【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.830 またカシオペア撮影

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昨日の都電9002号を飛鳥山の歩道橋で見送ると、時刻は16時15分.今日は火曜日.ということは下りカシオペアの運転日です.あと数分でやって来ますので、行き(帰り?)がけの駄賃としてカメラを向けましょう.
飛鳥山公園内を横断して王子駅南側の陸橋上に立ちます.ここは金網フェンス越しになるので、レンズを網の中央にしっかり固定しないと鉄線のボケが入ってしまうので厄介です.
この真下の線に来るんだと勘違いして構えていましたので、うっとおしい架線やケーブル越しになってしまいました.まあこんなもんですかね.

真下の線は田端操から山手貨物線への折り返し線でした.↓の写真で見れば行き止まりになっているのが判ります.レールが光っていますので使われているようです.


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珍しく後追いも撮ってみました.こちらもフェンス越しです.最後部には憧れの「カシオペアスイート展望室」に乗車できた幸せな家族の姿がありました.さっぽろ雪祭り見物でしょうか?1室だけなのでいつも競争率が激しい部屋ですが、雪まつりシーズンは特に超レアメタル・チケットなんでしょうね.
もしこのご家族が当ブログをご覧になっていましたら、メール頂ければ記念に写真データ送りますよ.2009年2月3日節分、上野発の下り「カシオペア」です.

カシオペアも今年で10周年です.1編成で頑張っています.国際線のジェット機のように製造されてからの間、走っている時間の方がよっぽど長いのではないでしょうか?

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2009/02/04 PM 06:08:25 | [客車・貨車]

No.800 弁天島の奇跡

10.26追記
10.12以来アルコール分を摂取していません.入院中はもちろん呑めませんでしたが、退院後もまだまだその気になりません.別に医者から止められてはいないのですが.
昨日今日とスーパーの酒売り場を通りかかりました.そろそろ焼酎のお湯割りくらいは.とも思うのですがやはり腹に爆弾を抱えているようなものですので、勇気が出ません.まあ無理して呑む必要も無いので、本人がその気になるまで待つといたしましょう.
なお、お酒のお誘いはいつでもお受けしますので、病み上がりだと思わず遠慮なくお誘いください.そんな理由でパスされたら逆に具合が悪くなりそうです.
年末までには完全復帰を目指さねば!!

最近「寺田が生意気だ!」と名指しで言われる紅茶のCMが気になって仕方ありません.
Jリーガーや件のCMに出て来る役者さん、その他政治家など以前に較べて著名人の寺田さんの名をよく聞くような気がします.



先日来、多くの方々からメールを頂いています.お返事の方が滞っておりますが、今しばらくご猶予を頂きますようお願いいたします.申し訳ありません.



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1966(昭和41)年9月24・25日、高校1年の秋季旅行で渥美半島、浜名湖方面に1泊で出かけました.夜は浜名湖弁天島温泉の白砂亭というホテルに泊まりましたが、夜半に折から上陸中の台風ともろに遭遇してしまいました.
テレビで情報は見ていたとは思いますが、それほど深刻な状況とは受け止めては居なかったようです.しかし強風で建物がぐらぐら揺れて寝付けなかった記憶はあります.

弁天島温泉は東海道本線弁天島駅前に位置します.駅の両側にある太平洋から浜名湖に抜ける鉄橋は、過去から現在まで名撮影地として知られています.明け方は風もすっかり止んでいたので、列車の遅れのことなど全く気にせず、早朝に続々と上って来るはずの寝台特急列車群を撮影するべく.友人とホテルを抜け出して浜松側の鉄橋で待ち構えていました.
台風一過、抜けるような晴天になりましたが、待てども暮らせども列車のやって来る気配はありません.時計はすでに7時を回っています.
台風の影響で少しは遅れているんだろうか?としびれを切らせていると、背後の浜松方面から汽笛が!貨物列車でも来たのかと振り向くと、EF65505牽引の下り「はやぶさ」がぶっ飛んで来ました.↑あわててシャッターを切った1枚です.


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そして目の前の鉄橋を軽快なジョイント音を響かせて駆け抜けて行きました.
何が何だか判らないままあっけにとられていると、続けてEF65509牽引の「富士」もやって来ました.


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どうやら台風で静岡か浜松で足止めを食らっていたようです.すでに10数時間の遅延ですが、どちらの列車も西鹿児島行.まだまだはるか長い旅路が待っています.当時は新幹線は新大阪まで.振替え輸送もできませんから、おそらく終点まで運転されたのかもしれません.しかしいくら頑張っても当日中の到着は無理だったんじゃあないでしょうか.

順番なら続いて「あさかぜ」が来るはずですが、朝食の時間になってしまいホテルへ戻りました.ちょうどホテルに着いた時に「あさかぜ」も通過して行きました.


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後で判ったことですが、上り列車は深夜に通過して行ったはずの急行を含めてすべて関西地区で抑止されていました.日中に我々が移動のために乗車した普通列車を途中原駅で1時間以上待たせて「銀河」「明星」「瀬戸」「さぬき」「伊勢・那智」「能登・大和」などが雁行して午後2時頃に通過して行きました.
そして本来早朝に我々が弁天島で撮影予定だった、上り「あさかぜ」「はやぶさ」とは夕刻の沼津駅で漸く出会ったんです.

1966年9月24日夜半前に台風24号が四国から大阪に、さらに台風26号が静岡県御前崎西方に同時上陸して山梨県足和田村など富士山麓で大被害、死者238人、行方不明者79人、負傷者824人、住家全壊2422棟、半壊8431棟という未曾有の大災害をもたらした特大台風の影響による奇跡の体験でした.

[国鉄時代5号に掲載した記事を一部改筆しました]

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2008/10/25 AM 03:48:51 | [客車・貨車]

No.752 サラの12系「八甲田51号」

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1970(昭和45)年8月、世は大阪万博でわき上がっていましたが、私は九州の撮影旅行から朝戻るとその晩にはもう北海道へ向かうべく上野駅のホームに居りました.
自宅で数時間の仮眠をとったのですが、いくら二十歳の若者とはいえ猛暑の中での夜行連泊はつらいので12系「八甲田51号」をおごりました.そう全座席指定の冷房客車です.

12系は万博輸送のためこの年登場した新型客車で、この夏は全座席指定の臨時急行のみに使われていて九州方面でもC61などハドソンが牽引する姿を撮影していました.当時は冷房なんて特急列車や一部の電車急行に見られるのみ.均一周遊券の貧乏旅行には縁の無いしろものでした.
ぜひ乗りたいと思い、何度も指定券確保にチャレンジしましたが満席満席でアウト.ダメ元で当日の朝聞いてみるとキャンセルがあったようで、何と取れました.もし取れなければ早い時間の定期「八甲田」の自由席を確保するために何時間も並ばなければならないところでした.これでは自宅に2時間ほどしか居られません.

通路に立ち席の人まで居る旧型非冷房客車自由席に較べるとまさに月とスッポン、天国と地獄の違いです.ピッチや幅の広いボックスシート、涼しくて明るい室内にエアサスとくれば快適以外の何ものでもありません.旧型客車という言葉もこの12系が登場したゆえのネーミングですね.
車内の記憶がほとんど無いのは、ぐっすり寝込んでしまったからでしょう.
上野駅からはEF574の牽引だったようです.
青森から連絡船に乗り、函館駅で待っていたのは C623牽引の「ニセコ3号」でした.

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2008/07/09 PM 04:18:33 | [客車・貨車]

No.739 特急「ゆうづる」

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1969年3月、青森駅での「ゆうづる1号」です.北海道の帰り、私が乗った初めての特急列車、最初で最後の20系列車になりました.しかも乗車したのは最後尾に1両だけ連結されていたナハフ20なんですから、今思えば貴重な乗車経験でしたね.
食堂車にも行ってハムエッグを食べた記憶があります.
奥中山の連続勾配をED751015は単機牽引ですいすい登ってしまい、あのD51三重連は何だったんかいな?と思ったものです.


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上野駅到着シーンは前年の10月1日、いわゆる43.10大改正当日の撮影です.


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ナハフ20です.狭窓に座席の白いカバー印象的です.出入り口には「2等」の表示もあります.


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この日から常磐線列車は地平ホームに発着できるようになりましたが、「ゆうづる」は高架ホームで機回しを行っての回送です.
考えてみれば、結局「ゆうづる」には電車、客車含めてもこの時一回きりの乗車でした.583系の「はくつる」「はつかり」そして「北斗星」には何回も乗っているんですが.

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2008/06/08 PM 04:15:49 | [客車・貨車]

No.638 銀河のロマンス
・&ー? !!


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今話題の「銀河」ですが、現在は7両編成と威厳が無いですね.
あるサイトの板に「大阪発の老舗」と書いてありましたが、私にとっての「銀河」は神戸発というイメージの方が強いです.神戸の伯母が上京する時にはいつも「銀河」でしたので、昭和30年代の子供時代からおなじみでした.まあ実際に乗ったことは無かったのですが、東京駅へよく送り迎えに行ったものです.
初めて乗車したのは何時頃だったでしょうか?寝台列車ではありますが、たしかスハ44のハザが2両付いていたような記憶です.
その後、大阪や京都に知人ができたり、自分自身が大阪高槻市に一時住んでいたこともあり、「銀河」は重宝に利用させて頂きました.
京都祇園界隈で呑んでいても、安売りチケットの使える最終「ひかり」で東京へ帰るつもりが、気が大きくなり最終「のぞみ」→「銀河」→「出雲」の順に時間も遅くなりますが、金額も張ります.そして最終的には始発の「のぞみ」なんてことも.

千葉の実家に帰省した時は、朝4時起きして東京駅発6時または続行の「のぞみ」で西中島の会社へ直行するか、前夜の「銀河」で京都まで乗車、高槻の自宅でシャワーを浴びてから出勤するという2パターンでした.

つごう上下併せて30回ほど利用したかと思います.しかしここ10年ほどは大阪方面に行くことも無くなり、縁が無くなってしまいました.他のブルトレもそうですが、もう車両寿命も限界で、乗り心地も決して良いとは言えません.

寝台列車はホテル会社やJR貨物が積極的に乗り出さない限り、今の体制では存続は難しいんでしょうね.

タイトル名になった曲を昔歌っていた方が、昨日久しぶりにニュースになっていましたね.
ビートルズやストーンズなどあちゃらもんが好みで、日本のGSはそれほどではありませんでしたが、高校3年の時に大島へ行く夜行便の甲板上.ロープを枕に横になって満天の銀河を眺めながら聞いた、深夜放送のラジオから流れる「銀河のロマンス」はグッと来ましたね.

そういえば流山線にももと西武501系の「銀河」が居ましたね.シルバーにオレンジの帯でした.これだけは2代目は現れませんでした.銀色の801系!見たいような、見たくないような.

これだけ利用しながら、カメラに収めたのはこのとき一回のみ.1987年9月19日大阪駅で.この列車に乗車してきました.

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2007/11/26 PM 05:43:43 | [客車・貨車]

No.432 倶知安の除雪車
今月末廃止の神岡鉄道にお名残乗車の人が殺到したそうな.ついに未乗、未見でした.

かつてはC62重連、現在はC11207ニセコなどでお馴染みの函館本線(長万部-小樽の山線区間).冬の寒さや積雪量も半端ではありません.その山線のほぼ中間に位置し、函館本線のほか岩内線胆振線も控え、厳しい路線保守の中枢基地となる倶知安機関区には冬季ともなると何台もの除雪車両が満を持して待機してました.

1967年12 月も末、夜半の倶知安機関区.このタコ・ロボット怪獣のようなものは何でしょう?

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正解はジョルダン車キ706です.ウイングを完全に拡げると3〜4線分一度に除雪できてしまうという幅広除雪車なんですが、残念ながらこの時は全くウイングを開いてくれませんでした.1970年2月 倶知安駅構内にて.

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こちらはおなじみの単線型ラッセル車キ100型なんですが、このキ273は1965年頃に苗穂工場で改造された1両しかない試作型です.前頭部が通常のくさび形からパラボラ(放物線)形に改造されています.装甲車か鉄仮面かというご面相ですね.後方のキ274がオリジナルのスタイルですから違いが判ります.これは除雪中の姿を見たかったですね.1971年3月.

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※当サイト「気まぐれpicture」から転載しました.blogだけご覧になっている方も多いようなので面白いネタを時々アレンジして転載します.(いよいよネタ切れか!)

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2006/11/26 PM 05:43:43 | [客車・貨車]

No.319 さらば急行十和田(下)

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翌1985(昭和60)年3月14日早朝、最終定期列車「十和田」は盛岡駅へ到着しました.線路や屋根には雪が僅かに積もる寒い朝です.牽引機のED7591号機は水戸-青森のロングラン運用なので、機関車交換はありません.隣のホームには、ED7557号機の牽くやはり12系列車が停車しています.しかしこの列車は4両の短い編成で、さらによく見ると12系客車の特徴である白線が無い青一色の車体に車掌室のドアまで付いています.
この12系客車の情報は聞いていなかったので驚きました.普通列車用に改造されたものだとは容易に想像はついたのですが.

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ところで盛岡駅での滞在時間は1時間余り、すぐさま新幹線で東京へ引き返します.実は今回の旅行(と言えるかどうか)は、定期「十和田」最終に乗ることもありましたが、盛岡から上野駅へ初めて乗り入れる「やまびこ」1番列車に乗車するのが最大の目的で、この列車の指定券が取れた時点で計画が始まりました.この列車は日本国内で240km/h運転をする初めての列車でもありますからワクワクです.


この列車に乗るためには、当日は会社を大幅に遅刻してしまいます.当時は総勢3名の小さなプロダクション勤務で、確か年度末で忙しかったはずです.そのため昼飯用に盛岡駅の鮭といくらの弁当を皆にお土産に買って帰ることが遅刻容認の条件でした.
購入してホームへ出ると出発式の真っ最中、早朝から大勢の関係者のほかTDLのお二人も出席する、という華やかなものです.

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このキャラクターは著作権がうるさい、と聞いていますが、このように押し掛け的に写ってしまう場合はどうなんでしょうね?もちろんこのサイトでは問題は無いはずですが.

昼飯の駅弁3個と寝不足でうつらうつらの私を乗せて、240km/hで突っ走った200系「やまびこ」はそれこそ、あっと言う間に上野地下駅へ到着してしまいました.待ちかまえる報道陣やインタビューのマイクを上手く避けて、新幹線のラッチを出たところで「寺田さん!」と声がかかりました.目の前にはRJ誌の顔なじみのカメラマンOさんと、鉄道ライターのH 田さんが「見つけたゾー!」という顔でニヤニヤ笑って立っていました.私の手は盛岡駅の駅弁をそのまま下げているんですから、バレバレ!何も言い訳はできません.隙がありました.迂闊でした.
数時間後には物好き約1名の話題がRJ誌編集部でひろがっていたことでしょう.

後半は「十和田」の話しでは無かったですね.すみません.

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2006/07/23 PM 03:08:58 | [客車・貨車]

No.318 さらば急行十和田(上)

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1985(昭和60)年3月13日夜、東北新幹線の乗り入れを翌朝に控えて上野駅は騒然としていました.すでに新幹線は大宮まで開通していましたから、この改正で廃止になる列車はほとんどありませんでしたが、マスコミや大方のファンの目は当日で運転中止になる「新幹線リレー号」に向いていました.
最終のリレー号とほぼ同じ時刻に、地平ホームからは伝統ある急行列車「十和田」の定期列車としては最終列車がひっそりと、というほどではありませんが、そこそこのファンと、上京や帰省でお世話になったという「十和田号を送る会」の皆さんの拍手や歌声に送られて、青森駅へ向けて旅立ちました.水戸までの牽引機EF81301(関門用のステンレス機)には何の飾り付けもありませんでしたが、12系客車最後部には尾久客車区お手製のテールマークと金モールが、また愛称名サボにはやはりモールで、ささやかですが心づくしのお化粧がなされていました.

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1954(昭和29)年に誕生した、常磐線回り青森行急行「十和田」の愛称も、定期列車としては30余年の歴史を閉じました.かつて昼行夜行併せて最大5往復が走り、寝台車や一等車を連ねていた姿も最後は12系客車8両モノクラス編成でした.

私はたまたま、のわけない無いですが、この列車に盛岡まで乗りました.上野駅発車直後に最終列車の挨拶が車掌さんよりありましたが、以後は普段と同じようにその道のりをこなしていたようです.ずっと寝ていたわけではないのですが、水戸駅での機関車交換以外何も記憶が残っていません.
十和田号は東北線回りの八甲田号とともに、北海道や東北の行き帰りによくお世話になりました.もちろん均一周遊券が使えるためですが、硬い座席での一夜は若い身でも体にこたえ、多少余裕のある時は特急や寝台を徐々に使うようになってしまっていました.


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翌日からは東北線内のダイヤを14系化された「八甲田」にゆずり、「十和田」は臨時急行として多客期に走るだけとなりましたが、1994(平成6)年にそれも廃止になっています.
※なぜ終着青森までではなく盛岡で下車したかというと、それは続きで・・・・.

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2006/07/22 PM 03:29:04 | [客車・貨車]

No.285 ナハネフ23

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ブルートレイン、20系寝台特急の最後尾を飾るのは電源車の3枚窓も味がありますが、やはり2枚窓半展望室のナハフ20やナハネフ22が代表的な顔といえます.子供の頃は本当に格好良い列車で、何時か乗ってみたいと憧れていたものです.
東京ではほとんど見ることができませんが、途中で付属編成を切り離した後に姿を見せる切妻のナハネフ23(ナハフ21)も、物足りないと感じる人も居るかも知れませんが、私は好きです.
貫通ドアと幌は遠くに去りゆく客車列車の必須アイテムともいえるものですから、この姿には旅情をかき立てさせるものがあります.この写真のように先頭が蒸気機関車であればなおさらです.
写真は1971年4月4日、「あけぼの」回送.青森駅.先頭はD51197です.

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2006/05/13 PM 05:55:39 | [客車・貨車]

No.148 続々さよなら2軸ワム

今日も気になったので昨日と同じ柏-北柏間で上り5262列車を見にいってきました.なんとEF8180が単機でやって来て拍子抜けです.手前に置きピンしてありましたが単機だったので早めにシャッターを切ってしまい、ピンぼけ! ということで拡大画像は無しです.

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2005/11/26 PM 05:43:43 | [客車・貨車]

No.147 続さよなら2軸ワム
11月21日分が抜けているのに気付いた方はいらっしゃいますか?まあまあ---


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11月18日No.141の話しはどうやら本当のようで、26・28日に田端発武蔵野線経由で吉原へ40両(各20両)回送 との情報が入っています.
先ほど柏-北柏間で上り5262列車を見てきたところ、EF8184に続くのはコキ!あれま、もう置き換えられてしまったのか.と思ったら今日は後に連結されていました.日によってワム、コキが入れ替わることもありましたから不思議ではありませんが、通常はワムが前でしたから明日の回送を控えての処置なのかもしれません.

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このワム80000はハワムと表記されていますが、最初はパワムでした.パはパレットのパですね.

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2005/11/25 AM 03:48:51 | [客車・貨車]

No.141 さよなら? 2軸ワム

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正確な情報ではないのですが、紙輸送に使われているワム80000型2軸有蓋車が12月のダイヤ改訂で廃止になるとの噂がネットで流れています.
いつも利用している常磐線柏駅では毎日午前10時20分過ぎに20両のワム+10両のコキを連ねた長い貨物列車(5262列車)が見られ、例の連結器とドアをガチャガチャを言わせながら通過して行く姿が過日の記憶と現実を結んでいました.残念ながら柏駅付近はロングレール化されているのでダン、ダン、ダン、ダンと車輪が1つずつ刻んで行くジョイント音は聞くことができないのですが.

今朝は天気も体調も良かったのでこの列車を撮影に出かけてきました.自宅からクルマで20分ほどの南柏-北小金間の歩道橋は、複々線の緩いカーブをアウトハイのポジションできれいに抜いて撮れます.鉄道ファン誌で紹介されたこともあって人気スポットになっていますが、フェンスや架線柱、電線の処理が難しい場所です.
EF81のスノプロがホチキスにかかってしまいましたが、まあイイでしょう.(ダメ?) 
常磐線貨物列車牽引のEF81はJR 東日本からの借り入れなので北斗星色が多く、95号機が来ることもあります.

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12月ではないにしても2軸車は間もなく見ることができなくなると思います.D51やEF15に牽かれた2軸車、ボギー車、まれに3軸車や3軸ボギーのタンク車などが混結された昔の長い貨物列車が懐かしいです.最後部の車掌車が刻む最後のタン-タンがいつまでも聞こえていました.タン-タン タン-タン タン-タン - - - - - - - -・

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2005/11/18 PM 03:39:14 | [客車・貨車]

No.137 スチーム・クレーン
先週、インフルエンザの予防接種を受けてきました.消費税別で3000円かかりました.ここ数年毎年今頃受けていますが、インフルエンザじゃないと思われる普通の風邪はしっかりひいてますから効果の程はよく判りません.自分のため、というよりは同居の母にうつさないための保険と考えれば受ける理由になりますね.


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昨日のRM編集長敬白名取さんのブログで"蒸気ロコクレーン"を取り上げておられたので私も便乗します.(そろそろネタに行き詰まってきたのかな?)
1964年の8月、中学2年でしたが神戸市東尻池の叔母の家に遊びに行った時、朝食前にカメラを持って散歩をしました.神戸市電を撮ったり、川崎重工の構内を横断する踏切で新幹線の車両を撮ろうとして守衛さんに怒られたりしているうちに、こいつを見つけたようです.
当時の鉄道ファン誌に同じようなクレーンの記事が載っていたのを思いだして「あっ、これだな」と思ったような記憶があります.最近偶然その記事を見る機会がありましたが全くの別物でした.
おそらく川崎重工の製鉄所だと思いますが、トロトロと自走していたのを覚えています.しかしよく見ると凄まじい車両?ですね.全身トラ塗りの警戒色、無造作に開けられた窓など相当なゲテモノぶりです.
比較するものが無いのでその大きさの見当がつかないのは残念です.車輪の大きさや窓の位置などから想像するとかなり巨大なようにも思いますが、いったい何ミリ・ゲージなのでしょうね?

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2005/11/14 PM 07:18:22 | [客車・貨車]

No.126 急行みちのくとTR50X

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「みちのく」は9月12日にNo.74 特急「みちのく」として取り上げていますが、今日のは急行時代です.1966年8月27日東北本線一ノ関駅で撮影したED7573が牽きいる上り「第1みちのく」です.12系登場前ですから旧形客車とはまだ呼ばれないころの客車達で編成されています.
プリントをルーペで見てみると、スハフ42+ナハフ10(11?)+スロ54×2+オシ17+ナハ10+スハ43系×7 の13両編成のようです.荷物車も連結されていない典型的な昼行急行列車の編成ですね.
当時の牽引機は青森→盛岡がDD51重連.盛岡→仙台はこのED75.仙台→平C62!.平→上野はEF80というバラエティでした.

2日後に花巻駅で見た同じく上り「第1みちのく」の編成にはナハ102905が入っていました.1955年に登場した初めての軽量客車ナハ10の試作車で1955年に製造された8両しかありません.後に登場したナハ10量産車、改良型のナハ11とは外観上の差異はあまり無く、番号以外に見分けはなかなか付きません.

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「台車が違うよ!」客車ファンからはクレームが付きそうです.はいはい、試作車は10系客車の標準台車であるお馴染みのTR50の試作タイプ TR50-X を履いています.外見上は枕バネのコイルスプリングが1本という特徴があり、すぐ判ります.
実はこの時も台車が違うな、と思って話のタネにカメラを向けたもので、形式など詳細は後日客車に詳しい後輩に教えて貰いました.

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この頃であれば機関車交換も頻繁にあり、C62が牽引したりで乗車も楽しかったでしょうが、私が北海道の帰路に良く乗った1970年頃は青森→水戸がED75のロングランで、本当に退屈な列車でした.一度だけ食堂車に行った記憶がありますが、大概は北海道で金を使い果たしてしまいゲルピン!(死語)状態、車中で飯が食えなかった辛い想い出もあります.
それにしても北海道や東北への往復に乗った列車で、空いていたという記憶は皆無で、いつも満員でした.


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2005/11/03 AM 01:12:08 | [客車・貨車]

No.116 暖房車
マヌ34を連結したEF13牽引中央線旅客列車.1968年2月.国分寺駅.

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蒸気機関車によるスチーム暖房が基本の旧形客車ですが、電化区間では当初、別に暖房車を連結しなければなりませんでした.EF56型が暖房用蒸気ボイラ(SG)搭載で登場するまでは、冬季の必需品として多くの形式両数が直流電化区間で活躍していました.
その後電気暖房も採用されましたが、暖房用電源もしくはSG非搭載の電気機関車、ディーゼル機関車牽引の客車列車には必ず必要で、EF13牽引の中央東線.DD13牽引の水郡線.ED91牽引の仙山線列車などは実際に見た記憶があります.

信越本線アプト区間専用のヌ200トップナンバー.1965年2月.横川機関区.

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仙山線ED91牽引列車のホヌ30.1967年2月.仙台駅.

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1973年廃車、最後まで残った阪和線用のリウ311?いえいえスヌ31のトップナンバーです.天リウは天王寺鉄道管理局竜華りゅうげ機関区の略号なんですが、車番に近すぎますね.スヌの表記も少し遠慮しすぎてます.1971年2月.竜華機関区.

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暖房車はボイラを扱いますから蒸気機関車の機関士さんが乗務していました.ちなみに記号の " ヌ" は「ぬくもり」のヌです.

2005/10/24 AM 01:26:23 | [客車・貨車]

No.76 チサ100

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前回のコム1と同じように北海道専用形式のチサ100形チサ513です.
写真は1971年3月、石北本線遠軽駅構内.すべての列車が折り返しとなるこの駅では複数のD51牽引列車が並ぶことも稀では無かったかと思います.
石炭車に較べれば少数ですが、木材を積んだチキやトラも北海道の貨物列車の編成中によく見ました.この3軸車のチサ100形は何両くらい存在したのでしょうか.この撮影時以外には、はっきりとした記憶も記録もありませんが、時折見かけていたような気もします.

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今回、この貨車になぜ注目したかというと珍しい3軸車ということもありますが、戦時中に大量生産された無蓋車トキ900形の残党だからです.トキ900は大量に作られたにもかかわらず、私が鉄道を意識して見るようになった頃にはその姿はすでに無く、美唄鉄道の同型と言われる(側板の高さが低い)トラ1形3軸無蓋車を見ただけです.3軸車はその後もワサ1形やタンク車なども作られたようですが、少数派であることは間違いありません. このチサ513はよく見ると、一応2段リンクに改造済みなんですね.
トキ900形は数年前にJR浜松工場で1両復元して公開した、ということなので機会があれば見てみたいものです.


これが美唄鉄道のトキ900ことトラ1形無蓋車です.1972年5月美唄駅.

2005/09/14 PM 07:18:22 | [客車・貨車]

No.34 シトロエン2CVの車運車
オーストリアの片田舎、未電化のローカル線のある駅ですれ違ったセンターキャブのDLに牽かれた貨物列車には、こんな貨車が連結されていました.片田舎とはいってもここはチェコスロバキア(当時) 国境に近く、この路線もそのまま国境を越えてしまうので、これは正に国際貨物列車で輸出中の姿なのかもしれません.
この車運車は2車体が3軸の車輪の上に乗っている連接構造で、この1ユニットにフランス製のシトロエン2CVのセダンやトラックが17両も積まれていました.実はこの時の旅は鉄道の取材だけでは無く、シトロエン2CVの小写真集を作るための取材も兼ねていましたので、この出会いは非常に嬉しいものでした.
ありきたりのセダンを積んだものであれば大した興味も湧きませんが、ユニークなキャラを持つ2CVの新車が、それもカラフルな色違いでズラッと積まれている様は、まるでオモチャの世界に入り込んだような気分になったものです.
撮影は1976.9

2005/08/03 AM 01:12:08 | [客車・貨車]

No.30 コム1形コンテナ車

この貨車はコム1形コンテナ車です.コンテナ2個積み2軸車、小型の北海道内専用形式ですので、実物を見たことのある人は限られると思いますが、Nゲージの模型では少しは知られているのではないでしょうか.まさに鉄道模型入門の貨車としてはうってつけの大きさ、スタイルですね.
でもこの写真、車体番号をよく見るとトム154731と書いてあります.コム1形はトム50000形の改造車ですので、撮影時にはまだ改番されていなかったようです.トム50000形でも2段リンク未改造車は数字の頭にが付きます.これゆえに最高時速65km/hの道内専用車という訳です.

道内専用車は石炭車セキなどが有名ですが、[道外禁止] の注記と黄色の帯が目立ちます.この貨車もコンテナ下、床板のサイドが黄色に塗られているようです.

左側には[新札幌駅常備]との表記もあります.もちろん今の相対ホーム2線しかない高架の新札幌駅ではなく、札幌貨物ターミナル駅の旧名です.

撮影は1969年8月室蘭本線苫小牧駅です.よくこんな貨車の写真まで撮っている、と思われるでしょうが、たまたま苫小牧機関区でD51やC11を撮影中、横の側線に停まっていたところを気まぐれにパチリとやったものでしょう.

2005/07/30 PM 07:46:28 | [客車・貨車]

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