【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.826 パシナギラリ

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まさかこの目で見られるとは!

1984.4 蘇家屯

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2009/01/20 PM 10:01:07 | [中国の鉄道]

No.551 満鉄ミカイと解放型

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1986年4月の佳木斯 Jiamusi機務段にはこの廃車体もありました.おまちどおさま、旧満鉄ミカイこと解放(JF)型です.普通は勝利や解放の後に数字が付いた型式になりますが、このタイプは数字無し、単なる解放型と称します.(他にも解放2-17型が存在します)

おそらくJFの廃車体はこの機以外にも何両か居たような記憶ですが、この機にしかカメラを向けていません.なぜならば、傍らでこれが煙を燻らせていたからです.

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シリンダー部分にはカタカナで「ミカイ」の表記が認められました.(なんで撮ってないんじゃ!自分のことながら腹立たしい)

ミカイ<解放型=JFについては世界有数の名機関車に数えられると思います.形態分類、改番、改記号、改造など複雑で、詳細に査証すれば本が一冊書けてしまうような膨大なものになるはずです.その全貌は私には知るよしもありませんし、それをまとめる気力も能力も持ち合わせていません.
しかし写真だけ並べても説得力がありませんので、受け売りですが手短かに解説させて頂きます.一部言葉足らずかと思いますが概略とご理解下さい.

オリジナルは1918(大正7)年、アメリカ-アルコ社で設計製作され、満鉄に輸入されたものですが1935(昭和10)年までに、1-70・501-574までの144両が日本のメーカー(川崎、汽車、満鉄)も加わって製作されています.このシリーズが本来の「ミカイ」と呼ばれるグループで、後にはoldJFタイプとも分類されます.
1935年からは、アルコ社設計部分を各所改良した「標準型ミカイ」が日本メーカー(川崎、汽車、日立、日車、満鉄)で大量に増備されました.分かりやすところでは、全長が21.8m→23.7m、重量160.4t→185t.ボイラ圧13.4kg→14kgなど改良されています.
この仲間は後にはstandardJFタイプとも分類されます.

このスタンダードの解放JF型は1935(昭和10)年-1957(昭和32)年の製作で71-500、575-2500の2354両が製作されています. またほぼ同型が朝鮮総督府鉄道にも大量に投入され、満鉄同様に朝鮮半島の貨物列車の主役として活躍していました.
太平洋戦争が終了、国勢が変化しても、日本国内の各メーカーでは製造を継続、援助物資として昭和20年代後半まで国連経由で中国に輸出しています.
日本国内で作られた最終ロットは、船積み待機の状態で名古屋駅近くの中京倉庫で1965(昭和40)年位まで保管され、東海道線列車の車内から見ることができました.しかし、結局大陸の地を踏むことなく解体されたようです.(東海道新幹線の地固めに使われる計画もあったとか、無かったとか?)
さらに中国国内でも大連、青島工場で製作された車両も多く存在します.

その中で「旧ミカイ」と名乗れるのは、やはり満鉄機として在籍したことがあるものだけに限られるでしょう.前述のように詳細な資料は持ち合わせていないので、何号機までがそれに該当するのかは残念ながら判りかねます.
途中から動輪がスポークからボックス式に変更されていますので、正確には判りませんが、この変化あたりがボーダーラインになるのではと思っています.

また1957年には中国の技術で改良した、新解放型=newJFが 大連、青島工場で100両以上製造されています.こちらは機番が4001〜なのではっきり区別ができます.
1958年からは後継の建設型=JSが登場しています.

このグループは1918-1957年と約40年に渡り3000両近くが製造されました.その発展型である建設型もその後30年間で3000両以上が製造されています.ということはこのミカイ→解放型→建設型シリーズは世界有数の量産蒸気機関車ということになるのでしょうか?

ボックス動輪のJF916 鶴崗機関区 1986年4月

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1980年代では各駅の入換機としてよく見られました.各機務段でも1-2両は必ずその姿に接していたのですが、前進型の迫力に負けていたのかあまり撮影していないのが今考えると非常に残念です.(こればっか)

2007.5.17追記
一番上の廃車体の写真、じっくり見ると下のJFより一回り小さいような気がします.(特にボイラ径) ランボード下のエアータンクもありません.機番が確認できないので断定はできませんが、これは旧満鉄ミカロ(小ミカ)、後の解放6型(JF6)かもしれません.
同一機関車にいろいろな呼び名があるので混乱してしまったらごめんなさい.


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2007/05/11 PM 11:43:47 | [中国の鉄道]

No.550 パシロと勝利6型

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やはり1986年4月、夕方の佳木斯 Jiamusi機務段にも何両かの廃車体が見られました.前進型、人民型、解放型など現役蒸機がゴロゴロ居て、元気に煙を上げていますので、なかなかそちらの方にカメラを向ける余裕がなく、はたして全機を網羅したかどうか自信がありません.
上写真はナンバーが確認できませんが、2C1パシフィック型ですのでもと満鉄パシロ型、つまり勝利6型=SL6型であると思われます.(SLは勝利の中国語ピン音Sheng Liの頭文字で、Steam Locomotiveとは無関係です)
SL6型なら当時はまだ現役機が少数ですが健在で、それほど珍しいものではありませんでした.しかし、これは満鉄のパシロ型ではなく戦後、大連や青島工場で作られた中国国産機でボックス動輪が特徴です.この廃車体のカマはスポーク動輪なので、もと満鉄パシロ型であると断定できると思います.
1980年代に旧満州地区で撮影された勝利6型=SL6型はボックス動輪機ばかりなので、旧満鉄機パシロは一足先に引退していたようです.

こちらはその純中国製SL6型のトップナンバー、SL601号機です.大型のハイデフが目立ちますね.(1988年9月大同)

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1984年10月、ハルビン機務段で撮影したSL618号機.601とは大分印象が違います.

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同じく1984年10月、大連駅を出発するSL631牽引の市郊列車です.続く客車はほとんどが満鉄時代からのものです.

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ところでオリジナル日本製のパシロ型は、南満州鉄道(=満鉄)とともに上海南京地区の華中鉄道にも導入されました.こちらも戦後は勝利6型=SL6型となり、南京周辺で1980年代まで旅客列車牽引に前に廃車体を紹介した旧パシシこと勝利11型=SL11とともに活躍していました.1984年5月に初訪中の際にその美しいスポーク動輪のパシフィック機を撮影できました.なぜかギースルエジェクターが装着されています.

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2007/05/08 PM 04:15:49 | [中国の鉄道]

No.548 躍進型(YJ)

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中国国鉄鶴崗機務段に隣接して鶴崗砿務局の機務段があります.ここは鶴崗駅と周辺の炭砿などを結ぶ運炭鉄道で、本線は電化されているのですが、グリーンに塗られた大型の凸型電機に混ざって解放型(JF)、上游型(SY)など蒸機の姿も見ることができます.
1986年4月には、その構内に躍進型YJ317が留置されていました.無火で煙室辺りには錆も見られますので、すでに休車または廃車になっていたと思われます.
躍進型は旧満鉄プレニであるPL2型をプロトタイプに、1960年頃から済南工場などで製作されたと言われています.1C型プレーリー(中国では平原式)機で小ヤードや工場などで使われる、いわゆる産業用の小型機です.鞍山の製鉄所でPL2型ととも活躍していたのが有名ですが、私は1984年10月に大連港湾局で入換中の姿を撮影できました.

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同じ場所でPL2型も入換作業に就いていました.ご覧のようによく似たスタイルで遠目には見分けが付きませんが、ボイラ上のドーム形状が違います.しかしそれぞれ機番による形態差もあるので一概には区別できません.テンダもスローピングバックではない普通のタイプも両者に存在します.

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PL2型は旧満鉄機なのですが、戦後に中国で作られた機番もあり、躍進型とPL2型のボーダーも微妙なところです.

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2007/05/04 PM 06:08:25 | [中国の鉄道]

No.547 チェコ製JF13

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鶴崗嶺北鉱業所に留置されていたもう1機です.こちらの方はほぼ完品状態で、ナンバーも確認できます.
キャブ側面に[解放3876]と書いてあるのが読みとれますが、丸く深いキャブ屋根や特徴あるテンダの形態から解放13型(JF13)と判明しました.
1929年、チェコ(当時はチェコスロバキア)のシュコダ社製で、3855-3878の24両が当時の中国政府により輸入されています.
本来のミカイ= JFと較べるとサイズ性能とも一回り小型のようです.もと満鉄機ではないので当初はこの地とは無縁のはずですが、戦後大型機の台頭により配転されてきたものと思われます.私のアンチョコには北京近郊での目撃例が挙げられていました.


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下の写真は中国国鉄の鶴崗機務段のはずれ、ズリ山の上に放置された2機の廃車体とも言えないような残骸です.これ以上近づけないので300mmで撮ってみました.


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手前は5動軸のスポーク機なのでおそらくソ連製のFDだと思われます.向こう側のカマはかろうじてキャブ、テンダ台枠まで残っていますが、缶胴やボイラ付近はボロボロです.しかし特徴ある屋根のカーブから、これもJF13のようです.
当時は中国の蒸機についてそれほど詳しかった訳でもなく、ほとんどの廃車体は旧ミカイのJFに見えていましたので、撮影時にはチェコ機だとはまるで気付いていません.

手前の残骸もこれだけでは、いきなりFDとは断定はできないはずなんですが、同じ機務段内にほぼ完品のFDの廃車体が有りましたので、すぐ推測できた次第です.
このFDは本来の3軸ボギーの大型テンダではなく、解放型用の2軸ボギーのテンダを連結しています.旧満鉄エリアでは旧ミカイ=JFの長さに合わせた転車台が多く残っていた関係で、前進型も3軸ボギーテンダ機はあまり使われませんでした.FDも同様にテンダ振替を行っていたようですね.


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(撮影1986年4月)

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2007/05/02 PM 09:38:42 | [中国の鉄道]

No.546 正体不明のKD823
昨日のKD6のがっかり廃車体が留置されていた鶴崗嶺北鉱業所には、他にも数両の廃車体が置かれていました.今日はそれらと、他に中国国鉄鶴崗機務段や鉱務局の機務段で見かけた廃車体を一挙に紹介するつもりでした.しかし、このカマの写ったポジをスキャンしていて大変なことに気付いたので、とりあえずこの1両を紹介することにします.


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このテンダが欠損したボロボロの廃車体ですが、撮影時からつい今しがた数時間前まで解放型(JF)つまり旧満鉄ミカイの仲間だと思っていました.従台車が無いのはテンダと共に欠損している、と考えたわけです.撮影時はKD6のことばかり頭にあったので、ろくに調べもせず3カットほど撮っただけでした.
先ほどミカイの仲間でもどのタイプに分類されるのかポジでナンバー表記を探しましたが、キャブ付近には見当たりません.正面は逆光で潰れていたのですが、念のためにルーペで拡大してみると何やらナンバーらしきものが見えます.スキャナーで最大限拡大してみたのが下の写真です.

ガーン!なんと[KD823]と読めるではないですか!解放型ならJFですからね、驚きました.KDはコンソリデーション型の外国製ですから、従輪が無いのはそれで正解でした.
ところがこんなタイプのKD型は聞いたことがありません.アンチョコを見てみましたがやはり載っていませんでした.アンチョコにはKD7の次はボールドウイン製のKD12まで飛んでいます.検索をかけてみましたが、それらしきものに行き当たりません.

これでもう行き詰まり、これ以上の資料の持ち合わせはありませんが「大陸の鉄輪」などお持ちの方、また他の資料をお持ちの方、該当機があるかどうか見て頂けますでしょうか? お願いします.
何となくですがドイツっぽいような気もしますが.


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後悔ばかりですが、実際に現物に接しているのですから、もう少し興味を持って調査してくれば良かったと、いつも思うんですよね.

次回はやはりここにあったもう1両の廃車体をご紹介します.

※ところで鶴崗 Hegangは山形県鶴岡市出身者が中心になって開拓したので、この地名になっているそうです.
(撮影1986年4月)

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2007/05/01 PM 10:57:41 | [中国の鉄道]

No.545 幻のアメロコKD6


前に大奮闘シーンの連続写真をご覧頂いたアメロコKD7の弟分のようなカマで、全てがワンサイズコンパクトになっています.全動輪が均等に配置され、ボイラ位置の高い、如何にもアメリカンというスタイルです.兄機?と同じくボールドウィン、アルコ、ライマ社で1942年から1945年までかなりの両数が製作され、連合軍のヨーロッパ作戦に使われた模様です.終戦後は国際連合救済復興機関(=UNRRA)の援助物資として中国(=中華民国)へ投入されています.
↑はボールドウィン社のメーカー写真です.

1986年4月の訪中時、そのKD6があるよ、ということで黒竜江省の佳木斯から列車で鶴崗へ、さらにバスで郊外の嶺北鉱業所というところへ案内されました.しかし、そこに待っていたのはボロボロでサビサビの廃車体でした.確かにKD6ではありますが、現役機が存在するという確かな情報でやって来たのですからガッカリです.通訳の人にいくら説明して貰っても「これがケーディー・リューだ」の一点張りで埒があきません.

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その帰路、鶴崗炭砿の露天砿の横を通った時に見てしまったのです.順光の下、煙を上げて休んでいるケーディー・リューを!「あれを撮らせてくれーーーーーっ」と懇願したのですが、聞き入れられず、本当に悔しい思いをしました.もっと悔しいのは鶴崗へ行く数日前に寄った撫順炭砿でもKD6がやはり現役で使われていた、という事実が後日判明したことです.
情報不足や細かく所轄が別れていて、それぞれ撮影許可を得るのは大変な時代だったとはいえ、2度もニアミスしていたとは悔やんでも悔やみ切れません.

そんな因縁のKD6の1両が、現在まで奇跡的に生き残り、遼寧省鉄法炭砿鉄道で動態保存されています.瀋陽の近くですからそれほど遠くはありませんが、今の私には遠い世界です.
鈴屋の鉄道写真館サイト主宰の鈴屋さんから画像をお借りしましたのでご覧下さい.


オリジナルや私の見た廃車体は結構派手でワイルドなアメリカンですが、鉄法のはランボードやキャブが改造されてしまい、ずいぶんと大人しい姿になっていますね.
チャンスがあればぜひ見に行ってみたいものです.

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2007/04/30 PM 07:46:28 | [中国の鉄道]

No.544 森林鉄道の脇役達


中国黒竜江省、朗郷森林鉄道の主役はもちろんC2型蒸機牽引の運材列車と客車列車ですが、その合間を縫って各種モーターカー、レールバス、そして果たして正式に閉塞方式に則って走っているの?と思わせるようなプライベート・エンジンカーなども見かけました.
この森林鉄道はかつて満州開拓時代に日本の力で敷設されたのですが、当時の置きみやげであるKATOくんも健在でした.














撮影は1984年10月、1986年4月

最近は本編コンテンツのアップもさぼっています.焼き直しですがヨーロッパものを企画中です.しかし野暮用が多くて、なかなか手が付けられません.野暮用の中にはこのブログの更新も含まれているのですが、こちらの方もなかなか大変、滞りがちであいすいません.最近は軽く1点写真+コメント何ていう軽いものでは本人が満足しないから厄介ですわ.

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2007/04/29 AM 11:09:55 | [中国の鉄道]

No.541 哈爾浜宵酔い散歩
1984年10月、ハルビン(哈爾浜)の晩餐のあと、酔い覚ましに散歩に出かけました. カメラには明るい標準レンズと1600のポジフィルムを装備. それでも暗いハルビンの街でなにが撮れるでしょうか.(フィルムとレンズのおかげで写ってますが実際はもっと暗い世界です)

メインストリート!には2台の市電が待機していました.よく見ると路上には人が一杯です!


緑のラインの電車が発車して行きました.


赤ラインの電車も満員の乗客を乗せ発車です.


フラフラと歩いて哈爾浜駅構内の端に架かる勝利橋へたどり着きました.なんと2台の蒸機が併走してやって来るようです.


左はRM(人民)型牽引の夜行列車、右はQJ(前進)型」の貨物列車でした.やや後方のQJのライトがRMのサイドを照らします.

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2007/04/22 PM 03:29:04 | [中国の鉄道]

No.539 アメロコKD7の大奮闘
4日ほどお休み頂きます


滬杭線長安鎮駅 (画像をクリックすると拡大されます)

第二次大戦後、1946年から中国国民党への援助物資として、アルコ、ボールドウィン、ライマ社製のKD7型が大量(150両+α)にアメリカから導入されました.このタイプはマッカーサー型とも称し、ヨーロッパのベルギーなどへも輸出されています.
1983年、初訪中時には上海、杭州などで入換や貨物列車牽引、さらには旅客列車牽引と大活躍する姿をこの眼で確認することができたのです.
アメリカ型の蒸機には昔から憧れがありましたが、アメリカ本土での活躍はすでに過去のものでした.まさか日本国内から煙が消えた後に中国で対面できるとは!信じられない思いでシャッターを切り続けたものです.

先日アップしたソ連製FDの記事で出てきた杭州、銭唐江大橋の手前の勾配区間でKD7型牽引の長い貨物列車を撮影しました.
日没間近で小雨の降る中、カーブの先の丘の向こうから勇ましいドラフト音が聞こえてきます.しかし濡れたレールに足を取られているのかそのリズムは度々乱れ、今にも止まってしまいそうな息づかいでした.
やっとカーブに姿を現した瞬間からの連続写真です.たかだか数100mの区間を空転を繰り返しながら、どれほどの時間をかけて通過して行ったのでしょうか.モードラの連写ではありません.1カット1カットタイミングを見ながらシャッターを押しています.
(モードラ連写なら1-2カット目でもうフィルム切れでしょう)
途中タテヨコ切り替えどころかレンズ交換までしていますね.
ちょうどフィルム1本分、全36カットです.重くなってしまうのでサムネイル表示にしました.似たような絵柄ばかりですので見たいカットだけクリックして拡大画像をご覧下さい.














KD7の力闘ぶりをご堪能頂けましたでしょうか?私はこのシーンを見たことにより、焼けぼっくいに火が付いてしまいました.その後中国に何度も出かけるきっかけになったシーンですが、残念ながらKD7にカメラを向ける機会はその後の旅では得られませんでした.

たかがブログの1記事に何時間も費やしてサムネイル含めて74点の画像ファイルを作りました.自己満足、と言うほどには満足していませんが、馬鹿な努力の成果を見てやってください.

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2007/04/15 PM 05:48:13 | [中国の鉄道]

No.538 ホームにて

KD7の連続写真を準備中ですが、スキャンが間に合わないので埋め草写真でご勘弁を.滬杭線の何処かの駅.1983年5月

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2007/04/14 PM 07:18:22 | [中国の鉄道]

No.537 ソ連製友好(FD)型
13日の金曜日


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お約束の友好(FD)型です.
1950年代から1960年にかけて当時蜜月時代といわれた仲のソ連から不要になったFD型(1931-1942年製)を標準軌に改軌して、中国国鉄になんと1250両もが大量導入されました.
全長約30m、重量258tという超大型機で、ほぼ中国全土で主力機として活躍したようですが、国産の前進型(QJ)の増備で順次置き換えられて1984年頃までに全廃されています.

私が初めて訪中した1983年4-5月にはかろうじて、最後の現役時代をかいま見ることができました.残念ながら機関区訪問や駅撮りで形式風は撮影できなかったので、車中から見た廃車体をトップ写真↑にしました.

こちらは大逆流で有名な、浙江省の省都杭州の銭唐江に架かる銭唐江大橋を渡るQJ+FD重連牽引の貨物列車です.この橋は道路と二層構造の併用橋で道路の観光客やトラック、海と紛うような大河銭唐江に浮かぶジャンク船が如何にも中国中国しています.杭州駅から橋までが結構な登り勾配になっていて、大迫力のドラフト音が辺りに響き渡った末にこの重連が顔を出して大感激でした.なんとこれが私の中国蒸機列車撮影初体験になります.


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2日後、南京郊外の京滬線沿線に場所を移して撮影していると、テンダファーストでFDが貨物列車を牽引してきました.少し先の駅から逆方向に支線が分岐していますので、そちらからの直通貨物でしょう.なんとなく場末の3流列車牽引のようで筑豊本線のD50・D60を思い出してしまいました.ボックス動輪のQJに較べてスポークのFDはリベットだらけのテンダーとも相まって、日本のD51とD50・D60と同じような関係のようです.


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次はアメロコKD7の番でしょうね.

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2007/04/13 PM 05:55:39 | [中国の鉄道]

No.536 パシシだ!
4月から一部生活環境が変わったものですから、時間のリズムが上手くつかめません.いつまで続くかしぶとい花粉症に、黄砂の影響でしょうか?眼はショボショボ、鼻はシュンシュン、さらに咳き込んだりして体調があまりよろしくない毎日です.
ブログの更新も怠ってしまうことしばしばですが、サボっている訳ではなく、昨日までは本編「96DEPOT」の更新作業をしていました.今回新機番7機を含めて37画像が追加されました.よろしければご覧下さい.更新日は4月3日の予定でファイルもその日付で作っていますが、実際のアップは5日遅れでした.

ここ数年来疑問だったことがあります.時々近所から太鼓の音が響いてくるんです.まあ、うるさいとかそういうレベルではないのですが、和太鼓かドラムの練習でもしているのかな、なんて思っていました.
それが漸く真相判明しました.先日は夜8時頃だったのですがその太鼓の音とともに、大きな歓声がはっきり聞こえてきたのです.忘れてました、自宅から直線距離で1.5kmほどのところに日立総合運動場があります.そうJ1柏レイソルの本拠地です.太鼓の音はその試合日の応援だったんですね.ですからデイゲームもありナイターもあるわけで、長年の疑問がきれいに解決してスッキリした思いです.
J2降格もしてここ数年冴えませんでしたが、今年はいきなり連勝して頑張っていますね.しかし地元ではあってもそれほど盛り上がっていませんが.




1983年5月、初めての訪中は上海、杭州、南京でした.この辺り、かつて日中戦争後は華中鉄道のテリトリーで国内からは9600型やC51型などが広軌化されて大量に持ち込まれています.この旅では現役の姿は無理としても廃車体くらいは発見できるか、という淡い期待もありました.

上海から杭州へ向かう列車で、まもなく杭州到着というときに車窓に廃車体の蒸機の列が走りました.それもパシフィック型のようです.予期せぬその姿を見て思わず「C51だ!」と叫んでしまったのです.そうは言いながら内心は「違うかなC54みたいだな?」とも思ったものです.(C54はありえませんが) この時は突然のことでカメラを向けるヒマもありませんでした.

杭州ではぜひその場所を訪問したかったのですが、なかなかガイドの人に真意が伝わらず、当時は規制が厳しくて何処にでも連れて行って貰える時代ではなかったので、叶いませんでした.
せめて帰路の車窓からはバッチリ撮影しよう、とメンバー全員カメラを構えて通過を待ちかまえました.東ドイツ製の軟臥車は窓が固定ではないのですが、キーでロックされていて開けられませんでした.
さて、再度眼前を過ぎゆく1両1両を確認しながらひたすらシャッターを切ります.



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残念ながらC51ではありませんでした(もちろんC54でも)が、雑誌では見覚えのある機関車です.「あれはパシシじゃないか」と言い出す人がいて、なるほど納得です.パシシといえば朝鮮総督府鉄道のものが有名で、私もそちらを覚えていましたが、帰国後資料を見ると華中鉄道にも同型が入線していました.




後日写真を見るとやはりC54、C53あたりを大陸テイストにしたようなスタイルです.しかしあのような状態で何両も置かれてたいたところを見ると、数年前までは現役で走っていた模様で、その様を見られなかったのは残念ともいえます.乗車していた列車を牽引していたルーマニア製のND2型DLによって駆逐されたものでしょう.
パシシの中国国鉄での形式は「勝利11型=SL11」 です.


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列の最後の1両はソ連製の1E1(サンタフェ型)のFDでした.こちらの形式については別にも撮影してますので、いずれまた話題にしましょう.
9600は後日の情報では当時南京西駅でまだ入換に活躍していたことが判明しました.駅付近をバスで通過しましたが、見かけませんでした.

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2007/04/09 PM 04:18:33 | [中国の鉄道]

No.483 哈爾浜 Haerbing
金曜ロードショー「 赤い月」見ました・・・・.
前進型が出てきて喜んでいる人や、当時前進型はまだ無かったぞ.なんてイチャモン付けたい人も居るでしょうけど.私はちょっと違います.そんな次元では・・・・.
いい映画でした.

終戦から41年後、1986年のハルビン市電です.それから21年経ちました.


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※今の中国語ピンインではHaerbangになります.

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2007/01/26 PM 05:43:43 | [中国の鉄道]

No.337 キャブオーバー・バス

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1988年正月、北京郊外京包線清河駅付近で列車を撮影していると、踏切にキャブオーバー、セミボンネットバスがやって来ました.
子供の頃にこのような情景を見た記憶があり、無性に懐かしさを感じました.

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2006/08/14 PM 07:18:22 | [中国の鉄道]

No.212 QJ-theater 画像募集
本年2月15日にこの記事をアップしたのですが、コメント欄に連日約5分に1回!という悪質なスパム書き込みの攻撃を受け、サーバー容量が不足する事態となりましたので削除しました.飛び番になるのも嫌なので、本日付けで再掲いたします.
長いことブログの更新をお休みしましたが、休みのない仕事も一段落しましたので、明日より再開します.


南京長江大橋を走るハイデフ前進型QJ2578.1983年5月.

中国前進型のコレクション、QJ-theaterは今まで私の昔の写真だけ100機番あまりをアップしていましたが今後は他の方の画像もご提供頂き、加えてみたいと思います.
前進型であれば時代、場所を問いません.
よろしかったらD51/96/QJ投稿板の方へ(mail添付でもかまいません)へご提供下さい.
・なるべくカラーで車両全体が写っているもの.
・ナンバー(キャブやスローガンボード上でも可)がはっきり判るもの.
・長辺が750ピクセル以上.
あまり大量に頂いても処理しきれませんので、適当なペースでお願いします. 撮影年月、場所(線名、駅名)、漢字、カタカナ+ピンイン表記があるとありがたいです.
どうかよろしくお願いいたします.


排気系の試作改造らしいQJ291です.煙突からランボード上に伸びるダクトや、テンダ上のタンクなどに特徴が見られます.
哈爾浜機関区.1984年10月


試作車?デフ無し、勝利型のテンダを連結したQJ1002.ボロですが無火ではありません.
哈爾浜機関区.1984年10月

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2006/06/23 PM 03:08:58 | [中国の鉄道]

No.283 星海公園にて

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1984年5月、乗っていたた中国大連市電が星海公園駅に停車すると、対向する電車に小さなお客様達が乗車するところでした.これは良い被写体だと思い、下車して撮らせていただきました.子供の姿はどこでも絵になるんですが、コントラストが強くて、今いちでした.電車が満員だったので子供達はなかなか乗れません.

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2006/05/11 PM 11:43:47 | [中国の鉄道]

No.270 前進型太平洋を渡る


よその板の受け売りですが、中国黒竜江日報によりますと、中国からアメリカ合衆国へ中古の前進型(QJ)が2両輸出されたそうです.具体的にすぐどこで使用するという話ではなく、アメリカ国内で観光鉄道用に売り込むためのデモ機なんだそうです.
前進型はもともとアメリカ型の流れをひくロシア機がプロトタイプですから、何の違和感もなく受け入れられることでしょう.上の写真のような姿になって走る姿も見ることが出来るかも知れません.

私が中国の機関車を撮影するようになったのは、アメリカ製のKD7型やアメリカンな前進型など、写真でしか見ることの出来なかったアメロコの雰囲気に憧れていたからです.それは当のアメリカのファンの思いも当たり前ですが絶対に強いはずで、良いロケーションの中で相応の列車を牽引すれば大人気となるに違いありません.
過去に前進型の中国外への輸出実績といえば、相生に保存されている機関車くらいだと思いますが、1988年に大同機関車工場を訪問時に冗談半分(全部です)で聞くと、すぐ調べてくれて新車をFOB価格50万元(2000万円くらい?)で売りますよ!とのことでした.案外安いなとは思いましたが、その他の諸費用が如何ほどかかるかは不明です.あれだけの大きさと重さですから、ちょっと移動させるだけでも相当な経費が必要でしょう.

上の写真は哈爾浜機関区で撮影したQJ1002号の画像を私がアメロコ風に加工したものです.誤解の無きよう.

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2006/04/26 PM 05:43:43 | [中国の鉄道]

No.259 これも長城
秦の始皇帝さんが造ったという万里の長城ですが、北京の八達嶺のように石造りの立派なものはごく一部で、多くは単なる土累の延長程度のものだったと言われています.しかし観光地化されているポイント以外はなかなか我々旅行者の目に触れるチャンスがありません.

1984年5月、山西省の大同から太源まで北同蒲線の列車に乗ることになりました.地図で見るとその行程で線路を長城の記号が横切ってるではないですか.この部分はいわゆる長城の本線部分じゃなくて、横に張りだした枝線の部分なのでナマの長城の実体を拝めるのではないかと楽しみにしていました.

乗車してみると昼間の列車なので、車両は前後左右の見通せる軟座車(日本のグリーン車ですね).これが寝台兼用のコンパートメントの軟臥車だと視界が限られてしまってあまり面白くありません.

前進型蒸気機関車牽引の快速列車がいよいよそのポイントに近づきました.目を凝らして車窓を見ていると地図とは少し違って、ちょうど駅の構内に差し掛かったところで期待通り右の方に土手のようなものが見えて来ます.ある意味防衛拠点と言えますからそこが駅になっていても不思議はありません.



そしてちょうど線路の部分だけがカットされていて、左側へと続いていきました.


しばらくは線路と並行していましたが、この部分は列車からの見栄えを意識しているのか、一応長城風の体裁になっていました.


この北同蒲線は日本が当初はナローゲージの路線として建設したものですが、沿線は荒らされておらず、昔ながらの三国志や水滸伝などに登場するような典型的な中国の情景が次々と現れて、楽しい路線でした.

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2006/04/14 PM 07:18:22 | [中国の鉄道]

No.257 万里の杏


よそ様のサクラの写真が羨ましいので、こんなの引っ張り出してきました.中国北京、八達嶺万里の長城のサクラならぬアンズ(杏花)です.時期は少し遅くて5月1日ですが、北京の緯度から考えたら弘前や松前のサクラと同時期ですから頷けますね.
5月1日は中国でもメーデー(労働節)って向こうの方が本場とも言えますが、やはり祭日で観光地である八達嶺も国内外からの観光客で大にぎわい!大変な人出でした.
駱駝は記念撮影用で、下の写真にも小さく写っています.この長城の下を京包線が通り抜けていて、木々の間に線路を望むことができます.時々列車の姿も見えるのですが、ここには上下線別々の折り返しになるスイッチバック駅があり、そのために線路が輻輳していてよく判りません.大量の観光客や大音量でかかる音楽のために列車の音も聞き分けられず、気が付いたときにはいつも通過中というありさまで撮影はまったく不可能でした.



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2006/04/08 PM 04:15:49 | [中国の鉄道]

No.226 建国35年記念入場券


一昨日にアップした「中国DL」の中のコラム「余談ですが」で取り上げようか、と迷っているウチに忘れてしまいました.
1984年は中華人民共和国建国35年、ということで盛大な行事が行われました.北京駅ではそれを記念して記念入場券を発行しています.5枚組で発売?されたものですが、そのうち4枚に機関車がデザインされていますのでご紹介します.
北京周辺の名所などに前進型蒸気機関車、北京型液体式ディーゼル機関車、東風4型電気式ディーゼル機関車、韶山1型電気機関車が組み合わされています.
言っちゃあ何ですが、まるでデザインの統一性が無いですし、一番下のものは赤帯が入場券部分にまでかかってしまっています.

まあ、こんなものもある、というだけの話しなんですが.
もしどうしても欲しい、という奇特な方が居られましたら、私あてに←メールを下さい.何故か在庫が大量に眠っています.

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2006/03/05 PM 11:54:18 | [中国の鉄道]

No.186 そっくり
1988年9月、中国山西省大同で行われた第一回大同国際蒸気機関車フェスティバルに参加しました.これは長年蒸気機関車を製造してきた中国国鉄大同工場での蒸気機関車製造中止を記念してのもので、世界各国からの招待客や地元の人々を集めて盛大に行われたものです.詳細は本編を見て頂くとして、そのアトラクションでの1カットです.
北京から同行して頂いた鉄道出版社のLさんが「寺田さん、サンマがいますよ」と手を引っ張ります.一瞬何のことか判りませんでしたが目を向けたその先にはなんと!
竹馬に乗ってニコニコ笑う歌舞役者さんは顔の輪郭といい特徴のあるBucktoothといい、本人と見まがうようなそっくりさん.当時はひょうきん族が放送されていた頃で、日本滞在経験のあるLさんも大笑いしてました.
帰国後に芸能人と空似の写真を投稿する番組もありましたので、応募しようと何回も思いました.結局出しませんでしたが・・・・.
この写真、数年前に本編にアップしましたが、Hさんからコメントを頂きました.「後の役者さんはタケちゃんマンじゃないの」よく見ると「アララ!」

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2006/01/10 AM 12:39:29 | [中国の鉄道]

No.161 団結駅

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1986年4月末14時すぎ、中国黒竜江省小興安嶺山脈の中を走る朗郷森林鉄道の団結駅に1日1本の旅客列車が到着します.車内は朗郷の街に泊まりがけで買い出しに行く沿線の人達で満員です.沿線に住み林業に従事する人達の足はこの列車のみ、切り出した木材の輸送もすべてがこの細い線路にかかっています.
ほぼ定時に到着ですので普通であれば、あと2時間ほどで終点朗郷に到着するはずです.ところが乗客達はこの駅で異状に気が付きます.いつもは先に行って居ないはずの運材列車ともう1本VIP専用車を含む2両の客車列車が停まっていて、時間になっても一向に発車する気配もないからです.1時間経っても2時間経ってもどの列車も動きません.結局この列車が朗郷へ向かって出発したのは日も暮れた18時頃だったのではないでしょうか.その間どのように事情が伝えられていたかは判りませんが、乗客達は辛抱強く待っていたのだと思います.

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実は別の列車が脱線転覆事故を起こして不通になっていたからで、私はそのもう1本の客車列車の乗客でした.予定では朗郷へは昼過ぎに帰着するはずでしたが、とんだところで足止めをくってしまうハプニングです.しかし一行は鉄道好きのメンバーなんですからC2型ナロー蒸機列車が3本も並べば(だいぶ前後にずれていますが)喜ぶだけです.ただし何時出発するか判らないので列車から大きく離れるわけにはいきません.置いてきぼりにされたら一大事ですから.

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一時はここで夜明かしか、という恐ろしい話もありましたが、17時過ぎに我々の列車はやっと動きだしました.外国からのお客さんが乗った列車が閉じこめられているのですから、全力で復旧がなされたものと思います.定期列車と併結して重連で走るのでは?という憶測も外れ、単独で大急ぎで朗郷に無事戻りました.
この日の夜は現地に住むドイツ人、カナダ人達との大パーティーに参加する予定でしたが、なんとか開始時刻に間に合いました.余談ですが、朗郷は木材関連の工業が盛んで、提携をしている外国の技術者達が多数滞在していました.日本人であれば当然単身赴任でしょうが、彼らは奥さんや小さい子供達とも一緒に来ていました.娯楽も何もないとんでもない田舎ですから、外国人がやって来るとこのようなパーティが開かれるのだそうです.会場は英語、ドイツ語、中国語、そして日本語が飛び交い、まさか中国の山奥でインターナショナルな交流をするとは思ってもいなかったので驚いた覚えがあります.

翌日、朗郷の機関区ではキャブ周辺が大きくひしゃげた泥だらけのC2型の姿が見られましたが撮影は失礼なので自粛しました.

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2005/12/10 AM 12:39:29 | [中国の鉄道]

No.146 スノプロ付き前進型
マリナーズ入りの決まった柳沢慎吾じゃなくて城島クン.今期プレーオフ欠場の責任はどう取るのかな?王さんも複雑な心境でしょう.リップサービスかもしれないが選手生活の最後は福岡で終わりたい.だって.行く前からそんな気持ちじゃ先が思いやられますな.


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1986年4月に訪中したとき佳木斯機務段所属の前進型QJ3398にはトラ塗りのスノープラウが付いていました.この写真は鶴崗機務段で撮影したものですが、カウキャッチャーの上に装着された姿はかなりのインパクトです.

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黒竜江省も奥の方のこの地域では冬期はかなり寒く、降雪がありますが日本の北国のように1mも2mも積もるということは無いようで、スノープラウ装備の蒸機の写真は過去に見たことがありませんでした.その後、佳木斯に近い南岱には多くのファンが冬期にも訪れていますが、他のスノプロ装備前進型のはおろかこの3398号機の写真も撮られていません.

厳寒地では積もった雪がカチンカチンに凍っているといいます.このスノープラウもそのせいか近づいてよく見ると周囲がボロボロに欠けています.
ぜひ雪の中をラッセルしながら進む姿を見てみたいものですが、撮っている人はいないんでしょうね.

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2005/11/24 AM 01:26:23 | [中国の鉄道]

No.136 オレンジ色の前進型
ロッテがまた勝った.バブルパンチを喰らったバレンタイン監督を撮ったカメラマンはお手柄ですね.


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オレンジ色の憎いやつといえば夕刊フジのキャッチコピーでしたが中国にはオレンジ色の前進型がありました.新鮮だし格好イイでしょう.こんな姿で列車を牽いたら人気者間違い無しですね.
この写真はQJ6639で有火ではありますが、残念ながら本線を走ることはありません.1984年5月に訪問した山西省大同の機関車工場で、錆止めの下塗りのまま構内試運転をしている姿です.この後塗装工場で真っ黒に塗られて完成となるわけです.
こちらはQJ6638です.集通線を走っていませんでしたか?

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オレンジ色の蒸気機関車といえばアメリカ、旧サザン・ パシフィック鉄道の「デイライト」N0.4449や南アフリカのものを思い出しますが、本来はアメリカ型である前進型にも意外と似合います.ディズニーランドのポーターもどきの発展型と言えなくもない訳で、せめて模型の世界ででもオレンジ色一色の客車編成を牽引する姿を見たいものです.
[11.15 追加]大井川鐵道に一時登場したSLマンことC11227もオレンジ色でした.

前進型は公称85km/hくらいが最高速度だと思いますが、実際には100km/hは軽く出る(出してる)そうです.旅客列車の先頭に立つ姿もなかなかです.

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2005/11/13 PM 05:55:39 | [中国の鉄道]

No.47 CNR人民型
CNR中国国鉄の蒸気機関車でも旅客用の人民型(RM)は1980年代末にはほとんど消えてしまいましたので、あまり写真に撮られていません.黒竜江省の朗郷森林鉄道を最初に訪ねたとき(1984.10)哈爾浜-佳木斯を結ぶ国鉄哈佳線の旅客列車はすべて人民型の牽引でした.もちろん往復に乗車した列車も例に漏れません.
2C1のパシフィックですから人気も高かったかと思いきや、中国のカマは前進型、建設型、人民型と前から見るとほとんど同じで、人民型が来たからといって(私の場合は、ですが)特別嬉しくはありませんでした.旅客用パシフィックなら、もひとつ前のタイプの勝利6型の方が断然好みです.
この写真は朗郷付近を行く人民型牽引の普通列車です.最後尾はこんな満鉄型客車でデッキに自転車を載せています.





2度目の朗郷訪問時(1986.4)には哈佳線はDL化されてしまっていましたが、佳木斯機務段(機関区)ではまだ見ることが出来て、佳木斯より奥では多くの列車を牽引していました.
写真は鶴崗線の旅客列車ですが、撮影時は前進型だと思っていたようで全く印象がありません.数年前に他のサイトで鶴崗線には人民型が走っていたという記述を見て、あらためてポジにルーペを当ててみるとアララ!、人民型じゃあないですか.

(画像クリックで拡大します)

1988.9に大同国際蒸気機関車祭で人民型のトップナンバーRM1001号機(現在北京鉄道博物館に保存)と対面したのが最後(というかその後訪中していませんが)で、その頃に中国国鉄上からも姿を消したようです.
もう少し真面目に撮っておけば良かったかとも思いますが、今見てもそれほどのインパクトはありません.

2005/08/16 AM 03:48:46 | [中国の鉄道]

No.28 中国国鉄6K形電気機関車
1987年9月19日、当時所属していた日中鉄道交流協会の行事で、川崎重工兵庫工場で製作中の6K形電気機関車の見学に出かけました.午前中は大阪市内で所要があったので、往路は「銀河」、復路は最終「ひかり」の夜行日帰りの旅です.
ご存知の方は多いと思いますが、川重兵庫工場は構内を一般道の踏切が通り抜けていて、許可を得なくても工場内を垣間見ることができます.ただカメラを向けると守衛さんに静止されてしまうのですが.
当日はもちろん正式な見学なので堂々と入れます.ただし撮影は6K形完成車のみ、と釘をさされていました.工場内では小田急の10000系と1000系が製作中だった以外は6K形一色.それもそのはず、1987年から1988年にかけてこの川重で85両も製造(電気品は三菱電機製)されて中国に向けて船積みされています.完成車置き場には20両以上が並んでいて壮観です.

6K 形は重量136t、出力4,800kW、車軸配置B-B-Bの交流用大型電気機関車で全長は22.2mもあります.現在まで完成車として輸出された日本製の機関車は6K形だけです.
全機が洛陽機務段(機関区)に配属され、龍海線の貨物列車牽引に活躍していますので、現地でその活躍をご覧になった方も居られると思います.

2005/07/28 PM 07:22:44 | [中国の鉄道]

No.6 雨の朗郷
1984年10月.中国黒龍江省朗郷.
昨日の晴天とはうって変わって、明け方からしとしと雨降りです.それでも森林鉄道1日1本の旅客列車ですから、朝食前にホテルを抜け出して撮影に行きました.
朗郷駅を出てカーブを曲がると、ナローファンが泣いて喜ぶ併用軌道になります.舗装もされておらず、この雨で水たまりとぬかるみだらけですが、ちょうど通勤時間とあって自転車がひっきりなしに通って行きます.
トラムなどでもそうですが、併用軌道での撮影ではクルマ、人、そして自転車などとの被りに気を使ってしまいます.列車が来たときにまさか交通を止めるわけには行きませんから、臨機応変にアングルを変えられるように心構えをしておかなければなりません.
幸い雨は小止みになりました.汽笛が鳴って、今では日本のファンにもお馴染みになったC2型蒸機がカーブから8両の客車を牽いて現れると、案の定自転車が被りそうです.機関車の頭に重ならない瞬間にかろうじて何カットかシャッターを切ることができました.

2005/07/06 AM 12:23:36 | [中国の鉄道]

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