【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
[TOP] [すくすくBLOG]

No.554 浦和付近線路端散歩
本編の「気まぐれpicture」は最近更新していません.古い方の記事もほとんど読まれることがないようなので、ブログの方でリサイクル使用させて頂いています.
そもそもこのブログは趣旨が「気まぐれ」とバッティングしていますよね.共倒れにならないうちに一本化して、近いうち「気まぐれ」は廃止の道を辿る予定です.ブログネタに苦しんでいるのがバレバレですが、それだけではなく昔作った稚拙な画像ファイルがどうにも気に入らないのも、廃止の理由の1つです.



(画像をクリックすると拡大されます)

1968年7月、といえば高3で受験の夏ではありますが結構撮影に出かけています.建前としては予備校の夏期講習に毎日出かけていたはずですが、なぜかEB10を撮りに行ったり、八高線に行ったりと動かぬ証拠のネガが残っています.
これもその一つです.私の生まれ故郷の浦和駅と北浦和駅の間で撮影しています.下り「日光」や板橋貨物のD51が写っていますから午前中です.この近くにある母親の実家に泊まったのかもしれません.
10月の「ヨンサントー」目指して東北本線は3複線化工事の真っ最中、いろいろな懐かしい列車が写っています.


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)


(画像をクリックすると拡大されます)

この時間であればEF58牽引の「はくつる」、181系の「とき」「あさま」、483系の「ひばり」、キハ82系の「つばさ」なども撮れたはずなのですが、ネガにあるのはなぜか地味な列車ばかりでした.

この前の記事はこちらから

[このブログは最新5つの記事が表示されています.左上Archivesの各月分をクリックすると過去の記事がご覧になれます.]
この続き、5月分全部はこちらからでも
4月分全部はこちらからでも

ぜひ轍楽之路(てつがくのみち)サイト本編へもお立ち寄り下さい.

2007/05/17 AM 11:04:28 | [浦和/大宮付近]

No.469 大宮駅のキハ04

(画像をクリックすると拡大されます)

前から気になっていたポジをスキャンしてみました.大宮駅の跨線橋から撮影した気動車です.今までスキャンしなかったのは、ハーフサイズのタテ位置で、変色とカビが著しくて綺麗にできないのが目に見えていたからなんですが.
先日大宮機関区をアップした勢いでやってみたところ、新発見がありました.撮影時の記憶はほとんど無いのですがマウントには1964年11月29日とあります.東京オリンピックが終わった直後ですね.
数年前にこのポジを見つけたときには、当時まだ川越線で使われていたはずのキサハ04201だと思いこんでいました.ところがキサハには無いはずのヘッドライトがあるようです.また前面や側面の表記は拡大してみるとキサハではなく、キハ04(41?)に見えます.
川越線はすでにキハ30・35が配置され始めた頃ですから、前述のキサハ以外には04系は居なかったはずなのです.
しかしこの04が留置されている位置はよく考えると、今では大宮工場に入場したり廃車待ち車両が並んでいる場所です.では大宮工場へ回送されてきたものだったのでしょうか?
関東地区でキハ04が1964年に現役だった国鉄路線?検討がつきません.烏山線とか水郡線???
車号が特定できないこともあって、永遠の謎になってしまうのでしょうね.この頃の配置表をお持ちの方で心当たりがある方、ご教示頂ければ幸いです.
それにしても上の写真のバックに写っている大宮駅西口側は殺風景ですね.平屋の住宅があって工場があってその先はもう荒川の河川敷です.ここには各健保会社の運動場がありましたので、会社の運動会にかり出された人も多いことでしょう.



前回の記事


[このブログは最新5つの記事が表示されています.左上Archivesの各月分をクリックすると過去の記事がご覧になれます.]
この続き、1月分全部はこちらからでも
12月分全部はこちらからでも

ぜひ轍楽之路(てつがくのみち)サイト本編へもお立ち寄り下さい.

2007/01/11 PM 11:43:47 | [浦和/大宮付近]

No.117 浦和で見た機関車

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

久しぶりの浦和・大宮シリーズです.撮影は1961〜3年頃だと思います.↑は浦和駅付近の東北本線下り貨物列車 、EF134 牽引ですが貨物列車は本数が多く、EF10、EF12、EF13、EF15と走っていたはずですが、同じような形で見分けは付かなかったと思います.さすがに凸型のEF13は記憶にありません.

それに較べると旅客用電関はみな特徴があり、はっきり覚えています.写真にはありませんが無骨なEF53、流線型のEF55(逆向き牽引も見たことがあります)、まん丸でパンタの寄ったEF56、そしてこのEF57はパンタがせり出しているので遠くからも直ぐ判ります.まだSG付きの時代です.寝台車を連ねていますが八甲田か津軽でしょうか.浦和-北浦和間です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

高崎線の列車はほとんどがEF58牽引でした.当時は東海道の特急用以外はすべて茶色塗装でしたが、正面窓の長いヒサシが格好良かったです.上は北浦和-浦和間、京浜東北線電車と同じ線を上ってくるEF5870牽引普通列車.下は南浦和付近のEF5887です.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)


(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

普段は東北本線にはやって来ないEF80型の4号機が浦和貨物駅の待避線にパンタを下げて停車していました.臨時列車でしょうか.いつもは茶色電関ばかりなのでピンクの交直流機は異彩を放っていました.

(画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます)

いつも1-2点の画像で簡単に構成しようとするのですが、どうもインパクトが無くて数に頼ってしまいます.

2005/10/25 AM 03:48:51 | [浦和/大宮付近]

No.50 1964年の大宮駅
昨日から今朝にかけてブログサーバーがシステムダウン.アクセス出来なかった人が多かったと思いますが、ご迷惑をおかけしました.昨日のアップは幸い日付が変わった直後にしておいたために(続きだったので)、助かりました.ということで無事No.50に一日も休まず到達です.

先日ネタ探しで古い写真箱を整理していると、1964年頃に撮ったハーフ判のカラースライドがバラバラと出てきました.当時はプリント代が高かったのでスライドで撮る人も結構いました.特に流行りだしたばかりのハーフカメラでは、2倍撮れるのでおトク感があったようです.でもネガと違って原板を直接いじるためにホコリや指紋、カビが付きやすく、マウントの糊の劣化も変色の原因になります.プロジェクターの熱も良くないですが、何よりも一枚ずつ扱うために、フィルム一本分がバラバラになってしまうのが最大の欠点ではなかったかと思います.
案の定ホコリ・カビ付き放題、変色褪色し放題、数本分がバラバラになった汚いマウント達が箱の中に裸でちらかっていました.
鉄道が写っているのは僅かでしたが、その中から大宮駅での3カットを何とか清掃、スキャン&レタッチを敢行しましたのでご覧下さい.スライドのマウントには「1964-10-29 大宮」と万年筆!でデータが記してありました.

↑最初の写真は京浜東北線のクハ79920です.京浜東北線のホームは43-10までは東北本線の列車と共通だった?と思います.分離された時期の記憶が曖昧で、違うかも知れませんが.
中央線や山手線の101系に較べて見劣りする京浜東北線でしたが、このオールスチール・カーは多少はマシでした.モハとクハを組み合わせて920番代だけで8連を組んでいた時期もありました.


京浜東北線のホームから浦和方を望んだ光景です.ちょうどEF56牽引の荷物列車が到着します.その手前の線にはD51が停車しているのが判りますが、2等客車が連結されているような?遠方の屋根は大宮機関区ですね.


こちらは東武野田線のホーム.記憶ではこの頃の野田線は17-18mの雑型電車が多く、右側に運転台がある車両が印象に残っています.東武の旧型車はよく形式が判りませんが右の茶色電車は何型でしょう?
左は7800形ですね.野田線にも20m車が走っていたとは撮った本人も意外でした.

浦和・大宮付近のネガポジはまだありそうです.スキャン&レタッチが大変そうですが、いずれまたご覧頂きます.

2005/08/19 PM 03:31:34 | [浦和/大宮付近]

No.45 浦和駅のこと

浦和関係が続きますが、近々浦和駅舎が改築されるようで、現在一部工事も始まっています.浦和駅はかつて特急の停車しない県庁所在地として有名でしたが、それもそのはず、43.10までの複々線時代には京浜東北線のホームが一面あるだけで、列車線には物理的に停まれない構造になっていました.しかし京浜東北線の線路にも一部の特急・急行・普通列車も走っていて、一日数本の80系→115系の近郊列車が停車していましたから、無理では無かったはずですが.この京浜東北線のホームからC57牽引の臨時列車に乗車したこともあります.
京浜東北線は72系中心のの8両編成、日中は付属の3両を外して5連の時もありました.東京寄りの先頭車に半室が区分された、もと2等車のクハ55、クハ16が連結されている編成も走っていました.(老幼優先車?)


この写真は1959年頃の浦和駅西口です.全景ではありませんが現在の浦和駅舎はこの時のままのはずです.本当は大分前から改築したかったようですが、43.10の3複線化の時に駅舎の真上に高架新線を作ってしまったために、改築の自由度が全くなくて困っていました.さすがにもう限界で、やはり50年以上前からそのままの東口と共に高架線まで含めて一体化されるようです.


これは西口駅前広場の様子です.正面上に見える照明灯は浦和駅で貨物扱い(入換え)があった証拠です.
駅前からは路線バスが各方面へ出ていました.東武バスはキャブオーバータイプのセミボンネット車ばかり.大宮・上尾方面行きでした.ここには写ってませんが西武バスの草加・所沢方面行きもありました.メインはKKK国際興業バスで市内各地への路線、志木朝霞方面、越谷方面などへの路線の他に、大宮-浦和-池袋という中距離路線も頻繁に走っていました.そうそう、徒歩で10分ほどの県庁前まで行くと桐生・足利-東京駅という東武の長距離路線に乗ることも出来ました.面白いのは西武バスと国際興業バスは今でも基本的な塗装は同じですね.
ゴミの収集車は牛が、屎尿収集車は馬が牽いていた、なんて言っても笑われるだけで誰も信じてくれませんね.お祭りの山車(だし)は牛でした.

起承転結のない想い出話ですみませんが、そんな子供時代からの浦和駅舎が無くなってしまうとは、つきなみですが寂しいものです.そういえば浦和市自体がすでに無いのでした.

小学校4年頃の浦和時代の写真をあねっくす"とりっぱー"にアップしています.よろしければご笑覧下さい.

2005/08/14 PM 07:18:22 | [浦和/大宮付近]

No.42 日車蕨工場

No.31では私の鉄道趣味のルーツともいえる、南浦和駅について書きました.さらに京浜東北線で南浦和と蕨の間、浦和電車区の長〜い構内が終わるあたりから西側に展開する日本車輛蕨工場も興味深いものでした.京浜東北線と並行する東北本線(列車線)に沿う塀の向こう側の敷地には、大量の製作中の国鉄や私鉄の新車を見ることができ、試運転線の完成車の姿に興奮しました.
一番印象深いのは、新幹線の試作A編成を見たときです.ここで作られた1002号車に汽車会社製の1001号車を移送してきてA編成を組み、1962年4月25日にこの工場内で記念すべき新幹線車両の初運転を行った翌日ではなかったかと思います.初めて「夢の超特急」を見た私にとっての記念日にもなりました.
また月光形581系寝台電車を見たときは事前情報を知らず、なんじゃいこれは!と思ったものです.

工場内は敷地外からは全く見えず、京浜東北線の車内から走行中に見えるだけなので、写真に撮るのは至難のワザです.上の写真のように電柱がかかったり、他の列車に被られることもしばしばで、下の写真では1965年2月、新幹線の先頭車を捉えた瞬間に115系が!ギリギリセーフでしたね.

そういえば、工場から蕨駅まで新車を搬出する入換機関車は小さなタンク式の蒸気機関車でした.

日本車輛蕨工場は1971(昭和46)年に同社豊川工場に併合.跡地は日本住宅公団(当時、現UR都市機構)に譲渡され現在の川口芝園団地になっています.

2005/08/11 PM 11:43:47 | [浦和/大宮付近]

No.31 南浦和駅
生まれも育ちも、と言いますが鉄道を趣味に持ち続ける人間には生まれた場所、育った場所というのは大きなファクターでしょう.例えば鉄道の無い(無かった、というか)沖縄出身の方には、やはり"鉄"は少ないだろうと思います.沖縄の書店では鉄道関係の書籍、雑誌はほとんど扱っていない、というのもうなずけます.
私の場合は、埼玉県浦和市で10歳まで育ち、その後東京の保谷に転居したという歴史があります.(どちらも現在は行政名が変わっていますが) 浦和ではよく駅まで行って列車を眺めていましたし、保谷では西武の保谷検車区、上石神井検車区、国鉄の三鷹電車区.吉祥寺の歌川模型、中央模型、西荻窪のニットー教材などが自転車での行動範囲でした.たまには朝霞駅へ東武東上線を見に行くこともありました.
小学生の私が"鉄"を続ける下地は充分あったんですね.

表題の南浦和ですが、ちょうど保谷に転居する頃に広大な浦和電車区とともに南浦和駅が開業しています.浦和には両親の実家があり、その後も頻繁に行っていましたので、浦和・南浦和付近で撮影のネガが残っています.
ネットで他のサイトを覗くと浦和、蕨、川口付近のご出身で、昔から撮られている方が多いのに驚きました.また本島三郎さんをはじめ、ベテランのファンの方も多く住んで居られたようです.鉄道の街、大宮に近く、東北本線、高崎線の大幹線には各種の列車が頻繁に走ります. "鉄"を育む土壌としては最高の肥沃な大地だったのでしょうね.

↓は1964(昭和39)年12月の南浦和駅.「とき」はまだ161系です.

2005/07/31 PM 07:14:28 | [浦和/大宮付近]

≪ 前の30件| 次の30件 ≫









(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.