北線でしたが、このオールスチール・カーは多少はマシでした.モハとクハを組み合わせて920番代だけで8連を組んでいた時期もありました.


京浜東北線のホームから浦和方を望んだ光景です.ちょうどEF56牽引の荷物列車が到着します.その手前の線にはD51が停車しているのが判りますが、2等客車が連結されているような?遠方の屋根は大宮機関区ですね.


こちらは東武野田線のホーム.記憶ではこの頃の野田線は17-18mの雑型電車が多く、右側に運転台がある車両が印象に残っています.東武の旧型車はよく形式が判りませんが右の茶色電車は何型でしょう?
左は7800形ですね.野田線にも20m車が走っていたとは撮った本人も意外でした.

浦和・大宮付近のネガポジはまだありそうです.スキャン&レタッチが大変そうですが、いずれまたご覧頂きます.

2005/08/19 PM 08:50:20 | [浦和/大宮付近]

No.49 留萠鉄道車両の行方(2)
留萠鉄道には客車も存在しました.いつまで使われていたのかは判りませんが、おそらく国鉄9600型牽引の貨物列車に連結されていたのではないかと考えられます.
廃止直前の1969年3月末に訪問したときに、途中の幌新駅の側線に雪に埋もれた2両の木造客車を発見しました.捜索資料を持ち合わせていないので素性等は全く判らないのが残念です.

ホハニ201の表記があります.


ホハフ2814?と読めます.


妻面とドア上部との間にはロココ調?の上品な金具が見られます.

この2両は営業休止直前に保存のために運び出された、との記事を雑誌で読んだ記憶があります.保存先は明治村だったような気がするのですが、現在の明治村には存在しないようです.どこへ行ってしまったのでしょうね.

昨日のDD202のその後.この客車達の素性とその後についてご存知の方が居られましたら、掲示板またはこちらのコメントでご教示頂けると有り難いです.

2005/08/18 AM 12:16:11 | Comment(3) | [私鉄・専用線・トラム]

No.48 留萠鉄道車両の行方(1)


留萠鉄道は留萠本線の恵比島駅から昭和まで17.6kmの私鉄で、終点の昭和にある明治礦業昭和炭砿から石炭を運び出すための運炭鉄道でした.昭和30年代までは国鉄の機関車が乗り入れて石炭列車を牽引していました.留萠鉄道というと昭和炭砿で入換作業に従事したクラウス15・17が有名ですが、沿線での列車写真は旅客用の気動車を含めてもまず見たことがありません.
当サイトの9600DEPOTには堀越和正さん撮影(川崎さんご提供)の昭和炭砿での国鉄49622の写真が収録されていますが、大変珍しいものです.

留萠鉄道は1969(昭和44)年4月26日に昭和炭砿閉山で運転休止、1971年4月15日に正式廃止になっています.気動車は8月5日No.36に出てきたキハ1103ほか4両が茨城交通に譲渡され、現在も2両が健在です.
ディーゼル機関車は2両あったはずなのですが、そのうちDD202を1969年3月に恵比島の車両基地で撮影しています.炭砿鉄道は山側の駅に機関区があるのが普通ですが、留萠鉄道は麓の恵比島にありました.(昭和にもクラウス用の庫がありましたが)
DD202は昭和38年製ですから運転休止当時はまだ6年ほど.おそらくよその鉄道か工場に引き取られたはずですが、消息を聞きません.DD13の一族だとは思いますが全体のスタイルや台車は独自のものです.キャブは当時登場したばかりのDD51にも似ていますね.正面排気管からユニコーンのように飛び出したタイフォン?がユニークです.

(画像クリックで拡大します)


2005/08/17 PM 09:22:17 | [私鉄・専用線・トラム]

No.47 CNR人民型
CNR中国国鉄の蒸気機関車でも旅客用の人民型(RM)は1980年代末にはほとんど消えてしまいましたので、あまり写真に撮られていません.黒竜江省の朗郷森林鉄道を最初に訪ねたとき(1984.10)哈爾浜-佳木斯を結ぶ国鉄哈佳線の旅客列車はすべて人民型の牽引でした.もちろん往復に乗車した列車も例に漏れません.
2C1のパシフィックですから人気も高かったかと思いきや、中国のカマは前進型、建設型、人民型と前から見るとほとんど同じで、人民型が来たからといって(私の場合は、ですが)特別嬉しくはありませんでした.旅客用パシフィックなら、もひとつ前のタイプの勝利6型の方が断然好みです.
この写真は朗郷付近を行く人民型牽引の普通列車です.最後尾はこんな満鉄型客車でデッキに自転車を載せています.





2度目の朗郷訪問時(1986.4)には哈佳線はDL化されてしまっていましたが、佳木斯機務段(機関区)ではまだ見ることが出来て、佳木斯より奥では多くの列車を牽引していました.
写真は鶴崗線の旅客列車ですが、撮影時は前進型だと思っていたようで全く印象がありません.数年前に他のサイトで鶴崗線には人民型が走っていたという記述を見て、あらためてポジにルーペを当ててみるとアララ!、人民型じゃあないですか.

(画像クリックで拡大します)

1988.9に大同国際蒸気機関車祭で人民型のトップナンバーRM1001号機(現在北京鉄道博物館に保存)と対面したのが最後(というかその後訪中していませんが)で、その頃に中国国鉄上からも姿を消したようです.
もう少し真面目に撮っておけば良かったかとも思いますが、今見てもそれほどのインパクトはありません.

2005/08/16 PM 09:48:00 | [中国の鉄道]

No.46 D51609とJR空港線
ブログのカスタマイズをしてみました.そろそろ黒っぽいのも飽きてきた、と言うわけでもありませんが、本編とは別のスタンスであることを明確にするために真っ白にしてみました.如何でしょうか?

今日は成田市栗山公園のD51609を見に行ってきました.京成成田空港線高架の下にありますが、動物よろしくケージに入っているような状態で、なおかつ逆光なので気が乗らず、上手く写真が撮れません.他のサイトで見た様子では今にもひっくり返りそうに傾いていたのですが、最近修復されたようです.この公園内の外周にはライブスティームのエンドレス(3線)が敷かれています.本格的な踏切などもあり距離も長いので、なかなか面白そうです.定期的に運転されてるのでしょうか?

実は今日は習志野市のD51324も撮影の予定だったのですが、調べてみると残念ながらすでに解体済みでした.これで千葉県内に残存するD51の保存機はすべて訪ねてしまったことになります.今度は近場の他県でまだD51 Boxにご投稿頂いていない保存機を回ることになるでしょう.
もちろん今後もお待ちしていますので、ご遠慮なくご投稿のほどよろしくお願いいたします.現役、保存を問わず、多くの方々の目で見た画像を展示したいと思っています.

さて成田まで来てこのまま帰るのはもったいないので、JRの成田線(空港線)を見て行くことにしました.今日はちゃんとしたカメラも持っていないのでロケハン程度のつもりです.この線は高架とトンネルが多いのですが、ところどころに農道のオーバークロスがあります.地図は持って行ったのですが、不覚にも老眼鏡を持っていくのを忘れてしまったため、感でポイント探しをせざるを得なくなりました.
なんとかオーバークロスを見つけて、横から登る急勾配の細道に強引にクルマを乗り入れ、4駆では無い非力の小型車をなんとか上まで持っていきました.
橋の部分には金網がありましたが、目が大きいので何とかなりそうです.
253系の成田エクスプレスは30分ヘッドですが、目の前の信号所で交換するので(単線です)2本続けて撮れます.E217系の快速は60分ヘッドなのでなかなか来ません.空港アクセス列車としては本数が少ないですよね.
何本か撮ると暗くなり始めて、シャッターも切れなくなったので早々に引き上げましたが、いずれキチンと撮りに行くかもしれません.上空を成田空港にランディングする航空機が頻繁に降下して行くので、組み合わせも期待できます.以前は183系や583系なども乗り入れて変化がありましたが、現在は253系とE217系onlyのようです.

本日の成果を何カットかどうぞご覧下さい.

(画像クリックで拡大します)


(画像クリックで拡大します)


(画像クリックで拡大します)




2005/08/15 PM 10:10:42 | [成田空港線]

No.45 浦和駅のこと

浦和関係が続きますが、近々浦和駅舎が改築されるようで、現在一部工事も始まっています.浦和駅はかつて特急の停車しない県庁所在地として有名でしたが、それもそのはず、43.10までの複々線時代には京浜東北線のホームが一面あるだけで、列車線には物理的に停まれない構造になっていました.しかし京浜東北線の線路にも一部の特急・急行・普通列車も走っていて、一日数本の80系→115系の近郊列車が停車していましたから、無理では無かったはずですが.この京浜東北線のホームからC57牽引の臨時列車に乗車したこともあります.
京浜東北線は72系中心のの8両編成、日中は付属の3両を外して5連の時もありました.東京寄りの先頭車に半室が区分された、もと2等車のクハ55、クハ16が連結されている編成も走っていました.(老幼優先車?)


この写真は1959年頃の浦和駅西口です.全景ではありませんが現在の浦和駅舎はこの時のままのはずです.本当は大分前から改築したかったようですが、43.10の3複線化の時に駅舎の真上に高架新線を作ってしまったために、改築の自由度が全くなくて困っていました.さすがにもう限界で、やはり50年以上前からそのままの東口と共に高架線まで含めて一体化されるようです.


これは西口駅前広場の様子です.正面上に見える照明灯は浦和駅で貨物扱い(入換え)があった証拠です.
駅前からは路線バスが各方面へ出ていました.東武バスはキャブオーバータイプのセミボンネット車ばかり.大宮・上尾方面行きでした.ここには写ってませんが西武バスの草加・所沢方面行きもありました.メインはKKK国際興業バスで市内各地への路線、志木朝霞方面、越谷方面などへの路線の他に、大宮-浦和-池袋という中距離路線も頻繁に走っていました.そうそう、徒歩で10分ほどの県庁前まで行くと桐生・足利-東京駅という東武の長距離路線に乗ることも出来ました.面白いのは西武バスと国際興業バスは今でも基本的な塗装は同じですね.
ゴミの収集車は牛が、屎尿収集車は馬が牽いていた、なんて言っても笑われるだけで誰も信じてくれませんね.お祭りの山車(だし)は牛でした.

起承転結のない想い出話ですみませんが、そんな子供時代からの浦和駅舎が無くなってしまうとは、つきなみですが寂しいものです.そういえば浦和市自体がすでに無いのでした.

小学校4年頃の浦和時代の写真をあねっくす"とりっぱー"にアップしています.よろしければご笑覧下さい.

2005/08/14 PM 11:27:02 | [浦和/大宮付近]

No.44 D51保存機巡り

今日は天気が良かったので午後からD51 Box用に近場のD51保存機を回ってみました.自宅は柏市ですが近隣には意外と多くのD51が保存されています.
流山市流山総合運動公園のD5114、柏市柏西口第一公園のD51453は昨年訪問して、すでにD51 Boxに収納済みです.他の機もいつでも行ける、と思いつつなかなか重い腰が持ち上がらなくて、今日になってしまいました.

まず訪れたのがクルマで15分!松戸市小金原団地内にあるユーカリ交通公園のD51405です.これは前面上端角が丸くなっている長工式デフと、同じく長工式の集煙装置を装備.中央線など長野局管内で走行していましたが1966年からは山口線にその活躍の場を転じています.
屋根がかけられているので状態は良好そうですが、塗色が褪せて緑色っぽくなっていますし、テンダのナンバープレートがありません.またそばにスノープラウが展示してあります.


次は約30分かけて鎌ヶ谷市の市制記念公園へD51385を見に行きました.入口が判りづらかったのですが、北総鉄道の高架横の森の中にそれはありました.こちらも屋根付きですが状態はまあまあ、というところでしょうか.特徴はシールドビームの前灯と振り替えられているテンダです.D51385は標準型のテンダがデフォルト仕様のはずですが、なぜか戦時形用の船底テンダが連結されています.この機番、D51 Boxには2点の現役時代の写真が提供されていますが、1962(昭和37)年の時点ですでに振り替えられていますので戦災などに遭ったのかもしれません.
最終配置は長門機関区ですから山陰本線西部が活躍場所だったようです.


船橋市薬円台公園の中にある、船橋市郷土資料館前にはD51125が良い状態で置かれています.ところが到着したのが夕方17時前だったので完全に逆光、太陽が入ってしまうのでどうにもこうにもシャッターが切れません.仕方がないので30分ほど時間を潰して太陽が林の向こうに落ちるのを待ちました.
この機関車も長野から長門機関区に転属しています.



本日撮影の3両は遠く山陰地方からはるばる千葉県にやってきて保存され、そしてすでに30年の時が過ぎています.彼らとは現役時代には接点がありませんでしたが、当時を彷彿とさせるようなカットを狙ってみました.現役機でも保存機でもカメラを向けると「しっかり撮ってよ!」という声が聞こえてきます.

ちゃんとした保存の様子はいずれD51 Boxへアップしますのでお楽しみに.
まだ数両、千葉県にはD51が保存されていますので、そちらにも近いうち訪問するつもりです.

大きい画像はD51/9600BBSの方へ貼っておきます.

2005/08/13 PM 11:13:37 | [保存車両]

N0.43 天津の街角(1)

1988年の5月の訪中時、時間が出来たので友人の李曉東夫妻と天津市を訪問しました.北京から列車で1時間半、軟臥車の快適な旅です.私のリクエストで古くからの中国の建物が多く残る一帯を案内して頂きました.横浜元町の中華街のような門を入ると、そこには百年以上の時を遡ったような、如何にも中国といった街並みが残されていて、多くの人々が買い物、食事、散策を楽しんでいました.
その中華街?から人の流れに乗って繁華街をブラブラと歩くだけで滞在時間は終了.5月の初めにしては良い陽気で人々の熱気も加わって暑い一日でした.天津市は中国有数の大都市ですから、僅かな時間ではすべてを見るどころかその雰囲気を感じることさえ出来たかどうか.
天津は「万国建築博物館」とも呼ばれるように、中国の建物の他に9カ国の租借地の名残りである洋風建築物が1000棟以上もあり、その他にも見どころは数多しです.いずれゆっくり再訪してみたいという夢を持っています.
当日の写真は徐々にご覧頂きます.第一回目の街角スナップの一部をどうぞ.
↑はアクセサリーの屋台にいたちょっと色っぽい店員さんです.

美容院のウインドには"少年隊"が.中国でも人気者だったようです.


"少年隊"の隣の窓.
中央には"少女隊"!? 聖子ちゃん桃子ちゃんは理解できますが.


露天に大きな氷を置き、その上にジュースを置いて冷やしています.
視覚的には素晴らしい演出です.

2005/08/12 PM 06:07:02 | [天津の街角]

No.42 日車蕨工場

No.31では私の鉄道趣味のルーツともいえる、南浦和駅について書きました.さらに京浜東北線で南浦和と蕨の間、浦和電車区の長〜い構内が終わるあたりから西側に展開する日本車輛蕨工場も興味深いものでした.京浜東北線と並行する東北本線(列車線)に沿う塀の向こう側の敷地には、大量の製作中の国鉄や私鉄の新車を見ることができ、試運転線の完成車の姿に興奮しました.
一番印象深いのは、新幹線の試作A編成を見たときです.ここで作られた1002号車に汽車会社製の1001号車を移送してきてA編成を組み、1962年4月25日にこの工場内で記念すべき新幹線車両の初運転を行った翌日ではなかったかと思います.初めて「夢の超特急」を見た私にとっての記念日にもなりました.
また月光形581系寝台電車を見たときは事前情報を知らず、なんじゃいこれは!と思ったものです.

工場内は敷地外からは全く見えず、京浜東北線の車内から走行中に見えるだけなので、写真に撮るのは至難のワザです.上の写真のように電柱がかかったり、他の列車に被られることもしばしばで、下の写真では1965年2月、新幹線の先頭車を捉えた瞬間に115系が!ギリギリセーフでしたね.

そういえば、工場から蕨駅まで新車を搬出する入換機関車は小さなタンク式の蒸気機関車でした.

日本車輛蕨工場は1971(昭和46)年に同社豊川工場に併合.跡地は日本住宅公団(当時、現UR都市機構)に譲渡され現在の川口芝園団地になっています.

2005/08/11 PM 08:08:54 | [浦和/大宮付近]

No.41 水戸のED75
ED75型は1963年12月に試作機(1・2)が製作されて、翌1964年10月から量産機が登場しました.その後300両以上が製造されて東北(一部九州、北海道)の交流電化区間で40年以上大活躍.現在も現役で貨物牽引を中心に稼働しているのはご存知の通りです.
しかし、ED75型最初の配置は関東地方だった、と言えば意外でしょうか.ED751〜ED7527は1963年から1965年初頭にかけて、茨城県の勝田(電車区)に配属されて、常磐線水戸-平(現いわき)間で使われています.

1965年3月、ふらっと水戸に行ったときに初めてED75に対面しました.雑誌でしか見たことのない新鋭機との出会いは妙に嬉しいものです.煤だらけのD51や入換用の86、あせたようなピンク色のEF80の中、ピカピカで真っ赤なED75はひときわ輝いて見えました.

ED75の牽引してきた上り貨物列車は水戸駅でD51型蒸気機関車に付け替えられて、水戸線・間々田経由で大宮操車場に向かうものが多かったようです.水戸線を1000トン牽引の長大な貨物列車が頻繁に走っていたとは今では考えられないことですが.

この写真のED7517・18はともに当年の1月に日立で製造されたばかりでしたが、その後1987年頃まで常磐線・東北本線で活躍しました.特に18は最終配置も水戸でした.

ED7518 水戸駅


ED7517 水戸機関区

2005/08/10 PM 02:20:43 | [電気・ディーゼル機関車]

No.40 60年の記憶(2)

画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます

2005/08/09 PM 01:43:27 | [雑記・雑感・ぼやき・ほざき]

No.39 ナベサダとジャズ♪
このブログ開設当初の予定では鉄道関連だけで無く、私が興味のある他のものに関しても順次取り上げてゆく予定でしたが、思いのほか鉄道の話題が続いてしまいました.このまま行くと目論見とは違って行きそうなので、今日は音楽の話しをさせてください.
音楽にはそれほど造詣が深くないですが、クラシックから浪曲まで、感覚だけで聞いてきました.中でも肌に合うと感じたのはジャズと言われる分野のものです.ジャズにはデキシーとかスイングとかモダンなど幅が広く、演奏方法や曲相も違い、それぞれに歴史があるので十把一絡げに語るにはかなり無理があるような気もしますが.

今でも現役で活躍するジャズサックス奏者のナベサダこと渡辺貞夫さんは、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらの流れをくむ アドリブを生かした小バンドによるモダンジャズの演奏で、ラテン系、ボサノバやアフリカ音楽などを取り入れた判りやすく親しみやすいものです.昔からインターナショナルで活躍し、多くのファンを持っていました.
主にアルトサックスを吹きますが、時にソプラノサックス(ソプラニーノ)やフルートを持ち、同じ曲の中でも吹き分けることもありました.

1970年頃、23時台の「ナベサダとジャズ」という15分のラジオ番組(ニッポン放送)を毎晩聞いていました.時々番組の最後に「スタジオ公開録音のお知らせ」という告知アナウンスが唐突に流れます.法則性は全くなかったので聞き逃せません.「整理券はニッポン放送受付でお渡ししています」という案内を聞くと翌朝は初発電車で有楽町行きです.朝6時頃だと受付(守衛)のオジサンは整理券を何枚でもくれます.遅くなると厳しくなり8時を過ぎると受付のお姉さんに代わり、一人一枚限定となり,9時頃には無くなってしまいます.
収録当日は2時間位前からスタジオ前に友人達と並び、最前列を確保です.ナベサダさんとの距離は僅か1メートル!の特等席で、マイクを通さないナマの演奏音や息づかいが耳に突き刺さります.
出演は渡辺貞夫カルテットとゲストが一組.約4時間で放送10回分以上を収録しますが、気に入らないと途中で止めて何回もやり直すことがあり、演奏はもちろんですが放送には載らないやりとりなど、とても楽しいものでした.途中からドラマーがボーカルもできる「つのだ☆ひろ」さんに代わり、トークも含めてますます面白くなったものです.

今は世界の子供達と音楽を通してのふれ合いや、名カメラマンとしてのお名前をお聞きしますが、スタジオでのナベサダ・サウンドを間近で再び味わいたいものです.

スタジオは撮影禁止でしたが、渋谷公会堂での公開録音の時は撮影をさせて頂きました.
口もとから出ている♪♪はマウスピース部分のブレですが、偶然にしては出来すぎです.

2005/08/08 PM 07:01:08 | [音楽・映画・テレビなどエンターティンメント]

No.38 SL奥州義経号運転
義経伝説紀行キャンペーン(JR東日本盛岡支社)の行事として、東北本線一ノ関-盛岡間でこの秋に「SL奥州義経号」が運転されると発表されました.この区間で復活蒸機が運転されるのは12年ぶり、とのことです.

この区間で思い出すのは平泉中尊寺月見坂の展望台です.今から40年前(ついに40年前という表現を使うような歳になってしまいました)1965年10月に中学の修学旅行で訪れたこの地で、北上川をバックに走る東北本線の列車を俯瞰撮影しています.この場所から見下ろせる一帯が、かつて藤原氏が栄華を誇った夢の跡だと聞いて、感慨もひとしおでした.
ちょうどこの月に盛岡電化されたばかりなのですが、一部の優等列車以外は貨物旅客ともほとんどが蒸機牽引のままでした.単線ですがD62型牽引の貨物列車が頻繁にやって来ます.


こちらはおそらくC61牽引の旅客列車です.


この時は金色堂が修理中で現地に無く、中尊寺まで行った価値も半減でしたが、展望台でのひとときと爽やかな秋の風が印象に残っています.

観光バスの駐車場は坂の下、線路際にあります.出発までの僅かな時間の間にもD62が何本もやって来た記憶があるのですが、なぜか写真がありません.
バスが出発間際にD51+D62重連の貨物が現れて、先生に無理言って撮らせて貰ったのがこのカットです.


想い出話しばかりでは何ですので、今秋の「SL奥州義経号」について
【運転日】  2005年10月8.9.10日の3日間(試運転 10月1.2.3.5.6日の5日間)
【区 間】  東北本線一ノ関-盛岡間(各日1往復)
【車 両】  D51498+旧型客車6両(全車指定、定員 512人)喫煙車6号車
【ダイヤ】 下り 一ノ関08:39 → 盛岡11:54 上り 盛岡13:32 → 一ノ関16:49
【停車駅】 平泉、水沢、金ヶ崎、北上、花巻
(以上交通新聞より)


上り列車の平泉付近では、晴天なら秋の夕陽を正面に受ける良い条件になりそうです.

2005/08/07 PM 03:41:12 | [復活蒸機の走る線]

No.37 60年の記憶(1)
     60年も経った.60年しか経ってない.絶対忘れない.




      
    (兵器は草で覆われ、平和の白いりぼんが世界を包みます/バナー作者comcomさん

2005/08/06 AM 05:42:05 | [雑記・雑感・ぼやき・ほざき]

No.36 キハ1103の因縁

茨城交通キハ1103は1984年の夏、国鉄上野から乗り入れたキハ58系5連(キハ28×4+キハ58×1)の臨時急行「あじがうら」の帰路、阿字ヶ浦-勝田間で最後尾に連結されて運転されました.車両運用の都合での処置ですが、非営業かつ無動でのぶら下がり運転でした.本来のヘッドマークはキハ58編成両側に付けられていましたが、キハ1103にも趣味団体作成の同じマークが取り付けられて最後部を飾っています.
写真上は那珂湊-中根間の国道バイパス立体からの後追いです.撮影は1984年8月.

ところでキハ1103は、茨城交通へ来る前は1969年に廃止された北海道の留萠鉄道(恵比島-昭和)で同じくキハ1103として走っていました.(終点の昭和にある昭和炭鉱では同鉄道所属のクラウス15号、17号が最後まで活躍していたことが知られています.) こちらでは逆に国鉄の気動車に連結されて、国鉄留萠本線恵比島-深川間に乗り入れてました.写真下(1969年3月深川駅)では登場したばかりのキハ24と手を繋いでいます.ただし総括制御はせず、キハ1103には留萠鉄道の運転士が乗務してタイフォン合図による協調運転でした.深川駅では入れ換えをして、乗り入れ車は必ず後部に連結するようになっていたようです.
私鉄の気動車でありながら、所属したどちらの鉄道でも国鉄の気動車と連結運転されたキハ1103.このような因縁を持つ車両も珍しいと思います.

本編"DC Gallery"33「臨時急行あじがうら」もご覧下さい.


2005/08/05 PM 10:44:33 | [電車・気動車]

No.35 ブログは簡単?
ブログはテキストも画像もアップが簡単!なんて言いますが、私の場合は結構大変です.このTOK2(トクツー)のブログはデフォルトの仕様だと画像は左上に1枚表示されます.テキストはその右側に表示されるのですが、フレーム左右いっぱいになるような大きな画像を入れた場合にwindowsだと右側に1文字分だけテキストが残ってしまいます.macではきれいに改行されて画像の下側から始まるんですが.
仕方ないので上側に画像を入れる場合は幅を300ピクセル以下にして、右側にテキストが回っても見栄えが悪くならないようにしています.また添付は1枚しかできないので、左上に複数の画像を入れる場合にはあらかじめ合体させておきます.
大きい画像や下に画像を入れたい場合は
<img src="http://tadayusaku.3.pro.toku2.com/△△/○○○.jpg" border="0">
というタグを書いて別にサーバーに送った画像を呼び出しています.
どうもよそさんのブログのように気軽に携帯からアップはできないようです.どころかテキストだけは見られるはずの閲覧も上手くできません.今さら何を言っても仕方ありませんが、新しくブログを始められる方は、その機能を各社のものを比較して、ご自分がご納得されたものを採用された方が良いと思います.

↓はスペインの山岳線を行くRENFE(スペイン国鉄)の言わば旧国です.山中に吊り掛けモーターの音を響かせ登って行きました.撮影は1976.9.
今日はもっと複雑なタグを書いて拡大画像へリンクしました.画像をクリックしてみてください.

2005/08/04 PM 08:21:09 | [ウェブサイト・ブログ・写真]

No.34 シトロエン2CVの車運車
オーストリアの片田舎、未電化のローカル線のある駅ですれ違ったセンターキャブのDLに牽かれた貨物列車には、こんな貨車が連結されていました.片田舎とはいってもここはチェコスロバキア(当時) 国境に近く、この路線もそのまま国境を越えてしまうので、これは正に国際貨物列車で輸出中の姿なのかもしれません.
この車運車は2車体が3軸の車輪の上に乗っている連接構造で、この1ユニットにフランス製のシトロエン2CVのセダンやトラックが17両も積まれていました.実はこの時の旅は鉄道の取材だけでは無く、シトロエン2CVの小写真集を作るための取材も兼ねていましたので、この出会いは非常に嬉しいものでした.
ありきたりのセダンを積んだものであれば大した興味も湧きませんが、ユニークなキャラを持つ2CVの新車が、それもカラフルな色違いでズラッと積まれている様は、まるでオモチャの世界に入り込んだような気分になったものです.
撮影は1976.9

2005/08/03 PM 08:14:57 | [客車・貨車]

No.33 4月25日福知山線5418M
今日は掲示板の方にも書きましたが、あるホームページをご紹介させてください.前々からお名前は存じ上げてきた吉田恭一さんのサイトで、廃線跡探訪レポートではよく知られています.その記事は「地形図で辿る廃線跡」(心交社刊)として出版されています.

その吉田さんが2005年4月25日福知山線5418Mの先頭車に乗車されていたのです.さいわいにも一命は取りとめられ、現在ご療養中ですが、ご入院中に書き留められた手記から事故の状況、救出までの様子をまだ前半部分だけですが、サイトで公開されています.
ご自身の体験、というにはあまりにも生々しい手記を拝読し、出す声もありません.新聞やテレビなどからは絶対に伝えられることのない真実を、ぜひ皆さんにもお読み頂きたく、ここにご紹介させて頂きます.

吉田恭一さん、一日も早いご快復をお待ち申しあげます.
そして事故で犠牲になられた方々のご冥福をあらためてお祈りいたします.

吉田恭一さんのホームページ「The Ruins of Rail」

http://www.kysd.net/index.html

(本日の画像はありません)

2005/08/02 AM 09:40:49 | [サイト紹介]

No.32 あれから34年
おかげさまで今日からこのブログも2ヶ月目に突入です.幸い7月中は泊まりでの仕事や、朝帰りすることも無く、品行方正な日々でしたので何とか続けられました.それでも危なそうな日は前もって夜中、12時を過ぎてからアップしたことも何度かあったのですが・・・・.
願わくはもう少し多くの人に読んで頂ければと思いますが、こればっかりは自分で街頭販売をするわけにもゆかず、歯がゆい思いです.ブログの女王と呼ばれる某タレントさんのサイトには毎週百万!近いアクセスがあるんだそうで、まったくブログの性格や知名度は違う異次元での話しとはいえ、羨ましいことです.

昨晩はNHKアーカイブスで函館本線のC62重連をやっていました.本放送の1971年当時に見たかどうかは覚えていませんが、C62解体シーンは記憶があります.C62重連のドキュメントとしては無駄なナレーションも少なく、一般の乗客やファン、車販のお姉さんへのインタビューも世相を反映していて面白かったですね.走行シーンはあちらこちらのポイントが、かなりシャッフルされていたようですが、C62重連の迫力がよく出ていたと思います. 流行りの大画面モニタと音響システムで味わえば、さらに素晴らしい迫力が感じらるんでしょうね.
見ていて思わずジーンとくるものがあります.ほんの数年間ですが、青春の大きな時間をC62重連に懸けていた自分が画面の中で一緒に走っていました.実際に何十回も線路端に立ち、あの空気と地面(そして自分自身)の震え、鉄と煤の臭いを体感した自分がです.
厳寒の吹雪の中、暑い草いきれの中での数々のシーン、撮影したカット、そして当時のいろいろな出来事が脳裏のモニタ上に像を結びかけては消えて行きます.

あれから34年も経っているんですね.そうでなくてもこの時期はいろいろと過去を思い起こさせ、考えさせるアニバーサリーが多いというのに、複雑な気分にさせられました.

今日も朝から暑い一日です.鳥の声や蝉時雨が窓の外のけだるい空間を埋めています.

↓は1970(昭和45)年8月、目名-上目名

2005/08/01 AM 09:37:28 | [現役蒸機の時代]










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