【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.1193 東京駅
5月13日


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約1ヶ月ぶりの更新になってしまいました.GWの前から全くカメラにも触ることもなしに過ごしてきましたが,13日は午後からの所用のため久しぶりに東京方面へ出てきて,開業間近のスカイツリーなどを撮影していました.大変良い天気でした.
丸ビルのテラスから見た東京駅の復元駅舎です.その全貌が見渡せます.

撮影は(2012.5.13)



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2012/05/13 PM 05:55:39 | [駅]

No.835 下関駅20分(「あさかぜ」を懐かしむ)

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本編のリサイクルネタで恐縮ですけれど、九州ブルトレ廃止にちなんで、1970(昭和45)年8月18日の夕方僅かな時間の下関駅でのスナップ群をご覧ください.
この日は原田駅からC5553号機牽引の筑豊本線1734列車に全区間乗車を楽しみ、その後東京の自宅経由で撮影場所を一気に北海道に移すため、夕刻に下関駅にやって来ました.


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↑ 6-8番線に並んだ3本の列車.左から17時58分発456M広島行80系.18時8分発1277M南福岡行421系.そして急行「やしろ」1418M広島行は113系の急行!?


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↑ そんなわけ無いですね.167系でした.17時55分発.修学旅行色ですが、モノクロで見るとドッキリします.



↑ 後部は普通の165系でした.ピンぼけなので拡大の絵は無しです.


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↑ まだ非冷房の南福岡行421(423?)系をじっくりと撮影しました.正面貫通扉の隙間をガムテープで塞いでいます.当時の421系は先頭車間の幌を使用してませんでした.


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↑ 18時19分発小郡行1264Mも到着しました.


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↑ お馴染みの9番線脇の側線をEF65538(EF6578改)が単機で運転所からやって来ます.


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↑ 18時11分、EF3018に牽かれて関門トンネルをくぐり抜け、本土に上陸した「あさかぜ2号」10レ.


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↑ すぐさま前パンが降下されて、EF3018は逃げます.


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↑ EF30が通過するとすぐポイントが変わります.


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↑ バトンタッチの挨拶もそこそこに、EF65が動き出す.


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↑ 20系客車に連結.私以外誰もカメラを向けていません.


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↑ 出発準備完了.さきほどの18時19分発小郡行1264Mが後発です.


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↑ 18時15分、「あさかぜ2号」はるか東京へ向かって出発!わずか4分間の交換劇は終了しました.


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↑ 終着東京駅には翌9時30分到着です.


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↑ この忙しい時に後方から旧型電車の重々しい音がします.18時17分、小郡発宇部線経由の1953Mクハ55(クロハ改?)+クモハ41ほかの到着でした.

この下関駅でのシーンは17時55分の「やしろ」の発車直前から、18時15分の「あさかぜ2号」の発車、そして18時17分の宇部線の旧国到着までわずか20数分間、場所も9番線ホームの広島寄りとほぼ同じポイントからのお気軽スナップですが、今見れば内容的にはかなり濃くて盛りだくさんでした.

私はこの後すぐにやって来た8208レ臨時急行(8月10-18日運転)「つくし52号」18時39分発新大阪行きのハザに乗車、翌朝新大阪5時40分発(6時前に出発する新幹線があった!)臨時「ひかり332号」で8時50分に東京駅に到着してます.なんと下関で見送った「あさかぜ2号」より40分も早く着いてしまいました.
さらに一旦帰宅して仮眠後、夜には12系客車の「八甲田51号」の客となり翌日には北海道に居た、という凄まじいスケジュール.若さゆえの無謀というか、今ではとてもこんな行程は不可能ですね.

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2009/02/10 AM 12:39:29 | [駅]

No.453 ああ上野駅

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上野駅広小路口と不忍口の間のガード下に「ああ上野駅」歌碑が建てられたのは3年前、2003年7月のことだそうですが、先日初めてゆっくり眺めてきました.当初からいろいろ言われてきたので、あらためて蒸し返すのもどうか、と思われそうですがちょっと一言二言.
デザイン的なレリーフだと言われればそれまでですが、少年少女達と較べるとこのC6223はおっき過ぎ!中国前進型もマッツァオの巨大でかさです.
歌碑が建てられた頃に18番ホームが廃止された、ということで18番線にこだわったものと思いますが、このホームは高架の常磐線ホームが増設される1970年頃までは16番線だったはずです.本来の18番線は20番線になり、東北新幹線工事の時に廃止されています.
まあ18番線が集団就職列車の専用ホームであったわけではないので、地平ホームならどの番線でもとやかくいうこともないのですが.
さらに地平ホームへのC62の乗り入れは1958(昭和33)年4月の東北本線宇都宮電化までのことです.集団就職列車が運転開始されたのは1954年だそうですから、これは問題ないですね.C6223に拘ってみると1956年に尾久機関区から水戸機関区に転属しています.水戸機関区のカマが東北本線の運用に付く可能性はどうだったのでしょう?まあこれも1954-1956年の2年限定ならば○になりますね.特にモチーフになったもと写真はおそらく1954年の一番列車のようですから大丈夫ですね.
このもと写真もレリーフの下に展示されていますが、(バックに機関車の写っていない)もとネタ写真を同じ場所に置く必要はあるのでしょうか.


ちなみに1962年10月の高萩電化までは常磐線のC62も上野駅へ来ていましたが、常磐線からは1968年まで地平ホームへ入れない線形になっていました.

何が問題か?と問われればそれほどのことではないのですが、C6223のヘッドライトの横にある副灯です.これは1965(昭和40)年頃に取り付けられたもので、上野駅乗り入れ当時には無かったことは確実です.平機関区時代の特徴である煙突の横でクルクルっとなっている線、これは回転式火の粉止めを撤去した跡に残ったオイルポンプからのパイピングなんですが、これも忠実に描写してあることから平区時代の写真を参考にしたことが判ります.

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なんだ、それだけか?はい、それだけです.でも時代考証は正確にしておかないと後年の研究者が迷うかもしれません.(そんなことは無いかな)
最初はD51で予定していたところ、貨物用のD51は上野駅に乗り入れの実績が無いので急遽C62に差し替えられた、とのエピソードがあるそうです.実績の有無は別としてこれは正解だったでしょうね.

この一文にご不快を感じる方が居られるかもしれません、ファンから見た印象を素直に書いただけで、この歌碑の作者の方や歌碑の存在価値、歌自体に対してどうか?と言っているのでは無いことをご理解下さい.この日も老若男女の多くの方がこの歌碑にカメラを向けたり、記念写真を撮っておられました.

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2006/12/22 PM 03:29:04 | [駅]

No.301 ホームはマンション1F

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総武流山電鉄幸谷こうや駅はJR常磐線と接続する馬橋の次の駅ですが、常磐線と武蔵野線がクロスする新松戸駅の真ん前にあります.この付近は中規模のビルやマンションが幾つも建ち、JRの貨物連絡線高架などもある中を総武流山電鉄の単線の線路が横切っています.あたかも典型的な模型のレイアウトを見るようです.


幸谷駅の特徴はマンションの1階にホームがあるということです.ここに住んでいればエレベーターで降りるだけで雨に濡れずに電車に乗ることができます.が〜.はたして流山線(みなそう呼んでます)利用 の住人はどれほど居るのか知りたいものです.JR新松戸駅まで徒歩2分なんですからね.


このホームに2-3両編成のもと西武のカラフルでオモチャのような電車が発着します.
5月17日から日中の2両編成の電車はワンマン運転になりましたが、前面窓への表示はしないんだそうです.

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撮影は2006年5月31日

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2006/06/02 PM 09:38:42 | [駅]

No.300 柴又駅の寅さん
おかげさまで、このblogもNo.300を数えました.いやー、200番台は長かった〜!



こち亀両さんのモニュメントを見ていたら、ご近所の寅さんにも会いたくなりました.亀有から金町へ一駅、京成金町から柴又へこれも一駅.結構運賃も嵩んでいきます.
柴又駅には鉢植えのツツジ、いやサツキかも.が置かれていました.先日の都電以来、花を見ると電車と絡めたくなります.日中は20分間隔の金町線、ホームに人が立たないよう祈りつつ待つのも辛抱です.


柴又駅前フーテンの寅さん、というよりも渥美清さんのモニュメントです.ここは電車が改札の向こうに見えるので、またまた20分待ちました.幸い人に被られずにすみましたし、たまたま良いモデルさんも入ってくれました.今まさに柴又駅から旅立とうとしている寅さんのようです.

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反対側の踏切の方でも何とか電車が見えることを発見.シャッター・チャンスは一瞬なので緊張しました.その割に写真は大したこと無かったですが、モニュメント全身を入れることが出来ました.

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実は寅さんの映画ってほとんど見たことないんですよね.寅さんが全国を旅して歩く話しですから鉄道も良く出てくるとは言いますが.そういえば北海道函館本線小沢駅前の旅館でもロケをしたことがあるそうです.
撮影は2006年5月31日

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2006/06/01 PM 10:57:41 | [駅]

No.299 亀有駅の両津勘吉


こち亀こと、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は1976年以来、週刊少年ジャンプに連載された秋本治さん作の人気漫画シリーズなのはご存知の通りです. コミックスはすでに150巻に達し、床屋さんの待ち時間にご覧になった方も多いと思います.テレビアニメはすでに終了しましたが、時折特番で見ることができますし、映画や舞台化もされています.
上野・浅草から台東区、葛飾区を舞台に荒唐無稽、ハチャメチャに展開、常磐線や京成線や都電、トロリーバスなど懐かしく興味深い話題がじゃんじゃん出てきます.
主人公の両さんこと両津勘吉のモニュメントが常磐線亀有駅北口に今年2月にできました.両津勘吉も亀有公園前派出所も実在はしないのですが、両さん会いたさにやって来る人が多いために作られたそうです.漫画のキャラそのままに「ヤアー!」と手を上げています.
少しの時間ですが観察していると、いろいろ面白い人間模様が見られました.
撮影は2006年5月31日


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2006/05/31 PM 07:14:28 | [駅]

No.266 ロマネスク風国立駅舎

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中央線国立駅は私が1963年から1969年まで、中学高校の6年間利用してきた大変懐かしく親しみ深い駅です.
1926(大正15)年、堤康次郎による学園都市としての街作りの象徴として建てられた、ロマネスク風の赤い三角屋根の小さな駅舎が今解体の危機にあります.この駅舎は国立市のシンボルとして市民からも、利用している一橋大学をはじめとする学生さんからも愛され続けていました.しかし中央本線の連続立体化工事により、現駅舎の用地が資材置き場として絶対必要で、JR東日本としては解体する予定でした.しかし市や東京都が駅舎の存続を求め、一時的に駅前ロータリー中心まで曳き屋で移動させ、工事完成後に現在地に戻す計画を立てたのですが、その費用捻出を市議会で否決されてしまったのです.現在市民団体などがJRとかけあうなどしていますが、状況は大変厳しそうです.なによりも連立化工事の日程に影響することは許されず、そのタイムリミットはすでに今夏に迫っているような状況です.
もちろん心情的には私も反対ですが、例に出して申し訳ないですが鹿島鉄道の廃止問題と同じく、外野がロマンと口だけでとやかくは言えません.実際に誰かが資金を出さない限り解決はしません.国立は例のマンションの高さの問題でももめていましたが、景観を大事にしている街です.80年の歴史のある駅舎を護りたい気持ちは当然でしょう.周辺の立川や国分寺の駅や街が大変貌を遂げてしまいましたが、国立の街は予備校ができたくらいで私が通学していた40年前とさほど変わっていないように見えます.駅前にはペデストリアンデッキも大型ショッピングセンターもありません.こんな街はいつまでもそのまま残って欲しいですね.
写真は本日撮影してきました.


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時々現れるコミュニティ・バス「くにっこ」


後日追加です.残念ながら解体されてしまいました.しかし高架完成後に復元する、と一応約束?されています.

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2006/04/22 PM 03:29:04 | [駅]

No.209 北の果て稚内

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1970年12月1日、C5550牽引の急行「利尻」で訪れた、寒い寒い稚内駅です.原寸サイズでは判らないかも知れませんが、クリックして拡大すると読める「函館から685キロ」の表示は本当に遠くへ来たんだな、とあらためて実感させてくれました.
稚内とほぼ同じ北緯45°のイタリア、トリノで冬期オリンピックが間もなく開会します.起きてられるかな?

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2006/02/10 AM 12:39:29 | [駅]

No.189 日高本線絵笛駅
今日は朝の「題名の無い音楽会」でキャサリン・ジェンキンスの可憐で迫力のある歌声を聴くことができてご機嫌です.




北海道日高本線の絵笛駅は私が日本中で一番好きな駅です.初めて訪れたのは1969年3月になります.日高本線に乗車してC11牽引の貨物列車撮影のため、全線ロケハンをしていましたが牧場の中にある小駅の素晴らしい情景に感激して、帰途に途中下車してみました.

それから数年間の間に何度この駅のホームに降りたでしょうか. 絵笛というロマンチックな字面と発音からなる地名の素晴らしさ.精悍なサラブレッドなどの競走馬たちの美しさと可愛らしさ、牧場で働く純情で優しい 人達.そして何よりもその素敵な絵笛の中を走る2本のレールとC11とディーゼル・カー.その姿に惚れ抜いて通い詰めることになりました.
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当時はたかがC11の走る日高本線は素晴らしい沿線風景を持つにもかかわらず、北海道を訪れる多くの蒸気機関車撮影のファンには見向きもされず、絵笛駅利用する人は地元の人以外は皆無に近かったと思います.雑誌などで写真を見ることもほとんどありませんでした.

日高本線は襟裳岬に向かう国道236号浦河国道と併行していますが絵笛駅は山中にあります.太平洋沿いに走る国道とは一山隔てていますので、通過するトラックや乗用車とは無縁で驚くほど静かで長閑です.地図検索システムで見て判るかと思いますが、駅の両側で線路は20‰の小さな峠を越えるのでC11牽引の貨物列車は上下とも力行する、という撮影には持ってこいの場所でした.
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このような素晴らしい絵笛を一人占めするのも勿体ないと思い、北海道の他の撮影地で会う人ごとに語り、鉄道雑誌にも撮影地ガイドを何回か書かせて頂いたので、C11が無くなる1974 年前には少しはファンが訪れるようになったようです.

その後は再び静かな絵笛駅に戻り、私も行かなくなり30年近くの時が過ぎましたが、5年ほど前テレビドラマ「天国への階段」「ホーム&アウェイ」の舞台になり、一躍全国区になってしまい驚きました. 地元の誘致もあるのでしょうが、日高線沿線はドラマロケ地として知られるようになったところが何ヶ所かあります.

2年前に渡道したときに久しぶりに日高線列車に乗車、絵笛駅で降りる予定でしたが折からの強風、大雨で牧場には馬が出て居らず、この中で数時間過ごすのは無理と判断して様似まで往復しただけに終わりました.車窓から見た絵笛は多少住宅が増えたような気がしますが、30数年前とさほど変化は無いように思えました.
また機会があれば天気の良い日に再訪するつもりです.
写真は1970-72の撮影です.

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2006/01/15 PM 05:48:13 | [駅]

No.174 張碓・智東駅が廃止
JR北海道から2006年3月18日のダイヤ改訂が発表されました.特急列車の増発や札幌周辺の快速などが増便されるようで大きく取り上げられています.
それに較べれば小さく以下の7駅の営業廃止が告知されています.どの駅も名称としてはお馴染みですが、最近は休止状態であったり冬期休業の駅や、一日2-3本の列車しか停車しない駅ばかりです.

張碓駅(函館本線停車列車なし)、中徳富なかとっぷ駅(札沼線3往復停車/日)、智東駅(宗谷本線2往復停車/日、冬期休業)、南下沼駅(宗谷本線2往復停車/日)、新栄野駅(石北本線上り3本、下り1本停車/日)、東幌糠駅(留萌本線2往復停車/日)、旭浜駅(室蘭本線上り5本、下り4本停車/日)


張碓駅は本編で、智東駅はこのブログの[好きな駅]で取り上げている私にとって懐かしい駅なので感慨深いものがあります.廃止の噂があった宗谷本線の塩狩駅は今回見送られたようです.
利用者がいないから廃止なんでしょうが、本数が少ないので利用できないという面などを述べてもその議論はとうの昔に終わっているんでしょうね.
カナダなどの小駅のようなフラッグストップやバスのように申告制、予約制などの形で停留所を設ければ、などと素人は考えてしまいますが・・・.
JR北海道ではバスをそのままレールの上を走らせるシステムを開発中ですが、逆にあんな苦労して線路上を走らせなくても、そのまま道路を走らせた方がコスト的にも安価で利便性も良いのではないか、とも考えてしまいます.

今回の改定ではさらに残念なこともあります.
夜行特急の「利尻」札幌-旭川間と 「オホーツク9・10号」札幌-網走間が季節運転になってしまうことです.
「利尻」は夏期の離島・花観光シーズン、「オホーツク9・10号」は 冬期の流氷観光シーズンのみの運転ということで季節列車とは言ってもかなり限定されたものになるようです.
この列車達は急行時代にはさんざんお世話になっています.均一周遊券利用の旅では大事な足として、宿として.撮影対象としてもC55牽引であったり、D51牽引の最後の急行列車、北見以東の普通区間、いわゆる「大雪くずれ」の長い編成を牽くC58の勇姿を多くのファンがカメラに記録したことでしょう.
現在でも「北海道フリーきっぷ」などで利用できますが、廃止になると有効期間の短い同切符の利用者には辛いものがありますね.

通常は4連(ハネ1両)の「利尻」も夏期は7連に増結.2001年8月 稚内駅


「オホーツク10号」1996年10月 網走駅

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2005/12/29 AM 11:09:55 | [駅]

No.159 寒い朝

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♪北風吹き抜く〜、寒い朝も〜.なんて唄が大昔に流行りました.1970年3月中頃、札幌駅の早朝は雪晴れとなりましたが、ダイヤモンドダストが舞うような、もんの凄〜い冷え込みでした.しばれる、とか痛い、なんてその寒さを言い表しますが頬が本当に芯までチクチクしていました.

午前7時少し前、定刻よりも1時間近く遅れてD5170ナメクジ機に牽かれて1217列車「すずらん6号」が到着です.スチームが効いた寝台車や客車から降りてくる乗客は皆身を屈め、凍てついたホームや階段に足を取られないよう注意深く歩をを進めて行きます.
しかし10両近い客車を暖め、さらに余った蒸気を列車の最後部から吐き出させるD51は力強く頼もしい存在でしたね.

最近掲示板に悪質なアダルトサイトの宣伝書き込みが多く、対策に悩まされてきました.ウチだけでは無く、他のサイトも同様のようで困ったもんです.そんなこともあってテキスト掲示板のみ違うものに換えてみました.CGIの組み込みはまことに厄介で、一度で上手く行った試しがありません.また細かいカスタマイズも複雑で大変ですが、頭の体操と考えれば自分自身の脳のためには良いのかも知れません.


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2005/12/08 PM 04:15:49 | [駅]

No.149 青森駅は雪の中

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1986年2月、14系急行「八甲田」で到着した雪の降る青森駅です.正に歌の歌詞通りの状況に、連絡船に向かう人々の脳裏には歌が流れまくっていたことでしょうね.
「八甲田」を追うように「ゆうづる?号」が到着しました.オレンジのヘッドマークは白い雪によく似合います.


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青函連絡船の出港までは少し時間がありますので、のんびり撮影できます.今日は空いているので並ぶ必要も無いとのこと.
雪だらけの50系客車と出発して行く「八甲田」の回送です.


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583系の「はつかり?号」.はて、この「はつかり」は上野行き?と思ったのですが、すでに東北新幹線が開通済みでしたので盛岡行きでした.
このあとガラガラの八甲田丸で函館に向かいましたが連絡船での渡道はこの時が最後になりました.つい最近のことのようですがもう20年前でした.

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2005/11/27 PM 11:20:20 | [駅]

No.96 糸魚川駅1968年7月
1968年7月19日に糸魚川駅を訪れました.当時の北陸本線は糸魚川以西が電化済みで、直江津方面はD51が旅客貨物とも主流、優等列車にはDF50とDD51が使われていたという時代です.
もの凄く暑い日の昼過ぎに直江津方面からD51191牽引の旅客列車で到着しました.このD51は集煙装置、重油併燃装備の厳つい様相です.

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入れ違いで同じような装備のD51822牽引の貨物列車が直江津方面へ発車して行きました.

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富山側のホーム先端に立つと目の前にED701がパンタを降ろして停車中です.正面貫通路が埋め込まれているのは初めて知りました.

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振り返るとEF7060牽引のタンカートレインが富山方面に向けて発車するところでした.

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その右奥には大糸線用のキハ52が停車していましたが、よく見るとトップナンバーでした.こうして見るとキハ52は長いですね.

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さらにその右には入換用のC1288が停車しています.逆光で撮影は苦しいですね.右奥にはC56が居ますがナンバーはちょっと判りません.

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さらに右へカメラを振ると、有名な重厚なレンガ造りの機関庫でD51が2両整備中です.なかなか素晴らしい光景です.

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以上、糸魚川駅でほぼ定点で連続して撮影した7カットでした.
お楽しみ頂けましたでしょうか? あの日は本当に暑かった〜.

2005/10/04 PM 06:08:25 | [駅]

No.75 1970年夏の熊本にて
一週間位前から持病の腰痛がひどくて、ここ2-3日は動くのも辛い状態です.そろそろ治らないと困るんですが昼も夜も残暑が厳しいこともあって、寝不足でどうにも辛抱なりません.ブログもお休みしようかとも思いますが、何とか椅子に腰掛けることは可能ですので続いています.


(画像クリックで拡大します)
写真は1970年8月の熊本機関区です.10月の鹿児島電化を控えて電車やED76+DD51による訓練運転も始まっているので狭い構内が賑やかです.
ご存知の方はご存知でしょうが(当たり前)、熊本機関区は熊本駅の真横にあり、ホームからバッチリ写真が撮れるという全国でも希有な機関区ですが、正式に訪問しようとするとグルッと大回りせねばならず、結構時間がかかりました.
ちょうどED76+DD51の後に9600型が居ます.動力方式が違う機関車がこうして並ぶのもこの時期ならではなんですが、この写真をよく見るとED76と9600の前にそれぞれ誘導係が乗車していますし、9600の機関士さんと助士さんは前方を見ています.そうですこの3台は走っているんです.車間距離はわずか10mほどしかありませんのでちょっと微妙な写真ではあります.ヌシとも言える9600が「そこの若いの、邪魔だ、どけ〜!」と追っ払っているようにも見えますね.


(画像クリックで拡大します)
暫くしてその若い奴らは仲良く客車の先頭に立って鹿児島目指して出発して行きました.
熊本駅は最近までこの頃の面影をよく残していたのですが、九州新幹線建設による連続立体事業が始まり、大きくその姿を変えようとしています.

2005/09/13 PM 05:55:39 | [駅]

No.62 室蘭駅

1997年7月に渡道した際に、札幌から日帰りで室蘭を訪れました.天気にも恵まれて、間もなく完成する白鳥大橋の優雅さに感心したり、船に乗っての地球岬観光やイルカ・ウオッチングを一旅行者として楽しむなど、夏の一日を有意義に過ごしたものです.
帰りがけにはこの室蘭行きの目的のひとつである、室蘭駅の駅舎をじっくり見ることが出来ました.近日中に新駅舎にとって代わられることになっていて、保存はされるようですが現役の駅としての最期の姿を堪能しててきました.
1912(明治45)年に建築の駅舎は寄せ棟づくりの入母屋風で、屋根上に出っ張ったドーム式の窓や「がんぎ」の付いた外観が特徴になっています.現存する駅舎建物としては、道内で最古のものと言うことで、エントランス部や待合室の天井、駅長室のドアなど特に豪華というわけではありませんが、見ほれてしまうような明治の魅力を感じます.








駅舎としての役目を終えた現在ではそのまま室蘭市観光協会の建物となり、多目的ホールとして展示会やコンサートなどが行われているそうです.
石炭の積み出しをしていた頃には、大きなヤードに石炭車が盛んに出入りして、いつも蒸気機関車の煙が空を覆っていた活気ある室蘭は様変わりしてしまいましたが、歴史の生き証人である旧駅舎は今も市民に親しまれて健在です.

お陰様でこのweblog 付"録"(ブログ)も2ヶ月間無事完走できました.開始当初の目論見とは若干路線が変わってしまった部分もありますが、出来る限り続けていきたいと思います.今後ともどうかよろしくお願いいたします.

2005/08/31 PM 07:14:28 | [駅]

No.53 釧網本線北浜駅
続けての私の好きな駅は釧網本線の北浜駅です.駅の目の前はオホーツク海が広がっています.
オホーツク海や極端ではありますが大西洋など、容易には拝むことの出来ない海には憧れてしまいます.私が北海道に撮影に行くことになった時に、このオホーツク海を目指したのは言うまでもありません.
初めて北浜駅に降り立ったのは1969年3月末でした.時期からしても流氷に期待していたのですが、案に反してオホーツク海は水平線まで青い海原.それはそれで美しかったのですが、流氷とのご対面は1年待たねばなりませんでした.
この素晴らしい海岸の駅にはC58牽引の混合列車が発着するのですから、役者としては文句の付けようがありません.その辺の写真は当サイトの道東のC58冬薔薇に拙作がありますのでご覧下さい.





1993年9月、夕刻になりましたが久しぶりに北浜駅に降り立ちました.海岸には今の季節のみ解禁されているアキアジ(戻り鮭)釣りの竿がずらっと立てられていて壮観です.
駅舎は昔のままでしたが、現在は駅員さんの居ない無人駅化されています.代わりに駅舎内には喫茶店が店開きしていました.このお店は「軽食&喫茶停車場」で、今でも時々テレビなどで紹介されていますのでご存知の方も多いと思います.
この時に面白いと思ったのは、待合室の壁一面に貼られた全国からの旅行者の定期券です.かつて大流行した幸福駅の駅舎内にもこのようなものが貼られていましたが、なにがきっかけでこのような習慣が定着したのでしょうね.中には病院の診察券や会員証のようなものもありましたが、全国から若者が北浜駅に集まってきてることが判ります.



(画像クリックで拡大します)
その後何回か通過はしていますが下車はしていません.さて現在はどうなっているでしょうね.また機会があれば寄ってみたいと思います.

2005/08/22 PM 03:29:04 | [駅]

No.52 宗谷本線智東駅
私の好きな駅の1つ宗谷本線の智東駅です.この駅は撮影ガイドなどには載っていませんでしたが、1/5万地形図を眺めていて山間の良さそうな駅だな、と感じていました.しかし、なかなか現地に赴く機会は作れませんでした.
たまたま撮影に行く友人に智東駅の話しをして「寄れたら寄ってみて」とお願いしたところ、律儀にも写真を撮ってきてくれました.宗谷本線は何処でも絵になる、と言ってしまえばそれまでですが、想像していた以上に良い雰囲気で友人も「ぜひ、行くべし!」と太鼓判を押してくれたのです.

その後何回か訪れることができて、駅だけでなく周辺にも良い撮影地を発見しています.その辺はいずれまとめようと思っていますが、今日は違う季節の駅を2点ご覧下さい.

1970年2月、冬の智東駅にC5547牽引列車の到着です.
待っているのは郵便屋さんでしょうか?ウ〜ン・・・・.

(画像クリックで拡大します)

1972年5月、花咲く春の智東駅をD5114牽引の貨物列車が通過します.

(画像クリックで拡大します)

2005/08/21 PM 03:27:26 | [駅]

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