【安楽鉄道趣味】轍楽之路 Weblog by 寺田牧夫
轍楽之路(てつがくのみち)主宰の寺田牧夫(田駄雄作)が鉄道趣味、旅、写真の話題を中心に私の興味あるジャンルの話や諸事彩々、私のお気楽に写真とともに、脈絡もなく、気ままに、無責任に綴りおきます. 話のタネや酒の肴としておひつまぶしにお付き合い下さい.  同調、訂正、苦情、提案、罵倒などのコメントや掲示板への書き込みお待ちしています. (1ページに最新5つの記事が表示されます.Archives、カレンダーから過去の記事もご覧下さい.) ※各画像への直リンクや営利非営利とも2次使用はご遠慮下さい.(発見された場合はご通報をお願いします)※
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No.1045 常磐線C62の終焉は43年前
10.2追記:サーバーのTOK2がデータセンター移転に伴い,10月中-後半にアップロードの作業ができなくなるそうです.正確にはアップロードしても移転後のデータに反映されない恐れがあると云うこと,のようです.閲覧は通常通り可能とのこと.
さてどうしたもんですかね?このブログや掲示板にも関係があります.ブログはさぼる口実ができて,よろしいのですが・・・・・.
掲示板は一切投稿禁止にして,仮の外部板でも借りましょうか?でもその告知を各掲示板にして,また後で外すのも面倒くさいです.
また怖いのは,数年前に同じような大規模メンテナンスを行った際,直後から数ヶ月間不安定というか、ほとんど繋がらない状態が続いたことがあります.今度は大丈夫なのでしょうか?そのデータセンターは何処にあるのかも判りません.国内ではない可能性も大です.



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43年前の今日,1967(昭和42)年9月30日,常磐線平-仙台間を走っていた C62・C61・C60のハドソン3兄弟が終焉をむかえました.当日は友人と共に学校(当時高2)をお休み(さぼり)して撮影に行ってしまいました.そういえば本日と同じく秋雨の降る肌寒い1日でした.

↑ 早朝の広野-末続間の6レ,特急「ゆうづる」.これがC62牽引特急最終列車です.C6223.


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↑ 最後のC60牽引,下り221レ.C6033.平駅発車.


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↑ 平機関区では本日の主役達が揃い踏み.最後の6レ牽引のC6223(川崎車輌製).さよなら列車201レ牽引のラストナンバーC6249(汽車会社製).C62を送る会主役のC6210(日立笠戸製)とC62を製造した3メーカーを公平に並べたところはさすが.(偶然か?)


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↑ 惜別列車となった201レ「第2みちのく」牽引のC6249. その生涯のほとんどを常磐線で過ごした生え抜きのカマ.


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↑ 最後のC61牽引,下り233レ.C6121.平駅出発.


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↑ 上り226レ平駅到着.仙台-原ノ町間で202レ「第1みちのく」牽引のC6222が段落ちで原ノ町から牽引してきた.


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↑ 日付が変わった10月1日午前1時57分.上り210レ「第1十和田」がそぼ降る雨の中、平駅に到着.これが常磐線ハドソン最期の姿.この瞬間を目撃したのは我々3名のみ.他にC6249を出迎えた人は,ファンどころか国鉄の方も係員の方以外,何方も居らっしゃいませんでした.


つい昨日のような記憶ですが,もう40年以上も前のことでした.
私の愛煙家人生の中でも片手に数えられるような、記憶に残るビッグイベントの一つです.

愛煙家と云っても,明日から窮地に陥る方々とは無煙いや無縁な私です.
20数年前,ボックスのキャメルとジッポーのオイルの香り(臭い?)に憧れて,ふざけて吹かしていた時代もありましたっけ.

本日の写真は轍楽之路本編常磐線C62壮行からの抜粋です.まだご覧になっていない方はこの機会にご笑覧頂ければ幸いです.

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2010/09/30 PM 07:46:28 | [現役蒸機の時代]

No.936 片上鉄道C13

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今日は所蔵写真から片上鉄道C13-51をご覧ください.もと南海のC10001テンダ機関車からの改造で、もともとは戦時中に中国海南島で使用予定で製造されたとのことです.オリジナルはC50に似た外観だったようで、タンク機化されればC10やC11に似て来るのもうなづけます.

改造時の姿↓はカウキャッチャー付きのなかなかのナイスガイではありませんか.その後キャブ屋根の嵩上げ、デフ撤去などでイモ兄ちゃんになってしまったようです.


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2009/10/07 PM 01:03:41 | [現役蒸機の時代]

No.848 磐越東線のデロクマル(D60)

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↑磐東線でも一番魅力があったのが朝の重連旅客.こいつを沿線で撮ろうとすると「ゆうづる」が撮れません.まさかそちらを捨てるわけにも行かず、結局平駅の到着シーンで我慢です.D6047+D60+PC.1967.8

電化前の常磐線(平以北)の撮影は、次々とC62牽引の夜行急行、特急が上ってくる夜明けが勝負です.その後日中まで粘るときには上下急行「みちのく」とローカル列車牽引のハドソン兄弟を狙うことになります.
もうひとつの選択肢に平から郡山へ向かう磐越東線のD60の撮影の道もありました.夏井川渓谷に沿った絶景区間が魅力なのですが、ここは歩く歩く、脚が勝負です.高校生の若さとはいえ、前夜は徹夜ですし、真夏ですから(常磐線の上り夜行列車群は真夏しか撮影できない)暑さもしんどいし、煙も期待できません.煙については重油併撚のためもともと少な目です.機関車はD60で魅力的かと思いきや、本副ともシールドビームの前灯が興味を殺がれますし、個人的には本体とアンバランスな従台車やプレートの"6"の数字が気に入りませんでした.はっきり言えば好きなカマではありません.
とは言っても、そのまま帰るのも馬鹿らしいので、あまり歩かずとも撮影できる小川郷まで出かけてみました.しかしやる気の無さが通じたのか96の補機は中止、汚いD60は来るは、案の定煙は無いは、体調は壊すは、で散々な思い出になっています.
(撮影:特記以外1967.8)


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↑小川郷駅に到着する上り貨物のD6075.


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↑登り勾配をスカで来たD6056牽引の下り貨物.本来は給水温め器付きの9600と重連の筈なのですが荷が少ないので中止だったようです.しかもこのように作業途中かと思われるような煙室前面の塗装では、シャッターを押す指がためらう程写欲を喪失させます.


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↑小川郷出発のD6068.客レでは荷が軽いのか重油併撚の煙はこんなものですか.


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↑せっかく本日一番の煙だったのに向こう側へ廻ってしまった.やる気が無いとは言え、もう少し場所を選びたいですよね.


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↑これは同年の2月、東北の帰りに寄った平機関区で.
夕陽を浴びた美しい姿をカラーで撮っていました.冬姿はスノープラウと皿形クルクルパー付き.1967.2


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↑横黒線から異動してきたD6071.その後九州の久大線や筑豊本線で活躍.

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2009/03/11 PM 11:43:47 | [現役蒸機の時代]

No.845 バークシャーD62だぜい!

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私の誕生と同じ1950(昭和25)年にD52から改造されたD62型は、当初は東海道・山陽本線でD52と共通使用されましたが姫路電化によりその活躍の場を東北本線長町-盛岡間に移しました.
D62と言えば東北のイメージが強いですが、実際走っていたのは僅か6年程.それもD51と共通運用では無かったようですが、同じ牽引定数で使われていましたので本来のD62の本領を発揮する機会は無かったわけです.

私は中1の時に初めて出会い、中3の時に平泉付近でも見ることができましたが、本格的にカメラに収めたのは、1966(昭和41)年終焉の年だけでした.それも一関機関区と盛岡機関区で停車している姿だけです.
しかし復活はおろか、保存機すら1両も無い蒸気機関車の現役姿に接したことがある、というのはおおいに自慢というか誇れることではないか、と思っています.
本編のリサイクル写真ですが、その勇姿をご覧ください.


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2009/03/07 PM 01:03:41 | [現役蒸機の時代]

No.842 現役蒸機の迫力 D52140

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21世紀の復活蒸機の良さも若干見直したところですが、やはり心はこの時代のことを思い起こしてしまいます.つい先日のことのようですが、1971(昭和46)年3月の撮影ですから、まだ20歳ですね〜.

↓ D52140長万部駅出発シーンです.長い2軸貨車の編成ですね.このアウトカーブのロウポジションは迫力が強調されるんですよね.


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2009/02/24 AM 01:26:23 | [現役蒸機の時代]

No.814 小出只見線C11の連結器

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客車としっかり握手して雪の山道を駆ける、C11の頼もしい連結器です.こんなシーン、撮れそうでなかなか撮れません.もちろん客車のデッキは凍った外気が吹きっさらしなんですから、滅茶苦茶に寒いことは言うまでもないことです.

1970(昭和45)年1月26日、115系の長岡行夜行電車にて雪の只見線への撮影行です.当時の只見線は小出-大白川間(26km)のみの区間で、5往復の全列車がC11牽引の客車列車という100%有煙の世界!簡単にいえば1両の同じC11が行ったり来たりするという、単純な運用だったというのが種明かしになります.
客車は列車によって2〜5両と増減しますので、絵的には多少変化があります.


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↑終点の大白川駅ではわずか16分の折り返し時間の間に、C11もしっかり転向されます.こんなシーンをのんびり撮っていたら、駅員さんに「これに乗るんだろう?」と急かされました.切符は車内か小出駅で購入するつもりでしたが「出発を待ってやるからウチで買って!」と言われ、東京都区内までの乗車券(1140円)と小出からの急行券(300円)分、しっかり大白川駅の売り上げに貢献させて頂きました.そのために数分出発遅延したのは私の所為ですか?


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日中は上条-入広瀬間の25‰区間で撮影.よく写真を見る魚沼田中-越後須原間はあえて避けて、当てずっぽうに上条駅で下車したのが大正解でした.

当日はさらにキ100+C11のラッセル、そしてDD14+DD13の排雪列車も運転.天気も上々で定期列車+αの雪国シーンを堪能できました.

数年前のヘタクソスキャンですが、この日の様子を轍楽之路サイト本編にアップしてありますので未だ見ていない方はご笑覧のほどを.

それにしてもこんな寒い中でよく一日中撮影していたものです.39年前はまだ19歳だったんですね〜.

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2008/12/03 AM 01:12:08 | [現役蒸機の時代]

No.806 お召列車

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昨日常磐線とTX(つくばエクスプレス)でお召列車(電車?)が走りました.私のお膝元なのに、ひとことの断りも無しに!?

悔しいので、また1972(昭和47)年5月の新潟お召列車の写真を引っ張り出してきました.


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2008/11/13 PM 05:55:39 | [現役蒸機の時代]

No.787 静狩大カーブ(後)

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1969(昭和44)年3月、普通列車牽引のC57です.この頃はDC以外はすべて蒸機でD51・D52がばんばんやって来ましたが、この年の10月で長万部-東室蘭間の普通列車全部と多くの貨物列車はDD51に置換えられてしまいました.
撮影に行く時は、蒸機列車が来る時間を狙って行かねばなりません.


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幸いD52も何本か残り、特に(前)に書いたように朝の8時頃に長万部方面からやって来る貨物列車が狙い所でした.
カーブからトンネルに飛び込みますが、上下線のポータル間が少し離れていて間に小屋があります.そこから撮影すると西の瀬野八を彷彿とさせるような迫力のある絵ができます.


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他にもRJに出したD52136や↑で後追いを出しているD52204の正面、相模原に保存されているD52235などもこの場所で撮影しているんですが、なぜかそれらのネガがまとまって行方不明です.D52特集の企画かなにかで何処かに貸し出したままなのかもしれません.残念ですが2-30年前の話なので、2度と戻ることはないでしょう.


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雑魚の雑魚、DD51牽引に置換えられた旅客列車です.カメラを向けなかったことさえあります.

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2008/09/19 PM 03:31:34 | [現役蒸機の時代]

No.786 静狩大カーブ(前)


室蘭本線静狩-小幌間の大カーブです.トンネルが連続する礼文華の難所を挟んだ礼文側のカーブは現在にいたるまで、名撮影地として知られていますが、こちら側の写真は意外に見ません.

1970年前後、渡道して最大の目的は山線のC62重連でしたが、上目名で撮影する場合は朝にこの静狩に寄り道です.ちょうどこの時間に最後まで残ったD52牽引の下り貨物列車がやって来ます.晴れていれば順光になる好条件です.


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今日ご紹介するのは蒸機ではなくて、キハ82「おおぞら」です.13両の長い編成をインカーブから奇麗に捉えられます.当時は蒸機以外は雑魚扱いでしたが、今になってみると、大変な財産になりましたね.

初めて静狩駅に降り立ったのは1969年3月未明でした.なぜここに来たのかまるで記憶がありません.雑誌に載っていたわけでもなく、友人からアドバイスを頂戴した記憶も無いのですが、適当に長万部から2駅目ならすぐ戻って来られると思ったのかもしれません.

長万部から乗車して来たC57牽引の普通列車が黒煙を上げ、ブラスト音も高らかに、右へ右へとカーブしながら勾配を昇って行く姿をまだ薄暗い中で見送り、大感激したのはよく覚えています.


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2008/09/18 PM 03:39:14 | [現役蒸機の時代]

No.777 原田のC5553
最近は毎日更新どころかサボりの連続で、毎日ご来訪頂いている皆さんには申し訳ない思いです.それでも足掛け3年と一ヶ月あまりで「777スリーセブン」回の記事をお送り出すことができました.おそらく過去記事を順番に遡ってご覧頂くだけでも数時間を要すでしょうし、ありえないことですが、単行本化すれば相当な册数になってしまうものと思われます.内容的には自分の興味深いことについて取り上げていますので、ご賛同頂ける部分とそうでない処があるのは当然でしょう.作ってみて自分でつまらないと思ってボツにしたこと、一回アップ後に引っ込めたことも何回もあります.アップ後の内容修正は日常茶飯事なので、前に見た時と違う、なんてうこともよくあると思います.
いろいろ思うところはありますが、今後もマイペースで書き連ねていければよいな、と考えます.
本当にいつもご覧頂き、ありがとうございます.



(画像をクリックすると2段階に拡大されます)

777回目は因んだゾロ目ネタを考えましたが、鉄道ではあまり縁の無い数字で思いつきませんでした.
1970(昭和45)年8月、九州は原田駅で撮影した人もうらやむ、筑豊本線用の門デフ装備のC5553です.
真横のアングルというのは撮れそうで撮れないカットです.広角レンズを使えば歪んでしまいますので、やはり50mm標準レンズで障害物無しの、全体が収まるだけの引きが必要です.しかしこれだけ引いてしまうと小さな写真では迫力が無く、大伸ばしをするとレンズの解像力、ピントの正確さ、手ぶれ無しの完璧さを要求されます.晴天下だと光線状態や他の建物や電柱などの影も問題です.かえって曇天や、思い切って完全逆光の方が撮りやすいともいえますね.


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以前に「壁紙」として出してますが、こちらも再掲載しておきます.


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2008/09/07 PM 01:03:41 | [現役蒸機の時代]

No.775 和歌山線のC58の撮影場所は何処?

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1971年12月に撮影した和歌山線のC58列車です.この時の撮影はC57がメインでしたので,この列車を撮影した記憶は曖昧です.しかもクルマで追っかけたので撮影地点の特定がなかなか出来ずに困っています.周囲のネガのコマと1:25000の地形図で検討すると,どうやら高野口-紀伊山田らしいとは思うのですが,もう少し北宇智寄りかな〜?とも.


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6枚目のカットにはこの列車を撮影しているファンが写っています.当日に同業者の方を見かけた覚えは無いのですが、カメラを構えている方が居られるということはそれなりの撮影地なのでしょうね.
地元の方などに地点を特定して頂けるとありがたいのですが.1〜3枚目と4〜7枚目のカットは同一地点での連続撮影だと思いますし、両地点もそれほど離れてはいないと思います.列車は和歌山市6時31分発の王寺行524列車であることは判っています.

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2008/09/04 PM 06:08:25 | [現役蒸機の時代]

No.774 C62兄弟画像コレクション
相互リンクをしている「遠い汽笛」さんのサイトでC62全兄弟のデータをアップされ、C62全機の画像蒐集を目指したコレクションも始められました.早速多くの方のご助力で半数以上の機番の画像がアップされています.遠い汽笛さんには弊サイトの「D51/C11/9600」のコレクションにもご協力頂いていますので、私の方からも微力ですが手持ちの画像を送らせて頂きました.

将来的には,機番コレクションのリンク集なども作って行きたいとの考えもありますが,このようなコレクションは作るのも大変ならば、維持管理するのも結構手間がかかります.せっかく貴重な画像が集まっても途中で管理できなくなったり、投げ出してしまっては何もなりません.次世代への画像資料として残して行くためには、しっかりとした組織を作る必要があるかとも思います.

今回ご協力させて頂いた画像の一部をご覧ください.(データは省略します)


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2008/08/30 PM 07:46:28 | [現役蒸機の時代]

No.770 曰く因縁のD51651
昨日今日と涼しい朝ですね.今日はオフ日なのでゆっくり寝ていようと思ったのですが、何故か朝6時30分にピタリと目が覚めてしまいます.朝寝する予定で就寝したのはわずか3時間と少し前なのに.また今日も一日ボケーッとすることに決定!ブログも夏休みぎみで失礼しましたが、今日は登校日のようなもの.また明日も書ける保証はありませんです.

速報:JR東海が日車をTOB!で子会社化ですと.JR東の新津工場に対抗しているんでしょうか.他社は日車に今後車両発注するのかな?
それにしても東海の考えはよく判りません.中途半端にリニアを名古屋まで作ってどうするの?名古屋での乗換えが面倒になるだけでしょう.ひょっとしたらリニアはポーズだけで結局は在来新幹線仕様で建設するのかも.





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話は37年前に遡ります.伯備線の取材で、早朝の新見発岡山行きの通勤列車の車内の様子をレポートしました.牽引機はD51、客車は旧型客車ばかり10両の編成です.伯備線は当時は一ローカル線と言ったイメージを持たれていましたが、ところがどっこい、工業都市倉敷や県都岡山までの通勤通学客のために朝夕には長い客車列車が何本も雁行して走ります.まだ夜明け前の新見でも多数の高校生が乗車、そして各駅で大量の乗客を拾い倉敷到着前の車内は身動きができないほどの混雑です.

私の車内取材は倉敷までで、倉敷からは交換して直ぐに出発する伯備線列車に即折り返し乗車するスケジュールでした.なんとか前の駅でデッキまで出て、到着次第飛び降りる準備をしていたのですが、倉敷到着は数分の遅れ.こちらの列車が停車するよりも早くに信号が青になり、新見行は発車!乗り遅れてしまいました.

ならば、今まで乗車して来た列車の頭を撮ろうと前方へ駆けつけると、これまたタッチの差で逃げられてしまい、このような後追いしか撮れないという悲劇の連続です.このために沿線をクルマで取材していた仲間と落ち合えません.急遽単独での取材に切り替えて次の伯備線列車で、どこか途中駅(記憶無し)で下車.徒歩で日中の列車を撮影しようと道路をトボトボ歩いていると、何とその横を偶然仲間のクルマが通り過ぎそうになり、あわてて道路に仁王立ちになって捕まえたという想い出があります.

その因縁の伯備線列車を牽引していた機関車、後追い写真を拡大してみるとD51651号であることが判明しました.651号機です.当時は知る由もなかったのですが、この機関車って私の小さな因縁どころではない、二つの大事件に遭遇していた曰く因縁付きの大変な罐だったのです.

■戦時中の1943(昭和18)年10月26日.常磐線土浦駅構内で待避中の上り貨物列車に、後続のやはり上り通過貨物列車がポイント操作ミスで衝突して脱線転覆.そこに下り旅客列車が突っ込み客車数両が脱線転覆.うち一両が鉄橋から桜川に転落するという三重衝突事故が起こり、110名もの犠牲者が出ました.
戦時中ということでほとんど報道されていませんが、鉄道史上に残る大事故の一つです.D51651は後続の突っ込んだ通過貨物列車の牽引機のようでしたが、事故で大破するも修理されて常磐線に復帰しています.

■その6年後、1949(昭和24)年7月6日未明.やはり常磐線北千住-綾瀬間の東武伊勢崎線と交差する辺りで、当時の国鉄下山総裁の轢断死体が発見されました.いわゆる「下山事件」です.
米軍占領下の当時、この事件に続いて7月15日の三鷹事件、9月17日の松川事件と続けて国鉄絡みの事故が起こり世間を騒然とさせました.
その下山総裁を轢断した、といわれる貨物列車を牽引していたのがD51651なのです.

その後常磐線の電化で水戸機関区から素知らぬ顔で新見機関区に転属、伯備線でDL化まで活躍しました.
昔の傷が掘り返され、表沙汰にされたのは最近のことです.関東とは遠く離れた中国地方ではそんな因縁機関車だとはほとんど話題にもならず、伯備線ですから時には三重連列車にも組み込まれたこともあったでしょう、SL終焉ブームの中、多くの蒸機ファンにその最後を記録されています.

1968.8 伯備線布原信号所 光さん撮影(当サイトD51sBOXより)


機関車に罪はありませんが、戦後の混乱期に起きた誰もが知っている、歴史上の大事件の生き証人として「D51651」が常磐線沿線で保存されていてもよかったのではないか、と思います.
その代わりというか、因果というか、同番号の形式を持つ特急電車が白いタキシードをまとい、常磐線を闊歩しています.

話は戻りますが、倉敷駅で次の伯備線列車を待つ間に怪我の功名で撮影できた.181系(151系)の「しおじ」です.先頭はクロハ181-3.


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2008/08/18 PM 03:39:14 | [現役蒸機の時代]

No.767 3人の near miss 37年目の同窓会
8.9追記 夏バテでグロッキー! しばしお休みを頂きます.

佐々木さん撮影(9600DEPOTより)


5番線さん撮影(9600DEPOTより)


藤井さん撮影


2005年1月1日に開設した弊轍楽之路サイトの9600DEPOTですが、最初は私の持ちネタ+滋賀県ご在住の佐々木さん(勝手&気まま サイトご主宰)のコレクションで始まりました.
その中の佐々木さん撮影、69646号.1971(昭和46)年4月1日撮影の九州若松機関区でのD50140号との並び写真に対し、茨城県の5番線さん(鉄の匂い サイトご主宰)から「私も同日に撮影しています」とほぼ同じ構図、光線状態の写真が送られて来ました.お2人は全くご面識がなく、同行されたとか示し合わせたようなことはありませんでしたので、この偶然のニアミスに驚いたものです.

ところが昨日、藤井さんという方からメールを頂戴し、「私も同じ日に撮影しました」とご自分のサイトにアップされている写真をご紹介頂きました.これまたビックリ!ほぼ同時刻に同じ場所から撮影されています.藤井さんも佐々木さんや5番線さんとはお知り合いでは無い、とのこと.

藤井さん(FUJII Yoshihiko boogies homepage ご主宰)によりますと、当日は若松機関区の(多分春休みでの)特別見学会の日だったようで、お昼過ぎに1時間くらいの間、庫内の見学撮影が許可されていた模様です.庫内はある程度動線が限られていたようなので「ほぼ同じ場所からの撮影になったのでしょう」とのことです.他の写真も拝見すると、この2台が並んでいたのもそう長い時間ではないようです.

当時九州に限ったことではないですが、ファンの増加や死傷事故の発生もあり、自由に機関区の見学はできない時期で、週1とか月2の見学会も事前に許可が必要だったとのことです.

そういうことであれば、お3方が同一場所同時刻に同一構図で撮影されていた、というのも納得です.しかし何千人も何万人もがそこに居られたことはないでしょう.その中の当時中・高校生であった3人の方が、30数年後にその写真が縁で私のサイトに集っていただけた.というのはやはり相当の奇遇であるといえますし、9600DEPOTの開設者冥利に尽きます.

藤井さんの許可を頂きましたので、ここに3点の写真の同窓会を開かせて頂きました.
ひょっとして他にも当日参加されていた、という方はいらっしゃいませんか?

この日、私は北海道に居たはずです.C62重連を撮影していたかもしれません.

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2008/08/05 PM 11:54:18 | [現役蒸機の時代]

No.764 所蔵写真C51239



(画像をクリックすると拡大されます)

所蔵写真ですが、撮影者不明です.
C51239のお召姿ですが、国旗はありませんし煙室扉ハンドルが時計の針形なので戦後すぐのご行幸の時かと思われます.
場所は大宮機関区か田端機関区でしょうか.

この写真についてご存知の方があれば、コメントまたはメールをお待ちしています.

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2008/07/30 PM 07:46:28 | [現役蒸機の時代]

No.753 中坊の見た小山駅のC5080

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1965(昭和40)年3月、14歳でした.
水戸線の気動車の車内から撮影した入換中の C5080です.小山駅の東側はこんな倉庫の側線になっていたんですね.
ハーフサイズのオリンパスペンDのタテ位置ネガからヨコ位置にトリミングしました.

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2008/07/11 PM 11:43:47 | [現役蒸機の時代]

No.732 門デフC5760

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さらにもう1両門デフのC5760をご紹介します.おそらく望遠がメインで構えたようですが、6x6で撮ったこちらのカットの方が門デフがよく判りますので見苦しい架線柱などは無視してください.それにしても酷いので架線および柱にはボカシを入れました.こんな場所で撮るなんて、暑さでオツムがいかれていたのかも.
1970年8月15日、鹿児島本線小川付近です.多分肥薩線直通列車だと思います.

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2008/05/24 AM 01:26:23 | [現役蒸機の時代]

No.731 門デフC57151

   (画像をクリックすると拡大されます)

もう1両、門デフのC57151をご覧ください.こちらの方が今回のC57180号機に装備された門デフのイメージですね.
1970年8月16日、熊本機関区です.当時熊本機関区のC57はこの151号機のみで、特に定期運用を持っていませんでしたが臨時列車を牽引したり、人吉機関区のC57運用に入り肥薩線列車の牽引をしていました.
なぜか先輪の前1軸だけがスポークになっていました.このスポーク+プレートの先輪は他にも例が見られるので、何か理由があるのかもしれません.

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2008/05/23 PM 03:08:58 | [現役蒸機の時代]

No.730 門デフC57100

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磐越西線で運転された、C57180の限定期間門デフが話題になっていますが、現役時代に撮影したC57100をご覧ください.

1970年8月14日、八代駅での肥薩線列車です.よく見るとお父さんと子供が機関車(機関士さん?)に手を振っています.お父さんが下着姿ですから国鉄の官舎にお住まいなのでしょうか.機関士さんとお知り合いなのかもしれません.
C57100は長崎本線で特急を牽引した名残りで、ヘッドマークステー付きで煙突の飾り帯の跡も判ります.

この写真、なぜか撮影から一度もポジ画像になったことがありませんでした.サイドが逆光なので、うまく焼き付けできなかったのかもしれません.今回もレタッチで多少難儀しましたが、PC処理で初めて絵が見られるのですから、よい時代になったものです.

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2008/05/21 PM 03:27:26 | [現役蒸機の時代]

No.691 奥中山D51三重連

   (画像をクリックすると拡大されます)

1967年12月もあと数日を残すのみ.早朝の奥中山駅に降り立って雪道を歩くこと20数分、吉谷地の大カーブにやって来ました.今まさに迫り来るドラフト音と白煙に、焦って築堤を登り切ると目の前にはD51三重連の貨物列車がすぐそこまでやって来ていました.
あわててカメラを構え、露出は感で合わせてシャッターを切った1枚です.当時のフジのネガカラーでまともに逆光を食らっていますから、満足な発色をするはずもありません.当然の退色も加えてどんな補正をかけても満足できる色は出せませんでした.

この区間はほとんどの貨物列車はD51前2、後1です.前3の三重連はこの後も1日居ても2本しか来ませんでしたから、貴重な1本をこのような撮り方をしてしまったのは残念です.でも今となればこれはこれでね.40年前の後悔をしてもはじまらんことです.

今シーズンは朝日新聞スポーツ面のF1記事の扱いが極端に小さくなりました.去年は写真付きの時もあったのに.

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2008/03/23 PM 03:08:58 | [現役蒸機の時代]

No.645 峠路の踏切

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八高線東飯能-高麗川間の鹿山峠を登るD51重連を、踏切ピンポイントで撮ってました.こんなカットを一発勝負するなんて、勇気というか余裕がありましたね.これがC62重連だったら大尊敬してしまいますが. 
当時まだ19歳、若いって素晴らしい!
前補機の煙がもっと出ていれば、なかなかの作品になったと思います.
1969年9月

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2007/12/10 AM 12:39:29 | [現役蒸機の時代]

No.643 和歌山線C57119+α
恥ずかしながら3日の宴席の帰りに転倒したらしく?両膝下を擦りむき、左手親指の付け根が痛く、オデコにも擦り傷が!久しぶりにやっちゃいました.


     (画像をクリックすると拡大されます)

↑吉野口-北宇智

もう37年前の1971年12月にクルマで何回か和歌山線を訪れました.目的は早朝のC57牽引の通勤列車です.残念ながらこの時期では、登り勾配になる北宇智以北ではまだ夜明け前で大変厳しい条件でした.



(画像をクリックすると拡大されます)

↑北宇智-五条

スイッチバックの北宇智を過ぎると後は和歌山に向かって下る一方、しかし沿線は素朴なロケーションが続く.田圃は霜で真っ白.



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↑隅田付近は五里霧中.視界不良の中を薄ネズ色のシルエットC57119が通過.



(画像をクリックすると拡大されます)

↑紀伊山田付近のミカン畑を行く.この時はモノクロしか持っておらず、翌週にわざわざまたカラーを持って行ったんですが、この場所を含めて沿線はほとんど刈り取られた後でした.



(画像をクリックすると拡大されます)

↑今は住宅が多く建っていると思われる、田井ノ瀬付近も当時はタマネギ畑が多かった.光線状態は良いのだが自分の煙でシェードをかけてしまうのは痛し痒し.


この撮影2回目は夜行日帰りで行きました.夏に免許を取ったばかりの一人の人間に夜行のハンドルを任せ、東名→名神、吹田から、環状通り上の一方通行の近畿道を松原まで、そこからトークン式の西名阪有料で天理あたりまで、新人ドライバーに任せて助手席でベルトもせず、毛布を被ってグーグー眠れる感覚は私には判りません.
なにしろ名神に行くとAMラジオが巧く入らず、拓郎やアリスの深夜放送もトギレトギレ.そのうち訳の分かんない外国放送が混ざって来て、頼みのFENもこんな時間に限ってトーク番組になってしまう.それぞれ受信状態も安定してないので、チューニングについ切れてしまって、「うるさーい」となってラジオのスイッチを切ったらおしまい.睡魔に襲われます.
その頃は8トラやカセットのデッキが付いているクルマもありましたが、ソフトの数が異常に少なかったために、何時も同じ「赤い鳥」「ビートルズ」「天地真理」ばかり何回も何回も聞かされてました.
正直申せば名神上でコックリやったのも1度や2度じゃないことをばらしてしまいましょう.
しばらくは窓を開けて風を入れ眠気をさますのですが、なんと毛布被って寝てるやからが「寒い」と贅沢を言う.
関ヶ原辺りから京都辺りまでは本当にしんどいです.
ただのドライブでは適当に休みながら走れば良いのですが、列車の出発時間が決まっているんだからつらいです.

撮影で昼間は休憩も無く列車を追っかけ.夜になってすぐ帰れば良いのに、「ちょっと大阪の知り合いに寄ってくわ」なんて言う相棒につきあわされ、「泊まって行きなさい」という先方の勧めにも「明日は朝から授業ですので」と相棒.私は翌日はひまだったのに・・・.大阪は22時頃出発、途中関ヶ原では雪に遭遇、エンジンが一時むずがったりして、案の定途中から相棒はダウンして私一人で運転.サービスエリアで休みながら、朝の7時には漸く帰京しました.
しつこいようですが、大阪往復2日間連続夜行ドライブを免許取ったばかりの人間に、そのほとんどを任せるでしょうかね.それ以来なぜか未明から夜明けのドライブが強くなってしまった私です.もちろん今はもう無理無理、というか夜行で走ったことはもう何十年もありません.


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2007/12/05 PM 11:54:18 | [現役蒸機の時代]

No.613 羽越本線 D5129を撮る
また少し間があいてしまい、失礼いたしました.
「国鉄時代vol.11を買いましたよ」と多くの方からメールを頂いています.大変ありがたいことですが、当方に歩合が入るわけではありません.しかし、会社創設時から縁のある出版社なので繁盛して頂くのは嬉しいことです.



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1971(昭和46)年8月初めに20歳で運転免許を取得しました.8月22日には早くも友人2人を誘い、自分のクルマを駆って夜行で羽越本線へ撮影行です.まだ関越道など無い時代に国道17号三国峠を越えて、村上あたりまで一人で一気に運転してしまいました.

笹川流れで有名な撮影地、越後早川から府屋あたりまでの間、次々にやってくるD51牽引列車を撮影しましたが、さすがに眠くてまじめに撮影もせずクルマの中で寝ていたような気がします.
ナメクジ機D5129牽引の貨物列車が3カット続けてネガにありました.どうやら初めての追っかけ撮影をしたようです.このような場合困るのは撮影ポイントが特定できないことです.あらためて地図で検証しようと思っても、道路改良や別線による経年変化でよく判らない場合も多々あります.
この時もポイントは特定できません.記憶もほとんどというか、皆無なのは残念です.

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この後米坂線、会津線を回りました.本当は北海道まで脚を延ばして、C62重連最後の夏をクルマで楽しみたかったのですが、さすがにこの夏は免許を取りクルマを買っていましたから費用が捻出できず、断念しました.あと1年早く免許を取りたかったですね.

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2007/09/25 AM 03:48:51 | [現役蒸機の時代]

No.584 三つ目が通る

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1967(昭和42)年12月、函館本線上目名を上り「ていね」、C623+C6244が駆け登っていきます.先頭のC623号機は当時3灯ライト、いわゆる「三つ目」でした.

小樽築港機関区所属のC62型はそれまで↓のC6227号機のように、普通に1灯の前照灯を装備していました.

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それが、この年から小樽-手稲間で電化試運転が始まると、東北の交流電化区間と同じように主灯横に予備の副灯が取り付けられることになったのです.しかし全てが装備されるまでの間、前照灯真下のステーに予備の標識灯が暫定的に掛けられていました.↓のC6232号機がその状態です.

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C623に次いでC622号機にも正式に副灯が取り付けられましたが、暫定の標識灯もまだそのままで、暫くの間はこの「三つ目」仕様が走ったわけです.

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今では副灯付きを懐かしむファンも多いですが、やはりオリジナルの1灯を知っている世代からは不評でした.まして3灯なんて、もの珍しさはあっても写真的には??と言わざるを得ません.
「三つ目」仕様はC62だけに止まらず、同じ小樽築港区のC57にも見られました.こちらの方は予備灯用のステーが主灯の真下ではなかったので、さらに奇異な見付けになってしまいました.美しい4次型機も皿型パー付きと相まって残念な姿です.本家の三つ目クンのようにXでも付けてやりましょうか.
しかし今となっては貴重?な経年仕様の記録ではありますね.

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2007/07/12 PM 11:31:05 | [現役蒸機の時代]

No.576 立野駅のC12222


おかげさまで当「安楽鉄道趣味ブログ」本日で2周年となりました.毎日更新という当初の公約は残念ながら果たせませんでしたが、575本の記事を2年間でアップしましたので、日記や日誌などまともに続けたことが無い人間にしては、これは大変立派と(誰も褒めてくれそうもないので)自分で褒めざるを得ません.
毎日毎日本編を上回る多くの方にご閲覧頂いていることも、続けられる大きな励みになっています.本当にありがとうございます.
昨日までのように時々お休みもしますが、これからもマイペースで続けますので、今後ともご贔屓頂ければ幸いです.


2周年記念に本日は「2」が4っつ並ぶ「C12222」号機のミニギャラリーをご覧下さい.1970(昭和45)年8月、立野駅での高森線列車です.実はこの日は阿蘇山の観光をしたのですが、立野駅にちょうどC12の列車が到着したところでしたので、ちょっとクルマに待って貰って撮影しました.


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2007/07/01 PM 10:57:41 | [現役蒸機の時代]

No.521 限界の奥中山俯瞰

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1967(昭和42)年の12月末に蒸機ファン憧れの東北本線奥中山を再訪したのですが、前からやってみたかった俯瞰に挑戦してみました.有名な吉谷地のカーブを見下ろせるこのポイントまで来るには、地滑り防止用のコンクリート壁の恐怖のホチキッス状のステップを登り、さらに急な斜面を少々登ります.天気は吹雪いたり晴れたりと目まぐるしく変わるので登るタイミングが難しかった記憶があります.
意を決して晴れた瞬間に登ったのは良いのですが、頂上はもの凄い強風の吹きっさらし!ヤワな三脚(スリックグッドマン)は押さえてないと飛ばされそうになります.何よりも自分自身も足許が安定せず、オッソロしく寒く感じました.またこういうときに限って峠を登る列車(下り)がパタッと来なくなってしまうのですから、ついてません.
待つこと数十分、もう限界と思ったときにやって来たのがこの51列車「北たから」.ここはぜひD51の3重連か後補機付きの列車を撮りたかったのですが、残念ながらDD51の重連でした.まあD51の後補機も付いてることだしカラー向きだしと自分を納得させて、これ一本の撮影のみで肉体の限界を感じて耐えきれず下山しました.
当時DD51はまだ登場したばかりの最新鋭で、重連で長編成の特急貨物を牽引する姿は凛々しくて、今思うほどがっかりはしていなかったはずです.現代にこんな列車が走ったら大変な騒ぎになるでしょうが、やってやれない編成では無いですよね.


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2007/03/18 PM 03:39:14 | [現役蒸機の時代]

No.513 日高本線浦河駅周辺

体調を崩していたところに、C11meetingのファイル作りと更新作業に力を使い果たして、ブログまで気を回すことができず、数日間お休みさせて頂きました.多くの方からサイト5周年のご祝辞とC11 meetingへのご協力を頂き、ありがとうございます.今後も精進しながらマイペースでサイト維持に務めたいと思っています.どうか今後も轍楽之路サイトへのご支援ご贔屓をよろしくお願いいたします.



(画像をクリックすると拡大されます)

C11の写真を探していると懐かしいのが出てきました.既出ではありますが、1969(昭和44)年3月に初めて日高本線を訪れたときのものです.この時は静内、日高三石と寄って、そしてこの浦河駅に降り立ちました.しかし、今の浦河を知る人は「こんな海沿いに走るポイントあったんかいな?」と思われることでしょう.ここは浦河駅の静内寄りすぐの場所です.日高支庁所在地、浦河町の市街は駅よりも東側になります.駅を出るとすぐにこんな光景でした.
ところが数ヶ月後の夏休みに再度この地を訪れると、全く様相が違いました.なんと海はきれいに埋め立てられて太平洋は300mほど沖合に後退していたのです.その後国道のバイパスが造られ、役場なども移転してきてかつての海面は、完全な市街地になっています.
参照地図


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駅の東側には300mほどのトンネルがあります.町中にあるトンネルというのも珍しいですが、並行する道路を行けば簡単に反対側へ出られます.駅を出てすぐなので迫力のある(それ程でもない?)飛び出しシーンがお手軽に見られます.このカットは全紙パネルにして静内機関支区事務室内に飾られていましたのでご覧になった方もいらっしゃるかも知れませんね.

この日は大変海が荒れていて、海に面していた浦河駅のホームにまで激しく波飛沫が襲いかかっていました.間にあるワムは当然びしょびしょです.

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2007/03/08 PM 04:15:49 | [現役蒸機の時代]

No.507 飯山機関区C12199
来る3月3日で当轍楽之路(てつがくのみち)サイト本編の開設5周年になります.そして折良く明日25日にでも本編は40万アクセスを達成しそうです.
記念の新企画を制作中です.3月3日には公開の予定ですのでお楽しみにしていて下さい.
40万アクセスに運良く当たった方には、平機関区での「ゆうづる」ヘッド付きC6223号機のA2サイズのデジタルプリントを用意しています.
キャプチャ画像を添えて、BBSメールでご申告頂ければ幸いです.



(画像をクリックすると拡大されます)

C12199は中津川機関区の所属で、珍しいデフ付きのC12として有名でしたが、冬期は飯山線の臨時急行「戸狩スキー号」牽引のために飯山機関区に貸し出されるのが通例になっていました.
1972年1月某日、この年は雪が少なくラッセル車の運転はあまり無かったようなのですが、桑名川駅?構内で撮影用のデモが行われ、本線走行もするというので夜行でクルマを走らせました.朝の旅客などを撮っていたため結局デモの時間には間に合わず、回送のラッセル編成を追跡撮影しました.キ164を推進しているのはC56131、さらに「戸狩スキー号」を牽引したC12199が逆機で連結されていて、面白い絵の編成です.
しかし、この列車速い速い!スプリングの無い先台車付きのラッセルを推進、ということであれば制限速度は相当抑えられているはず、さらにC56、C12の最高速度だって公式には70km/hくらいでしょう.
しかし、こちらのクルマが雪道をここには書けないような速度で追走しても敵いませんでした.
飯山機関区でC56の機関士さんが私たちを見つけ「あんたらもよう飛ばすな!」なんとこちらのクルマを意識していたようです.先頭のキ164の運転台に座っていた機関士さんは死ぬ思いだったのではないでしょうか.


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C12199の話しではありませんでしたが、写真は飯山機関区内の入換風景をご覧下さい.

C12199は現在は奈良井宿 中央線横に保存されています.

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2007/02/24 AM 01:26:23 | [現役蒸機の時代]

No.504 釧網本線北浜の流氷

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暖冬ということで心配していましたが、オホーツクの海には流氷がやって来ているようです.
昔はこちらの人間から見ると、まず冬の北海道自体が札幌雪祭り以外には近づきがたい雰囲気がありました.まして道東網走は、映画での地の果てで酷寒という厳しいイメージが先行してましたからなおさらです.
逆にオホーツクとか流氷という言葉自体は憧れでもありました.そこに蒸気機関車が走っているとなればそれは素晴らしい光景で、高校時代から思いは募るばかりでしたが、なかなか行かせては貰えませんでした.

今のように女満別空港へひとっ飛び、なんていう時代ではなく、陸路をひたすら急行列車でトコトコ辿って3日目の朝にやっと到着する遠さ!しかし、頬を刺すような冷たい空気の中、眼前に広がる海氷原を見て汽笛を聞けば眠気も吹っ飛びます.


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1970年の3月は雪も多かったのですが、例年なら海明けする時期になっても流氷は居座りました.一度は離岸したのですが数日後に再来.このニュースを札幌あたりで聞いて、急遽予定を変更して「大雪6号」に飛び乗ったものです.
お気に入りのポイントはやはり北浜です.北浜-藻琴間は釧網本線がオホーツク海沿いに走ります.


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沖の方で釣りをしている人が居たので、私もカメラ一式を持って氷の上を歩いてみました.一見平面に見えますが意外とゴツゴツしていて容易には歩けません.ところどころ海面に薄い氷が張っているようなところがあり、ジャンプせねばならないことも.一度数百mほど行ったのですが、盛り上がった氷が邪魔で線路が見えません.岸に近いところに戻って撮ったのがこのカットです.


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氷上には1人で行ったのですが、陸に戻ると同行していた友人にえらい剣幕で怒られました.「君に何かあったら私はどうすればいいんだ!そういう危険なことをするならもう君とは同行しない」と.もちろん正論でありまして反論の余地はありません.実はその友人に叱られたのは初めてではありませんでした.2年ほど前、その友人に久しぶりに再会したのですが、その時のことを言われてしまいました.
正直に言いますと、その時足を滑らせて氷から何回か落ちそうになっています.飛び乗った氷が突然割れたこともありました.友人が怒るのも当たり前ですね.ご迷惑をおかけしました.

撮影は1970-71年の3月です.本編から流用のカットもあり拡大サイズがまちまちです.

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2007/02/20 PM 10:01:07 | [現役蒸機の時代]

No.477 上目名のスノーシェッド


C62重連の撮影地として有名だった函館本線上目名でしたが、サミットである駅の長万部寄りにはトンネル、倶知安側にはスノーシェッドとそれぞれ約500mの関門が控えていました. いずれも隣駅までは相当の距離があり、どうしてもここを通ってゆくしか方法はありませんでした. 事故があったとの話も聞きませんので皆さん無事に通過されていたようですが、今だったら通してもらえるかどうかですね.もちろん今は撮影する蒸機列車どころか駅自体も無いのですが.

ここを越えればすぐ撮影地かといえばそんなことはなく、さらに線路を2-3km歩かねば開けた撮影地に到達できませんでした.凍える雪の中や炎天下の中、大荷物を持ってひたすら歩いた想い出が多くのファンの脳裏に存在します.

これらの写真はスノーシェッド途中にあった踏切から撮影しました.気動車は後追いです.どこぞの写真集に載っているような真っ正面からのカットを撮るような勇気は、私は持ちあわせていませんでした.



(画像をクリックすると拡大されます)

上目名かみめな、この駅名を初めて雑誌で目にしたときは何て読むんだろう?と迷いましたね.当時は時刻表の駅名・線名に「ふりがな」が掲載されていなかったので、欄外に特記してあった有名難読駅以外は正確に読めない駅が数多くありました.米坂線なんていう単純な読み方をするものも却って勘ぐってしまって、確信を持って読めなかったものです.
1970年4月2日 撮影

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2007/01/20 PM 10:01:07 | [現役蒸機の時代]

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