【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.951 EH200-1

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久しぶりにトップナンバーに出会いました.青雷杉山君です.
2009年12月6日 根岸線根岸駅

何かに似ている.とかパクリと云う話題になるとすぐに不愉快になるご仁も居られますが、あえて、これヨーロッパで規格型とされたスタイルですよね.例えばドーバー海峡トンネルでカーフェリー便に使われている機関車などです.
イメージとかモチーフとか云われますが、クルマの世界などでは日常茶飯事のことです.ハイブリッドで良く売れているT社とH社の2車.どう見たって偶然似たとは思えません.
昔々M社の「家族」というFFのハッチバック車がバカ売れしました.それに習ってT社がそっくりな「花冠2」なんてクルマを作りましたが、それもかなり売れましたね.プリンセスも乗ってましたし.

もっとも我が国の鉄道の世界では、外国から輸入した機関車をサンプルに国産化する.なんていうパクリをずっとしてきたわけですが.
逆にED72などの鳩胸スタイルや485系貫通型先頭車、営団6000系などのお顔は結構欧米で真似されていたりします.(日本からの輸出車を除く)

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2009/12/13 PM 05:55:39 | [Top number]

No.162 C54
サッカーはあまり興味無いのですが、地元柏レイソルのJ2降格は大変残念です.しかし強かった頃でも地元はそれ程盛り上がっていませんでしたよ


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さすがに希少車C54型となるとトップナンバー写真の在庫はありません.ただし他形式との比較、ということでtop numberのカテゴリーに入れておきます.
C54型はC51の増備機という形で1931(昭和6)年に17両が作られています.技術の発展により使用蒸気圧力を上げて軽量化していますが、そのためバランスをくずして空転や牽引力不足をおこして不評で、その後の増備は更なる改良型のC55型としています.
戦後は山陰本線で活躍していましたが、DF50型ディーゼル機関車の増備によるC57型の玉突き移動で1963(昭和38)年浜田機関区所属機を最後に全廃されています.発展の狭間で中途半端な立場であったことや、SLブームなど遠い先であったために1両も保存されていません.
写真はいずれも最終年1963年浜田区でのものですが、下写真の罐はすでに休車か廃車でライトがありません.国鉄制式蒸気機関車の中ではE10型とともに希少車で、写真もあまり残っていないと思います.

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2005/12/11 PM 11:43:47 | [Top number]

No.159 B201とB2010
1円で61万株を空売り! お馬鹿さんがいたものです.


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国鉄制式蒸気機関車の中での異端児B20型は太平洋戦争末期に15両作られたようですが、小樽築港の1号機と鹿児島の10号機が昭和40年代まで残りましたので知られています.形式の20は重量が20トン、から付けられたということで、他の制式蒸機の原則には則っていません.
このトップナンバーは1967(昭和42)年に廃車になっていたのですが、その後もラウンドハウスの中に置かれていたのでC62を訪ねた人は見ていると思います.角形ドームに描かれた鐘の絵や煙突に巻かれた金帯など、小樽築港区のシンボルとして大事にされていたことが窺えます.写真は廃車前1966年の姿です.
現在は岩見沢市旧国鉄万字線朝日駅跡(万字線鉄道公園)で保存されています.

一方の鹿児島機関区10号機は、梅小路蒸気機関車館で赤い50系客車に連結されて長いこと庫外で展示されていましたが、数年前に一般からのボランティアの手を借りて動態復元され、ピカピカになっています.
鹿児島時代はどちらかというとグレーっぽい褪せた色で梅小路搬入直前の1972年まで使われ、最後には日豊本線で特別列車を牽引するという珍しい晴れ姿を見せてくれました.
形式入りの立派なナンバープレート付きですが、確か木製だったと思います.

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2005/12/09 PM 04:18:33 | [Top number]

No.157 D601

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今日も在庫品からトップナンバー、D601をご覧下さい.1965年、小郡機関区での撮影です.
もとは1927(昭和2)年製の9900形式「19961」、翌年には「D50162」と改番されています.
昭和の激動の時代を走り抜き1951(昭和26)年には2軸従台車に振り替えにより軸重を軽減.その名も「D601」と改められ山口線にやってきました.
古めかしいD50の車体に近代的なコロ軸受け装備の2軸従台車はミスマッチな感じでしたが、もうどちらも古くなってしまいましたね.
D60型は大正製9600型の置き換えが主目的で改造され、DL化までのつなぎ役となった機関車が多く、北海道から東北、九州と流転した仲間もいました.しかしD601 は改造後は山口線一筋で活躍、1966年12月に引退しています.
現在山口線はC571が牽引する「やまぐち号」が走っているのはご存知の通りです.

D601は山口市内の山口県博物館で独特の集煙装置を付けた姿のまま保存されています.

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2005/12/06 AM 12:23:36 | [Top number]

No.156 C551

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こちらも現在梅小路蒸気機関車館で静態保存されているC551です.初めての出会いは1969年3月末、とても寒い最北の駅稚内駅でした.この2年ほど前に友人が室蘭機関区で撮影した写真を見せて貰っていましたが、その後旭川機関区に転属していました.
実はC55という機関車をじっくり眺めるのはこれが最初、トップナンバーに当たるとは実にラッキーで、1750mmのスポーク動輪に感激です.

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C551は普通列車を牽引して旭川へ向けて出発して行きました.稚内-南稚内間は市街地が続き、適当な撮影場所はありません.

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この写真は翌1970年3月に日曹炭砿専用線を訪ねた後、豊富駅北側で撮影した夕暮れの雪原を驀進してくる下り普通列車牽引のC551です.クロス・スクリーンを使ったようですね.

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これは夏姿ですのでスノープラウがありません.この日は稚内から旭川までこの列車に乗車してきました.旭川からはC57194が牽引して滝川に向かって行きました.1969年8月です.

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C551は梅小路蒸気機関車館開館に先立つ1年前の1971年、鉄道100年記念映画撮影のために梅小路に回送後、旭川に戻されることなく1年間梅小路に置かれたまま、開館を迎えています.

宗谷本線のC55は一度本編にアップしたことがありますが、何時かまとめて再アップの予定です.その際は今回の写真も使う予定です.

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2005/12/05 PM 11:54:18 | [Top number]

No.153 C591

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昨日がC581でしたので今日はC591にします.12月1日なのでC121があれば良かったのですが、残念ながら在庫がありませんでした.
C591は東海道、山陽本線で急行・特急列車を牽引した後、九州に転属して1965年まで熊本機関区所属で鹿児島本線の特急「みずほ」「さくら」「はやぶさ」などを牽引していました.
この写真は現役最後の年1965年8月、鳥栖機関区でのものです.
その後は国鉄小倉工場で保存され、現在は2003年開館の九州鉄道記念館にてピカピカの状態で展示されています.

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2005/12/01 PM 10:57:41 | [Top number]

No.152 C581
ブログのカテゴリーを少し作りすぎたような気がします.まだ記事が1つしかないものも多いので少しずつ埋めてゆくことを心がけてゆきます.でも[月光仮面]のネタはまだあるかどうか.
今日は[Top number]ということでC581を.


現在梅小路蒸気機関車館で静態保存されていますが、現役時代の最後は北海道北見機関区に所属して石北本線、釧網本線で活躍していました.ここでは貨物列車、混合列車、そして「大雪くずれ」なんて言われたAB寝台、グリーン車などを組み込んだ優等列車編成の牽引にもあたり人気がありました.
残念ながら途中ですれ違う列車の牽引する姿を見かけることはあっても、私のカメラに収まる機会はこの1970年3月、網走駅駐泊所での一度だけでした.

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C581 は早くから保存の候補に挙がっていたためか他のC58のようにデフの切り詰めも施工されず、原型を保ったままの姿で使われ、この翌年には煙室扉のハンドルを磨きだしの船舵型に交換されていました.

梅小路では一時、山口線のC571の予備機として「やまぐち」号の牽引にあたりましたが、その後その任を解かれて現在は前述のように静態保存されています.
1980年6月には横浜臨港線で走りました.そこで10年ぶりの再会となった訳ですが、C58には大型すぎる集煙装置が付き、同じ機関車とは思えませんでした.その他、デフの大きい点検穴が無くなり、現役時代には無かった助士席側の旋回窓が付いていますね.

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もう12月ですね

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2005/11/30 PM 07:46:28 | [Top number]

No.21 D511
蒸気機関車トップナンバーの想い出、とは言っても実際にその現役で活躍する姿に出会ったことがあるのはC551、C571、C581、C601、D511くらいなものです.(これは有火状態で撮影できた、ということに限定します.車窓からチョイ見や休車、廃車、保存機は別です) な〜んだ、C60以外は全部梅小路の機関車じゃないですか.
特定のナンバー機に出会えるチャンス、というのはイベントじゃない限り運だけですから、私の年齢から言えば結構多いのかも知れません.その出会いシーンを各機別に時おり回想してみたいと思います.

トップバッターはやはりD511を登場させましょう.
初対面は1966年8月、場所は盛岡機関区です.同じ時にC601も見てるのですが、この時は休車中でした.D511も庫の中に入っていて、その全貌は撮影できなかったのですが、その時の正面から撮った写真を見ると、小さい電球を3つ内蔵している変形ヘッドライトを付けています.これは試作的なものらしく、すぐ外されてしまったので資料的には貴重なカットになりました.(写真左上)
2度目の出会いは、翌年1967年12月の東北本線奥中山です.雪の中、この超有名な場所で撮影していると、ここでは珍しい前1後1の2機で登ってきた貨物列車の後補機がD511でした.東北本線で走行中を撮影したのはこの時だけですが、意外な出会い方でしたね.(写真左中)
その後は奥羽本線での例のNHK新日本紀行「三重連の峠」イベントで、何回も何回もD511は矢立峠を往復してくれましたので、その時の印象が強烈です.あれは忘れもしません1970年8月30日.あの日は暑かった〜! (写真下)

その後のD511は梅小路開館までを山陰本線浜田機関区で過ごしました.その姿は雑誌で見るばかりでしたが、確か4重連のイベント列車の先頭に立ったことがありましたね.

最後にこんな出会いがありました. 梅小路での動態保存が始まっていたので、もう現役ではありませんでしたが.1973年の秋に当時勤務していた会社の仕事で、上司を乗せて国道18号を長野市から高田方面へクルマを走らせていた時です.「昔はこの信越本線もD51が走っていたんですよ」なんて会話をしながら牟礼駅横を通過しようとすると、なっなんと、駅から煙が上がっているじゃないですか.仕事中だということも忘れて、上司の許可も得ず(暗黙の了解?)ハンドルを左に切りました.そこには長野工場で全検を受けたばかりで、ピッカピカのD511の姿がありました.予期せぬ形での再会ですから、感激もひとしおです.意外だったのは、同乗の上司が私よりも先にクルマから飛び降りてD511にカメラを向けていたことです.(写真左下)

今は梅小路で静態保存中ですが、峠を登る勇姿(できればD51200D51498を従え3重連で)に、感動の再会をしたいものです.

2005/07/21 PM 03:27:26 | [Top number]

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