【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.818 竹のトンネル
12.22追加
今日も朝から病院に行きましたが紹介された別の病院です.年明け5日に体外衝撃波結石破砕(ESWL)を受けることになりました.憂鬱な年越しになりそうです.




12.19追加
出張り先で多くの方から私の体に付いて心配して頂き、お見舞いお気遣いのお言葉を頂くのですが、その度に自分の状態や苦痛の度を説明せねばならず、また皆さんご自身やお知り合いの方の同種の病気体験を長々と聞かされるのが大変苦痛です.病人はそっとしておいてください.ほんと.明日は我が身だぞ!



12.17追加
ここ数日間絶不調です.本日も病院行きでした.
なかなかブログ更新やレスができませんが、ご了承ください.年末行事はすべてウヤですね〜.



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西武山口線で一番のお気に入りのポイントはこの竹のトンネルでした.見事な竹林の中をナローの線路が突っ切っていて、乗車していてもなかなか趣がある車窓になります.


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ただし、この場所で好きなアングルで撮れるのは先着の1名、もしくは仲間同士数人の場合のみです.誰か1人でも↑↓のポジションを取っていると、正面からでは必ず構図に入ってしまいます.
まあ、初年度はそんな心配をせずとも撮影者はあまりいませんでしたので、大体自由に撮れました.
というか、週の半分くらいは行っていたので先着者あり、の場合は即パスです.


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2年目以降は撮影者が増えて競争率が高くなった?かというと、前回書いたように機関車が後ろ向きになってしまったので、このポイントの魅力も大分薄れたものと思います.竹林の反対側から撮影できたかどうかは記憶にありません.


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2008/12/11 PM 11:43:47 | [西武山口線のコッペル]

No.817 なんだったんだ「さよなら謙信」

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いよいよ1972(昭和47)年11月30日.初年度運転の最終日になりました.朝山口検車区へ行くとなんと国旗と「さようなら謙信」のヘッドマーク付きです.まだ翌年の運転は正式に決定していませんでしたし、井笠鉄道のコッペルが代わりに来るという噂などもあったので、取り敢えずの「さよなら」ということのようです.


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しかしこの装飾も2往復した後になぜか外されてしまい、以降の運転は未装飾、いつものスタイルで運転されました.あの「さよなら謙信」号は一体なんだったんでしょうか?

翌1973年も春からコッペル2号機は運転されました.プラス噂通り井笠鉄道のコッペル1号機とシングルルーフの木造客車4両も増備です.初年度よりも盛大な運転になり、観光客やファンからの注目度も高くなりました.
↓は中峰信号所で交換するコッペル2号機「謙信」+Wルーフ4両(左)と、コッペル1号機「信玄」+シングルルーフ客車4両(右)のオールスターが一堂に会したシーンです.この10両が収まったカットはあまり見たことがありません.


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翌1973年からの運転で大きな変化といえば、何と今まで遊園地前駅側を向いていたコッペル2号機が踵きびすを返してユネスコ村駅側を向いてしまったということです.これは営業上の問題(遊園地前駅を出る時に前を向いている方が絵になる?)という説もあるし、実は冬の間整備していた所沢工場でコッペル2号機をトラックに積み込むときに向きを間違えた.という話しもまことしやかに伝えられています.真相は如何に?
以降は全ての機関車がずっとユネスコ村駅を向いていました.ということは私が一生懸命に撮影した1972年の写真はこの年限定となってしまった訳です.どちらが良いかは一概には言えないんですが・・・・.この年は6月-11月と運転期間も短いし、途中参加の井笠鉄道の木造客車を牽いていた期間は僅か2ヶ月少々.撮影していたファンの数もかなり少なかったので、貴重な記録になったことは確かでしょう.

しかし私は翌年から社会人となったことや、数年後に千葉県に引っ越したこともあって西武山口線から足が遠退いてしまいました.その後台湾コッペルの入線や線路改良なども行われ、大SLブームの中での国鉄の蒸機廃止の余韻もあって多くのファンを集めたのはご存知の通りです.そして1984年には新交通システム化ということで.路線ごと廃止になって消えて行きました.


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2008/12/10 AM 12:39:29 | [西武山口線のコッペル]

No.815 コッペル2号機のライトが点いた

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西武山口線で1972(昭和47)年、奇跡的に復活したもと頸城鉄道コッペル2号機ですが、その年の最終運転日の前日ですから11月29日の話になります.
もう最終便の返しは薄暮の中を走ります.薄暗い中で撮影するだけでは面白くないので、ユネスコ村駅で出発待ちをしているすっかり顔なじみになった機関士さん達にダメもとでお願いしてみました. 「あのー、ヘッドライトは点きませんか?」と聞くと「あれは飾りだから多分点かないよ」とのお返事.
やはりダミーなのか〜とあきらめて出発だけでも撮ろうとして待っていると、なにやら機関士さん達が前面のライトの処で何かやっています.その直後「点いた点いた!」と叫んで我々に向かって手を挙げて下さいました.明るくはないですが、ボーッと確かに点いています.機関車とライトはコードも接続されていませんでしたが、バッテリーが内蔵されているようです.「ありがとうございます!」

その後はいつものようにクルマで大追跡!わずか3.6kmの山口線ですが、我が庭のように沿線を熟知していましたので、ご覧のように何ヶ所かで撮影できました.


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遊園地前駅に到着する頃にはもう完全に日が暮れていました.到着シーンには残念ながら間に合いませんでしたので、すぐ推進運転で入庫してくる山口検車区へおじゃまして、夜景を撮影させて頂きました.
ヘッドライトはすぐには消されず、いつもとはひと味違うコッペルを堪能させて頂きました.
機関士さん達にお礼を言ったのはもちろんのことです.


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翌年以降のことは判りませんが、2号機がヘッドライトを点灯させて走行したのはこの時1回限りだったと思っています.

コッペル2号機の話題は続きます.

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2008/12/07 PM 01:03:41 | [西武山口線のコッペル]

No.13 コッペルと写った石灯籠


上の写真は、昨年11月にアップした西武山口線Galleryで使用した写真(一部トリミング)なので、見覚えがあるかと思います.キャプションには写っている石灯籠について、「1975年に開山の狭山不動寺建設の資材では?」などと書いたのですが、その後の新聞の報道で、実はそうでは無かったことが判明しました.

(2005年)3月26日付け朝日新聞夕刊の「増上寺石灯籠を探せ」の記事を読んでピンと来ました.あれがそうだったんだ〜.と.
東京、芝の増上寺、徳川家霊廟に建てられていた石灯籠だったということです.以前の増上寺は広大な境内を持ち,徳川家の菩提寺として霊廟には2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂と6人の将軍の墓所があり、他にも正室や側室のものなど数多くの墓があったと云います.
ところが明治時代の大火、太平洋戦争での大空襲などで増上寺はそのほとんどすべてが焼失してしまいました.
現在のような立派な増上寺に完全復興したのは1975年のことになります.
復興の際、資金捻出のために旧霊廟跡付近の敷地は払い下げられて、東京プリンスホテルが建設されました.千数百基もあったといわれる石灯籠は運び出され、所沢市の山口線沿線の例の場所に野積み状態で放置されていた、ということになります.
これらの石灯籠は江戸時代に300諸藩から寄進され、霊廟への参道や周囲に建てられていたという由緒あるもので、それぞれ高さ2m以上の巨大なものです.それらが立ち並ぶ様は時代劇のワンシーンを思わせますね.
その後1970年代後半に西武球場(現在の西武ドーム)建設にあたってその土地を利用することになり、多数の石灯籠は周辺および関東各地、さらに新潟や秋田の寺院にも配布されたとのことで、それらの分布を今研究者の手で調査中である、という記事でした.

コッペルと写った石灯籠達、撮影時のことは良く覚えていませんが、やはり面白い被写体と思って組み合わせたのだと思います.文化財にでもなろうか、というような由緒あるものが道端に野ざらしで放置されていた、なんていうことも信じられませんね.
そんな写真が30年以上経って陽の目を見た直後に新聞紙上で話題になるとは.本当に奇遇ですが、もしその順序が逆だったら果たしてその記事に目を留めたでしょうか.

上の写真では何基も写っていませんが、下の写真は同じ場所を遠景で撮ったものです.右のクレーンの上あたりにゾロゾロ居るのが判りますでしょうか?



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2005/07/13 PM 05:55:39 | [西武山口線のコッペル]

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